焼き焦がせ妄執 前編

「呪術師、辞めちゃうんだね」
「……はい」
「それは残念。かわいい後輩とさよならかぁ」
 
 話を聞いたとき、あぁそうだろうなと納得してしまった自分がいた。七海はもともと非術師家庭の出であるし、本人自身も人情深い、他人を切り捨てられない性質だから。才能があっても呪術師という生業と折り合いをつけるのは難しいだろう。人間の在り方としては、そっちの方がいいのだろうけど、術師を続けていくのはきっと難しい。
 
「先輩は、辞めたくなったりしないのですね」
「ん〜慣れかな。産まれた時から呪術師だからね。いまさら他の生き方は出来ないしなぁ」
「嫌にならないんですか。呪術師なんて碌でもない、クソだ」
「そういうのは考えないようにしてるの。でも、そうね……呪術師も辞めても行くあてがあるっていうのは、ちょっと羨ましいかな」

 私は崇高な理想も、献身的な志も持ち合わせていない。たまたま術師の家に生まれ、そう有るべくして育てられてきた。ずっと、ずっとだ。
 狭い繋がりに偏った思想、倫理観すら曖昧で。そんな人間が、術師以外で生きていける訳がない。

「呪術師辞めたら何にも残らないからね、私」

 そう言うと七海は顔を歪めた。別に、七海がそんな顔するような事じゃないんだけどな。人員不足で激務だし、いつ死んだって可笑しくないけれど、存外私には向いている。幸い術式にも恵まれて、術師の女としてはそれなりの扱いを受けている。

「先輩……、先輩も、一緒に来てください。私と一緒に……、」

「駄目だよ、七海」みなまで言うなと、人差し指を立て、七海の唇の前へ持っていく。柔らかい唇が指先に触れると七海は口をつぐんで、私から目をそらした。
 けたたましく鳴る目覚まし時計を止めて起き上がる。外からは小鳥たちのさえずりが聞こえる。
 
「……さいあく」
 
 懐かしい夢を見た。高専を卒業して間もない頃の記憶だ。
 思い出すことも少なくなっていた後輩の事を夢に見たのは、悟に後輩が返ってくることを知らされたからだろう。世にも珍しい出戻り脱サラ術師の爆誕だとひどく愉快そうに話していたのを思い出しながら、ベッドから降りる。時間には余裕があるけれどさっさと準備を済ませて家を出てしまおう。
 なって初めて実感したが教師という職業は本当に多忙だ。忙しい時期は朝コーヒーを飲む時間すら惜しくなる。
 ただ、今日に限ってはそんな忙しさが有り難い。多忙を言い訳に、今朝の夢を思考から追い出してしまえるのだから。
 
 
本当に、余計なことを思い出してしまった。
 



 午前の授業を終えて、任務の集合時間まで30分。深く息を吸って煙を肺に落としてから息を吐く。任務前に煙草を吸うことはあまりしないのだけれど、ついつい喫煙スペースまで足を運んでしまった。少しばかり、ゆっくりしていても時間の余裕があるのは教員寮の特権だろう。無論、デメリットも多いのだけれど。  
 貸し切り状態の喫煙スペースで紫煙をくゆらせていると、コツコツと地面を鳴らす音が聞こえてくる。
ここを使う人間はそう多くはない。硝子だろうかと思い、顔を音の方に向けるとそこにいたのは今日の任務の帯同者でこちらに帰ってきたばかりの後輩、七海建人だった。  

「あっ脱サラ呪術師だ」
「何ですか。その妙な呼び方」
「悟が吹聴して回ってんの。もう高専中が知ってるんじゃない?」「相変わらずろくなことをしない人ですね」

 悟だから仕方がない。これでも、まだましになった方だと言うのが恐ろしい話だけれど。  
「喫煙スペースなんかに来てどうしたの。もしかして、見ない間に吸うようになった?」
「吸いません。先輩も禁煙してはどうですか」
「出来ると思うの?」
「家入さんは禁煙されたそうですね」
「あーやだ。裏切り者の話はしないで」

 人を喫煙者にしておいて、一人で禁煙した女の話は聞きたくない。私は歌姫先輩に心配されてないんだけど?
 余談だが、私の禁煙生活は3日と続いた試しがない。

「姿が見えたのであいさつでもと思っただけです」
「あぁ……そういやまだ言ってなかったね。久しぶりだね、七海。おかえり」 「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「しかしまぁ、わざわざ出戻りとか物好きにもほどがあるよね。せっかく辞められたのにさぁ」
「未だにこの業界に居続けている貴方も相当物好きですよ」
「言えてる〜」

