アン、ドゥ、トロワで君を愛すよ

 私の朝は怠惰な幼なじみを起こすことから始まる。

「け〜い〜く〜ん! 遅刻するってば!」
「んん……一日くらい遅刻しても大丈夫だって……」
「そうやって何回遅刻したの!? 単位足りなくなって留年ぎりぎりでしょ!」

 締め切られたカーテンを開けて、布団の端を掴んでそりゃ!っと引っぺがす。ここまでやってもまだ起きようとしないんだから本当にこの幼馴染ときたら……。共働きで朝から忙しいおじさんとおばさんに代わって慶くんをたたき起こし、学校まで引っ張って行くことが習慣になったのはいつのことだったか。小学生の頃にはもう慶くんの手を引っ張っていた記憶があるなぁ。まさか高校生になってもまだ慶くんを起こしているとは、あの頃の私も思いもよらなかっただろう。
 未だ布団の上でゴロゴロとむにゃむにゃ惰眠を貪ろうとする慶くんを揺さぶって何度も声をかけると、ようやく起き上がってくれた。

「やっと起きた! 早く準備してくれなきゃ私まで遅刻しちゃうんだからね」
「そんなの先に行けばいいだろ〜……」
「私が一人で学校行ったら慶くん絶対二度寝しちゃうでしょ!」

 「私リビングにいるから急いで着替えてよね」眠たげに目元をこする慶くんにそう言って部屋を出る。リビングではおじさんとおばさんが慌ただしく支度をしている。私が部屋に入って来たことに気が付いたおじさんが「おはよう」と挨拶してくれる。

「おじさん、おばさんもおはよう」
「いっつも慶のことお願いしてごめんね〜。あの子のお世話大変でしょう」
「もう慣れたよ! 私も太刀川家にお世話になってるしお互い様だから気にしないで」
「助かるわ〜。あっおばさん達そろそろ行かなきゃだから申し訳ないけど後はお願いね」
「はい、任せてください! いってらっしゃい」

 おばさん達を見送った頃、制服に着替えた慶くんがリビングへとやってきた。寝ぼけながら着替えたのだろう制服はだらしなく着崩されていて、Yシャツの裾は外に放り出され、ボタンは下の方がズレて留まっている。私が風紀委員だったら一発でレッドカードを出している着こなしだ。寝起きの慶くんに言ったところでどうせ直そうとはしないのだから、今は見て見ぬ振りをする。学校に着くまでに正しく着れていれば大丈夫でしょう。多分。のんびりと用意された朝ごはんを食べる慶くんは単位を落とすギリキリの人間とは思えない余裕がある。今日の一限出ないと本当にヤバいって分かってるのかな?留年は流石におじさんとおばさんが泣いてしまうと思うよ。

「慶くん早く〜」
「ちょっと待てって。もう出れるから」

 時間ギリギリだけど何とか校門前でダッシュを決めなくても大丈夫かな。学校に着いてしまえばクラスは別々だから、慶くんには自力で頑張ってもらうしかない。さぼったりしないように釘は挿しに行くけど……。

「あ、俺放課後用事あるからわざわざ待ってなくていいからな」
「用事〜? また例の習い事?」
「そーそー。ナライゴト」

 慶くんは習い事を始めたらしく、ここ最近はそれに夢中だ。何を始めたのかは教えてくれないから、詳しいことは知らないんだけどね。好き嫌いがはっきりしていて、物臭なところがある慶くんがここまで入れ込んでるのは珍しい。一体何をしてるんだか……。

 私がこの“習い事”の正体を知るのは暫く経ってからのことだった。





 三門市が近界民とか言う化け物に襲われて、約四年半が経過した。幸いにも私や慶くんの家族や家に甚大な被害はなかったけれど、たくさんの人が亡くなったし住むところを失った人も多い。今も行方不明のままになっている人もいる。慶くんはこの第一次侵攻を呼ばれるようになる災害の後、ボーダーという近界民と戦うための組織に入った。件の習い事にボーダーの関係者がいて、その人からの紹介みたいな感じらしい。あんな大きな化け物と戦うなんていくら命があっても足りないのじゃないかと心配したけど、杞憂だったみたいでほぼ毎日嬉々としてボーダーに通っているらしい。大学もボーダーの推薦で入学できたっておばさんが喜んでいたからボーダー様様だ。
 私はというと、慶くんを朝から起こすことも無くなって普通の大学生活を送っている。私はボーダーにも入っていないので慶くんとは昔に比べると、ちょっと疎遠気味になっている。

 ……実は何年か前に一度だけボーダーの入隊試験を受けたことがある。体力テストはともかくとして、学力テストには自信があった。なにせ慶くんのお頭で所属が許されているのだ。運動神経も悪いって程じゃない。でも駄目だった、結果は不合格。ちょっと興味があっただけだし、なんて自分に言い訳したけれど暫く落ち込んだのを覚えている。
 なんだかんだ言って私は慶くんと離れ離れになってしまうのが寂しかったらしい。というか当時は無自覚で今になって気が付いたのだけれど、多分初恋だったんだ。家が隣で、物心ついた時から隣にいられたこの関係を私は手放したくなかった。
 でもまぁ、この年になって幼馴染の家に朝から突撃していく様な勇気も無く、慶くんとは時折顔を合わせるだけの関係になってしまっている。本人に直接聞いたわけじゃないけど、出かけた先で彼女っぽい美人さんと一緒にいるのを見かけたこともある。私の初恋は、慶くんに想いを告げられることもなく、ひっそりと枯れてしまった。

