まほろばはすぐそこ

※オメガバースパロ・呪術師してない

 人は皆二つの性をもって生まれてくる。生物学的な性と第ニ性。α・β・Ωの三つに区分される第ニ性は、人の本能に直結している。理性は本能に敵わない。私たちは第ニ性に従いながら、今日も朝を迎える。

「おはよう、随分早いね」
「おはよう傑くん。今日は日直だから色々しなくちゃいけなくって」

 傑くんは私の恋人で優秀なαだ。αは元々優秀なエリートタイプが多いけれど、傑くんはその中でも群を抜いている、と思う。彼氏に対するひいき目だってあるかもしれないけれど、恵まれた体躯、切れ長な目が特徴的な涼やかな顔、優秀な頭脳。勿論、運動神経だって抜群だ。彼に出来ない事は無いんじゃないだろうか。
これで優しくて気遣いも忘れない、性格までいい男なんだから神様は傑くんに二物も三物も与え過ぎだ。

「今日の帰り、時間あるかな? ほら、駅前のカフェ気になるって言ってただろう」
「ある、空いてる! 嬉しい〜傑くんと行きたかったの!」

 本当、私には勿体ない人だと思う。別段整っているわけでもない平凡な顔に、取り立てて褒めるところのない身体。何か人に誇れる特技も持ち合わせていない。何の取り柄もない至って平凡なβ、それが私。いっそΩだったなら、Ωなら傑くんの“運命”になれたかもしれないのに。
 Ωは劣等種だ、なんて言う人たちもいるけれど私からすればとんでもない。
 運命は絶対だ。互いを縛りつけ、離れる事のない絶対にして唯一の関係。壮大な恋物語の末に結ばれた恋人たちだって、運命の前には塵と消える関係にすぎない。とても、理不尽だとも思う。私が必死の思いで手に入れたこの場所を、まだ見ぬΩは、いとも容易く自分のものにしてしまうのだから。

 人類は第ニ性にあらがえない。いつか貴方の目の前に運命が現れた時に、私はちゃんと傑くんを手放してあげられるのだろうか。





「いいお店だったね〜。ケーキもおいしかったしまた行きたいな」
「そうだね。もちろんまた行こう」

 カフェから出た後も時間があった為、駅ビルの商業施設をふらふらと見て回る。特に欲しいものがあるわけじゃないけれど、コスメや服の新作が気になってしまうのが女心というものだ。それに、せっかくのデートなのだから一緒に入れる時間は多いほうがいいに決まっている。

「あ、かわいい」

 目に入ったのは一瓶の香水だった。有名なコスメブランドのもので香水瓶のデザインが私好みだ。香りもナチュラルで普段使いにも良さそう。

「いい香りだね。君にも似合うと思うな」
「本当? あんまりつけた事ないんだけど、買ってみようかなぁ……んん、迷う」
「自分につけるとまた香りが変わったりするからね」
「難しいなぁ〜。傑くんはいっつもいい匂いするよね。白檀みたいな落ち着く香り」

 傑の香りは甘みがあってエキゾチック、それでいてどこが懐かしいようなそんな香りがする。
 匂いフェチなんて持ち合わせていないと思ってたけど、傑くんのならずっと嗅いでいたいと思う。口に出したら変態みたいだから、今のところ心の内に秘めておくに留まっている。でも、同じ香水を持つ位なら可愛い行動として許されるかもしれない。傑くんの匂いそのものではないだろうけど、少しは気が満たされるかもしれない。そんな下心を持ちながら、素知らぬ顔で「傑くんはどこの香水使ってる?」だなんて聞いてみる。私、あの香り好きだなぁなんて。

「私の? いくつか持ってるからどれの事かな」
「どれだろ……。同じの欲しいなって思ったんだけど、駄目かな?」
「なら、私のを分けてあげるから家においでよ。香りを嗅げばどの香水のことなのかもわかるだろうしね」

