「何してんねや。早よ帰れ。」
「どうして」

「鬱陶しいからや。」
投げやりに答える彼の後ろ姿は相変わらず殺気だっている。
野獣のような、そんな恐ろしさが彼の身体に纏わりついているのを感じた。

「知ってるんですよね、私」
「なにがや」

「真島さんが機嫌悪い理由。」
「あ?」

私の言葉に彼はほんの少しだけ顔をこちらに向けるが、相変わらず私から見える彼の顔は横顔のままだった。


「信頼してた組織に裏切られて…それでカチコミかけたんでしょ?極道の世界も色々大変ですね。」

私が人伝に聞いた情報をサラリと投げ掛ければ彼は溜め息を吐いてゆっくりと此方を振り返った。
今度はしっかりと彼の顔が正面から見える。


「どこで聞いたか知らへんが、せやったら話が早いわ。分かってんねやろ、ワシは今イラついてんねん。さっさと出ていけ。」

小さくなった彼の黒目で見詰められ、低い声が静かに部屋に響き、その場の空気は恐ろしく震え私の肌にゾッと鳥肌が立つ。


いつもの彼は高い声で冗談染みた事ばかり言うというのに、今は低い声でいつものような笑える事は言ってはくれない。


イラついた声、機嫌の悪い目。

そんな彼を恐ろしいと感じつつも、何故だか彼の目の奥が寂しそうにも見えてしまった。


ずっとずっと深く彼の目を見ていると、彼は舌打ちをしながら私を睨んで再び神室町の夜景へと目線を向ける。


「今、側に居たいって言ったら真島さん怒りそうですね。」
「はっ、アホくさ。」

私の言葉を馬鹿にしたように吐き捨てた乾いた声すら、愛しいと思ってしまうのはきっと私が心底貴方を愛しているからなんだろう。


私はゆっくりと彼との距離を縮めるように、一歩一歩足を進めた。

静かな事務所には私の足音だけが嫌と言う程に響いている。


彼の真後ろまでやって来ると、ふわりと彼の吸う煙草の匂いが私を包む。
私がゆっくりと右手を彼の腕に伸ばすと真島さんは一度煙草をふぅ、と吐き出してから口を開いた。

「触んなや」

私が彼に触れる直前、彼は少しだけ此方に顔を向けて小さな声でそう呟いてみせる。
小さな声のはずなのに、力強く圧迫感のあるその声に反応してしまい、私はピタリと手をとめた。


少しだけ此方に向けられた顔…
彼の瞳は直接私を捕らえてはいなかったが、私からはまさに蛇のような瞳がしっかりと見えていた。

「…うるさい」

そんな彼に反抗するように私が一言そう言うと、彼は眉間に皺を寄せたまま少しだけ喉でククッと笑う。


「ワシはな、お前のそういう所、好きやねん」
「……」
一瞬だけ、いつものような口調に戻った彼だが、その明るい声色の奥底に黒く渦巻く感情が見えてしまった。

「…せやけど今は鬱陶しいだけや。」
一瞬だけいつもの声に戻ったが、直ぐ様再び低い重低音が響く声に変わる。


「だからなに」
そんな彼の言葉に口答えするように私も少しだけ低い声で返してみれば、彼は煙草の煙を大きく吸い込みながら神室町の夜景へと目線を戻す。


「早よ俺の前から消えろ言うてるやろ」

先程まで低く落ち着いた声で話していた彼の声は今まで以上に低くなり、私の身体に深く黒い重低音が嫌と言う程に響いた。

静かな声の中に潜む怒りのようなそんな彼の感情に内心ビクリとしたが、私はその場から動く事なく、彼の言葉に続けて声で言葉を放つ。

「嫌です。」
「あ?」

私のそんな傲慢な言葉に真島さんはゆっくりと身体を此方に向けて私を見る。


「何言ってんねや、お前。」
「嫌だって言ったんですよ。聞こえませんでした?」

蛇のような目で見つめられながらも、私は相変わらず反抗的な言葉を投げ掛ける。
傲慢だとか頑固だとか、そんな風に言われて来た私の性格は相手が真島さんでも変わりはしない。


私は再び真島さんの腕に触れようと右手をゆっくりと彼の左腕目掛けて伸ばす。
「触んな言うてるやろ」

そんな私の行動も彼の一言でピタリと止まってしまう。



「なんで、」
先程まで神妙な顔をしていた彼が、にやりと口元を歪ませて彼独特の笑みを溢す。

「ワシなぁ、ついさっきまでこの手で人、殺してたんやで?」

開いた瞳孔と歪んだ三白眼で私を見て、笑みを溢しながらそう言う彼の声は普段の明るい声に随分と近い声色になっていた。


だが次の瞬間、虚しそうにフッと鼻で乾いた笑いを漏らすと開いていた瞳孔の彼の黒目が元に戻る。
その乾いた笑いが何故だか異様に苦しそうに聞こえて、私は一歩彼に近づいて“真島さん”と彼の名を呼んだ。


