短編 | ナノ
真夏から秋に移り変わる頃、幸村くんと委員会の仕事である花の水やりをすることになった。クラス順に回ってきていたこの当番も多忙な幸村くんに変わり別のクラスの子とペアを組む予定だったのだけれど引退して余裕が出来たので是非任せてほしい、と言ってくれたのだ。



「今まで任せきりにしてごめんね」
「ううん。気にしないで」

彼はガーデニングが趣味らしく、コートに立つ時とはまた違った表情で花壇の前に屈んでいた。
男らしくも白く細い手に軍手をはめ、草花の手入れをしている。こんな美少年にお世話をしてもらえれば雑草すら薔薇顔負けの花を咲かせそうだ。

備え付けられた蛇口に繋がるホースを引っ張ってきて先端を潰し、幸村くんに掛からないよう少し離れた場所に水やりをする。
気のせいだろうか、花壇に並ぶ花たちは嬉しそうに見える。きっと幸村くんが優しく語りかけながらお世話をしているからかもしれない。



幸村くんとはクラスと委員会が同じなのもあって、時々挨拶をしたり世間話をするくらいの仲だ。クラスメイトもそれを知っているのでとやかくいう者はいない。

けれど時々、他のクラスの女子の目線が痛いときがある。それが彼を好いている子からのものだというのに気付いたのは友人に指摘されてからだった。


私はどうもその類のものに鈍感で、ジッと見つめてくる女子を何も知らずに見つめ返していた。どうしてあの子はあんなに私を見ているのだろう?と寝癖がついているのかなとか、制服にゴミがついているのかなと見当違いな心配をしていた。
それを見兼ねた友人の晶子ちゃんに「あれ、幸村くんのファンの子だよ」と説明されるまでまったく気付かなかったのだった。

不幸中の幸い、というか幸村くんのファンは穏健派が多いので危害を加えられたことは無かった。まず彼がそういう陰険な人をよしとしないことをファンの子たちは知っているから、らしい。
わたしも一応女子ではあるけれど、そういったゴタゴタに無頓着なので改めて友人に感謝したものだ。





「幸村くんって愛情深いんだね」

そういえばと今までの世間話の続きで思い出したように呟くと、彼は律儀に手を止めてキョトンとした顔でこちらを見つめてきた。

「どうして?」
「うちのお祖母ちゃんが『植物を愛でる人は、心が優しくて愛情深くて、悪い人はいない』って言ってたから…幸村くんってまさにドンピシャだなあと」

そう言うと幸村くんは一瞬目を見開いて、すぐに満面の笑みになった。

「苗字さんにそう言ってもらえるなんて光栄だな」
「え、そんな大袈裟だよ…」


ふと浮かんだ言葉を口に出したのだけれど、想像以上に幸村くんは喜んでいた。いつもの綺麗な笑顔と違って、子供っぽく擽ったそうに笑っていてなんだか年相応なものに見える。
幸村くんもそんな顔をするんだ…と、動揺する心を隠すように手元のホースを少々手荒に振ってしまい、案の定、近くのベンチに置いていたわたしのスクールバックは水に濡れてしまった。…まあ、あれくらいなら中身は無事だろう。


「苗字さんのおばあさんってガーデニングが趣味だったりするの?」
「あ、うん。うちの庭はおばあちゃんの花でいっぱいだよ」

少し離れたところにいたはずの幸村くんがこちらにやってきて、わたしの隣にしゃがみ込んだ。そしてその場の草抜きをはじめた。
どうやらおばあちゃんの話が気になるらしい。首を傾げて見上げてくる幸村くんのお顔は女の私ですら見惚れてしまうくらいに綺麗だ。

「だから苗字さんは花の扱いが手馴れてるんだね」
「そ、そうかな。たしかに昔からおばあちゃんと一緒に庭の手入れしてるけど…」
「ふふ、やっぱり。前に花壇の植え替えをした時に思ってたんだ」

幸村くんが言うのは、まだ2年生の秋のことだったと思う。毎年美化委員会では新入生歓迎のためにその季節になるとマリーゴールドやパンジーを植えることになっているのだ。
これがもう半年も前のことだというのだから驚きだ。あれから季節はあっという間に過ぎて秋になろうとしている。そして春には私たちはここを卒業する。と言っても、ほとんどの子が高等部にそのまま上がるのだけれど。

「実は俺も祖母の影響なんだ。ガーデニングはじめたの」
「あ、そうなんだ」
「うん。花は手をかけたらかけるだけ応えてくれるからいいよね」

生き生きと語る幸村くんの横顔を見て、彼の花々への愛情の深さを知った。
おばあちゃんの言うとおり植物を好きな人に悪い人はいないね。彼は本当にいい人だ。



「もっと早く、苗字さんと仲良くなりたかったな」
「え?」

ふと、そう呟いたのは幸村くんだった。手元に咲いている花を見つめながら、少し悲しそうな顔をしていた。


「せっかく同じクラスだったのに、機会逃してばっかりだったよ」
「え、えっと…?」
「あはは、ごめんね困らせるような事言って」


気にしないで、と微笑む幸村くん。唐突なその発言に動揺しきってしまい、誤魔化すようにはにかむことしかできなかった。彼にはきっと他意などない。勝手に意識してしまっているのは自分だ。ついでにいうと口下手な自分が恨めしい。
しかし、彼とは世間話をすることはあっても、ここまで込み入った話をするのは初めてだったし、何より今日の幸村くんはいつもと違うような気がする。

先程から動揺しっぱなしの私は自分を落ち着けるために一度大きく深呼吸をする。そして伸ばしていたホースを仕舞い、わたしも草抜きをすることにした。







片付けも終わりベンチに置いていたスクールバッグを迎えにいくと案の定少し濡れていた。恐る恐る中身の無事を確認する。被害はなかった模様。ホッと息を吐き、持っていたハンカチで軽く拭いた時だった。

「ねえ苗字さん、よかったら連絡先教えてくれないかな」

振り返ると、別の場所にテニスバックと鞄を置いていたはずの幸村くんがすぐそこに立っていた。そして、なんと彼の右手には携帯が握られている。暫くそれを凝視して、再び幸村くんの顔を見るとまた悲しそうな顔をしていた。

「…迷惑、だったかな?」
「そ、迷惑だなんてそんな!」
「良かった」

幸村くんはホッと安心したように破顔した。その笑顔につられて私も笑う。けれど頭の中は未だに混乱しており、なんとか平常心を装って連絡先を交換した。

それからテニス部に自主練をしに行く幸村くんと途中まで一緒に帰ることになったのだけれど、多分私は心ここに在らずだったと思う。正直うまく受け答えできていたか覚えていない。それくらいにおっかなびっくりなことが起きたのだ。

「苗字さん、また明日」

少し心配そうに覗き込んでくるその声にハッとして、返事をしたあとようやく正気に戻ったのであった。



(苗字さん、動揺してたなあ…)

続くかも?幸村くん誕生日おめでとうございます。
20170302