短編 | ナノ



私が審神者としてこの本丸を取り仕切るようになって、どれくらい経っただろうか。初期刀だった清光も随分と練度が上がり、すっかり古株になってしまった。
戦況はといえば、新たな勢力である検非違使の介入で益々悪化を辿るばかりだ。政府も事態を重く見てか、様々な措置を取り始めている。故にこの本丸も戦力を増強せざるを得ず、鍛刀を何度も繰り返し、周回を命じる事もあった。

そしてついに、新たな刀剣がやって来ることとなった。鍛刀時間、四時間という破格の数字に生唾を飲む。この時間で生み出される刀剣は、どれも滅多として出会えるものではない。以前、この時間で現れたのは天下五剣の三日月宗近だった。果たして今回は誰がやってくるのだろうと胸を躍らせる。



名前の目の前に現れたのは、鶴丸の白無垢のような、それでいて艶やかでたっぷりとした白髪に緋色の瞳を持つ刀剣だった。ゆっくりと私を見下ろして、微笑む。
山吹色の羽織を身に纏い、女の中でも比較的背の高い私が見上げるほどの長身。名は小狐丸。あの天下五剣の三日月宗近と同じ三条派の刀だった。

そんなことをぼんやりと考えていれば「貴女が、わたしのぬしさまなのですね」と薄い唇に笑みを浮かべて、彼、小狐丸は熟れた柘榴の瞳を細めた。それからその長身を屈めて膝をつき「この決して小さくない、小狐をどうかお傍に」そういうと頭を垂れたのだった。







「ぬしさま」

「…ん?」

過去の思い出にどっぷりと肩まで浸かっていれば、背後から聞き慣れた声がして名前はしばし自分が惚けていたことに気付く。慌てて振り返れば少し開けられた襖のその向こうで、毛艶の良い白髪が見えた。


「ああ、そうだった!小狐丸、どうぞ入って」

「はい、失礼致します」

小狐丸は顔を上げてニコリと笑う。すると唇から白い犬歯がのぞく。…あれが可愛くて仕方ないのは私だけだろうか。

小狐丸はするりと執務室へと足を踏み入れて、傍にやって来た。そして私に背を向けて腰を下ろすと、「さあどうぞ存分に」と言わんばかりに頭を左右に振ったものだから、ふわふわとした真っ白な髪が揺れる。

もふもふ、たまらん。

そんな心の声が漏れそうになり慌てて口を噤む。誤魔化すように鞄から小さな半月型の櫛を取り出して、小狐丸の髪を一束取り丁寧に梳いていく。
この櫛は祖母から審神者に選出された御祝にと贈られたものだった。右端に桜の花弁があしらわれているそれを普段使いにするには勿体ないと思い、巾着に入れて御守り代わりに使っていたのだが(事実、厄除けとして大切な相手に贈る風習があるのだけれど)こうやって役立てることが出来るのは喜ばしいことだ。


「小狐丸の髪は本当に綺麗だよね。毎日どんな手入れしてるの?」

「いえ、特には何も。この毛艶を保てるのは、ぬしさまがいつも整えてくださるからに御座いますよ」

「え、それ本当?本当に何もしてないの?」

「ふふ、ぬしさまに嘘などつきませんよ」


あの日から小狐丸は、私の元へとやって来ては髪を梳いて欲しいと強請るようになった。

初めて会ったその日、「綺麗な髪」と褒めたのをえらく喜んだらしく、「どうぞ、ぬしさまが望むのであれば、なんなりと触れてください」という言葉に甘えて髪を梳いてみたり、結ってやったりとしたのが始まりだった。

彼は毎朝あの長くて毛艶の良い髪を上手に纏めてやって来る。髪遊びも達者なようで、今剣の髪を結いなおしてやったりとマメな一面もあるようだった。
ゆえに髪への思い入れは強いらしく、それ以来、毎朝欠かさず「ぬしさま、今日の毛艶はどうでしょう?」と部屋を訪ねてくるようになった。

しかし生真面目な長谷部に見つかり「そのような理由だけで主の自室に気安く近付くな!」と、あわや大惨事に。長谷部を窘めた結果、小狐丸は主の許可をとったと言わんばりに出陣や遠征が終われば髪を梳かして欲しいとやって来るようになった。


「うーん、私も小狐丸みたいに髪を伸ばしてみようかな」

「それはそれは。お揃いですね」

「あはは。そうだね、お揃いだね」

「ふふ、ぬしさまとお揃い…なんといい響きでしょう…」


櫛を持っていない方の指で肩にかかる程の毛先をつまみ上げ、落とす。

すると視界の端に桜の花弁が見えた。

顔を上げると小狐丸の上からひらひらとそれが散っている。本人は感無量といった様子で喜びを噛み締めているようだった。私が刀剣を褒めた時や彼等の歓喜に反応して散る桜。どうも目の前の大きな小狐丸は、大袈裟なところがある。それに加えて忠誠心が強く、(他の刀剣たちもそうだけれど彼は特に)生まれたてのヒヨコの如く懐いてくる。そのギャップが可愛くてついつい甘やかしてしまっているのだが。