 そうして私は傑くんのお家へお邪魔する事になったのだ。

「お邪魔しま〜す」
「はい、いらっしゃい。お茶を入れてくるから、ゆっくりしててくれるかい」

 「香水はそこにあるから好きに試していいからね」そう言って部屋を出る傑くんへ「はぁい」と返して、香水へ目を向けた。メンズブランドに詳しくない私でも知っている名前のものがいくつか並んでいる。無作為に一つ取って試香紙に振りかけて嗅いでみるが、傑くんの香りとはどうも違うように感じた。これじゃなかったのかな、そう思って別の瓶へ手を伸ばす。けれど、これも私が望んだ香りではなかった。そうして何度か香りを試すうちにだんだん鼻が馬鹿になってくる。これは、傑くんに普段使いしてるものを聞いた方が絶対に早かった。こういう時って自分の匂いを嗅げば治るんだっけ、と鼻に腕を寄せていると傑くんがお茶を持って戻ってきた。

「どうかな。見つかった?」
「何個か試してみたけどまだだよ。ねえ、傑くんがよく使うのってどれ?」
「最近だと……これと、これかな」

 傑くんが手渡してくれた香水瓶は、既に試香紙へ振りかけていて、どちらとも傑くんの香りに近いとは別段思わなかったものだった。

「どっちも試したけど違うかったなぁ。やっぱり実際使ってる時とは匂いも変わってくるだろうし、見つけるのは難しいのかな」
「だったら、私に付けて試してみなよ。そうした方が分かりやすいだろ」
「えっ、そうかもだけど……それはちょっと……」

 恥ずかしいかも……。声が尻すぼみになっていき、言いよどんでしまう。合法的に傑くん匂いを嗅げる機会だ。勿論、私としては願ったり叶ったりの場面なのだけれど、いざ本人から許可が出てしまうと逆に二の足を踏んでしまう。そんな私など知らん振りにして、傑くんはさぁどうぞと腕を差し出してくる。どんどん近づいてくる腕に目を瞑って身構えていると、ふわりと探し求めていた香りが鼻をくすぐった。

「! これ、この匂い! なんだ、傑くんが今日付けてたやつだったんだぁ」

 「気が付かなかった〜」お目当てのものを見つけて喜ぶ私とは反対に、傑くんは神妙な顔つきをしていた。

「傑くん……?」
「……今日、私香水は付けていないんだよね」
「えっ、でも」
「だからね、君は私のαのフェロモンを感じ取っていたんじゃないのかな」

 そんなはずはない。だって、αのフェロモンが分かるのはΩか同族であるαだけだもの。私はβだ。第二性の一斉検査でもそう診断された。仮にΩであるならば、Ωの最大の特徴であるヒート、発情期を迎えているはずだ。私は今日までただの一度も経験したことがない。私、私は……。

「知ってる? 白檀の香りにはね催淫効果があるんだよ。だからかな、相性の良い相手のフェロモンほど白檀に近い香りがするんだって」
「でも、それはΩとαの話で……」
「君はΩだよ。私の本能がそう言ってる」

 喉に刺さった小骨が取れたみたいに、この時を待ち望んでいたのだと、目の前のαは言う。

「ずっと、初めて会った時から君に白檀の香りを感じていた。βだって聞いたときは疑ったよ。こんなにも、欲を刺激する君が運命どころか番にもなれないだなんて」

 魅入られる。傑くんは、この人はこんなにも目が離せなくなる人だっただろうか。そりゃあずっと魅力的な人だったけれど、こんな……何も考えられなくなるみたいな……この身全てを差し出したくなるような、こんな気持ちにさせる人だったか。

「おかしいと思って沢山調べたんだ。そしたらね、第二性のホルモン分泌不全になる人が時々いるそうだよ。自分をβだと勘違いしたまま生活して、強烈なフェロモンを感じる事で自身も正しくフェロモンを出せるようになる」

