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「七瀬ななこです。よろしくお願い致します」
彼に初めて会ったときのこと。こちらを見下ろす鋭い目つきに思わず体を強張らせてしまった、次の瞬間だった。そんな切れ長で涼しげな目をこれでもかと見開いていたのは。
でも、そうなったのはほんの数秒のことで、すぐに元の表情に戻る。
「土方、十四郎だ」
今度が自分が目を見開く番だった。怖いと感じてしまった目を細めて、優しげに見つめられたからだ。そして目が逸らされた頃にふと思う。なんだか泣きそうに笑う人だなあ、と。
わたしはこの春から、真選組屯所の女中として働き始めた。お母さんみたいで温かい先輩のお女中さんと、優しい隊士のみなさんのおかげでその空気にすぐに馴染めたように思う。
仕事内容を覚えながら慌ただしく、バタバタとした毎日を過ごすうち、その人は急にわたしの時間の中に入ってきた。
「甘ェもん、好きなのか」
休憩中に縁側で団子を頬張っていたら頭上から声がかかった。見上げると副長さんが煙草をくゆらせながら立っていた。
頷いて返事をすると「そうか」呟くように言って、すぐに背中を向けられる。なんだったんだろう。疑問に思うも聞き返す相手はもういない。
すると次の日から、こちらの空いた時間を見計らうように、差し入れと称して甘味片手にふらりとやってくるようになった。
当の本人は甘いものがあまり好きではないらしく、少し口に入れても眉間にシワを寄せていた。ーーーならばどうして? また疑問が首をもたげたが、こちとらいい齢の女だ。期待に胸が膨らみ、あえて追求することはしなかった。
せっかく頂いたのだからと遠慮なく頬張っていると、いつも、とても柔らかい表情を浮かべて見られている。
弾むというほどではなかったけど、一緒にいればそれなりに会話をし、いくつか当たり障りのない質問を受けた。年齢や身長、好きな色、好きな食べ物…など。答えていくと嬉しそうに、小さく笑う。だけど最後は決まって、最初に見たあの切なさの浮かぶ顔で頷く。それを見、なんとも言えない気持ちになりながら彼との時間を重ねる。
副長さんと時間を重ねる機会のうちのひとつに、お風呂を頂いたあと縁側で煙草をふかす彼と遭遇することがあった。その表情は決まって浮かないもの。真っ黒な隊服に身を包み、同じく真っ黒な髪をした彼は闇に溶けていきそうだと感じた。
こちらに気が付くといつも声をかけてくれる。それは決まって煙草の火を消してからだった。彼は常に優しさに満ちている。みんなが言うような、鬼の副長なんて言葉は全然似合わない。
「風呂上がりか」
「はい、いいお湯でした」
「湯冷めしねえようにな。風邪ひいちまうぞ」
「ふふ。心配性ですね、副長さんは」
「そんなんじゃねえよ」
笑って見せると、副長さんも小さく笑みを返してくれた。
そうして、わたしの日常を彩る副長さんは真選組の偉い人という印象から優しい人、…いつしか、ひとりの男の人として意識するまでになった。
「あんたにひとつ、言わなきゃならねえことがあるんでィ」
ある日、沖田隊長に呼び出された。手は空いていたので、振り返ることのない背中についていく。
ようやくこちらを向く頃には、ずいぶんと重々しい雰囲気を携えていた。恐る恐る、といったふうに口を開くのに、何を言われるのだろうとこちらが変な汗をかいてしまう。
「俺には姉がいたんでさァ…今はもう亡くなりやしたが」
雰囲気に負けず劣らず重たい内容に、どうして一介の女中にそんなことを言うのだろうと疑問に思う。ましてやこの人とそんなに関わりはない。だけど口を挟む間も無く、言葉が続けられてしまう。
「俺の姉ちゃんと土方さんは思い合っていたんでィ。お互いの思いは交差することなく、体の弱かったあの人はアイツへの気持ちを抱えたまま天国へ行っちまった」
ガン! と頭を打たれたような衝撃が走った。
あの人ほどの容姿だったなら色恋のひとつやふたつあるだろう。だけど考えないようにしていた現実を実際に耳にしてしまったらズキリと胸が痛んだ。弱い自分に情けなさを感じ、苦笑する。
ふと隊長の顔を見上げると、その顔つきをどこかで見たことがある気がした。切なげで泣きそうな…だけれどどこか嬉しそうなそんな表情。
「ななこさん、…あんたは俺の姉ちゃんによく似てる。特にその笑った顔が、泣きたくなるぐらい似ているんでさァ」
世界が暗転したかと錯覚した。
どうやって会話を終えたのか、自室へ戻ったのかさえもよく覚えていない。ふと横のガラスに映った自分の顔を見つめる。この顔を見て彼は、いや彼らは一体どちらと話していたのだろう。
すべてに合点がいった。ああ、なるほど、と思う頃には床にへたりこんでしまっていた。
鈍い痛みが走る左胸をぎゅっと押さえる。涙が溢れるのを止められなかった。透明な雫が筋を作って頬を伝い落ちる。この気持ちがこの雫に溶けて全て流れ出せばいい。こんな気持ち、二度と感じないように。彼に会ったとき、何食わぬ顔で笑っていられるように。
そこまで考えて、彼の想い人によく似たこの顔で苦笑した。
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