焼き焦がせ妄執 幕間

 あの出来事から私は、七海を避けている。いや、正しくは逃げ回っていると言うべきだろうか。  
 姿を見かけたら即Uターン、任務も補助監督たちに頼んで、七海と一緒にならないように手を回した。
 とは言え、任務で外に出ている以外での、私の行動範囲は狭いもので高専の敷地内にいることが殆どだ。七海もそんな事は分かっているので、どうしたって鉢合わせてしまう時がある。  
   
 たとえばそう、今とか。  
   
 曲がり角でばったり出会ってしまうのは、少女漫画だけの話でいい。七海を確認した瞬間に踵を返して走り出したはいいものの、当然後ろから追いかけられるはめになっている。  
 廊下は走らない、なんて学校定番のお決まりには構ってられない。全力疾走で廊下を駆け抜ける。古い木造建築がギシギシと音を響かせている。呪霊を相手にした時だってここまで必死になってはいなかった。
 フィジカル面ではどうやったって七海に軍配が上がる。このまま追いかけっこを続けてもいずれ捕まってしまうだけだろう。  
 ならば、と窓から外へ飛び出す。閉まっていた窓を開ける手間すら惜しくて、蹴破ってしまったけれど許してね夜蛾さん。ごめんなさい。後でちゃんと弁償します。  
 七海は、術師らしからぬ真面目さを持ち合わせた男なので、生徒が見かねない校内で、窓から飛び出るような暴挙は犯さない。なんなら、私が割った窓ガラスの後処理を手配するだろう。
 この隙に、私は追いかけっこをかくれんぼへとシフトする。

「硝子−! 匿って!!」
「なんだ、騒々しい」  
   
 逃げ込んだのは、硝子のいる医務室。私の避難所だ。ここは程よく物があり、身を隠せるところが多いのがいい。何より硝子がいる。

「誰が来ても、私はいないって言って!」

 そう言って、ベッド裏の隙間に身をひそめる。ここは入口から完全に死角になり、そう簡単には見つからない。難点はこちらからも、向こうの様子が分からないことだろうか。  
 七海はきっと、直ぐ医務室へたどり着く。高専敷地内から離れられない以上、私が逃げ隠れ出来る場所は多くはない。硝子を頼って、ここへ行く事も想像に容易いだろう。  
 呆れる硝子を無視して、隠れていると誰かが部屋に入ってきた気配を感じた。コツコツと高専では珍しい、品のいい革靴の足音。七海だろう。じっと息を潜めていると、少し話声が聞こえて足音は去っていった。  
「いつまでそこにいる気だ?」
「……隠してくれてありがとぉ」
「いつもの店、奢りね」
「喜んで払わせて頂きます。硝子様」
 
 いつもの店というのは、同期で飲む時によく行く店の一つで、イタリアンバルのことだ。郊外にあり、少々アクセスが悪いがその分静かで、落ち着きのある店内。個室完備で職業柄、人様には聞かせられない話が多い私たちにはとてもありがたい。料理が美味いのは勿論、お酒の種類も豊富で、いくつかある行きつけの中でも、酒豪の硝子は特にここを気に入っている。

「随分と熱心に追い回されてるね」
「助けてほしい……」
「やだよ。とっとと観念すれば」

 ハイボール片手にあっさりと一蹴される。私の親友は今日もクールだ。そんな所も好きなんだけど、今はちょっと優しくしてほしい。

「だいたい何で追いかけられるような事になってるんだ。隠してるけど首の怪我も七海だろ?」
「笑わないで聞いてくれる……?」
「内容による」
「そこは嘘でも笑わないよって言ってよ」

 硝子らしい返事だとは思うけれど、あまりに正直すぎる。
 ぐいっとテーブルのモヒートを呷って飲み干し、通りがかった店員さんに追加でビールを注文する。
 とてもじゃないが、飲まなきゃやってられない。アルコールで少し緩んだ思考に流されるまま、この間の出来事を硝子に話した。



「ははははははっ!」
「笑わないでって言ったじゃん〜〜!」
「これを笑うなと……? ふふっ……むりだって」
 
 案の定、硝子は腹が捩れるほど笑った。硝子には珍しく、馬鹿でかい声だったので、いくら個室だと言え店への迷惑が気になってしまう。当の本人は笑いすぎて声が引きつっている。
 
