邂逅 ――最悪なことになった。 お袋が死んでなんとなしに京に行くことにして江戸から出てきた俺。 道中追剥にあって金目のものは全て奪われて、山ン中で腹が減ってぶっ倒れた記憶はある。 こんな所でくたばっちまうのか!?と朦朧とする意識に飛び込んできたのは、俺がこの世で最も嫌悪する武士というものを体現したような熊みたいな男と握り飯。 「生きたいか?」 ただそう聞かれて、俺は何度も頷いた。 そうしてから男に気絶させられた俺が次に目を覚ましたのは、京のはずれにある壬生の八木邸という場所だった。 拾ってここまで連れてきてくれたことには感謝するが、それ以上の義理はねえ。 そう思って出て行こうとした俺を引き止めたのは同じように江戸から来たという平助に原田、永倉。 江戸にいた頃に少しばかり耳にしたことがあった、浪士組の連中だった。 会ってほんの少しのやり取りでこいつらがとんでもなく乱暴者ってことが分かった。 でも、言っていることは間違いじゃない。 だから俺は渋々原田達の言う通り、俺を拾ったらしい人に礼を言ってからここを出て行くことにした。 …だけど、その途中に不本意ながら寄った井戸でまたもや俺はとんでもない乱暴者に出会う。 「僕が君に気を遣ってあげなきゃならない理由なんて、どこにもないし」 ――改めて思い返してみるとやっぱり今まで出会った中で最高に最低な野郎だ。 初対面の人間を理不尽極まりない理由で突き飛ばし、口を開けば喧嘩を吹っ掛ける言葉しか出てこない。 沖田、という名前の男は、一瞬で関わりたくない部類の人間に入った。 そして、笑顔の裏で何を考えているか分からない山南さんに、人の良さが全身からにじみ出ている井上さん。 彼らとの会話の中で、俺を拾ったあの熊みたいな男は【芹沢さん】ということが分かった。 彼は一応ここでは一番偉い立場にあるらしい。 しかし目の前の沖田や山南さん、井上さん達とは何か分からないが大きな溝があるようだった。 そして、彼は外出中で夜まで戻ってこない、と。 代わりに俺は、沖田の言葉で山南さんと共にもう一人の責任者である近藤さんに挨拶をしに行くことになった。 「おお、君か!元気になったみたいだな。中々目を覚ましてくれんから、心配したんだぞ」 いかつい面持ちではあるけれど――悪意とは無縁な、朗らかな表情を浮かべているせいだろうか。 驚くほど、威圧感というものがない。 腰に二本の刀を差しているってことは武士なんだろうが…。 どちらかというと、さっきの井上さんと同じく――畑で鍬でも振っていた方が似合いそうな風貌だった。 近藤さんは、天然理心流の宗主で江戸にある試衛館という道場の道場主を務めていたらしい。 俺がここで会った奴らはみんな、近藤さんについてきたようなものみたいで、山南さんの口ぶりから相当慕われていることが分かった。 まあこんな人なら慕われるのも分かる、と俺も思った。 けれど。 「そうか、総司が…。多分、悪気はないんだろうがな。身内以外の相手にぞんざいな口を利く癖は改めさせねばならんなあ」 沖田に関する認識だけは理解できなかった。 あいつの台詞に悪意が無かったら、この世に悪意のある台詞なんて一つもないぞ。 俺がそんなことを考えているとは知らない近藤さんは、「芹沢さんに挨拶をするのなら、今夜は泊っていきなさい」と言ってくれた。 本当は早く出て行きたかったけど、俺には行くあても金もないし、夜に出てまた浪士に襲われるのは御免だから厚意に甘えることにした。 ただ、山南さんの呆れた顔と言葉で、近藤さんは江戸でもこうして居候を増やしてきたに違いないことが察せられた。 ま、そんな近藤さんの性分を山南さんも好ましく思っているのも分かった。 そうして俺は、とりあえず夕飯までの時間を前川邸に戻って時間を潰すことにした。 ――そして、前川邸に戻る途中に通った沖田と出会った井戸で、俺はまた怒鳴り声をあげることになる。 「…誰、お前」 既視感が半端なかった。本当にすごかった。 井戸に野菜を洗う井上さんがいると思ったら、隣に知らない奴がいた。 私達の仲間はもう一人いるんだよ――そんな風に優しく語られた人物は【高崎真尋】。 その話を思い出したら、思わず声が出た。 