城の中にある鍛錬場に大きな砂誇りがたったかと思えば、それと同時にズサッという鈍い音をたてて尻餅を付いた者が居た。

それは確かに魏の将軍である名無しの姿で、そんな彼女の目の前には両手に双鉞を持ち鋭い目をした男が立っている。

彼女が見上げたその男の鋭い目は、上から静かに自分を見下げていた。

彼が背負った太陽の光の逆光のせいで表情が上手く読み取れないが、自分を見下げるその切れ長で冷たい瞳だけはしっかりと見えている。

普段の優しい眼差しなど微塵も感じられないその瞳は、地面に座り込む名無しをしっかりと捕えて離そうとはしなかった。







虎も手懐ければ猫となる






「痛っ…。ちょっと張遼殿!何するんですか!」

彼の一撃を受けて尻餅を付いた名無しは、その体制のまま痛そうに腰を擦って目の前に立っている張遼に向かい声を荒げて叫んでいた。

そんな彼女の右手には使い慣れた得物が握られているうえに、ましてや此処は鍛錬場。
二人が鍛錬をしているのは誰が見ても明白だった。

この二人が一緒に鍛錬を行っているのは普段からよく見られる光景で、決して不思議な事ではないのだが、何だか今日は普段とは違って張遼がやけに名無しに対して手荒である。


「どうなされた名無し殿、いつもの強さはどこにいったのだ?」

両手にしっかり握られた双鉞をゆっくりと下し、刃を地面に向けてこちらへ近づく張遼の目は、相変わらずいつもの優しさを纏ってはいない。
その冷たく鋭い刃物のような目は普段の優しい彼のものではなく、まるで戦場で見せる"鬼神張遼"としての威圧感ある恐ろしい目だった。


「な…、怪我してるんだからしょうがないでしょう!」


そんな睨まれれば思わず背筋が凍りついてしまうような張遼の冷たい目をしっかりと見たまま、威勢よく言葉を言い返す名無しはギリギリと歯を食い縛っていた。


苛立った様子で自分の近くまでやってきた張遼を、下から見上げている彼女のその左足には痛々しく血が滲む包帯が巻かれている。

これは先日の戦で負った怪我で、名無しが単騎で敵陣に突っ込んでいった際に負った怪我だった。


よほど自分の武勇を貶された事に腹をたてているのか、その痛々しい怪我を庇いながらも未だに名無しは張遼を睨み続けている。
だからと言って、本気で張遼が嫌いだとか彼の事が気に喰わないなんて事ではなく、単に彼の発した言葉が気に喰わないだけ。

むしろ張遼の事は尊敬し、なんなら秘かに好意を持っているくらいだ。
だがそんな個人の感情と言われた言葉は関係ない。
彼女は自分を貶された事に一時的に腹を立て、怒りを隠す事無く彼を睨み続けた。


女ながら魏の将軍にまで成り上がった彼女は、その分自分の強さに人一倍誇りを持っているようで、己の武芸を貶される事を何よりも嫌っている。


「怪我?そんなもの言い訳になどなりませぬぞ」

「うるさい!張遼殿こそ怪我人相手に本気出して武人として恥ずかしく無いんですか?」


相変わらず、その達者な口で張遼に言葉を返す名無しは、度胸があるというよりは単に短気なだけなようだ。

強気に言い返す名無しの目はまるで親に反抗する子のようであったが、その眼差しの中には確かに武人としての力強さがある。


「何を申されるかと思えば…。怪我を負うという事自体が武人として恥だと思わぬのか?」

名無しの言葉にたじろぐ事などせず、容易く言葉をかわしていく張遼は、今の彼女からすればとても不愉快なものだった。
彼に言葉を返される度に名無しはひっそりと拳を握り締め、心の中で何度も舌打ちをした。

