未来予想図



池田屋事件からしばらく。
かの事件で新選組の名は京中に轟き、都をうろつく浪士達は目に見えて数が減った。
しかし京の都を火の海にする――そんな恐ろしい計画から人々を守った新選組だったが、町人達の心象は未だに良くはない。
必要あらば仲間も斬り殺す冷酷な人斬り集団――そんな彼らが住まう壬生の屯所はさぞ恐ろしいところだろう。
ほとんどの者がそう思っていた。
しかしその屯所には今…おぎゃあおぎゃあと元気な赤ん坊の泣き声が響き渡っていた。



「無理を承知でお願いします副長…!」
「だめだ。新選組なんかに赤ん坊を置いておけるわけねえだろ」

――とある日の昼下がり、広間には新選組局長以下幹部が勢ぞろいで、ある平隊士を囲んでいた。
隊士は部屋の真ん中で必死に頭を下げていて、その横には泣き続ける赤ん坊が寝かされている。
隊士の名は上坂甲太郎。
池田屋事件の後に入隊した新入り隊士である。

「しかしトシ…上坂君の上さんはもう立たれたそうじゃないか。十日ばかりなら置いてやってはどうだ」
「近藤さん…あんたそれ本気で言ってるのか?」

土方がいつも以上に顔を顰めさせる理由は、目の前の赤ん坊。
生後半年を迎えた上坂の息子である。

――上坂は近江彦根の出身で、妻子を彦根に残し新選組に入隊した。
新選組では合宿制を取っているため、家族とは離れて暮らさねばならない。
更に妻子が近くにいることによって命を惜しむようになることを防ぐため、既婚者は妻子を壬生の屯所から10里以上離れた場所に住まわせることが条件とされている。
幹部に昇進すれば京都に家を持ち、妻子や妾を迎えることが許される。

上坂は平隊士なので規定通り妻子は彦根で暮らしていた。
しかし今朝、彦根にいるはずの妻が子を連れ上坂を訪ね、実母が倒れたから田舎に帰らねばならないとして少しの間預かって欲しいと置いて行ったのである。
とにかく急だったもので呆然とした上坂は、とりあえず副長である土方に事の相談をしに来たのだ。

「とにかく赤ん坊はおけねえ。乳母でも探して預けろ」
「し、しかし、なんの面識もない者に預けるのは…!」
「ここに置いて誰が面倒を見るってんだ?日々の隊務はどうする?」
「う…」

正論を述べる土方に上坂は言葉を詰まらせる。
ただでさえ日常離れて暮らしている故、赤ん坊の面倒を見る機会はあまりなく勝手がよく分からないところに日々の隊務。
同僚の中に留守中世話を頼めそうな者もいないし、何より土方は赤ん坊が近くにいることによって自分だけではなく組全体の仕事に影響が出ることを懸念している。
上坂は困り果てていた。
乳母を雇うのが一番の方法なのだろうが、そこは可愛いわが子。
心配で気が気でなくなる。
かといって土方を説得させられそうな案も思いつかない。
まさに万事休す。
そう思った時、助け舟は意外なところから出された。

「ん〜とりあえず赤ん坊をどうする云々は置いといて、これ以上放置したら可哀想ですよ」
「こんな重っ苦しい空気の部屋に入れられて硬い床に寝かされてね?」

そう呆れながら立ち上がり、上坂の隣にいる赤ん坊に近づいたのは一番組の沖田と真尋だった。
真尋は慣れた手つきで赤ん坊を抱きあげ沖田と共にあやす。
するとどうだろう。
先ほどまで――実父である上坂が抱いても――泣いていた赤ん坊がすっと泣きやみ、可愛らしい笑い声をあげている。

「お、沖田さんに高崎さん…!」
「ん?なあに、その意外そうな顔」
「言っとくけど多分俺たちが一番、組の中で赤ん坊の扱い慣れてるから」

「は〜い、良い子だね〜」と普段からは考えられない程優しい顔と声で赤ん坊をあやす二人。
その様子を見て試衛館の一同は大きなため息をついた。

「ほんと、総司達って子供の相手は上手いよなー」
「二人とも下に兄妹いねえのにな」
「総司も真尋もたまが生まれた時から上手かったなあ」
「近藤さん感動してる場合じゃねえぞ…」

