「山崎さん?」
すれ違った女に名を呼ばれ足を止め振りかえれば覚えのある人物が人ごみの中からこちらに戻ってくる。 「君は…まさかなまえか…?」
ややネコ目がちである山崎の目が驚きで見開かれる。なぜ彼女が、この京に。 ドクリと懐かしい鼓動を刻む心臓に動揺しながらも山崎は落ち着き払ったような表情を作り自分の目の前で立ち止まったなまえに疑問をぶつける。
「なぜ君がここに?先生の使いかなにかで」 「……先生は去年、亡くなりました。私は少し前にこちらへ出てきたんです。」 「……そう、か」
ふたりが“先生”と呼んでいるのはなまえの叔父である。 幼いころ、山崎に医学のいろはを教えたのがその人で、当時彼はなまえの叔父の家に奉公しておりそこで出会ったのがなまえだった。
彼女の両親は流行病で早くに逝ってしまい、叔父が面倒を見ていたらしい。
年も近く、また周りに子供がいなかったせいかなまえは山崎に懐いた。彼も戸惑いながらもなまえの相手をしたり、たまに彼女の買い物を手伝ったりしていた。
生真面目ゆえに他人とぶつかることも少なくなかった彼のことを理解し、間を取り持ってくれたなまえ。しかし日に日に綺麗に少女からひとりの女性へと変貌していく彼女。自然と山崎自身は彼女を避けるようになっていった。
『山崎君、君はなまえを好いているか?』 『なまえを、ですか?……はい、友人として』 『……そうか。もし君がアイツを好いてくれていたら君に預けようと思ったんだが』 『俺に!?そんなこと…俺にはできません!』
そんな会話をした数日後。
『なまえ、お前に縁談の話がきているんだが…』 薬を届け先に渡し戻った報告のために先生の部屋へ赴いたとき、先生はなまえにそう真摯な声色で告げているのを聞いてしまった。
なまえも15歳だ。 そろそろだと、どこかで分かっていた。俯き目を閉じる。
(彼女は恩師の姪なんだ。)
それはどこか自分に言い聞かせるようなそんな呟き。 後日、山崎は奉公を終え京へと発った。
1年過ぎ、2年過ぎ、 何度も季節を廻り、ようやくと思ったというのに。いっそ一生会わなければ、会わないほうが互いのためだったというのに。
「なら、いったいどうして。俺がいうのもあれだが、京の都は今荒れて安全とは言い難い。連れ合いはどうした?なぜ君を一人で出歩かせて…」 「私、旦那はいません」 「しかし、縁談の話が来ていたんじゃ」 「先生がお断りしてくださったんです。だから私は誰とも夫婦になっていません」
きっぱりと言い切ったなまえはじっと山崎を見つめる。その視線に山崎は無意識からか目をそらした。その動作になまえが少し悲しげに笑ったのはすぐだった。
「ある人に、ひと目逢いたくて。京のどこかにいると先生は亡くなる寸前に教えてくれたんです。」 「先生が…。それで……その人物には逢えたのか?」 「はい。やっぱり私は嫌われていたようです」
薄々、そうじゃないかって思っていたんです。 消えそうな声で手を握りしめたなまえに山崎は何も言えなかった。
言えない、言えるわけがない。今、口を開けば何を言うことか。
小さく震える彼女の体になんとも居たたまれない気持ちに襲われるが、自分にしてやれることはないと唇を噛む。 「それじゃあ、山崎さん。あなたにちゃんと逢えてよかったです」 小さくお辞儀をして背を向け歩き出すなまえ。
一瞬の間を置き山崎の頭の中でたった今、なまえの唇が紡いだ言葉の情報が処理される。
(逢えて、よかった…?俺に…?) 「っ…!」
目を凝らし人ごみからなまえの後ろ姿を探しながら走る。
(申し訳ありません、先生。俺は…!!)
手を伸ばす。
(彼女を、なまえを…!)
「なまえっ!!」
振り返った彼女の頬には涙が伝っていて、まるでそれに償うようになまえの体を掻き抱いた。
(言い訳を作って、遠ざけた。)
あなたはすべて知っていたのでしょうか。 俺に彼女との良縁を進めたのも、自ら彼女に縁談の話をしておきながら断ったのも。
自分の命の最後に、俺の居場所を彼女に教えたのも。
全部……。
「や、まざき、さ…」 「なまえ、俺は…!」
君が異性に変わってゆく
初めて聞いた山崎の本心になまえはまた涙をひと筋流し、彼の胸に身を預けた。
(20140203)
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