 吸い殻を灰皿に押しつけて火種を消す。話している間に時間も過ぎてしまった。

「そろそろ行こう。あんまり伊地知待たせると泣いちゃうから」
「そうですね。さっさと済ませて終わりにしましょう」
「腕は鈍ってないよね?」
「ご迷惑をかけるような事にはなっていないので、ご心配なく」
「キャ〜頼もしいー!」

 などと茶化したのが数時間前。実際、七海は頼もしかったといえる。今日のターゲットは1級呪霊が2体。結束している様子はなく、各個撃破が可能だったとは言え、ブランクのある1級術師の戦績としては上々だろう。何かあった時の保険として私がいたけれど、必要となる場面はなかった。愛用の鉈でバカスカ殴って、あっさりと払ってしまった。
 しかしながら、任務というのは報告書を提出するまでが任務であるので、たとえ私がよちよち後ろをついていっただけの任務であっても、報告書を書いて補助監督に渡さなければならないのが辛い現状なのである。アーメン。

「報告書って嫌いなんだよね。リーマン時代に培った処理能力で私の分も書いといてよ」
「つべこべ言わずにとっと書き上げて下さい
「久しぶりに会った先輩への態度が凄く冷たい。もっと敬って。優しくして」
「優しくされたければ、それ相応の態度と行動を示してからでお願いします」
「七海生意気〜!」
「その言い方、五条さんにそっくりですよ」
「え、嫌なんだけど」

 悟とは高専の同期で現在は共に教職についているのもあり、一緒に過ごす時間も多い。「わりと一緒にいるからね〜。移っちゃたかなぁ」そう漏らすと、七海の期限が見る見るうちに急降下していくのを感じた。

 七海建人という人間が、想像以上に感情を外に出すと知ったのは出会ってからまだそう日が経たない頃だったか。
 無表情に見えて、案外分かりやすいところがあるというか、不快感が顔に出やすいというか。学生時代もよく眉間に皺を寄せていた。(概ね悟が原因だったと記憶している)放って置いたらせっかくの綺麗な顔に跡が残ってしまいそうで、指で押しては勝手に伸ばしていた。いつも直ぐに振り払われてしまっていたけれど。

「……相変わらず五条さんと仲がよろしいんですね」
「あは、何?嫉妬でもした?」
「しました、とても」

 そう言うと七海の顔が近づく。瞳に映った自分の顔は間抜けに口を開けていて、ひどく笑えた。距離を取ろうにも肩をつかまれてしまって動けない。

「近い、近い!先輩は落ち着いて少し離れるのがいいと思うな!」 「五条さんとご婚約なさったそうですね」
「先輩の言葉フル無視…?というかその話誰に聞いたの?」
「五条さん本人に」

 悟かよ。いや、たしかに他に誰がいるんだという感じだけれど。

「あの人のことなので、冗談かとも思いましたがその様子だと本当みたいですね」

 肩をつかむ手に更に力がこもった。正直めちゃくちゃ痛いし痣になりそうなので放してほしい。言わないし、言えないけど。

「よりにもよって相手が五条さんですか。これなら、顔も名も知らない人間に奪われた方がまだマシだった」
「顔が怖いよ、可愛い後輩。悟がどんな言い方をしたのか知らないけど、ちょっと勘違いしてるようだし、とりあえず落ち着きなよ」
「十分落ち着いてます。その呼び方不愉快なので止めてください」
「……別に、変な呼び方なんかしてないでしょ」

 じろりとこちらを見る七海の視線が刺さった。分かりやすく不満げな顔をしている。あぁ、これはバレてしまっているのかな。

「その呼び方はあなたなりの線引きでしょう」
「……」
「図星ですか」
 この後輩は少し見ない間に随分と可愛くなくなってしまったらしい。私の記憶している七海は、こんなにずけずけと踏み込んでくるタイプではない。こうも遠慮がないのはもう一人の後輩の方だった。持ち前の愛嬌で多方面から可愛がられていたが、良くも悪くも正直で、思ってしまった事を、遠慮なく言う奴だった。

「昔はもう少しいい子だったでしょ」
「あなた相手に、いい子でいるのは悪手だと気づきましたので」
「最善の間違いじゃないの。かき乱したっていいことないよ」
「このまま、一生この立場に甘んじるよりずっといい」

