ロマンス未満

「硝子ぉ怪我したから治して〜」
「家入さんなら夜蛾学長に呼ばれて出ていきましたよ」
「あれっ七海だ」


  呪術師をやっていると傷とは無縁でいられない。細かい擦り傷は当たり前、命にかかわるような重傷も珍しいとは言えない。幸いなことに今日はそれほど大した怪我ではなかった。呪霊に腕を切り付けられた程度のものだ。ただまぁ、この後別の任務が控えているし高専に戻って来たのだから硝子に治療してもらおうと思ったのだけど……。

「夜蛾さんの呼び出しかぁ。いつ戻るとか言ってた?」
「特に何も。入れ違いで出ていかれましたから、しばらくかかるかもしれませんね」
「あ〜……それなら戻るまで待ってはいられないかな」

 仕方ない。反転術式の方が手っ取り早くて良かったけれど、自分で手当てしてしまおう。反転術式なら治療道具は必要ないとは言え、医務室なのだから最低限の道具くらいはある。勝手知ったるなんとやら。棚から消毒液や包帯を拝借する。硝子には後で連絡しておけば怒られもしないだろう。

「七海も怪我して硝子待ち?」
「治療は既にしてもらいました。無人にするのはマズいのでそのまま留守を頼むと家入さんが」
「お留守番ってことね」

 「うー……しみる……」よりによって利き腕に傷を作ってしまったので、手当てがとてもやりづらい。今も、うっかり消毒液をかけ過ぎてしまった。

「あっ」
「何をしてるんですか貴女は」

 消毒液でびしゃびしゃになった腕から雫が落ち、床を濡らす。それを為す術なく見つめる私を七海は一瞥した。どうしようもない奴だな、とでも言いたげな視線が刺さる。利き手じゃないし、片手なんだから許してほしい。後でちゃんと掃除するってば。

「貸して下さい。私がやります」

 仕方ないなって顔をして、七海が包帯を手に取った。なんだかんだ七海建人と言う男は私に甘いのを私はちゃんと知っている。最終的にはいつも手を貸してくれるんだ。
 七海がするすると素早く私の腕に包帯を巻いていく。なんとも手際がいい。そのままほんの数分で七海は手当を完了させてしまった。本人の生真面目さが透けて見える出来栄えだ。

「七海上手いねぇ。これから傷の手当は七海にお願いしようかな」
「嫌ですよ。やめてください」
「別にいいじゃん。私がするより綺麗だし硝子の手を煩わせる程の怪我でもないし」
「怪我をするなと言っているんです」

 そんな無茶な。訓練でだって怪我が付きものの私たちだと言うのに、それが分からない七海じゃないでしょ。思わず「本気で言ってる?」と尋ねると「本気に決まっているでしょう」と真顔で返されてしまった。まるで変なことを言ってるのは私の方だと言わんばかりに。
 戸惑う私の腕を掴んだ七海は、包帯をそっと指でなぞる。包帯の怪我に響かないよう優しく。ぞわぞわとした感覚が背筋に走る。な、何だか触り方がやらしいのだけれど……!?思わず情けない声を出す私を見て、目の前の男は愉快そうに喉の奥で押し殺すように笑った。

「う゛〜初心な乙女を揶揄うなんて」
「フッ……すみません」

 絶対悪いと思ってない。顔が笑ったままだ。

「心配なんですよ、本当に。」
「はいはい。いったい何時からそんな心配性になったんだか」

 高専時代はそうじゃなかった気がする。あの頃は術式の扱いも未熟だったから、今より怪我も多かった。ボロボロの姿で戻ってきて二人揃って硝子の世話になったものだ。反転術式でも治しきれずに残ってしまった傷跡も少なくない。

「傷跡だって勲章だと思えばそんなに悪いものでもないのよ」
「好きな女性に傷など付けてほしくはないんですよ。傷跡なんて本当なら一つも残らないで欲しい」
「ふーん。七海って結構、…………ん?」

 なんだか今、とんでもないことに気づいてしまったような。

「私に怪我するなって言ったよね?」
「言いましたね」
「私が傷つくの、嫌?」
「嫌です」
「好きな人には怪我してほしくない?」
「先程からそう言っていますが」
「……七海、私のこと好き?」
「好きです」
「恋愛的な?」
「恋愛的な意味で」

 何を言っているんだろう七海は。正気か?私が知らない間に呪霊に変なでも術式掛けられた?あるいは、この七海が偽物だったりするんだろうか。でなければ、この真面目に見えてわりと生意気な七海が、私のことを好きなどと言うはずがない。考えれば考えるほど頭の中身がピンク色に侵されていく気がする。桃色とかじゃなく、ショッキングピンクの。
 君は職場恋愛ってどう思う?私は禁止にしてほしい。出来れば今すぐに。藪をつついたのは私かもしれないけど、こんな事になるなんて思ってもみなかったんだもの。ぐるぐる、ぐるぐる、思考だけが留まるところを知らない。

「それで、返事は」
「え、あ」
「今して下さい」

 エマージェンシー!エマージェンシー!頭の中でウーウーとサイレンが鳴り響く。すぐ後ろには扉がある。逃げ切れるか?駄目だ、腕を掴まれているんだった。誰が助けて。お願いします。

「留守を頼んで悪かったな七海。……なんだ来てたのか?」
「硝子〜!!」
「あっ」

 帰ってきた硝子に七海が一瞬気を取られたので、勢いよく立ち上がり腕を振り払う。そのままダッシュで扉へと向かった。

「次の任務あるから! じゃあね!」




「…………もしかしてお邪魔だったか?」
「あと5分遅く戻ってきて頂きたかったです」
「悪いな」





 過去最高の走りだったかも。なんとかあの空間から逃げ出せた……。次の任務が迫っているのも嘘ではないが、まだ時間に余裕はあった。実際、やけに早く戻ってきた私に伊地知はちょっとびっくりしてる。

「任務先行くよ。直ぐに車出して」
「それほど慌てなくても……先程戻ったばかりですし。もう少し身体を休めては?」
「大丈夫だから。早く行こう」

 今は高専から離れたい、そう思って伊地知を急かす。「はぁ」と訝しげな表情の伊地知だったが「車を取ってきます」と指示に従ってくれる。ほ、と息を吐いた。
 車へと向かう伊地知がふと振り向いて、私の腕を指さした。

「その怪我、家入さんに治してもらわなかったのですか?せめて反転術式だけでも受けてはどうでしょう」
「いや……これはいいの。反転術式はいらない」

 巻いた本人を彷彿とさせる丁寧な出来栄え。見ていると頭に顔が浮かんでくる。同時に、あの手付きを思い出す。

 今はまだもう少し、このままで。

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