消えていく鍵の在処





 家とは帰るべき場所のことである。
 そうすることがどうしようもなく辛くとも、悲しくとも、苦痛でしかなくとも、それでもそこは帰るべき場所で、帰らざるいられないのだ。
 一歩進む事に足が重たくて、引きずるようになりながら、気持ちが何処かに置いていかれながら、それでも帰るのだ。
 帰るしかそれには方法がない。
 それ以外の方法を取ることは多分一生ないのだろう。己の命が枯れるまで家に帰り続ける。それが何のためにとか、そこに何があるのかとか、何を失っていくのかとか、そんなこともう何も気にせずに。
 何をしていいのかも、何をしたいのかも忘れて。ただそこに帰り続けるのだろう。
 それが、それだけがおのれにできるただ一つのことなのだと信じて。そこに帰り続ける。
 帰りたくないというそれ自身の思いを封じて。
 そんなことかけらも思っていないような雰囲気でずっとずっと帰り続ける。
 帰ることだけがそれにでいるただ一つのこと。
 帰り続けた先にあるのは幸せとは遠い日常だとしても、元には決して戻れないとしても。それは何かを求め続けて帰る。
 義務なのかもしれないし、ただのそれの自己勝手なのかもしれない。
 それでも、それでもそれには帰るしか方法がないのだ。
 それにより破滅がおのれに待っているとして。
 でも、それはその訪れる破滅を待っているのかもしれない。
 いつか、いつか、いつか、いつか、いつか
 帰るべき場所が帰れざる場所になるときよ。


 家とは変えるべき場所である。

2

蓮に明石海里が話し掛けてきてから一日目。
教室は今までと違う騒がしさに包まれていた。いつもなら蓮のまわりに集まる人も今日ばかりは海里、委員長に集まる。何故なら彼女の左ほほに大きな湿布が張られているのだ。仲間思いなクラス。それも怪我しているのがおおよそ喧嘩とかする質でないものなら心配するのも当たり前だった。
「委員長! どうしたのそれ!」
「怪我! 怪我したの!」
「どうして! 誰かにやられた。仕返しに行くよ」
「どうしたの!」
 大袈裟なまでに騒ぐ人びとに海里はいつもと変わらぬ笑みを浮かべる。そんなに痛くないとわざとらしく触ってみたりしながら安心させようと声を出す
「大丈夫。そんなに慌てないで。昨日ちょっと猫に引っ掻かれちゃったんだ」
「猫!」
「そう。だから大丈夫だよ」
 朗らかに笑うその顔にみんながホッとしたように息を吐いた。
「そっか、良かった」
「痛かったら言ってね」
「うん」
頷く海里。蓮はその中でいつもと変わらず本を読んでいた。ただその視線が少しだけ人々の中心のなかに移り、顔が歪んでしまう。痛ましいと思うほどに大きな湿布は自然と目に入り……。
(何を考えているんだ、俺は。なにも関係ないそうだろう? 関わるな。何時ものように何も感じないで。何が起きても俺にはかかわり合いがないんだ)

3

 本を読んでいたいつものように。公園のベンチに座りただただ本を読む作業に蓮は没頭していた。その前に立つ気配に気付いてもそれを止めることはなかったし、自分には関係ないことだと思っていた。だが、その気配は隣に座るのが分かるとさすがにそうは言ってられなくなる。誰がそんな真似をと覗き見た蓮はすぐさま己のその行動を後悔することになった。隣に座ってきたのは知っている少女。明石海里だった。
渋面になる蓮に対して海里は朗らかに笑う。
「そんな顔しないでよ。蓮君。お話しましょ」
海里はそう言うが蓮は何も言葉を返さなかった。それにもめげずに言葉を続けてくる。最初からそうされるのがわかっているかのような態度だった。蓮は何事かを話したてる海里の声には一切耳を貸さず、本を読む作業にだけ集中する。それは学校で行われている行為とほぼ代わりがないが、だけど一人を相手にしていると言うところで重たい行為になっていた。
罪悪感が沸くわけではない。だけど、このあとこの事を男にまたとやかく言われるのだろうと思うと気が重かった。男に何かと干渉されることにはもうなれているが、最近の男は少しずつおかしくなっていていて蓮の恐怖の対象である。
いつも通りで居てくれたらいいのだがと本を読みながら考えた。隣の海里のことなど欠片も気にはしなかった