「も〜理由聞いたんだから、首のコレ治してよね!」
「別にそのままでいいんじゃない。治りかけだし、ほっといた方が七海も喜ぶでしょ」
「なんにも良くない」
 
 七海を喜ばせる気だってない。それに、跡が残ったりすれば、どうしていいか分からなくなる。傷を見る度にあの日を思い出す羽目になるのは勘弁願いたい。
 全部バレてしまったのだからと、硝子に反転術式をかけてくれるよう迫っていると、突如個室のドアが開いた。
 
「面白い話があると聞いて!」
「お、来たか」
 
 そこにいたのは、ここをよく利用する友人の一人、五条悟だった。声をかけた覚えはないが、硝子が驚いていない様子を見ると、彼女が誘ったのだろう。部屋に入った悟は「ちょっとそこ空けて」と私の鞄荷物入れへと追いやって、隣に座った。
 
「で、何の話してたの?」
「名前と七海の話。かなり愉快なことになってるぞ」
「マジ? 初めからちゃんと聞かせてよ。すいませーん、オレンジジュース1つで」
「私は同じのをもう一杯」
 
 突然やってきた追加客へ、水を運んで来てくれた店員さんを捕まえて注文する二人。好きに頼むのはいいけれど、私は硝子の分しか奢らないからな。
 しれっと人の悩みを酒の肴にしようとするな。
 
「半分くらいは悟が原因なんだけど」
「僕〜?」
 
「僕、別に何もしてないけど」なんて、心当たりなど全くないという顔が小憎たらしい。
 
「婚約のこと、七海に話しただろ。しかもかなり中途半端に! 余計なこと言わないでよ」
「あーあれね! 嘘は言ってないからいいじゃん。久しぶりの再開にちょっとした刺激のご提供だよ」
 
 ちょっとどころでは済まなかったのだけれど。風船が弾けた程度のテンションで言ってくれるが、あれはどう考えても地雷を踏み抜いた威力があった。
 悟のこの手のちょっかいは、高専の頃からで振り回されるのも慣れっこだが、如何せん相手が問題だ。あれが無ければのらりくらり健全な先輩後輩を続けられていただろうに。
 私がぐちぐちと言い続けたからか、悟は軽く苛立ったようだった。
 
「お前も七海のこと好きなんだから別にいいだろ!」
 
 ふんっとそっぽを向いてしまったが、いや、ちょっと待って。
 
「何で知ってるのよ……」
 
 悟の言う通りだ。私は、七海建人のことをひとりの異性として愛しく思っている。ただ、この感情は秘めておくべきもので、それこそ、墓場まで持っていく覚悟だったのだ。

「お前結構分かりやすいぞ」
 
 硝子の方を見ると、無言で頷いている。
 
「嘘ぉ……」
 
 テーブルに突っ伏す私へ、硝子はさらなる追い打ちをかけてくる。
 
「多分だけど、七海も気付いてるぞ」
「嘘!?」
「随分と強引な手に出てるしね。七海は相手が本気で嫌がってたら身を引くでしょ。名前の感情を知ってたなら、まあ納得」
 
 硝子の言葉にどんどん気が重くなっていく。本当に知っていたの?そんな思いがぐるぐると脳内を駆け巡る。私が自問自答していたって、答えをくれる人間はここにいない。
 
「めんどくさ。両思いなんだったら、とっとと付き合うなり、結婚なりすればいいだろ」
 
 話に飽きたように悟が言う。
 
「七海は、もっと普通の……いつ死ぬか分からない女じゃなくて、非術師の子が似合うんだよ」
 
 根っからの術師と結婚なんかしてみろ。待っているのは地獄だけだ。非術師家系に嫁ぐことなど認められないから、必然的に七海は婿入りをする羽目になる。1級術師とはいえ、老害共が見てるのは家の格と優秀な子を成せる種であるかどうかだ。碌な扱いを受けないのは目に見えている。

 ぐちゃぐちゃドロドロの呪術師のお家事情なんか知らなくていい。

 七海に必要なのは、明日死んでいたっておかしくない女じゃなくて、家を守り七海のを待ってくれる、帰る場所を作れる人だ。
 それは、私じゃない。私では成れない。でも、成りたかったなぁ……。
 
 思考が纏まらない。つられて飲んでるうちに飲み過ぎたようだった。
 
「強情。これは七海に同情するな」
「たちの悪い女を好きになっちゃったね」
 
 何やら失礼な言葉を吐かれた気がするが、今にも意識を飛ばそうとしていた私には知る由もないことだった。

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