「傷は武人としての誇りなんです!」
「自軍の事など考えずに単騎で敵軍に突進して作ったその傷が、か?」


相変わらず耳に痛く、そしてやけに嫌味ったらしい言葉が彼女の上から降り注ぐ。

確かに彼の言う事は正論ではあるのだが、武人としての自分に誇りを持つ名無しにとっては他人の説教など単に不快な言葉でしかない。

それに加え、この張遼の物の言い方や、自分を見下し馬鹿にした表情…。

それに彼女は異様に腹が立ったのだろう。
名無しは小さく舌打ちをしてから、右手に握った得物をギュッと握り締めたと思うと素早く立ち上がり、冷たい刃を張遼の左腕に激しく振り落した。


その瞬間、耳を裂くような凄まじい金属音が鍛錬場に鳴り響く。
双鉞で受け止められた名無しの手の中の刃は、衝撃を受け激しく振動していて、手にビリビリとした痺れが伝わってきた。

鍛錬場なのだからそのような音は、当たり前のように何処彼処で鳴り響いているのだが、そのあまりの激しさと二人の間に流れる空気の重圧感で周りに居たものはハッとして一斉に此方を向いた。

「腹立つんですよ、その澄ました顔が…!」

ポロリと零れた名無しの一言に、張遼はほんの一瞬だけ眉をピクリとさせたが 直ぐに元の"澄ました顔"に戻して双鉞で彼女の得物を弾いて見せた。
その力はやはり怪我を負う名無しが耐えられるものではなく、握られた得物と同時に自らの身体も再び地面へと投げ出される。

「うっ…」

苦しそうに声を漏らしながら再び地に座り込むように転んだ名無しは、素早く自分の真横に落ちた武器を手にした。
そして先程のようにぎゅっと武器を握り締め、負けじと張遼へ刃を向ける為立ち上がる。

だが立ち上がった瞬間、目の前に居た張遼に腕を掴まれ、そのまま腕を上に持ち上げられてしまった。
そんな状況の名無しは己の手首に力が入らず、呆気なくホロリと手から得物を落としてしまう。



「無駄だ名無し殿、諦めるのだ」


自分の真上から聞こえるその落ち着いた低い声がやけに心地よかった。
だが言葉の意味と内容を考えれば、ただただ腹立たしいだけ。


名無しは下から張遼の顔を見上げ、そしてキツく睨んでから掴まれた腕を大げさに振り払う。
フン、なんて言いながら張遼に背を向けるとズカズカといかにも機嫌悪そうに鍛錬場を去って行った。

そんな後姿を見た張遼は、冷たく鋭い目付きをゆっくりと普段の柔らかい目付きへと変えながら溜め息をつく。


人の言う事を聞かずに単騎だろうが何だろうが、自分が好機と判断すれば敵陣へ突っ込んでいく彼女の悪い癖…。
何度注意しても反省などせず、それどころか説教をすれば反抗をする名無し。
そんな彼女に対してつい溜め息が出てしまう。


確かに彼女は強い。
女でありながら将軍という地位まで上り詰めたし、戦歴もとても輝かしいものばかりなのも事実。
だが、先日ついに大きな怪我を負ってしまった事もまた事実なのだ。

小さな怪我などは武人にとっては付き物だが、今回ばかりは違う。


単騎で敵陣に突入した彼女は敵からすれば良い獲物であり、しっかりと敵兵たちに狙われた名無しは足に深い傷を負った。

酷い傷を負ったというのに、彼女が負けず嫌いだからか、はたまた武人の意地だったのか、傷を負った後も名無しはひたすら戦い続けた。


その結果傷は酷く悪化し、治療をする際にはあと少しで取り返しのつかない事になっている所だったという。


そんな戦い方をしていてはいつコロッと死んでしまうか分からない。
故に彼女に灸を据えてやらねばなるまいと、今回の鍛錬で手厳しくしてやったのだが、効果は見られぬどころか逆に彼女を挑発してしまったようだ…。

そんな彼女を思うと頭が痛い。
結局の所、張遼はただ名無しが心配で仕方ない…それだけの事だった。


心底疲れ切ったように溜め息をつく張遼は両手に持った自らの武器である双鉞を持ち、彼女に続いて鍛錬場を後にした。


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