名無しが綺麗に並べられた美しい収集品に囲まれたこの冷たい峯の部屋に足を運ぶのは今日で四度目だ。
今まで一度たりとも彼に特別な用事があって此処へ来たことは無い。
強いて言うならば何となく、名無しが彼に少しだけ興味を示したからである。



冷めた笑い




彼女は人間の愛や絆などがいかに薄っぺらく脆いガラクタなのかと言う事を嫌と言う程に理解していた。
金に群がり、利にしがみ付く人間の姿は正に浅はかで、彼女には実に汚らしいものに見えた。


東城会という巨大極道組織の六代目会長の妹である彼女は望んでいなくとも、人々が争い己の利益を醜く奪い合う人間たちの姿を見て来てしまった。

それが彼女にとって人生の良い経験になったのか、悪い出来事であったのかは分からないし、もしかしたら両方なのかもしれない。

だがどちらにせよ彼女はそんな人生を歩んで来てしまったせいで、警戒心や冷静さと引き換えに、人への信頼や愛などをなくしてしまった。



そして峯もまた同じで、人間はどれほどまでに下らない感情で動き動かされているのかを嫌と言う程に理解して、人を信頼し愛す事など自分にとって無駄な事だと、そう思っている。



名無しは東城会六代目の妹だからと言って特に筋ものの人間と言う訳でもないし、今まで過ごしてきた生活や今現在生きている環境も堅気そのもののような環境だ。
それでもやはり兄と接触がある限り、"そちら側"の人間と顔を合わす事も少なくは無い。

今までどれ程の極道者をその目で見て来ただろうか。
そんな中で峯と名無しは出会った。

いや、ただ何度か顔を合わせたと言った方が正しいし、こちらの方が二人にとって違和感のない表現だ。


随分と前の事だが、初めて名無しが見た峯の姿はそこらに居る金回りの良い若者に見え、決して極道には見えなかった。
だが確かに彼は極道であり、真っ黒な世界に身を委ねた男なのだと頭の中ではきちんと理解はしていた。

そんな彼が兄と話したり、そこらの組員と会話をする冷たい声と言葉を聞き、名無しは本能的に彼は私と同類の人間なのだと悟った。


そこから名無しは、あぁ自分と同じような詰まらない捻くれ者が居るのだなと、少しだけ彼に興味を持つようになる。

興味を持つと共に、自分と同じような人間がこんなにも身近にいるのだと安心のような感覚も覚えた。
私だけではない、私が特別駄目な人間なのではないのだと、安心した。


だがそんな彼が自分の兄を心から信頼し尊敬している事を知ると、異様な違和感と嫌悪感に包まれる。
自分と同じような人間が、人を信頼しているという事実が何だか不思議で仕方なかった。

彼は確かに人を嫌い、愛や信頼などという上辺だけのつまらぬ感情に嫌悪感を抱いているというのに、唯一兄の事は心から信頼しているなど、名無しには不思議で仕方ない。


名無しが峯の部屋を訪れるようになったのはそれからだ。

そして今日もまた、何て事無い顔をして峯の作り出した空間に名無しは足を踏み入れる。

名無しは目の前の扉のノブを引くとガチャリと小さな音が響き、部屋に居る峯の耳にもその音が届いた。

キッとした目線で扉の方向を見る峯は、ああまたかというような顔で名無しを見ている。


「ああ、名無しさんじゃないですか。どうしたんですか。」
相変わらず無表情で感情の読み取れないその無機質な声が部屋に響き、名無しもまた同じように無表情で“こんにちは”と答えた。

「なんの用です?」
峯はそう言いながら、いかにも高そうな黒い本革のソファに腰かけ、手を組むとゆっくりとその鋭い目で名無しを見る。

名無しが此処に訪れた過去三回、峯と名無しは大した会話などした事は無かった。


今日のように“なんの用です”と聞かれると名無しは“特に用はないです”と返し、それに峯が更に“そうですか”と答えるだけだった。

それ以上何も言わない峯であったが内心、あぁ早くこの空間から出ていってくれないかと名無しを黒い瞳で見ていた。

だが六代目の妹だ、あまりないがしろにする事も出来ずに居たし、自分が唯一信頼する人間の血を引き継いでいる女ゆえ、無理に追い出す事にも気が引ける。


今までは名無しが峯の集めた世界各国の美しいコレクションを眺め、それに飽きたら帰って行くという流れが恒例であった。


だが今日の名無しは部屋に丁寧に飾られたコレクションに目を向ける事も無く、峯と同じように軽く10万は超えるであろう本革の黒いソファに腰掛ける。

そんな名無しの意外な行動に峯は眉間に皺を寄せ、自分の正面に座った名無しをゆっくりと鋭く見詰めた。

「一体なんでしょう」
溜め息交じりにそう呟いた峯の顔はお世辞にも機嫌が良いとは言えなかった。


「貴方は、人間が嫌いなんですか」
「いきなり何を言い出すかと思えば…。何かあったんですか?」

唐突で有りながらお互いにどこか感づいていた話題に峯は名無しから目線を逸らしつつ返事をする。

「貴方は人を信用できませんよね?」
「人生相談なら、私なんかよりもっと適役が居るはずだ。」
冷たい声で面倒そうにあしらう峯の眉間には相変わらず皺が寄っている。


「今更相談なんて可愛い事しませんよ。ただ、峯さんの意見が聞きたいなぁと思って。」
自分以外に自分と同じ価値観を持つ峯に名無しはそう問いかけると峯はただただ不機嫌そうに溜め息を吐くだけだった。

