短編 | ナノ


轟々と焼け落ちる屋敷を見つめながら、わたしは息を止めていたのかもしれない。皮膚がチリチリと熱を浴びる。その炎は全てを飲み込んでいった。
いずれこうなることは分かっていた。こうならざるをえなかったのだ。そこにあった命も、記憶もすべて燃え盛る炎の渦の中に消えていく。
綺麗だと思った。初めてボスの炎を見た時のような気分だ。灼熱の焔はすべてを燃え尽くすまで消えない。きっとこの屋敷も。

でも心のどこかで、自業自得、と呟く私がいた。


「ゔお゙ぉい、らしくねえな。項垂れてんのか?」

任務を終えたわたしは、ボスに報告をあげると足早に部屋にこもった。この焼けた匂いのする隊服を早く脱ぎ捨てたかったのもある。髪もひどく臭う。なまぐさい、独特の人が焼けた臭い。

報告をあげた時、僅かにボスの右眉が上がったのを私は見逃さなかった。というより、見逃せなかった。彼には超直感があるから見透かされていたかもしれない。でもわたしなんぞに興味のないボスは何も触れてこないし、むしろ労いの言葉なんぞ掛けてきた日には天と地がひっくり返るだろう。

しかし。このカス鮫にはアジトに帰ってきてから一度も出会ってない。なのにノックもせず、私の部屋の入口に腕を組んで立っている。何を嗅ぎつけてきたのやら。

「そんなに臭う、わたし」
「あ゙ぁ?」
「臭いにつられてきたんでしょ」
「…まあな」

血なまぐささには人一倍敏感なスクアーロだからか。それにしても何を気にしてやってきた。腰掛けているソファーには脱ぎ捨てた隊服が散らばっている。シャワーを浴びようしとしたがどうにも身体がうまく動かなくて、カッターシャツに黒のデニムのままそこで項垂れていたのだが。

「カスの癖に柄にもなく落ち込みやがって」
「なに、そんなこと言いに来たの?」
「お前が次の任務であっさり死にそうなんでなぁ」

その言葉に何も言い返せなかった。死にそう?この私が?しばし考えて妙に納得してしまった。ああ、そうかもしれない。わたし、きっと死にたいのかもしれない。

スクアーロが嗅ぎつけてきたのは、そうか、わたしの死の臭いだったのか。

「今日の任務のターゲットはお前の…」
「うん。相変わらず言い訳だけは立派な人たちだったよ」
「ゔお゙ぉい、人の話を聞けぇ。死にたがりっつーのはどいつもこいつも饒舌になりやがって」
「そんなことないよ、私いつも饒舌だし」
「……後悔してんのかァ」
「…」

後悔などしていたのだろうか。あの家を出た時点でわたしはいずれ彼等を手にかけるつもりでいた。
この界隈では有名な家系だったが、家督は年の離れた弟が次ぐことになっていて、わたしは実弟の捨て駒として育てられた。ただ単に両親たちは女である私が鬱陶しかったのだろう。
両親の期待に応えようと死にものぐるいで暗殺のそれを身につけてきたというのに、わたしは弟の命令でいつでも死ねるごみだった。
そう知ってから今まで我慢してきたものが爆発してしまい、わたしは家を捨てヴァリアーに転がり込んだ。それがまだ十歳のとき。ちょうどボスとスクアーロがヴァリアーを改変してしまった頃だった。故に彼らとの付き合いは長い。

あれから数年。幸か不幸か、こうしてあの人たちの暗殺が任務としてわたしに振り当てられた。おそらく、ボスは確信犯だと思う。

「どうだろうね」
「間違ってねぇだろぉ」

今まで人を何人殺したって罪悪感なんぞ湧かなかった。寧ろ快感や達成感、今までに味わったことのない高揚感を感じて。ベル程じゃないけど、快楽殺人を楽しんでいたと思う。

なのに、だ。

逃げ惑う母親と父親、年の離れた弟、見慣れていた使用人。ヴァリアーの隊服を着た私を見て全てを悟ったのだろう。私たちが悪かっただの、ずっと探していただの。くだらない嘘を並べていた。その割にはご丁寧に家系図から私の名前は揉み消されていた。どうして今更、そんな見え透いた嘘をつくのだろうか。
『殺さないでくれ』なんて暗殺者に通用するはずがないのに。死ぬ間際の御託を聞き流していると、どうも私と違って弟は殺しの才能がなかったらしい。
すべては後の祭り。彼等の本心は知らない。本当に心配してくれていたのかもしれないし、この場しのぎの嘘かもしれない。けれど、何もかも遅すぎたのだ。
両親を殺した後、呆然と佇む年の離れた弟がいった。

