桜の花びら三六枚
「───江戸に潜入する?」
「……はい。」
この本丸の主である和真の部屋に訪れた紬と加州の二振が、彼の目の前で跪座していた。あまりにも真剣な顔で頷いた紬をみて、小さく溜息を吐く。 近侍の獅子王にも席を外してもらって話す内容なんてたった1つしかないとすぐに察したが、まさか出陣から帰って手入れが終わるなり紬が「油小路事件の日へ行きたい」と言い出したのは正直かなり驚いた。 その内容は同行してきた加州にも既に伝わっていたようで、複雑そうな表情で彼女の話を静かに聞いているだけだ。
「(……やれやれ。せっかく仲直りして一安心したと思ったら今度は……ついてねぇな)」
紬の前にばかり現れる正体不明の時間遡行軍が彼女本人だったという報告は特に驚くべき内容ではなかった。上総介兼重の可能性として1番大きかったのだから「やっぱりそうだったか」程度で処理できた。それを見越して和真が考えていたのは更にその先のことで、それの目的と、自分の本丸の刀剣が未来で闇落ちして遡行軍になってしまった原因をどうみつけるかについてだった。 そんな時に彼女からの提案。単独で江戸───正確に言えば池田屋事件後から潜入して、藤堂周辺を見張り原因を探りたいという申し出。 和真と紬が考えていることはほとんど一致していた。しかしだ。
「結論から言うと、許可は出来ない」
「……なぜですか?」
「どう考えても不安要素が多すぎるからだ」
今回の出陣のことは一足先に帰還した長曽祢から報告済みだ。藤堂平助に化けた遡行軍がいたとも聞いた。状況が状況ゆえに仕方がなかったとは言え本人と彼女が接触したとも聞いている。それだけではない。初陣ではイレギュラーで多くの検非違使が出現した。手入れだってしても治らない時があった。それなのに単独で潜入。未来で墜ちた彼女が何を目的としているのか分からないのに、簡単に許可が出せるわけがない。 和真はきっぱりと言い切ったが、紬も引く気はないようだった。
「それでも私にしか分からないことがきっとある筈です。私が行かなければ意味がない」
「だから不安要素を減らす案も出せって言ってるんだよ。……お前は確実に藤堂平助を『歴史通り』に導くことが出来るのか?今回は幸い生かすための任務だったけど、その逆だって当然あるんだぞ」
「…………。」
もしも彼が歴史通りに死ななければ、彼女の手でそれを阻止しなければいけない可能性も出てくるということだ。所説に逃がせば何とかなるのではないかなんて甘ったれた答えでは尚更主として許可なんて出すことはできない。 果たしてそれが紬に出来るのだろうか。───なんて、それは考えるまでもない。答えは否だ。彼女は藤堂を殺すことなんて出来ない。だから不安なんだ。 墜ちた理由や目的を探しに言った矢先で、その原因にぶち当たってしまう可能性だってないわけじゃない。ミイラ取りがミイラになるかもしれないのに単独で行かせられるわけないだろう。
「……主サマ。だからきよにも一緒に来てもらったんです」
「……ん?清光?」
加州を見れば、彼はしっかりと頷いた。
「私には平助くんは殺せない。それは自分だってはっきりと分かってる。……だから、私が駄目になりそうなときは私を折ってほしい。平助くんが歴史の道から逸れてしまうなら彼を史実通りに逝かせて欲しいって……きよに頼んだんです」
……そうならないのが1番なんだけど、と小さく呟いた加州の声は和真には聞こえていなかったかもしれない。紬の言葉に目を見開いた彼は、さすがにそんな返答が来るとは思ってなかったのか深い溜息を吐いた。
「……主サマ。私はもっと強くなりたい。大切な人たちをこの手で守れるように。……未来の私が何を思ってそうなったのかきちんと知って、ああなる未来を防ぎたい。まだこの本丸にいたいから」
だから、お願いします。頭を深く下げた紬は、そのまま主の返答を待つ。再び大きな溜息が聞こえたかと思うと「顔上げろ」という声が頭上に振ってきた。
「……単独じゃなかったのか?」
「……いえ、基本的には単独で、油小路事件の数日前から落ち合う予定です」
「じゃあそこに定期報告も入れろ。清光に様子を見に行ってもらう。それと新撰組には近づきすぎないこと。きっかけが油小路事件じゃない可能性だってある。何かあったら単独行動せずにまず知らせろ。できるか?」
「……はい」