七海の腕がそっと背中にまわる。「これなら、私の口もふさげない」いつかのことを根に持たれているらしい。

 触れた部分から伝わる体温が熱い。七海の腕にじわじわと力が込められていく。どうしようもなく逃げ出したい。力ずくで対処しようにも、学生時代は上背はあっても線の細い印象が抜けなかった体型は、がっしりした筋肉がついていて、とてもじゃないが無理やり振りほどけない。普段あれば補助監督の一人や二人いるものの、今日に限って皆出払っているらしく人の気配を感じないので、助けを期待するのも無駄だろう。どうしたものかな。

「離してよ、七海」
「名前さんが私といてくれるなら離します」
「……それって一生?」
「ええ、一生」

 嘘でしょ。簡単に肯定しやがった。知ってるかな?そういうの世間一般じゃプロポーズって言うんだけど。一介の先輩にするものじゃないんだって。

「五条さんに恋愛感情を抱いているわけではないのでしょう。なら、私に少しくらいチャンスをくれても罰など当たらない」
「悟のこと友人としてしか見てないのはそうなんだけど……そもそも、婚約自体七海の勘違いっていうか、いや婚約は本当なんだけど」
「どういうことですか。ちゃんと説明しろ」
「説明させなかったのはそっちでしょうが」

 私と悟はたしかに婚約していた。過去形である。
 七海が卒業してしばらくしたころ、いつまでたっても跡取りどころか結婚の兆しさえ見せない悟に苛立った五条家の一部が、私の生家である名字家に話を持っていったのが事の始まりだ。名字家はそれなりに長い歴史と地位を持った家系であるけれど御三家には及ぶべくもない。五条家が直々に持ってきた話を断ることなど出来ないし、そもそも断る理由もない。古い価値観が横行しているせいで結婚の平均年齢が非術師より低い呪術師家系では私も悟も(特に私は)行き遅れに片足突っ込んでいた。
 そんなこんなで当の本人達が事態を知るのは、婚約が既に結ばれた後になってからだった。
 実家に呼び出されたと思ったら、粧し込まれ、料亭に連行されて開けた襖の先に同じく無理やり連れてこられたであろう同期がいた時の悪夢と言ったら!お互いよき友人であれど、異性としてなど見れないので、この後あちこちに手を回して婚約解消に奔走するはめになった。
 この一連の騒動は、高専でそこそこ広まってしまい、硝子には死ぬほど笑われ、伊地知や歌姫先輩には同情のまなざしを向けられた。

 その後も飲み会などで散々からかわれこすられたが、今となっては、皆飽きてしまって誰もしない話だから、高専を離れていた七海が何も知らないのは当然だ。大方、それを面白がった悟がわざと誤解させるような言い方をしたんだろう。自慢気にピースする姿が目に浮かぶ。

「悟にからかわれたんでしょ」

そう告げると、七海は深い溜息を吐いて脱力した。肩口に埋めるようにして七海の頭が下がり、首筋にあたる髪がくすぐったい。

「だいたい、悟と婚約してたら私は今ここにいないよ。花嫁修業とか、適当な理由で家に閉じ込められてるもの。わかったらもういいでしょう。さっさと離してよ」
「……」
「ななみぃ〜〜」

 すっかり黙り込んでしまった七海に、どうしたものかと考えていると、首筋を鋭い痛みと熱が襲った。

「いっ!?」

 驚きと痛みに鈍る思考で、何が起こったのか一瞬分からなかった。噛まれたのだと気が付いたのは、傷口に当てた手に滲んだ血が付着したのが目に付いた時だった。
 混乱する私を、七海はじっと見ていた。いったい、何を思っているんだろうか。私はもうすっかり、七海建人の事が分からなくなってしまっていた。
 文句も、問いかけも、何も言えずに七海を見上げる事しか出来なくなった私を見て「やっと私を視界に入れた」と言って、身体を離した。

「ご存知でしょうが、私は名前さんの事が好きなんです。仕事と言えど、そんな男と無防備に二人切りになるものじゃない」

 うるさい。知るものか。全部七海が勝手にやったんだろうが。人に責任を擦り付けるな。ばか。ずっと後輩でいてくれれば、私はそれで良かったのに。

「傷付けてしまってすみませんでした。家入さんに治して貰って下さい」

 何て言って治療して貰うのよ、こんな傷。後輩に噛まれたので治してくれって?言えるわけないでしょ。

「帰ります。報告書は私が伊地知くんに提出しておきます。首、お大事に」

 加害者が言う台詞じゃない。
 何を思っても、私の喉は音を紡がず、部屋を出て行く七海をただ眺めていた。

 酷い悪夢でも見ているのかと思った。今朝の夢の続きにいるのではないかと。
 未だヒリヒリと熱を持つ傷口だけが、夢ではないのだと主張し続けていた。

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