普段近所の子供たちと遊んでいる沖田と真尋は、赤ん坊の相手も難なくこなす。
近藤とツネの間に長女、たまが生まれた時なんかは二人が率先して面倒を見てくれたため、覚悟していたほど毎日の辛さはなかった。
沖田の姉であるミツが「どうして私よりあんた達の方が上手いのよ」と頬を膨らませたくらいだ。
そんな二人は面倒事は全力で嫌がる質なのに今回は――土方の予想は大当たりだった。

「別に良いんじゃないですか?十日くらい」
「空いてる人が相手したらなんとかなるでしょ、大半は寝てるんだし」
「どうしてもあれだったら紐で背負っとけば良いし」
「馬鹿なこと言うんじゃねえ!もし何かあって隊士総出で何かしなきゃならねえとかあったらどうするつもりだ」
「隊士じゃない子に預ければ良い」
「ああ!?んな奴…」
「いるじゃないですか――ぴったりの子が」

誰が、とは言わず含みのある笑みを浮かべるに留まった真尋を見て、全員の脳裏に同じ人物が浮かび上がる。
むしろこの状況では適任と言わざるを得ないような人物――雪村千鶴だ。

「あ〜…いいんじゃねえか?土方さん」
「オレらも協力するしよ」
「…俺も皆の意見に賛成です」
「ね?土方さん?皆もやる気ですよ」
「身内がいることで上坂くんのやる気に問題が――って話なら、十日の間彼と赤ん坊を会わせなければいい。同じ屯所の中にいることは分かってるんだから、安心できるでしょ」
「君も、無理言ってるんだからこれくらいの条件はのみなよ?」
「は、はい!勿論であります!」

これでいいでしょ?
珍しくやる気な二人の論に土方は閉口した。
鬼副長と言われる土方だが本当に鬼という訳でもない。
沖田と真尋の案は確かに実現可能の範囲ではあるし、何より――理不尽な軟禁生活の中愚痴の一つも言わずに雑用をこなしている雪村への気遣い。
いつもと違う「仕事」に、彼女の気も少し紛れるのではないかという――勿論、赤ん坊の世話要員という話前提だが――二人の性格を熟知している者でないと分からない彼らの分かり辛い優しさに気付いてしまってはおいそれと反対も出来ない。
結局、彼ら新選組はしばらくの間この赤ん坊を屯所内に置くこととなった。


〜・〜・〜


「あ、みてみて総司。今日なんか夢見てるね」
「ほんとだ。すごく眉間に皺寄ってる」

あれから数日、件の赤ん坊は新選組の…主に幹部と千鶴の手によって世話されていた。
普段赤ん坊と接するなんて機会はないから、皆なんだかんだ言って甘やかし巡察帰りに目についたものを買ってきたり、度々訪ねにきたり。
予想通り千鶴は赤ん坊の世話も手慣れたもので――江戸にいた頃近所の赤ん坊を預けられていたりしたらしい――基本的にほとんど彼女が面倒をみている。
赤ん坊にしても原田や藤堂達と千鶴の腕の中にいるときの違いは歴然で、「やっぱり女の子には適わねえな」というのが正直な感想だった。
しかしその中で、何しても千鶴と大して変わらない反応が返ってくるのは…やはり沖田と真尋だった。

池田屋事件の後怪我が原因でしばらく外で遊べなかった代わりなのだろうか、あの日の宣言通り二人は隊務の時間以外は赤ん坊の面倒をみていた。
稽古終わりの今も、二人は真っ直ぐ千鶴の元にきた。
しばらく構ってやると赤ん坊は真尋の腕の中ですやすやと眠ってしまった。
それを沖田が上から覗き込み、二人は和やかに会話をする。

(二人ともすごく優しい顔…本当に子どもがお好きなんだなあ)

二人を見ていた千鶴はしみじみと思う。
普段では絶対見ることが出来ない表情――二人の新しい一面が見れて嬉しかった。
そんなことを考えている千鶴の元に、わいわいといつもの面子がやってくる。

「おう千鶴、おつかれさん」
「あいつの様子見に来たぜー」
「…総司と真尋の方が早かったようだな」
「平助おもちゃ選ぶのに手間取りすぎだ!」
「原田さん平助くん、斎藤さん、永倉さん!」

