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「いやあ、だからさ、わかる? わたし今から仕事なんだよね。超大事な会議なの。下手すりゃ命の次ぐらいにセレクトできそうな大きな案件抱えてんの。会社の存亡はわたしにかかってんの」
「知るか」
「ならシネ」
「死にてえのはテメーのほうだろ」

 痣ができそうなほど強くわたしの手首を掴んで、これまた本当に命取られそうなほど鋭く、その隻眼で睨みつけてくるこの男……高杉晋助とわたしの関係を言い表すとすれば、”同郷”という言葉がぴったりだろう。
 幼少期を過ごしたその場所で、わたしは松陽先生が開いていた松下村塾に通っていた。わたしは座学だけを学びに行っていたが、松陽先生は剣術にも長けていて男の子の塾生にはそれらも教えていたようだった。
 そこに傷だらけで入門してきたのが晋助だった。銀時に負けている姿を何度も見かけたけど、いつも怖い顔をしていて、同じような年の男の子には思えなかった。それがいつしか屈託なく笑うようになって、銀時や小太郎、竜馬と一緒にいるのをよく見かけるようになった。

 わたしは彼らと特別、接点はなかった。男女差もあっただろうし、別に親しくなりたいと感じていたわけでもなかった。
 父様に連れて行かれた相手様の家で粗相をしてしまい、こっぴどく叱られたあの日までは。

 母様はわたしを庇ってくれたけど、父様が”そうやって甘やかすからこうなるんだ”と一言、ぴしゃりと言い放っては閉口している姿があった。
 わたしだけではなく母様まで叱られている。幼心にそう感じたら、自分だけが叱責されているよりも辛い気持ちになって、家にいるのが嫌になって飛び出した。

 ぐすぐす鼻を鳴らしながら歩いていたら、気が付くと松下村塾の塾舎近くに来てしまっていた。知り合いに見られたら堪らないと踵を返したら、なんとそこに晋助がいたのだ。
 そのときは晋助なんて親しく呼ぶような間柄ではなく、高杉くんだか晋助くんだか呟いたような気がする。

「なに泣いてんだ」

 晋助がそう聞いた。

「泣いてない」

 わたしは確か、可愛げもなく否定したはずだ。そんなこちらを笑うでもなく茶化すでもなく、真面目な顔でしばらく見つめてきた晋助は、懐から手ぬぐいを差し出してきた。

「使えよ」
「それ、きれいなの?」
「なんだと」

 明らかに真っ白で、汗のひと粒も拭いたように思えない布だったけど、父様に叱られてヤケになっていたわたしは向けられた優しさに嫌味を添えて突き返した。
 ぴくりと眉を潜め、口元を歪めた晋助に、わたしは罵られるか無視されるだろうと予想した。だけどそれは反した。晋助はわたしの手に手ぬぐいを握らせたのだ。

「俺もここに来て、こうするのが優しさで、それを向けられることの嬉しさを、自分の居場所がある喜びを知ったんだ。……だから分けてやる」

 彼は自分の感情に支配されることなくわたしを説き伏せて、こちらにあっさりと背を向けた。ぽかんとして受け取ったものを握り締めていたが、ぽろりと溢れたひと粒が頬を伝った途端、その場にしゃがみ込んで泣きじゃくった。
 相手の土俵に下りず、強さを見せつけられた瞬間だった。その次の日、わたしは母様に説明してきれいにしてもらった手ぬぐいを懐に、晋助を呼び止めた。

「これ、ありがとう。……もう恩を仇で返さないから」
「……どうだか」

 そのときに浮かんだ笑みは、いつぞや見た屈託のないものではなかった。照れたようにはにかんで、目が合わないものだったけど、わたしも同じものを返してしまった。
 きっとそれからだと思う。晋助が特別になったのは。

 

「仕事と俺と、どっちが大事だ」
「なにそれどこの恋愛ドラマ。しかも女が面倒くさいパターンじゃん。晋助、男じゃん。えっ? ちがったっけ?」
「論点をずらすな」
「ずらしたくなるような言葉ぶん投げてくんのはどこのどいつよ」
「謝りゃあ出て行かねえか」
「やめてえええ謝るとかわたしが悪いみたいじゃん! なすりつけないでよ汚い」