 正に今の君のことだね。傑くんは満足げに笑っているけれど、こっちはそれどころじゃない。頭にモヤがかかったみたいになってまともな思考は出来ないし、傑くんが触れるところ皆熱くなって、もどかしくってどうにかなってしまいそうだ。これじゃあまるで本当に、Ωになってしまったみたいじゃないか。余計な期待なんて持ちたくないのに。そんな言い方されたらどうやったって欲を出してしまうじゃないか。
 理性はとっくにがたつきを見せていて使い物にならない。

 望むままに、欲望のままに、私は言葉を吐き出した。

「お願い。傑くんの運命にして」
「仰せのままに」

 うなじに甘い痛みが走る。

「あ、……あぁっ♡」

 心臓が波打つ、身体が熱い。指の先から頭の天辺まで、身体中が生まれ変わる様な錯覚。細胞の一つ一つ全てが傑くんの物になるのが分かる。うれしい、うれしい、うれしい!!
 歓喜で涙がぽろぽろと流れ出る。アイメイクが落ちちゃうから泣くのは嫌なんだけどな、なんて冷静な部分の私が思う。

 自分自身の意思を無視して、身体は勝手に反応を示す。けれど、決して不快ではない。これが本能に支配されるってことなのかな。

「傑くん好き、大好き。好きなの」
「私も大好きだよ。一目見た時からずっと」

 「ほら、もうそんなに泣かないで」って傑くんが涙を拭ってくれるけど、無理だよ自分じゃ止められないの。あなたが運命だというこの瞬間を、いったい何度夢見たことか。傑くんの手を、声を、その眼差しも全部全部私のだけの物にって、そんな欲張りな事をずっと願っていた。それが現実になったのだから、そりゃぁ嬉しくて涙だって出てしまうよ。

「本当に、私が傑くんの運命? 夢じゃない? 目が覚めたら私まだβのままだったりしない?」
「君だけが私の運命だよ。初めて会った時から私だけのΩだ」
「傑くんが言うなら間違いないね」

 うなじに触れるとデコボコした傷跡がそこにある。傑くんの歯形だ。傑くんがくれた、私たちの関係の証。この傷一つで、私はもう二度と傑くんを手放す日に怯えることはない。

「ねぇ、私も傑くんのうなじ噛んでもいい……?」

 傑くんのあの綺麗なうなじに傷を付けたい。私の身体に傑くんの印があるように、傑くんに私を刻みつけたい。αが付けるものと違って、私が噛んでもそれは文字通りただの傷でしかないし、いつかは治癒してしまうものだけど。
 おずおずと尋ねると傑くんは少し驚いた顔を見せたけれど、笑って「構わないよ」と言ってくれた。
 傑くんは私が噛みやすいよう制服を脱いで、インナー姿になる。衣服に隠されていた肌が露になって、
彫刻の様な身体が向き出しになっている。自分で言い出した事だけどこの美しい身体に傷痕を残すのは、新雪を踏み荒らすようなドキドキ感がある。
 理性なんか全部かなぐり捨てて、はしたなく齧り付いてしまいたい気持ちを抑える。息を吸って、吐いて、一呼吸。大きく口を開けて、ゆっくりと牙を立てた。

「ん……」
「う、っ」

 ぷつりと牙が肌を貫いて、口の中に鉄の味が広がる。うなじから口を離すと血の滲んだ私の歯型があった。

「えへ……私の……♡」
「綺麗に付いた?」
「うん。治るの遅いといいなぁ」

 とは言っても、私の咬合力じゃ深い傷になっていないから一、二週間もすれば完治してしまうだろう。それなりに力を込めたつもりだったけど、傑くんの筋肉の前には無力だった。

「治りそうになったらまた噛めばいいだけの話だよ」
「いいの?」
「可愛い番が付けてくれたものだからね。ずっと残っていて欲しいんだよ」

 そう言って笑う傑くんはくらくらしちゃう程に魅力的で……。やっぱり私はまだ夢を見てるんじゃないかって、ちょっと思ってしまうのだ。

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