短編 | ナノ



「ハリー、今度の夏休みはヨーロッパに行こう」
「え?」

僕の目の前で、名付け親のパートナーである名前は頬杖をついて朗らかに微笑んでいる。僕の癖っ毛の強い黒髪とは違いシルクのように滑らかな黒髪を靡かせて僕の瞳を見つめてくる。


ここはロンドンにあるグリモールドプレイス十二番地。シリウスの生家だ。五年生のとき初めてここに足を踏み入れた時は酷く湿っぽくて嫌な臭いのする場所だった。壁紙はスリザリンカラーの深緑に銀。廊下には歴代の屋敷しもべ妖精達の首が飾られていたし、シリウスの母親の肖像画が癇癪を起こしていたのはまだ記憶に新しい。それほど純血主義を煮詰めたような屋敷だった。
しかし、今となっては内装は真紅と金に変わり、壁や家具、食器類までもピカピカに磨き上げられている。シリウスの母親は廊下の一番奥へ追いやられ布が掛けられているし、時折ブツブツと独り言が聞こえてくるのが玉に瑕だけど悪趣味な屋敷しもべ妖精の首はすべて外された。代わりにシリウスと名前の学生時代の写真、クディッチをする僕の父さん、名前と一緒に魔法薬学を受ける母さん、ハニーデュークスでお菓子片手に微笑むルーピン先生や、まだネズミになる前のピーターとの思い出が飾られていた。
食堂に近い壁にはグリフィンドールの談話室で微笑み合う二人の写真が額に入れられている。

すべて彼女が魔法を使わずに隅々まで手入れを行っているのを僕は知っている。思わず、まだ不死鳥の騎士団の本部として使われていた頃、ウィズリーおばさんを筆頭にクリスマスに向けてこの屋敷の大掃除をしたことを思い出した。


名前はいつも艶やかな黒髪をしていて暗いブラウンの瞳を持っていた。陽の光を浴びると琥珀のように煌めく不思議な瞳。僕は父さん譲りのクシャクシャな黒髪に母さんと同じアーモンド形の緑色の目。シリウスは毛先に向かって少しウェーブした黒髪、その灰色の瞳を少し長い前髪がはらりと隠していた。

僕達の共通点はこの黒髪だけで、僕とシリウスと名前は不器用な家族だった。血統だけ見ればどこかしら血の繋がりはある(シリウスは全ての純血と親戚である)けれど、他人から見ればちぐはぐにしか見えない。それでも僕達は誰がなんと言おうと家族なのだ。


「昔から、ヨーロッパをのんびり旅してみたかったのよね」
「えっと、三人で?僕も行っていいの?」
「当たり前じゃない、私たち家族なんだから。…もしかして嫌だった?」
「まさか、そんな!」
「ふふ、それは良かった。ねぇシリウス、ハリー喜んでるわ」


名前がリビングの奥に引っ込んでしまっているシリウスに声を投げかける。すると、奥の倉庫で何かを漁っていたのだろう、ガタガタとした音が止み、足音がこちらに近づいてくる。
現れたのは年齢の割に若々しく、端正な顔立ちをしたシリウスだった。初めて会った時、アズカバンから脱獄して来た頃の死人のように痩せこけた頬はすっかり成りを潜め、元の顔立ちを取り戻していた。


「名前、何だって?」
「ほら今度の休暇、ヨーロッパのこと」
「あぁ、そのことか」

そう言うとどこから引っ張り出してきたのか、忍びの地図にも似たヨーロッパ地図などを箱に詰め込んで抱えて来た。
厨房の長細い黒のダイニングテーブルに腰掛けていた僕達の元へとやってくる。屈託のない笑みを浮かべ、白い歯を見せて笑うシリウス。彼は初めて出会った時よりこうして子供っぽく笑うことが増えた。(シリウスは名前と居るとすこぶる機嫌がいいし、何よりシリウスのスキンシップには時々目を泳がせてしまう)名前はそんなシリウスを『大きな子供』と呼ぶことがある。


「たまにはイギリスから離れてのんびり旅行してみたくてね。名前と学生の頃に約束してたんだ」
「そうそう、私は十四年も待ちぼうけさせられてたから」
「…その分の埋め合わせはこれから嫌になるくらいさせてくれ」
「……期待してるわ」

肩を竦める名前に慌ててシリウスが彼女の腰へ腕を回す。するとゴブリンもビックリなタイミングでキッチンからプカプカと白銀色のティーカップが三客やってきたではないか。
僕は二人から視線を外し、名前の瞳と同じ琥珀色のそれに向けてクルクルと指を回すことにした。
ティースプーンが熱々の紅茶を一心不乱に掻き混ぜはじめる。どうやらこのカップを『闇の魔術に対する防衛術』の参考書だと思い込むことに専念した方が良さそうだった。だって酷く整った顔の名付け親が慌てふためく姿を見るのは、いけないことのような気がして。


ご機嫌取りに必死なシリウスを尻目に羽根ペンの先ほども気にしていなかった名前はホグワーツの校歌を鼻歌で歌いながら、恋人が運んできた分厚い『正しいヨーロッパの歩き方』に魅入っていた。

2018.12.2