わたしの名前は七瀬ななこ。
 仕事先は、暴力集団と新聞テレビに引っ張りだこな武装警察真選組。でも隊士のように刀を振り回すような危なっかしいことじゃなくて、炊事や洗濯、掃除、エトセトラ。つまり戦闘員の身の回りの世話をするお女中さんだ。
 男だらけの屋敷で、毎日なにかしらのハプニングに見舞われながら過ごす日々は良くも悪くもとても充実している。

 そのハプニングを起こしてくれるのは主に3人だ。

 まず1人目、この集団の中で局長を務める近藤さん。年下の女性に熱を上げ、毎日執拗に尾け回しているらしい。端的に説明するとストーカーだ。しかも重度の。
 それだけならわたしを含む女中の皆に直接被害はないのだが…。意中の女性はなかなかお強い方(力的な意味で)らしく、意気揚々と彼女に会いに行った午後には顔を真っ赤に、むしろ真紫に腫らした局長が屯所内で呻いている。
 それだけで一種のホラーなのだが、問題はそのボロ雑巾のようになったゴリラを介抱することが女中の仕事に回される、ということだ。

 彼の意識が定かでない為、介抱しているとわたしたちをお相手の女性と間違うらしく「お妙さぁん! 貴方はなんて素敵な女性なんだァァア! 介抱してくれるなんて! うぉぉぉん!!」とお尻を撫でながら抱き付いてくる。
 第一被害者は同僚のさくらさん(最近、花言葉にハマっているらしい)で、その場面をたまたま目撃したが阿鼻叫喚の地獄画図だった。これはもうホラーどころではなく嫌悪しか感じないので、女中から局長の受けは悪い。
 彼がルンルンで外出する後ろ姿を見るとわたしたちの士気は下がり、お相手の女性に心の底から同情するのである。


 2人目は一番隊隊長、沖田さん。
 涼しい顔してバズーカをぶっ放し、屯所内を所構わず爆破していくので素直に身の危険を感じる。局長が精神的不快なら彼は身体的不快だ。いや不快どころではない、恐怖、その一言に尽きる。
 そのバイオレンスさのせいで、ターゲットにされた人が髪の毛を焦がしアフロヘアーになっているのを何度も目撃している。どうして死なないのかが本当に謎だ。この屯所の7不思議のひとつとして謳いたいぐらいだ。しかし、そのバズーカ砲はターゲットにされそうな人に近付かなければいい話なので回避は容易い。
 真の問題は彼の野心にある。

 沖田隊長は常々から局長の隣に立つのは自分だと豪語しており、その位に就くためには手段を選ばない。真っ向から向かって行くなら男と男の戦いなりなんなり聞こえよく形容できるのだが、沖田隊長が選ぶのはまさかの黒魔術。夜な夜な中庭の大木に藁人形を押さえつけ、五寸釘を打ち付けるのだ。
 そういうリアルホラー関係は本当にやめてほしい。どうしても夜中に厠に行きたくなったときに"コーンコーン"と規則的な音が屯所内に響いているのは、冗談抜きでちびりそうになる。ちびったことはないけれど。


 そして3人目。土方十四郎さん。
 この真選組の副長、そして頭脳とも比喩される。頭は切れるし見た目もピカイチ。かなりのヘビースモーカーだということはさて置いて、残念なのは異常なほどのマヨネーズ好きだということ。
 1日3食マヨネーズと言っても過言でないぐらい、御膳の食事にはマヨネーズをたっぷりと。その量は恐らく毎食2本ずつ。



「オイ何してんだよ、んなとこで」

 その声に、意識が自分の世界からぐっと外へ引き戻された。サーッと襖を開ける音が控えめに響く。

「あ、バレた? こそっと近付いて驚かそうと思ったんだけど」
「普通に歩く音聞こえてたぞ」
「えーザキさんに習おうかなあ、人に気付かれずに近付く方法。あの人、監察でしょ?」

 ふん、と土方さんが鼻で笑う音がする。今の嘲笑は山崎さんに対してだろうか。それともその発言自体についてだろうか。

 襖が閉まって、畳の上を歩く足音がふたつ。

「あ、トシ、ちゃんとその万年筆、使ってくれてるんだ」
「おう、わりと書きやすいな」
「でしょ!? 奮発したんだから!」

 わたしも懐からそれを取り出す。漆黒で、書くときはノックするのではなくキャップを外す式のこれは事務作業の多い土方さんとお揃いだ。

「ほんと仕事人間だよね。ちゃんと休んでる?」
「ああ、そうだな」
「もう! すぐそうやってはぐらかすんだから。ほら、ちょっと休憩しよ!」

 カチャン、と机の上へ万年筆を置く音がした。わたしは自分の手のひらの中のそれを力いっぱい握りしめる。
「ほんと強引だな」
 土方さんのテノールボイスが響く。その声色には呆れと、優しさが含まれているように思う。


