部屋の外から聞こえてきた二つの声に筆を止めたのは、とある日の昼だった。
こんな時間に二人が騒いでるのを聞くのは久しぶりだな、と思いつつ、俺は気分転換も兼ねて外に出てみる。
声のする場所から死角となっている俺の部屋の前からそっと覗くと、総司が真尋を後ろから抱きしめるように座っているのが見えた。
そんなとき。
「おや、土方君。盗み聞きですか?」
突如聞こえた声に肩が跳ねる。
「っ、山南さんか…たっく、驚かさないでくれよ」
「そういうつもりは全く無かったのですがねえ」
そうにっこり笑う山南さんにため息を吐く。
こんな時の山南さんには何を言っても無駄だ。
「声を掛けないんですか?」
「…いや、かけようとは思ってたんだがな。こう――懐かしく思えちまって」
「懐かしい?」
首を傾げる山南さんに、俺は頷く。
「あいつらがああやってじゃれついてるのがよ。日常茶飯事だと思ってたがこうしてみると随分久々に見えるなって」
江戸に居た頃から関係は違えどいつも何かしら二人でしでかしてたからな。
「そうですねえ、気持ちは分かります。何だかんだ言って良くも悪くも、あの子達は私たちの中心にいましたからね」
「…そうだな」
あいつら――特に総司とは色々あったが、あの二人がいなかったら今の近藤さんや俺はいないだろうと思う。
そんな二人が恋仲になったときは驚きよりも、やっとかという思いが強かったし、これは誰にも言えねえが…柄にもなく嬉しく思ったりもしたもんだ。
「…にしても、久しぶりに見ましたね、真尋君が和歌の本を読んでいるのは」
「あんたもか。俺も今年の正月以来見てなくてよ」
ああ見えて真尋のやつは読書が好きで割とこういった類の知識はある。
特に百人一首はよく読んでたな。
昔から何度か一人でああいう本を読んでいるのは見たことあるが…今年が今年だからな。
そういう時間を取れなかったのもあるのだろう。
「…彼らにも、色々ありましたしね」
「………」
【色々】――敢えてここで言う必要は無いくらい確かに様々なことがあった。
でも…あいつらにとっての一番は総司の羅刹化じゃないだろうか。
それと。
「土方君…」
「ああ、分かってる」
今は羅刹の総司だが、あいつは確かに労咳を患っていた。
その病魔は…もしかしたら。
「前々から体調を崩していたようですが、謹慎中はそれが顕著だったと」
「ああ。まあ、あいつにはかなり無理をさせてる部分もあったし、精神的なもんもあるだろうから確信はもてねえが…」
これ以上は、口に出す気にはなれなかった。
きっと山南さんの胸にあるものと俺の胸にあるものはそう変わらない。
重苦しい空気が俺たちを包む。
その時。
「「君がため」」
不意に二人の声が耳に届いた。
その言葉にはっと顔を上げる。
目の前にはけらけらと二人で笑う総司と真尋がいて。
「…なるほど、そういうことですか」
そう感心したように呟いた山南さんの顔には珍しく裏の無い笑顔があった。
君がため をしからざりし 命さえ ながくもがなと 思ひけるかな
――いつ死んでもいいと思ってた 君に会うまでは
君に会えた今 いつまでも君といられたらと 僕は願っている――
「あの子達も中々やりますね」
「…だな」
そう苦笑いであいつらを見つめつつ、俺は心で苦虫を噛み締めたような気持ちになる。
――あいつらの思いの深さと、まるで間近に迫る終焉を予期しているような、そんな切なさを感じたからだ。
「…土方君。私はあの子達を見ていると白居易を思い出します」
「白居易といやあ…比翼連理か」
「ええ。【天に在りては願わくは比翼の鳥と作(な)り、地に在りては願わくは連理の枝と為らん】――長恨歌にある仲睦まじい男女を指す句です」
「まさか山南さんがあいつらのことをそこまで買ってるとはねえ…」
「私の目にはこうしか見えませんよ」
そう言って意味深に口を閉ざす山南さんに、俺は頭を掻いた。
この人とも随分な付き合いだが、未だに何を考えているか分からないときがある。
まあこの人もあいつらとは色々あったからな。
京に来るまでも、来てからも。
だから、色々思うところあるのだろうと思う。
「俺はこいつを思い出したな」
俺は幸せそうに微笑み合っているあいつらを見ながら、言葉を切る。
続きを促すように俺を見る山南さんに頷いて、俺は口を開いた。
「由良の門を わたる舟人 かぢをたえ ゆくえも知らぬ 恋の道かな」
――この恋がどこにいくのか さっぱり分からない
まるで櫂を失くした舟が 広い海をゆらゆらと漂っているみたい――
「なるほど…曾禰好忠ですか」
「ああ。…このご時世だしな。今のこの時間は嵐の前の静けさってところだろうよ。それに――あいつらの場合、世情なんて関係ねえところででっかいもん背負ってるしな」
それを考えると、本当に今の笑顔は刹那のものかもしれない。
あいつらも、分かっていることだろう。
「…そうですね。あの子達にはどう頑張っても【普通】の終わりは無いでしょう」
そう言い切った山南さんの瞳に闇が宿る。
それに気づかないふりをして、さてと、と軽く伸びをしながら背を向けた。
「そろそろ仕事に戻るかねえ」
「おや?声はかけないんですか?」
「あれを見てたら声かける気なんざ失せるだろ」
「だそうですよ」
山南さんの言葉に、動きを止める。
何言ってんだと恐る恐る振り返ると…向こうにいたはずの総司と真尋がいた。
「覗き見しといてそのまま帰るとかどこまでも悪趣味ですね」
「なっ」
「そうですよー、見物料ぐらい置いていかなくちゃ」
一体いつから、と愕然とする俺をにやにやと得意の人をからかうような笑みと共に見つめる総司と真尋。
…途端に頭が痛くなってきた。
「ということで今すぐお茶とお菓子お願いします」
「四人分お願いしますね」
「私も…ですか」
「勿論ですよ。てか山南さんも覗き見してたんだから拒否権ありませんよ」
「おや、それは怖いですね」
そう全く怖がっていない声音で話しながら縁側に腰掛ける山南さんに頭を抱える。
「山南さん!あんた、」
「いいではないですか、土方君。我々が覗き見をしていたのは事実でしょう」
「山南さんはさすがだなあ、どっかの誰かさんと違って」
「そうそう、自分に不利にならないように悪知恵を常に働かせてるどっかの誰かさんと違って」
「ばっ、それはてめえらだろ…っ、はあ、もういい……」
怒鳴りかけて、諦める。
山南さんまであっち側となりゃ、ここは俺が折れるしかなくなる。
「…持ってくるからちょっと待ってろ。…くそっなんで俺が……」
そう悪態を吐きながら俺は勝手場へと足を向ける。
だから、
「まったく君たちも素直じゃありませんね」
「なんのことです?」
「…まあ、【見物料】としときましょう」
俺がいない間に交わされた会話なんて知らないんだ。