そんな峯に構いもせずに名無しは言葉を続ける。


「私も人間は嫌いだし信用もしない。きっと貴方も同じだろうから、ちょっと聞いてみたかったんですよ。」

「言いたい事はそれだけですか。なら名無しさん、どうぞお帰り下さい」
峯は面倒そうにそう言いながら、その場から動かずに目線を部屋の扉へと向けた。

そんな峯に気が付いた名無しは、もうこれ以上話すのも怠いなぁと思いスッとソファから立ち上がり、ゆっくりと扉へと向かう。

出口へ向かうその途中、帰るついでにと名無しは口を開き小さく言葉を放ってみせた。


「私も人間という馬鹿げた存在は信用できません。でも同じような価値観を持つ峯さんなら、少し信用しても良いかなって思えたんですよ。」

淡々と話す名無しの声は恐ろしい程に冷たい声をしていた。
だがその内容はほんの少し人間らしく暖かなもので、言った本人である名無しすらも声と言葉のギャップに少し違和感を覚えていた。

すると後ろから小さくククッっと喉の奥で笑う峯の声が聞こえる。
それに反応した名無しは立ち止まりパッと後ろを振り向き峯を見ると、相変わらず先程と同じようにソファに座り手を組む峯が視界に入った。

だが先程と違うのは峯が笑っているという事だ。

その笑みは穏やかなものではなく、名無しの言葉に呆れ軽蔑するような感情から漏れた、人を見下す笑みであった。


「そう思えてしまう時点であんたは生ぬるいんだ」

そう言いながら峯はソファから立ち上がると名無しの前までゆっくりと歩いて行く。

そして彼女の目の前まで来ると、ぬっと顔を近づけ、己の口元を名無しの耳元へ持っていき、囁くように、だが力の籠った声を喉から絞り出した。


「あんたに勝手に親近感持たれたってな、迷惑なんだよ」

その言葉を聞いた名無しは一瞬ズシンと心に大きな衝撃が走ったが、その感情は直ぐ様無くなり小さくフフッと笑う。

何故ならばそう言われるのは何だか予想できていたからだ。
何せ自分と似た可哀相で愚かな捻くれ者だ、あんな事を言われたら腹が立つのも理解できる。


そんな笑う名無しを不思議そうに、そして軽蔑のような目線で見詰める峯の心にもまた衝撃が走っていた。
自分のこんな重い声に笑みを溢した人間は初めてで、しかもそれが女ときた。

だが峯もまた直ぐ様冷静さを取り戻し、名無しにゆっくりと背を向ける。


「じゃあ、また。」

名無しがそう言い部屋を出ると、パタンと小さく扉の閉まる音が響き峯はゆっくり溜め息を吐く。


“また”

その名無しの言葉に峯はフッと笑うと馬鹿馬鹿しい感情に踊らされる自分の未来が見えた気がして、嫌気がさした。
それでもどこか晴れやかな気分なのは、人間が嫌いな峯もまた、人間であるからなのだろう。

所詮は自分も人間で、あざ笑い軽蔑してきた愛や信頼を求めてしまう馬鹿な生物。
きっと彼女もそうなのだろうと思いつつ、誰も居なくなってしまったこの空間で峯は小さく溜め息交じりに笑ってみせた。



数日後、あんな事を言われたというのにあっけらかんとした顔で峯の部屋の扉の前に居る名無しが居た。
彼女にとってあんな言葉は単なるたわごとでしかないのだろう。


ガチャリと鳴る音が響き、名無しが扉が開くともう見慣れてきた部屋の間取りがそこにはあった。


名無しが綺麗に並べられた美しい収集品に囲まれたこの冷たい峯の部屋に足を運ぶのは今日で五回目だ。


名無しがこの空間に足を踏み入れたのに気が付いたソファに座る峯は、チラリと名無しを横目で見て何も言わずにゆっくりとキッチンへ向かう。

そしてしばらくして戻ってきた峯の両手にはいかにも高そうなカップが二つ、握られていた。


「コーヒーしかありませんよ。」

未だに扉の前に居る名無しにそう言いながら峯はゆっくりとテーブルにそのカップを置いて彼女を見る。
その無機質で冷たい顔は、いつもより少しだけ…ほんの少しだけ微笑んでいるように見えた。

「貴女に勝手に親近感を持たれて実に不愉快だった。」
そう話しながらソファに座りカップを片手に持つ峯を眺めつつ、名無しもソファに座り峯を正面から見据える。

「だが事実、貴女と私は似ている。ですから私も、勝手に親近感を持つ事にしましたよ。」

「それは迷惑な話ですね。」
「そう思うのは当然でしょう。私と貴女は似ていますからね。」

「峯さん、性格悪いですもんね。」
そう言いながら口に含んだコーヒーはとても苦く、美味しいとは言えなかった。

だがその日から、名無しはその不味いコーヒーをほぼ毎日飲むようになる。

冷めた男と捻くれた女が二人、冷たく笑い合いながら世の中の全てを嘲笑う光景が、此処にはあった。
馬鹿げた人間を嘲笑いながら、そんな馬鹿げた人間である事にほんの少しの幸せを感じる二人は、今日も苦いコーヒーを口に運ぶ。




冷めた笑い
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