『姉さんは逃げたのに、狡い』

そこには、かつての私と同じ表情をした弟が立っていた。

ぜんぶぜんぶぜんぶ皆殺しにしたあと、何故か手が震えた。もう何年も暗殺者として身を置いていながらだ。こんなド素人みたいなことがあるか?と自分でもショックを受けたのを覚えている。
でも、答えは簡単だった。今までの殺しはただの予行練習だったのだ。この日だけのために繰り返されてきた。どんなに瀕死になろうとも、すべてはこの日のために。本番はあっさりと幕を下ろして終わった。ひとたび上演を終えてしまえば、役者は用済みでしかない。だから、わたしはわたしを必要だと思えなかった。

「死ぬんじゃねぇぞカスがぁ」
「珍しいこというんだね。いつもなら死んでこいカスっていうくせに」
「…お前には死なれちゃ困るからなぁ」
「たしかにヴァリアー人手不足だし今死んじゃうと部下達が可哀想だ。ボスの機嫌取りもベルの部下遊びも誰が止めるんだろうね」

上の空でそう答えると、スクアーロは言葉を詰まらせた。「あー」だとか「いや…」だとか何故か言いかけて止める。
私は思わず怪訝そうな顔で彼を見れば目がが合った。スクアーロの瞳は相変わらず私を見据えていたけれど、どこか戸惑っているようにも見えた。「どうしたの」と言葉を投げかける。彼は大きな大きなため息をついた。

「……困るのは俺だぁ」
「はぁ?なんでカス鮫が困んの」
「ンなモン、お前が好きだからに決まってんだろぉ!言わせんなクソミソカスがぁ!!」
「はァ?なんで切れんのよ!知らな…………、今なんて?」

どうにも歳を取ってくると脳の情報処理に時間がかかる。全てを読み込んだ時にはわたしは目を丸くさせた。
スクアーロは今、なんて言った?耳に引っかかって、こびりついていた。いまこいつ、好きって言った?誰を?わたしを?
今の私はものすごく間抜けな顔してると思う。ポカーンと口を開けて、いつの間にか傍に突っ立っているスクアーロをソファーから見上げて放心してる。

先程までのシリアス展開はどこに行ったんだろう。

「す、好き…?スクアーロが誰を?ボス?」
「ゔお゙ぉい!!んなわけねぇだろぉ!!気色悪いこというんじゃねぇ!!!!」
「ご、ごめん頭の中パニックで言葉が理解できない」
「このポンコツがぁ!!好きだって言ってんだろいっぺんで聞き取れぇ!!」
「聞き取れてるわ!!けど突然過ぎて意味わかんないんだよ!!」

そう返すや否や、突然胸倉掴まれて引っ張り挙げられる。視界いっぱいのスクアーロ。長い銀髪に切れ長の目。わあ、整ってんなーなんてボンヤリ考えていたら、不意にガリッて音がした。すぐに唇が焼けるように熱くなる。ゆっくりと鉄の味が広がってきた。

「いったぁ…」
「よお゙し」
「よぉし、じゃねーわ!唇切れてんじゃん痛てぇわ!」
「あ゙ぁ?んなモン大して痛くねぇだろぉ」
「食事のときに痛いじゃん!しゃべる時も!」

ギャンギャンと犬のように吠えて言い返せば、呆れたような顔をされた。噛み付いてきたのはスクアーロなのに「何言ってんだお前」みたいな顔された。お前がなんなんだ!

「傷が痛めば四六時中俺に噛まれたこと思い出せるじゃねぇか!ラッキーだと思え!」
「はぁ!?なにそれ!!」
「お前だけノーダメージなのは気に食わねぇんだぁあ!」

そういってスクアーロはいつもの濁声で「じゃあなァ!」と足早に部屋から消えていった。な、何だそれ。あんだけ好き好き言っといて逃げんのか。
ただでさえ疲れ果てていたのにごっそりと体力を持っていかれた。てかわたし、さっきまで死にたがってたのに。メンヘラってたんだ私。思い出したら笑えてきた。

もしかしたら、あの傲慢な鮫に少なからず心配されていたのかもしれない。自暴自棄になっている私を何だかんだで放っておけなかったんだろう。濁声でかなりうるさいが、変なところであいつは優しい。
…もしかしたら私に触発されて彼も自暴自棄に、己の気持ちを吐き出したくなったのかもしれない。

「はーあ、やだやだ」

暫くしてやっと膝に力を入れて立ち上がり、シャワーを浴びに行くことができた。なにが気に食わないだ。あー腹立つ。唇切れて痛いし。言い逃げとか意味わかんない。ムシャクシャする。どうにも煮え切らない私は、スクアーロに仕返しをしに行くことにした。

20170222(自暴自棄になるふたり)