巡察帰りらしい四人は大きな声を出しながら合流する。
そんな四人に、二人から非難の声があがった。

「ちょっと、折角寝てるんだから静かにしてよ」
「この子起きちゃうでしょ?」

二人の言葉に悪い悪いと頭を下げ、四人は罰が悪そうな顔をする。
その様子に思わず千鶴は吹き出した。

「…沖田さんと高崎さん、本当に相手が上手いですね」
「まああいつらはなあ…納得だよなあ…」
「あいつらのあんな顔、久々に見たぜ」

長年一緒にいる彼らですら、滅多に見ないという二人の表情。
二人の様子を改めて見つめてみる。
赤ん坊を真ん中にして、いつにもまして仲睦まじいようすの二人はなんていうか――

「夫婦っぽく見える?」

――小さな小さな千鶴本人でさえも意図していなかった呟きは、こういうときだけ耳聡い彼らの耳に入った。

「夫婦!!真尋と総司が夫婦!!」
「あは、あははははは!」
「な、なんでそんなに笑うんですか!」
「なんか前にも聞いたなそれ」

千鶴の発言に笑い転げる永倉と藤堂に、大きなため息を吐く斎藤と原田。
こんなに騒げば勿論彼らの耳に入るわけで。

「ちょっと、僕と真尋がなんだって?」
「いや千鶴がな?総司と真尋が夫婦みたいに見えるってよ!」
「…へえ」
「ち、違うんです沖田さん、これはその!」

沖田を怒らせたと思った千鶴は必死に弁明しようとする。
だが目の前の沖田は、予想に反して面白そうに瞳を細めるだけだった。

「だって。どう思う真尋」
「どう思うって…」

真尋と総司は無言でお互いの顔を見つめ合う。
――二人は先日、長年の認識を覆したばかりだった。
つまり、真尋が女という秘密を、総司が知ったのである。
夫婦に見えるだのなんだのその手の発言は昔からされてきた。
以前なら「男同士でないわー」と一蹴するか悪ノリするかのどちらかだったが、れっきとした【男女】という認識の元言われたのは今回が初めてだった。
その事実が、二人を無言に――ただ単に面白がっているだけだが――して、意味深な間を生み出していた。

「な、なんだよお前らその顔」
「今日の冗談はいつもより混乱するぞ」
「この手のお前らの冗談は本当に分かんねえからなあ」

つまり、いつの間にか一線越えていてもおかしくないと言外に言われている訳だが、そんなことは二人にとってどうでもよくて。

「…お、おい、そんな意味深に見つめ合うな」
「斎藤…どう思う」
「…俺は個人の事情には立ち入らん」
「え、ええ!?」

段々と焦りの色を濃くする面々が大騒ぎし出す直前まで、二人は時折照れたような顔をしたり彼らをからかった。

「あは、あはは!皆すごい顔!」
「タチ悪ぃぞ!」
「そんなに僕と真尋は意外?」
「いや驚かねえから実際そうなったときはちゃんと言いに来いよ?」
「左之、それ何か違うぞ」
「…真尋と総司が衆道の仲だというなら真尋の部屋に総司が移れば一部屋空くな」
「一くん具体的すぎる!」

大きな笑い声が八木邸の庭に響く。

「ま、この先子供を持つなんてことは無いだろうからちょっとした疑似体験だな」
「なんだよ、真尋冷めてんな」
「いいか、真尋、男女ってのはある日突然恋に落ちて――」
「新八さん、真尋聞いてないよ」
「あ、でも俺千鶴ちゃんくらい可愛い子となら子供作ってもいいけど、どう?」
「高崎さん!?」
「聞け真尋!!!」

この先子供を持つことは無い――その言葉の意味を正しく受け取っていたのは、この場では沖田だけだろう。
自分は女として生きるつもりは無い。
そんな彼女の覚悟を、沖田は知っていた。

(僕も最後まで付き合うよ)

何故なら自分だって、近藤さんの役に立つ以外の道を歩むつもりはないから。
そうして沖田は赤ん坊を見つめる優しげな瞳の奥に、悲壮たる決意を隠すのだった。


――因みにこの光景を遠目で見ていた近藤は、かねてからの願望である【総司と真尋の婚姻】を連想させて涙を流し、土方と山南に呆れられつつ慰められるというなんとも近藤らしい逸話を作ってみせた。





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