それに反応してこちらを振り返った男。 ――どこかでよく似た風貌を見かけたような奴。 けれど、漆黒の髪と何故か目を逸らせなくなるような見たことのない朱金の瞳。 近所では見たことが無い顔立ちに、俺は不覚にも少し見とれてしまった。 …まあ、そんなのも束の間のことだったけど。 目の前の奴は俺に対する警戒と不快感と嫌悪を隠しもせず、まるで品定めをするみたいに俺を上から下へと見つめてくる。 「い、いきなり誰とはないだろ!それに人のことジロジロ見やがって!お前が誰だよ」 「いや、知らない奴が背後にいたら誰ってなるだろ。明らかにこの家の客人ではないし。大体、人に素性を聞くときは自分から名乗るのが礼儀だと思うんだけど」 「はあ!?元はと言えばお前が…!」 このああ言えばこう言う感じ。 瞬間、閃いた。 ――沖田の野郎と同じだ! 「全くなんなんだよあんた達は!なんで井戸で会う奴はこんなのばっかりなんだ」 ようやく出た答えに大いに納得するも、腹立だしさは倍増で。 てかこんな近くにこんな野郎が二人もいるなんて相当だぞ! そう俺が言葉にならない憤りを感じている横で、井上さんが状況を説明してくれたんだが…。 「総司のことだろう。真尋と同じような会話をしていたよ。二人は」 「ああ、やっぱりこいつがあの【野良犬】くんですか」 「犬って言うんじゃねえよ!」 …どうしてこう沖田といいこいつといい、人の神経を逆なでするのがこうも上手いのか。 特技とかそういう次元の話じゃねえぞ。 「で、野良犬くんが何の用?ていうかまだいたの?総司の話ではもうとっくに出て行ってると思ってたんだけど」 「っ、なんなんだよお前といい沖田といい!俺が何かしたか!!」 「まだ何もされていないけどなんか存在自体がイラつく」 「なんだと!?」 「こら、真尋やめなさい」 俺が怒鳴っても井上さんが窘めても、こいつはどこ吹く風といったようにまるで意に介さない。 一体どういう神経をしてるんだ。 もれなくこいつも、関わりたくない部類の人間に入った。 「…はあ。また近藤さんは……ほんとお人好しなんだから。あの拾い癖は一生治りませんね」 井上さんが先ほど近藤さんと俺のやり取りを掻い摘んで話すと、目の前の――高崎はそう呆れたように言った。 けど、呆れた様子の裏には確かな親しみが込められていて、山南さん同様こいつも近藤さんのことを慕っているんだなと素直に思った。 それは沖田も同じだったけど。 「勇さんは優しいからねえ」 「そういうところが本気で心配なんですよ。すぐ騙されちゃうんだから。身近にあんなに根性ひん曲がってて狡賢い人がいるのに。しかも二人も」 「こらこら、それ以上はよしなさい」 こらこらと苦笑いする井上さんに高崎はべえっと舌を出した。 その様子に、俺は少しばかり面喰ってしまう。 嫌味しか口から出てこない奴だが、どこか達観したようなところがある老成された雰囲気を感じていた。 けれど今は、妙に幼く思える。 …なんていうか、不思議な奴だ。 「…井吹。井吹龍之介だ」 「龍之介、ね」 そうして俺達は井上さんの半ば強引な薦めで、名前だけの自己紹介をした。 気怠そうに俺の名前を口にして、高崎は建物の中へと消えて行った。 高崎の姿が見えなくなると、なんだか一気に疲れたような気がして力が抜けた。 「総司に引き続き真尋がすまないねえ」 「いや、井上さんが謝ることじゃねえだろ」 本来ならあいつらが謝るべきところだからな。 会ってほんの少しだが、どうも井上さんは人が良すぎる。 「難しいところもあるが良いところもあるんだ。許してやっておくれ」 「…あれを難しいで済ますのか……」 井上さんの言葉に、俺はさっき近藤さんと話していたときにも感じた別の疲労感を覚える。 身内の欲目なのかそうなのか!? どうもこの人たちはあいつらに弱いところがあるらしい。 なんとも信じられない話だ。 「夕飯まで時間があるから休んでいたらどうかね。出来たら呼びに行こう」 「ああ、そうさせてもらう。…それじゃあ」 そう言い残し、俺は井上さんに背を向ける。 井上さんが再び俺の前に姿を現すのは、一刻ほど後のことだった。 戻る/しおりを挟む |