「じゃあ、小狐丸くらい髪が伸びたら私の髪も同じように梳いてくれる?」

「…ぬしさまの髪を、小狐に任せていただけるのですか?」

「うん、駄目かな?小狐丸は髪を結うのが上手だから是非お願いしたくて」

「喜んでお受け致します」


小狐丸はまた犬歯を見せながら少しつり目の目尻を下げて笑う。私は本当に、この笑みに弱い。



「あ、そうだこれ」


私は手元にある櫛を、小狐丸の掌に置く。すると彼は目を丸くして私を見つめ返してきた。


「これ、ずっと御守りにしてたから小狐丸にしか使ったことないの。せっかくだから貰ってほしいな。本当は贈り物としては縁起が良くないらしいけど…戦場に出向く小狐丸の御守りになればいいなって」

そう続ければ、小狐丸は緋色の瞳を細めて、大層嬉しそうに微笑んだ。ブワッと桜吹雪が起こる。うわわわ。


「ぬしさま、貴女という人は…私を喜ばせるのがお上手なのですね」

「へ?」


続けてクスクスと笑う小狐丸に付いていけずに固まっていると、間髪入れずに襖の前で長谷部の声がした。「どうぞ」と声をかければ少し襖が開いて、彼のすこし青みがかった旋毛が見えた。



「失礼致します。主、昼餉の支度が整いました」

「あ、はい。すぐ行きます」


顔を上げた長谷部は笑顔で私を見つめる。しかし、小狐丸を見つけた途端にその笑みは消え失せた。代わりに彼の眉根に深い皺が寄る。
この時、小狐丸が勝ち誇ったしたり顔をしているなんて名前には知る由もないことであった。名前はただ、ああ、この組み合わせは不味かったなと長谷部が行動に出る前に急いで立ち上がっただけである。


「で、では食事に行きましょう。小狐丸」

「はい、ぬしさま」


名前が立ち上がると小狐丸は手を取り付き添おうとするが、目にもとまらぬ速さで長谷部が割って入る。今度は小狐丸の形のいい眉に皺が寄ってしまった。


「主、今日の献立は、かれーらいすですよ。私が育てた夏野菜がふんだんに使われております。是非ご堪能ください!」

「わあ、それは楽しみ。ありがとう長谷部」


そう言うと長谷部の周りにもパァッと桜の花弁が舞い散る。本日2度目の花びら。すると、黙っていた小狐丸が感嘆を噛み締める長谷部を押し退けた。

「ぬしさま、ぬしさま。食後には私が育てた大豆で光忠と豆乳ぷりんを作っておりますよ。楽しみにしていてくださいね」

「え!ほんと?豆乳プリン大好きだから嬉しい!」

「な、なんだと…!」


とうとう小狐丸と長谷部の小競り合いがはじまってしまい、名前は乾いた笑いを浮かべるしかなかったのだった。







「主は、中々積極的なのだな」

「え、なにが?」

昼餉も食べ終わり、間食の時間も過ぎた頃。食堂からの帰りに縁側で寛いでいた三日月と出会い、声をかけられた。何のことやらさっぱりで首を傾げれば、三日月はニッコリと笑う。

「今の時代、おなごの方が積極的だとは聞いていたが。誠であったか」

「うん?話が読めないんだけど…?」

「ん?小狐丸に櫛を送ったのだろう?」



さらに首を傾げる私に三日月まで同じように首を傾げてしまった。櫛。小狐丸。ああ、昼間の。どうやら昼餉の時に三日月に自慢していたらしい。


「確かに櫛をあげたけど…それがどうしたの?」

「……なんと。意味を知らなんだったか」

「意味?」

「はっはっは。そうかそうか」

「え、三日月どういうこと?」


愉快そうに笑った三日月は湯呑みに口をつける。チラリと、その打ち付けの月だけをこちらに向けて呟く。

「櫛はな、とある時代に男が女に求婚する時に贈られていたのだが」

「…きゅうこん?」

「まさか、現代では通じぬか?」

「………え、それってもしかして、求婚!?」

「ははは。それだ。現代でいうところの、ぷろぽーず、というものだな」

「え、えええ!」

「小狐丸の奴、大層喜んでおったぞ」

「な…!」

「まあ、奴のことだ。それを狙っていたのかもしれんが…俺は早く狐の嫁入りが見たいな」

「えっえっえっと…!」

またも三日月にニッコリと微笑まれ、いてもたってもいられず、小狐丸の元へ向かう。

まさか、そんな大層な意味合いを持っていたなんて知らなかった。人の身を得たとはいえ彼は立派な付喪神。やはりそういったしきたりなどを重んじているのだろうか。というか、付喪神に逆プロポーズだなんて。審神者が名を明かすよりも厄介なのでは…?