「な〜に黄昏てんの。講義終わっちゃったよ?」
「え、あ、いつのまに」
「普段しっかりしてるのに珍しいー」
「ちょっぴりボーっとしてました……」
「あはは。ノート抜けてるとこあったら今度見せたげるね! 今はお昼食べに行こうよ。お腹空いた〜」
「そうだね。何食べる?」
「今日はお互い午後の講義ないから外に行こ!」

 「そのまま買い物行こ〜」と言う友人に「いいよ」と返す。大学の学食は安いしそこそこ美味しいけれど、偶にはオシャレなカフェやレストランでご飯を食べる贅沢は必要だもの。「こないだよさげな店見つけたんだよね〜」と先を歩く友人を追いかけた。


「あ〜美味しかったぁ!」
「他のメニューも気になるからまた行こうね」
「デザートは絶対全メニュー制覇するから!」

 次はあれが食べたい、あのメニューも美味しそうだった、だの他愛のない話をしながら町を歩く。このままあてもなくぶらぶらするのも良いけど、新しい服が見たいってランチ中に言っていたからお気に入りのブランドがあるショッピングモールに行くことになるかな。あそこに行くなら私も何か買おうかな、なんて考えていた時だった。けたたましいサイレンと共に町中にアナウンスが響き渡る。

「緊急警報、緊急警報。門が市街地に発生します。市民の皆様は……」

 鳴り響くサイレンと共に空間が黒く円状に裂けていく。私はこれが何なのか知っている。ううん私だけじゃない、三門市民なら記憶に焼き付いて消えてくれない恐怖の象徴。この空間から近界民は現れる。

「近界民だ!」

 誰が叫んだのかは分からない。ただ、その声を皮切りに辺りは一気にパニックになった。皆、我先にと逃げるために駆け出す。混乱する人たちに揉みくちゃにされている内に友人を見失ってしまった。無事にシェルターまで避難出来ているといいけど……。私も早く逃げなくちゃ。近界民は続々と門から出てきている。
ここはボーダーの本部から離れていてボーダーの人間もきっと直ぐには来れない。

「あっ」

 押されたのか、ぶつかってしまったのか。一つ確かなのは、私の身体が集団から押し出されてしまったということ。よりにもよって、近界民が出てくる門の方へ。
 よろめいて転倒してしまった私の前に近界民がいる。第一次侵攻の時でもこんなに近くに来たことはなかった。間近で見ると思ったよりデカくてキモいな、とか状況にそぐわない事を考えてしまう。防衛本能ってやつだろうか。あの鋭く尖った近界民の脚が、私の身体を貫く所なんて想像したくはないのだ。あぁ、早く逃げなくちゃ。起き上がろうとして、腕に力を入れようとするのになかなか上手くいかない。
 近界民が私に狙いを定めて脚を持ち上げる。あ、駄目だコレ。死んじゃうな。嫌だなぁ、まだやりたいこと沢山残ってるよ。お父さんとお母さんだって悲しませちゃう。就職して、結婚して……。特別なんて望まないから。普通の人生でいいの。近界民の脚が向かってくる。やけにゆっくり見えるのは死んでしまう前だから?嫌だ、怖いよ。

「助けて慶くん」
「おー任せとけ」

 驚く暇もなかった。慶くんはロングコートの裾をはためかせ、構えた二本の刀であっという間に近界民を全て倒してしまった。ぽけっと倒れたままの私に慶くんが駆け寄って来る。

「どっか怪我でもしたか? 立てるか?」
「怪我、はないけど身体に力入らなくて……」
「うおっマジだ。ぐにゃぐにゃじゃん」

 ひょい、と脇の下に手を入れて子供を抱っこするみたいに慶くんが私を抱き上げる。さっきまで人が死を覚悟してたっていうのにこの呑気さ。本当に慶くんだ。慶くんが助けてくれたんだ。もう、大丈夫なんだ……。

「う……うわぁぁぁん! 怖かったよぉ!!」
「おわっ! ちょ、お前泣くなって……!」
「だって〜!! しんじゃうかとおもったの〜!!」

 わぁわぁと大声を上げて赤ちゃんみたいに泣く私に、慶くんはどうしていいのか分からないようで抱き上げた私を降ろすことも忘れてオロオロしている。こんなに泣くの子供の時以来だもんね。近界民が倒されて戻ってきた人たちにすっごく注目されてるし、恥ずかしいけど……まぁいいか。

「うわ…太刀川さんが女の人泣かせてる」
「ちょっと待て出水。誤解だ」
「うっ……ぐす……」
「泣いてるじゃないですか!」
「お前も泣き止もう、な!」

 ボーダーの人?らしい男の子にジト目で見られて、本格的に慶くんが慌てだした。……ちょっと可愛い。髭面の大男なんだけどな、一応。これが惚れた弱みってやつ?
 だらしなくって、色々残念だし。大学でもやっぱり単位はギリキリな人なのに、こんな時はどうしようもなくかっこいいんだからズルい男だ。

「慶くん、慶くん」
「何だよ、泣き止んだか?」
「助けてくれてありがと。大好き」

 そう言って、慶くんの頬に口付ける。本当は唇にしたかったけど、勝手にして嫌われちゃうのは嫌だもん。でも次はそこにさせてよね、慶くん。


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