入部届けと睫毛の君



どくん、と心音が跳ねる。
こんな瞬間を知らなかった。
感動、とはきっと言葉では簡単には言い表せないものなのだ。
今日この瞬間、音楽を、初めて素晴らしいものだと心から思った。


彼等の指先から生まれる音楽に、酔いしれる。ふわふわとやわらかいものに包まれるような安心感、それでいて、耳も、眼も惹き付けて離さない。
鼓膜を震わせて、脳内までも。未だ、余韻が残っている。
暫くはあの音を忘れられそうもない。
ああ、これが、クラシックなのだ。
趣味程度でしか知らなかった音楽を、この場所で彼女は初めて心に捉えた。














思い立ったら吉日だ。ファイナルの星奏学院の演奏を聴いて、オケ部に興味を持つ生徒は大勢居るかもしれない。
ライバルが増えるより前に、入部しよう。普通科である事は少しばかり不利だ。ピアノを習っていたとはいえ、音楽科とは天地の差。それでも、普通科から出場した榊大地という先輩も居たし、普通科のオケ部員も少しは居た筈だ。
少しでも練習して、楽器に慣れれば何時かはあんな風に奏でられるかもしれない。

思って、水無月はオケ部の扉を開く。


「たのもー!」


出出しを掴んで置けば、なんとかなるような気がして、思い切り扉を押した。


「……此処を何処だと思ってるんだ」
「あ、君、オケ部だよね?私、入部希望なんだけど」
「いきなり大声を出したら、迷惑じゃないか。此処は道場じゃないんだ」
「いや、だから私入部したいんだって」


確か、ただひとり1年生で選ばれていたチェリスト、水嶋なんとか。名前は良く覚えていないが、睫毛が長い事と可愛い顔が印象的だった。ついでに背も低い。胸もない、ように見える。
その人がこっちの話に耳を貸さないでぷんすか怒っている。


「ごめんごめん。大きな声だして悪かったって。ね、機嫌直してよ。可愛い顔が台無しだよ?」
「か、可愛いって…!まさかとは思うが、君は勘違いしてないか?」
「褒めてるのになんで怒るの!」


理不尽だと思う。目の前の可愛らしい同じ学年の生徒は掴み掛からんばかりに余計に怒りの感情を露にしている。何かが地雷だったらしい。
頭の中で胸がないとか背が低いと思ったのがバレた、なんて事はないと思いたいけれど、それしか思い当たる節がない。可愛い、は褒め言葉だし、正義の筈だ。何が気に入らないと言うのだろう。


「大丈夫、多分これから成長するから。むしろ成長期がこれからなんだって」
「何の話をしてるんだ」
「胸なんてなくても困らないよ!」
「さっきから、君は…」


手首を掴まれたかと思ったら、そのまま、とん、と。胸板に掌を押し付けられる。
ぺったんこ、というより何とも筋肉質。鍛えている男のひとのような。


「な、撫でくり回すな!!」
「え、そういうサービスかと思って」
「違う!僕は歴とした男だという証明をしたかっただけだ」
「あ、あー、男の子なんだ、そっかそっか」


その事実に何故かひどくショックを受けた。むしろその睫毛を説明して欲しい。
髪型も女の子みたいだし、睫毛は長いし、誤解するなという方が難しいに決まっている。


「って、そんな事より私、入部届け出しに来たんだ。部長さんどこ?」
「そんな事って…部長の性別も曖昧で暴走するような部員、僕は却下する」
「あ、って事は君が部長さんなんだ。そういう事でよろしく!」
「…全く、君みたいに人の話を聞かない女子は初めてだ。まるで女版の新だな」


部長の彼は盛大に溜め息を吐いた。
そんな水嶋の心情を知ろうともせず、彼女は何の承諾もなしに勝手に手を取って握手する。止める暇がなかった。ぶんぶんと元気よく上下に振ってからぱっと離す。本当に好き放題し過ぎだ。


「あ、そうそう、私、水無月陽子。君は?」
「水嶋悠人。僕が、如月部長から正式に任命されたオケ部の部長だ」
「水嶋悠人、ね。うん、覚えた。じゃあみーちゃんで良いよね」
「は?!何処をどうしたらそんなあだ名に…!ってもう居ないし」


彼女は既に音楽室を駆け回りながら珍しいものを見るように楽器の周りをうろちょろしている。静かにしろと言った筈なのに、彼女の耳は飾りだろうか。
放って置いたら余計な事をしでかしそうな気がする。付いて言って見張らなければ。

これが水嶋悠人にとって、最悪な部員との出会い。










22.4.3.村棋沙仁



暴走少女ですみません(笑)
このテンションの高さすごい楽しい。






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