なんと事情を説明すればいいのかと、ぐるぐるぐるぐる考えていればあっという間に小狐丸の部屋へとやって来ていた。しかし、ここに来て勇み足となってしまう。



「こ、小狐丸、居ますか?」

深呼吸をひとつ。けれど少し上擦って掠れた声が出てしまい、咳払いで誤魔化して小狐丸の返事を待つ。すると、部屋の奥の方で物音がした。

「ぬしさま、どうなされましたか?」

そして、襖が小さく音を立てて小狐丸が顔を覗かせた。いつもの緋色の瞳が、優しい光を帯びている。

「えっと、その………」

「はい」

「あ、あのね、…」


なんと、言えばいいのだろうか。

言葉で表してはないにしろ、付喪神に求婚の意を表す物を贈っておいて間違いだった、なんぞが通用するのだろうか?名前はしどろもどろになり、自分のつま先を見るしかなくなってしまった。


「…ぬしさま。込みいる話でしたら、どうぞ中へお入り下さい。ぬしさまを廊下に立たせたままには出来ません」

それを察したのか、小さく微笑んた小狐丸に手を引かれ、私は彼の部屋へと足を踏み入れた。





部屋に入ると、彼が出陣の際に羽織る山吹色のそれが日を避けて掛けられていた。何時でも素早く身を整えられるようにとの配慮なのだろう。急事の際にいち早く現れるのは確かに小狐丸だった。

それにしても、粟田口兄弟達の部屋に比べれば小狐丸の部屋は少しもの寂しかった。あの兄弟は人数が多いため大部屋なのもあるだろうけれど。
独りの時間も好む刀剣には、このような離れを与えていた。そして今、この離れを使っているのは小狐丸だけだった。

どうやらあまり物を置きたがらない性格なのだろう、必要最低限の家具しか見当たらないその部屋の中央にある円卓の傍の座布団へと座らされた。


「ええと、小狐丸」

「ぬしさまは珈琲で宜しいですか?」

「…は、はい」


私の好みを熟知している小狐丸は部屋の隅で文明の利器を器用に使い、珈琲を淹れてくれていた。湯呑みに近い形をしたティーカップとお茶受けを差し出される。礼を言って受け取り、一口含めば緑茶とはまた違うほろ苦さ、どちらかといえば焙じ茶に近い味に、この古風な本丸にはない現世を思い出させた。隣では、同じく珈琲を嗜む小狐丸。「南蛮の者はまた変わったものを好みますね」と淡々と話す。それでもストックとして茶葉の中にこれが混ざっているということは、彼の味覚にあったのだろうか。それともいつ現れるか分からない主のために置いていたのだろうか。途端にその姿がえらく可愛らしく見えた。




「あ、あのね、小狐丸。昼間のことなんだけど、」

「……多方、三日月に茶化されたのでしょう?」
「えっ」


小狐丸はクスクスと笑う。なんと、知っていたのかと目を丸めれば「彼奴のしそうな事です」と目を伏せた。

「ぬしさまにそのつもりがないのは、小狐も存じております。確かに異性に櫛を送るのは求婚の意を示しますが…ぬしさまは現代のお方。ご存知ないでしょうと、三日月と話したのですが」

「…これは三日月に一本取られちゃったな」


どうやら三日月にけしかけられたようだった。まんまとやられてしまったと額に手をやり苦笑する。

…ふと、珈琲からうっすらと燻る湯気越しに小狐丸の顔が見えた。目が合うと、緋色の瞳がすっと細められる。不意に、どきりと心臓が跳ねた。それを誤魔化すよう名前は口を開く。


「ご、ごめんね。勝手に慌てちゃって…」

「ふふ、お気になさらずとも良いのですよ」

「あ、あはは。本当、私、なに混乱してるんだろうね…」

ぎゅっと握った拳を見つめ、その下の畳の目に視線を落とす。動揺を悟られたくない。けれど目敏い小狐丸の前では無意味に感じられた。先に動いたのは、小狐丸だった。


「………ぬしさまがお望みになられるのであれば、小狐は喜んで嫁に迎えますよ」
「えっ、」

えっと?と首を傾げれば、小狐丸の目はいつもの主を慕う主従愛のものではなく、愛おしい者を見つめるかのような満ち足りたものに変わってしまった。名前は小狐丸がこんな表情をするのを一度たりとも見たことがなかった。
いや、名前に見せなかっただけで彼がこの表情を隠し込んでいたことを知らなかっただけなのだ。小狐丸から発せられた言葉と相まって、余計に動揺してしまう。
それと同時に、小狐丸は名前の傍へと近付いてきた。ガタン、と名前が後ずされば円卓に肘がぶつかる。


「ぬしさま」


その呟きの後に感じた唇の熱が、意味するものとは。


2017.04.28