 それがまさか再会を経てこんな関係になろうとは、誰が予想しただろう。

 近くも遠くもならない距離を保ったまま、晋助が少年から青年になっていくのをただ見守った。
 自分も同じように年を取り、相応に成長した頃に見合いの話がきたが全く気乗りしない。そのせいか先方からよく断られており、わたしはまた父様になじられるようになった。
 口先では謝って見せる。だけどなじられようが何されようが、わたしは誰かの物になりたくなかった。自分の気持ちを向ける気にもならない相手の妻になど誰がなるものか。そう思っていた矢先、我らが師、松陽先生が捕縛された。
 戦災孤児やわたしのような武家の子どもを集め、教育を施していただけなのに、その行動が危険因子であると幕府に見なされたためらしい。
 悲しかった。きっと、あの松下村塾に居場所を見つけていた晋助は特にだろう。彼は入門した頃の怖い顔に戻っていった。そうして、他の門下生たちと攘夷活動を再興させ、戦地へと向かうことに決まってしまった。
 それを引き止めることなど出来るわけもない。わたしは晋助に特別な気持ちを、一方的に抱いていたけど、ふたりの間の距離はちっとも縮まっていない。
 だからわたしはその前日に晋助を呼び止めた。

「使ってよ」

 真っ白な手ぬぐいを差し出して、目が潤みそうになるのを堪える。

「……何を分けてくれるつもりだよ」
「ううん、何もあげない。だから返しに来て」

 晋助は一瞬目を見開いたように思う。だけどそれをすぐに細めて、小さな笑みを浮かべた。はにかむようなものにずいぶん昔の面影を見たような気がした。

「こんな枷を付けられるとは」
「そんなこと思ってないくせに」
「……確かに、あの人を救えるなら俺自身はどうなってもいいと思ってる」
「きっと周りはそうは思ってないよ」
「お前もか?」
「そりゃあ……だから渡しに来たんだけど」
「何故そう思う? 特に接点もねェような相手に」

 淡々と会話が続く。実を言うとこんなにも面と向かって会話したのは初めてだ。それが、命の灯火を消してしまっても構わないという宣言を聞く機会になるとは思いもしなかったけれど。

「わたしにはあるよ」
「へェ」
「高杉くんに手ぬぐいと優しさをわけてもらったあの日、わたしは卑屈にならずに済んだ。人の気持ちを素直に受け取る方法を教えてもらった」
「……そういや、そんなこともあったな」

 空を仰いだ晋助は、そのときに一体何を思ったのだろう。それを聞きたく思ったし、聞きたくないなとも思った。勘の良いは男だったなら、これが遠回しの告白であることに気付いたかもしれない。だから、じゃあね、と会話を終わらせて彼に背を向けた。
 あの時とはまるで正反対だな、と思ったあと、自分の頬を熱い液体が一筋伝ったのには知らないフリをした。

 そして時間だけが経過する。その間に松陽先生の訃報だけが耳に届いた。
 彼は、何をしているんだろう。目的を失ったことだけは間接的に知っている。その命に灯火をつける役目が散り、あなたは一体どういう選択をしたんですか? 答えのない問いは、一枚の紙切れで明らかになった。ーーー指名手配犯なんて、あんな屈託なく笑うあなたに似合わないように思ったし、最後に見た怖い顔をするなら皮肉にもふさわしいのかもしれないとも感じた。

 その後、ある日の紙面で、晋助が江戸で大規模なテロを起こしたという文言を見つけた。それをしばらく眺め、感じたのは悲しみや怒りなどではなく、ここに行けば彼に会えるかもしれないという前向きなものだった。
 晋助を止めたいとか力になりたいとかそんな野望なんかなくて、ただひとつ、彼をひと目見たい。照れたようにはにかむ晋助が生きているんだという確証を自分で得たかった。
 わたしは父様に文字通り頭を下げて、むしろ畳に額をこすり付けて懇願した。自分を江戸に行かせてほしいと。父様は思っていたよりあっさりとこちらの願いを聞き入れた。
 きっと良い家柄との繋がりにもならないわたしに見切りをつけたのだろうなと察することができたのは、わりとすぐだった。

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