4


また次の日。蓮は公園で本を読んではいるが、昨日とは違う公園だった。それなのに昨日と同じように人の気配がして隣にはまた明石海里が座っている。この時、蓮は自分の活動範囲が調べられているのだということに気付いた。
自然と眉間に皺が寄っていく。ただでさえ今日の蓮は昨日のあるけんにより機嫌が悪かった。何かあったわけではないけれど、反対に何もなかったけどそのお陰で気分は最悪だった。
海里が何やらを話しかけてくる。もちろん蓮は無視する。だけど今日は平常ではいられないだけの理由があった。他愛ない話を話しかけてくる声に我慢ならなかった。
「黙って」
初めて蓮はそうやって声にした。海里がそれを嬉しそうに見る。
「黙らないよ。君が私たちと友達になってくれるまで」
身勝手な言いように頭にちが上る。
「なにそれ。バカなの」
「違う。ただ仲良くしたいの」
「ふざけるな。俺にはそんなことできない。求めるな」
「それでも」
「黙って」
何かをいい募ろうとする声を遮り、蓮は海里を睨み付けた。
「じゃないと、あんたがみんなに隠したいことバラすよ」
低い声で蓮は告げた。海里の目が瞬く。なんのことか分からないと言いたげなその様子に彼は薄く笑って見せた。
「左ほほの怪我」
ハッと海里の顔が驚愕に歪む。何を言われるのか分かったような様子と怯えるような仕草に蓮は無表情ながらも勝ちを悟った。
「その怪我、猫に引っ掛かれてていっていたけど違うでしょ」
「何で」
「何で分かったかって? あんたバカ。湿布は引っ掻き傷には貼らないよ。余計に痛いだろ」
しまったというばかりに海里の顔が歪む。そして、これから何を言われるのか恐怖するように伺っている。
「湿布を貼るのは大抵何か腫れているとき。つまりあんたの怪我はそういう怪我。しかもわざわざ嘘ついて隠すってことは日住生活ではつき得ない怪我な訳だ。それて」
淡々、さらに怯え言葉をなくしていく海里の前で語りながら、蓮は不意に言葉を詰まらせた。この先を言うのが恐くなった。
(何をしているおれは。何に関わろうとしている)
秘密の中には闇がある。人の闇になど関わるとろくなことがないことを蓮は知っている。一歩でも関わるものではないと蓮は思っている。ただでさえ蓮は抜け出せなくなる質なのだから。
引き返せと冷静な部分が告げる。
だけど、これ以上関わられたくないと思う部分が口を滑らせる。関わりにいくのは自分になるとわかりながら。
「誰かに殴られた後とか。そういう怪我じゃないの」
口から出ていた言葉。
項垂れる海里。
冷や汗をかく蓮。
「そこまでバレチャウか」
「やっぱりそうなんだ。なんで殴られたとか興味ないけど知られたくないなら、これからは俺にかかわらないで。関わったらバラすからね」
項垂れたまま海里はなにも言わない。そのうちに蓮は立ち上がって帰ろうとしていた。不用意に残ってこれ以上関わるようなことにはなりたくなかったから。
早足で公園の外を向かう。その途中海里が呼び止めた。振り替えることも止まることもしない背に声がかけられた。
「分かった。だけどこれだけは言わせて。蓮君って優しいのね」
かけられた言葉に彼は足を止めそうになる。だけどなんとか動かしてその場から立ち去った。

5

「ただい……」
家に帰りついた蓮の目が剣呑に潜められた。習性のようにした挨拶は途中で終わり、急ぎ靴を脱ぐと急くようにリビングへと向かう。開けた扉空すぐの場所に見える男の姿に底辺を這っていた機嫌はさらに下がる事となった。
「お帰り」
「……なんでここにいる」
「いちゃダメなの」
「いいや。だけどなんで、出てこなかった」
平坦な声で語る蓮はだけど怒りがにじりでていた。男を見つめる目は苛烈な怒りをひめる。それに対して男は薄く笑うだけだ。今になるとこの笑顔の意味もわからなくなってしまう。
「だってそんな理由ないでしょ」
「いつもは出てくる」
「そうだけ」
「そうだよ。それがどうして」
「まあ、いいじゃない。そんなこと。それとも君は僕に苦しめて欲しかったの」
「違うけど……」
「なら、もういいでしょ。この話は終わり。いつまでも君一人に構えるほど僕の心は一途でもないし、暇でもないの」
男の声はどうでもいいと訴えるようなものだった。蓮の目が驚きに見開く。何かを言わなくてはと思う間にも男は消えてしまっている。
残ったのは怯える蓮だけだった。

6

 誰かが笑ってくれる光景が、ただそれだけが幸せだと思った。
 本当にそれだけが……。
幸せだと。



 その人は本を読んでいた。必死に頭から他の雑音をかき消すように本を読んでいた。ずっとすっと読んでいた。
 けたたましい音が響いた。その人は顔を上げる
 やっと終わる。
 身体中から力が抜ける。
 無感動に立ち上がっては布団の中に入り込む。最初から決められた動作を行うように迷いはなかった。機械のようになめらかに動いた。
 目を瞑り。一、二と数える。
 やってくる眠気にその人は安堵した。やっとやっと終わると。このまま、明日なぞこなければいいと。