「清光もそれで頼めるか?」
「もちろん。紬のことは俺がきちんと見とくから任せて」
「…………仕方ないな、」
許可するよ。そう頷けば紬はありがとうございますともう一度頭を下げた。 正直に言うと、政府にも大っぴらに相談できないしだいぶ手詰まり状態だったのは確かだ。
「とりあえずこれは極秘任務っつーことにしとく。……それと出発はもうちょっと待ってくれ。蓬さんに頼みたいことがある」
「蓬に……?何を……」
「男士はともかくお前は女士だろ?」
「あー確かに。女が刀もって江戸の街に潜入なんて普通にできっこないよな。確実に輩に目をつけられるのがオチじゃん」
「そういうことだ。……とにかく『現世出陣』の時に使うアイテム申請したい」
現世出陣。現代遠征や現世遠征とは違うのだろうか。初めて聞く単語に更に首を傾げると、それを察した和真は「とりあえず楽に座れ」と言い放ったあと説明をしてくれた。 通常は刀のある時代に行っての戦が多い。歴史に残る大きな戦争ほど未来に大きく影響するから、ほとんどの本丸の出陣先は幕末までに重きを置いて出陣をしているのだ。もちろん和真の本丸も、妹である和音の本丸もその内に入っている。 けれど近代───刀や銃が禁止された世界にだって歴史が変わる分岐点と言うものが存在する。それを狙う歴史修正主義者の阻止するのもまた刀剣男士の仕事というわけだ。 しかし今説明したように、刀や銃を持つことを禁止されている場所でどう戦うのか。
「でも現世出陣ってのは普通の出陣とは違ってな、選ばれた審神者の本丸だけしかできないんだよ。」
「一定の基準を超えた霊力量に加えて操作性が高くないとダメなんだっけ。」
「基準としてはそうだな」
更に言えば都会なんて人がごった返しだ。いい意味で言えば紛れ込めるが、悪い意味で言えばどこにでも目があるということ。ちょっとの騒ぎで見つかるし、何ならメディアに取り上げられる可能性だってある。だから交戦も被害を決して出さないように、水面下で確実に遂行しなければならない。
「あと現世出陣は審神者も同行する場合がある」
「……和さんみたいな戦闘系審神者と言うことですか?」
「似てはいるがちょっと違う。戦闘系審神者は霊力量と身体能力の高さに重点を置いてるからな」
ちなみに『現世』は審神者の生きている時間軸の世界のことを表しているため戦闘系審神者にとって一番厄介な制約である『時間圧』は関係なくなってくる。それに、身体能力が低くても霊力でカバーできるのなら問題はないということらしい。
「あとは『現世』で顕現できる男士に限りがあるとかそんなだな……はっきりとした基準は公表されてないから分からない」
「……で。要するに、刀が持てない場所で隠密に動くために便利なアイテムがあるから、それを蓬に使えないか頼んでみる、と言うことですね」
「そうそう。そーゆーこと」
「ねえ主。ついでに紬の定期健診早めてもらったら?どうせなら万全な状態で行ってくれた方がこっちも安心だし」
「ああ……確かにな。相談してみる。」
だからもう少し本丸でのんびり準備しててくれ、と言う言葉に彼女たちが同意してこの話は幕を閉じた。 勝手知ったる場所だからこそ、色々な雑念が入り混じるというもの。やっぱり不安は残るが、だからと言って何もさせないわけにはいかないし、拒否したところで彼女がそれを素直に受け入れる選択肢は100%ないだろう。 手入れで霊力使って疲れてるのにごめんね主、と立ち上がる加州に続くように紬も立ち上がった。長話するのはあまり良くはないだろう。
「いや、まあ……こればっかりは仕方ないよな。重傷者もいなかったし、蓄霊機使ってなんとかなったけど」
部屋を出たところで「今日はゆっくり休んでください」と振り返った紬に和真は素直に礼を言う。心配そうに部屋の外から様子を窺っている加州に「大丈夫だって。寝たら戻るから」と困った表情を見せた和真は、やはり少しだけ顔色が悪いように感じられた。だがそれを隠すように彼は笑う。
「……にしても幕末かー。俺もちょっと行ってみてぇな〜」
「え、なんで?」
「何でってそりゃあ俺の可愛い妹の前世拝みたいからに───」
「もう寝てください。」
盛大な溜息を零す代わりに、勢いよく扉を閉めた紬だった。
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