「今、触ってもうたらきっとお前までも汚れてまうで」

そう言った貴方はそっと黒い革の手袋に包まれた右手を私の左頬に近付けると、触れる直前で動きを止める。
そんな彼の右手からはプンプンと血液の鉄臭い匂いがした。


「今までこの手をいくら汚してきたか分からへん。それでも時が経てば綺麗になった気がしとった。」

ポツリポツリと言葉を紡ぐ彼の瞳は虚しそうに細められており、そんな虚無に満ちた黒い目で私を見下げる。
そんな真っ黒な瞳がやたらと色っぽく見え、吸い込まれるように私も彼の瞳をジッと見詰めていた。


「せやけど、今はちゃうねん。」

そう言う彼の身体は物騒な程に殺気だっていて、尚且つ一瞬口角が上がって、あぁ彼はやはり気が狂っているのだなと私の本能が感じる。

恐いくらいに鋭いその目線と、身が震えるような冷たい声が、彼は普通の人間ではないと、近付いてはならないとそう訴えているように思えた。


「まだ、消えへんねん、血の臭いが」
それでも彼の声はどこか辛そうで、すっかり角度が元に戻った口許から溢れる掠れかけた声が寂しそうに部屋に響き渡って消える。

眉間に皺を寄せて鋭い目で私と己の右手を見詰める彼の顔が妙に艶やかに見え、私は小さく喉で息をした。


「今お前と一緒におったら、お前まで……」

そう言った彼は揺れる右目を私から逸らして溜め息を吐く。


この短い言葉の中に今までの彼の人生の全てが詰まっている気がして、その声が重く私に伸し掛かって来たが、それでも尚彼の事が愛しかった。

寂しそうに言葉を漏らした彼の声すらも愛おしい。

その手がどんなに汚れていようが、どんなに赤く染まっていようが、ただひたすらに愛おしい。


彼の背負う物の重さはきっと、私なんかには分からないんだろう。
それでも理解したい、偉大な貴方が抱える事ならば苦痛すらも全て理解したい。

「真島さん…」

私にもその苦しみを、その痛みを少し背負わせて欲しいなんて、そんな図々しい事は言えないから、だからせめて、

「私は、」

貴方のその手で触れられて、血の匂いを別けて私を貴方と同じように汚して欲しい。


「…貴方と一緒に生きていけるなら、どんなに不幸になったっていい。」

私はそう呟くと、そっと彼の手に自分の手を添えて自らの頬に彼の手をギュッと寄せた。

「名無し…」
「私は、真島さんと一緒に居られるならどんなに汚れても構わないから」

頬に触れた彼の手に力が入り、私の頬を強く包み込む。


「名無し、すまんな」
彼はそう言うと私に一歩近付き、頬に当てた右手を私の腰へ回し自らの胸へと私を強く抱き寄せた。


いつも笑ってばかりの貴方が見せた切なそうな顔と声が心にのし掛かり、心臓が締め上げられたように苦しくなる。

それでも血生臭い匂いが残る彼の身体が私の身体に触れている事がとても幸せで、私も彼と同じように汚れる事が出来たように感じて心底嬉しかった。


「真島さん」
切な気に下がる彼の黒い睫毛を下から見ながら名前を呼べば、彼は鋭く切れ長の綺麗なその目で私を見る。

「私、幸せだから…」
「名無し…」

暖かい、彼の身体は確かに暖かい。
どんなに気が狂っていようが、どんなに血生臭い身体をしていようが、彼も一人の人間で、私にとってはたった一人の大切な男性なのだ。


「俺は、お前を苦しませてばっかりやな」

そう悲哀の漂う言葉を聞いて私はただ彼の背中に手を回す事しか出来なかった。


「それでもお前は、俺の側におってくれるんか」

彼を愛する事で様々な苦痛が降りかかろうが、私は彼を愛する事で耐えられる気がする。
彼が居るなら、彼の隣に居られるのならば、どんな苦痛も耐えられる。


「そんなの、当たり前じゃないですか…。ずっと、側に居させて下さい…。」
「そうか…、そんならずっと、俺の側におってくれ…」

そう言ってくれる彼の隣なら私は、どんなことにも、どんな心の痛みにも耐えられる。
貴方が私を愛してくれるから、貴方が私を抱き締めてくれるから…
どんな痛みも幸せに感じる事が出来る。




A pain and happiness(痛みと幸せ)
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