 ここはわたしの特等席だ。土方さんのその声がよく聞こえるこの場所。

「ねえトシ、聞いて? 今日知った花言葉、ちょっとじーんとしちゃった」
「それにハマってるってのマジだったのかよ」
「ほんと深くていい言葉ばっかりなんだよ? トシも調べ出したらハマるって。じゃなくて、今日知ったのはね、リナリアって花のことなの」
「は? リナリア? 聞いたことねえ」
「聞いたことあっても逆にびっくりかな。私も今日は初めて聞いたもん。でね、その花言葉はこの恋に気づいて、なんだって」
「…この恋に気づいて?」
「そう。なんだか切なくない? こんなに好きなのに気づいてもらえないっていう切なさとジレンマが詰まってる、ような気がする」
「えらく豊かな想像力なこった」
「えーだって思わない?」
「まあ、そうかもしれねえな。でもよ、俺らにはいらねー言葉だろ、さくら?」



心はリナリアと同じことを叫んでいる


 わたしの特等席はここ、彼らと壁一枚隔てた廊下。皮肉なものだ。土方さんの存在を感じられると大好きだったこの場所で、彼とさくらさんがお付き合いしているのを知った。
 さくらさんが言ったあの言葉が心の奥深くに突き刺さる。"この恋に気づいて"か。わたしが誰よりもそう焦がれていたはずなのに他人に言われてはたと気付くなんて。

「…七瀬?」

 耳を塞いで廊下に座り込んでいると、落としていた視線の先に靴下を履いた足先が入り込んできた。ふと塞いでいた手を緩めると、わたしの名を呼ぶ声が聞こえた。

「なにやってんだこんなとこで」

 首をもたげると咥え煙草に、瞳孔の開き気味の瞳でこちらを見下ろす土方さんが立っていた。冷えていた心がじんわりと温もるのがわかる。さっきまで声しか聞こえていなかった彼が今、目の前にいるのが嬉しくてたまらない。

「…いえ、少し、考え事をしてました」
「そりゃあ構わねーがそんな頭を垂れて座り込んでたらびっくりするだろう」

 ふうと煙を吐いてそれ以上は言葉を続けることはなく、くるりとその大きな背中をこちらに向ける。ーーーあ、どこかに行ってしまう。だけどこの背中に触れて引き止めることはできない。それができるのは側に立つことを許された彼女だけだ。

「ひ、…ふくちょう」

 さくらさんは土方さんのことをトシと呼ぶ。わたしは彼の名字すら呼ぶことを許されていない気がした。心の中で密かに呼ぶことで精一杯なのだ。真選組の副長と女中。その枠組みから出たことはない。

 首だけで一瞥、といったふうに振り返った彼は特に返事をすることはない。ただこちらの言葉を待っている。

「…リナリアの花言葉をご存知ですか」

 だけどその言葉を聞くや否や体の正面をこちらに向けていぶかしげな表情を見せた。「…この、恋に気づいて」そう呟くように言った土方さんは、わたしを真っ直ぐに見下ろしている。

「そうです。よくご存知ですね」
「…ああ」
「わたし、副長にプレゼントするならリナリアの花がいいです」
「…」

 返事をしなくなった土方さんは視線だけはこちらに寄越したままだ。唇は何か言いたげに薄く開いているが言葉を紡ぐことはない。

 真選組の頭脳と比喩される、頭の切れる土方さんならこの言葉の意味を理解してくれるだろう。わたしと彼の間の時間は止まったままで、動き出すまでの1秒、1秒がとても長く感じられる。






「…すまねえ」

 カチリ、と時計の秒針が進む音が聞こえた気がした。

 煙草の煙を一息吐いた土方さんは今度こそわたしに背を向けて歩き出す。
 わかっていた。そう答えが返ってくることぐらい。あのふたりが付き合いだしたのは土方さんからの告白だったってこと、それも知っていた。大好きだったあの場所はわたしに全てを教えてくれた。

「リナリアの花言葉、わたしがさくらさんに教えてあげたのにな…」

 彼女よりもわたしのほうがきっと知っている。土方さんについてもっと、なんでも、わかろうとしているはずなのに。
 つう、と頬を水滴が伝うのに気がついたけど拭う気にはなれなかった。

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