 不意にその人の心は冷めた。自然と思ってしまった一言が確かな重みを持ってその人に襲いかかる。

 どろりとした感触がその人を飲み込んだ。
「スキ、ミツケタ」
 気持ち悪い声。くすくすと響く君の悪い笑い声が。その人のすぐ傍でする。
「明日、イラナイナラ眠レバイイ。ソシタラ、明日ハコナイ」
 声が告げる言葉に身体から力が抜けていく。そうしてしまえと体と何処かで思う。闇の中に思考は融けていく。だけど、ふっと人影が見えて、やるべきことを思い出した。
その人は嫌だと口にした。まだ、嫌だと。
 くすくすと誰かが笑う。
「マダクレナイ。ナラ、全部壊シテヤル」
「あ、」
 小さな声。笑い声。
 声が消えていく。

7

 ざわりと何かが動いた。
 真夜中の尾神邸。そこの主人、尾神蓮の部屋の中であった。その闇の中でぞわりと何かが動いた。
「誰?」
 眠っていた蓮が気配に気付き、静かに呼びかけた。答える声はない。布団の中、横になったまま目線だけを辺りに動かす。部屋の中には誰もいない。でも、誰かがいるのが蓮には分かった。
「誰」
 もう一度だけ闇の問う。
 蓮は布団の中から起きあがり、床に足をつける。
「でてこないの。それならそれで良いけど」
 誰もいない部屋の中に、だけど何かがいる。触りと蠢くそれはただの闇だった
 ただの、闇。
 ざわりと闇が蠢いている。
「何なの」
 戸惑う蓮に闇が笑う。
(オイシソウダ)
 闇が笑って蓮を見る。ぞくりと冷めた固まりが背筋を走る。
 戦闘態勢にすぐさま走った。
 だが、それよりも闇の動きは早かった。闇はもうすでに蓮の前に広がっている。目を見張る蓮。闇が笑う気配がした。部屋一面に闇が満ち、蓮を覆い隠そうとしていく。動こうと力を込めるが体は何故か動かない。
 睨み付ける蓮に闇が笑う。
(喰ウゾ)
 笑う。覆い隠され、溺れていく。
「離せ」
 蓮が呟いた。その声と共に軽やかな鈴の音が響いた。闇が引いていく。
(何ダ)
 にゃぁん
 猫の鳴き声が聞こえる。蓮の眼には闇の中に立つ二本の尾を持つ黒猫がいた。
猫がなく。
広がる闇が消えていく。闇が悔しそうに呻いた。
『消えろ』
 猫が言う。ひそうと笑う。
(喰ウゾ。喰ウゾ。必ズオ前ヲ喰ウゾ)
 闇は蓮に向けて言い放ちながら消えていた。
 部屋の中、静寂が支配した。

『大丈夫じゃったか、尾神蓮殿』
 猫が聞いてくるのに蓮はいぬくようにして距離を取った。二つの尾を持つ猫は何処か公園で蓮を見ていた猫ににていた。瞳のいろも同じだ。
「あんたは一体。何故俺の名前を知っている。何処から入ってきた。なぜ、助けた。それにあれはなんだ」
『質問が多いの。しようがない答えてやるか。妾は通りすがりのただの猫又。お主様の名を知っているのは約束のため。妾は何処からでもどんな場所でも入ることが出来るのじゃよ助けたのはこの様なところで死なれたら困るからじゃの。約束を果たしてもらわねば。最後にあれは、闇じゃ』
「やくそく? 闇?」
蓮には猫のいう言葉が分からなかった。猫と何かを約束したような記憶はない。ぎもんに答える様子を見せず、猫はもう一つの疑問だけを答えた。
『闇が意志を持ったもの。闇から産まれ、闇から育つ、闇の塊。人間が闇から産み落とす、闇じゃ』
「人間が」
 ポツリと零す蓮に、猫が尾をゆらし笑う。
『知りたいか。あれを産んだものを』
「別に。それよりもう遅い。俺は寝る」
『そうか。ではの。妾も去るとするか』
 部屋から出て行た猫。蓮は静かに壁にもたれかった。

自らに触れた闇は喰いたいという欲望の他に、小さな零れるような声を残していていた。
 その声は闇の者なのか、それとも、闇を作った人の願いなのか。蓮には分からぬ。
ただ、聞こえた。




誰か、と言う呼び声が。
助けて、と縋る声が。


確かに闇と触れた場所から入り込んできた。


その声に目を閉じる。関わるのは止めるのだと
だけど……







「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -