例えば。そう、例えばの話。ーーーあの時、わたしが不意にあのお菓子を食べたいなんて思わなくて、めんどくさがって近所のコンビニに赴かなくて、お会計のときに小銭をばらまいて手間取らなくて、帰り道に段差につまづいて転ばなくて、いろんなことが重なって帰りが遅くなったからと近道に裏路地を通らなくて、攘夷浪士に襲われなかったとしたら。

「わたしと土方さんってどうなってたんですかねー」
「はあ?」

 あるお昼下がり。わたしの家で土方スペシャルもとい犬の餌…と本人にはとても言えない黄色のとぐろをがっつく土方さんは、意味がわからないとでも言うように首を傾げた。
 一応お付き合いしている相手なんだから、そんな瞳孔全開の恐ろしい目で見なくてもと思ったが口に出すのはやめた。それが開き気味なのは今に始まったことじゃないからだ。

 まあ、この人にその意味がわからなくて当然である。実際に言葉にしたのは一番最後の「わたしと土方さんって〜」の部分だけなのだから。その結論に至るまでの過程は、自分の心の中での問答だった。

「…どうせ俺との出会い頭のことでも考えてたんだろ」
「わあ、すごい! なんでわかったの?」
「お前の考えそうなことぐらいわかる」

 土方さんはこちらの発言の真意をあっさり読み取って、箸を止めていたのを再開させた。手に持つ丼の中身はさておいて、出会いから今までの彼を表すなら…本当に素敵の一言に尽きる。

 あの時、闇世の中、攘夷浪士に今にも斬り付けられそうになったら、助けを呼ぶどころか恐怖のせいで掠れ声も出なかった。ただ目を瞑ってそのときを待つしかなかったのだ。
 実行されていれば血生臭い事件になってしまっていたところに颯爽と現れて助けてくださった土方さんは、自分の目がおかしくなったわけではなく本気で輝いていた。一生ついていきますと勝手に誓った。

 わたしを助けた理由は、彼が真選組の隊士だったからだとすぐにわかったけど「お礼させてください」と粘りに粘って、最後には足にしがみつきながら連絡先をゲットした。
 家に帰ってから秒でメールを送り、そっけない文面にですら感嘆しながらなんとかアポを取り付けた。できれば私生活を垣間見たかったので夜ご飯に誘って、震える足で待ち合わせ場所に向かったのをよく覚えている。
 私服を見た瞬間に泣きそうになった。格好良すぎたからだ。思わず口元を手で押さえた。煙草を咥えるのもお猪口を傾けるのも何でも様になっており、会話もそこそこに見とれてばかりだった。
 そこで失敗したのは、緊張のあまり少々お酒が進み、食事もそろそろ終わるだろうというところで厠に向かったことだ。戻ったらもうお会計が済まされているという、嬉しさと残念さが交錯する事態となった。
「女に奢ってもらう趣味はねえよ」
 そう、ばっさり切り捨てられた。お礼なんか微塵もできてない…とどうにも、いたたまれない気持ちになりながら帰宅した。

 悩んだ挙げ句、別の策を講じることにした。
 "男を落とすなら胃袋からよ!"
 そう豪語する母の言葉を不意に思い出し、夜なべして手作りのお菓子をたくさんプレゼントした。
 そうしたら土方さんは甘いものがあまり好きではないという、この局面で絶望的な趣向を知ったがマヨネーズかけて食べてくれたらしい。なにそれ優しすぎでしょ。
 たぶんその頃にはもう一目惚れから本腰入れて恋に落ちていた。底なし沼に落ちていくかのように彼に浸り、考えない日はなかった。

 執念で連絡取り続けて、それ以降誘いにも乗ってくれなくなった土方さんにばったり会うよう画策した。
 そのあたりで毎日通勤に使っていた帰り道を一本横にずらしたら、見回りするその人と出会うことに気付いた。さも前から使っていたふうを装って、引かれない程度に挨拶と世間話を繰り返していたら、少し心を開いてもらえたらしい。名前を呼んでくれるようになった。

 すると事件は起きた。それを妬んだ土方さんのファンだと名乗る女性、まあぶっちゃけるとストーカーに刺されそうになった。鬼の形相というのはこのことかと知った。大声で汚い言葉を吐かれながら、振り上げられたナイフの切っ先を見つめるのが精一杯だった。

「…だから構わねえようにしてたんだが」

 また土方さんが助けてくれた。それでも今回は無傷とはいかず、腕を切りつけられてしまった。病院で手当てを受けて待合室でお会計を待っていたら、付き添ってくれていた彼の、ぼそっと言ったセリフに素っ気なさの理由を知る。

 気付けば、告白していた。言った本人が思いっきり目を見開いて、相手に「わたし今なんて言いました?」と聞くほど何も考えずに伝えてしまい、怪我したところを握ってしまうほど動揺した。
 指先にじわりと温かさが滲んで、じんじん響く痛みを感じたら冷静になったものの…それでも言ってしまったものはしょうがないと改めて突っ走った。

「好き、なんです」

 そうしたら返ってきたのは「ああ」の一言のみ。ーーーいや、いくら普段からクール極めてるからって、こんなときまでそう対応してくださらなくて大丈夫なんで。
 その後、一切の会話もなく、パトカーで家まで送ってもらった。扉の前で深く頭を下げてお礼を言った。

「ありがとうございました」

 必死でそうしたから、ちゃんと笑えていたと思う。何故か驚いたような目で見られたけど、見送る余裕もなくてさっさと家の中に入った。物理的に自分とその人を遮りたかったのだ。
 振られたんだよね? 瞬きしたら目尻から頬を伝って、顎に雫が溜まっていく。表面張力を持ってしても耐えきれぬほど次が流れて、玄関で立ち尽くして土間にシミを作った。





「なんだよ、ちゃんと生きてんじゃねえか」

 扉を開けて、心臓が口から飛び出すほど驚いた。

 仕事には行くものの通勤の時間はずらしたし、いろいろ思い出してしまうから携帯に触れることもしなかった。朝は元から置き型タイプの時計を鳴らして起きていたし、そうそう受信しないものだったので充電が切れてすらも不便には思っていなかった、そんなとき。
 休みだったので家でゴロゴロしていたら、珍しく家のインターホンが鳴った。なんか宅配頼んでたっけ、と思いながら扉を開けたら、真っ黒の隊服に身を包んだ人が立っていた。

「怪我は? 仕事行ってんのかよ。つーか、何で携帯の電源いれてねえんだバカ野郎」

 矢継ぎ早にそう言われて驚きつつも、自分の住んでいる賃貸は集合住宅で、帰宅した隣のおば様に興味津々に見られてしまったので家に上がってもらった。
 久しぶりに見る顔は相変わらず綺麗だ。唇の隙間から漏れ出る紫煙すら優雅だと思ってしまったあたりで、自分がまだこの人に好意を持っていることに気づいてしまい、苦虫を噛み潰してしまったような気分の悪さを感じた。

 彼がここに来た経緯がよくわからなかったのでそれとなく聞いてみた。心配した、と歯切れ悪く言うのに「はあ?」と可愛げもなく返事してしまうほど、言われた言葉の意味を理解しかねた。
 あんなにクールに塩対応され続けていたのに…と思ったが、すぐに、今やすっかり塞がった傷を心配されているのだと気付いた。
 傷はもう大丈夫です。仕事も行ってます。今まで通りの日常に戻ってます。そんな、彼の求めているであろう言葉をチョイスして告げた。

 すると今度は土方さんが、苦虫を噛み潰してしまったような顔をした。

「俺と出会う前まで戻ってんなよ」

 また可愛げなく返事してしまった。

「ぐいぐいこっちの日常に入ってきておいてなんなんだよ。連絡取れねえわ、避けられてるわ、ふざけんじゃねえ」

 怒られているのかと思って謝ったけど、それとはまた雰囲気が違った。それ以降また歯切れ悪くなってしまったので根気よく話を聞いてみると、心配されていたのは自分自身だった。
 しかもあの「ああ」と素っ気ないあの返事は、その人なりのOKだったことが発覚した。わかりにくすぎて、嬉しさを通り越して呆れた。

 それからは仲良く毎日を過ごしている。あんなに素っ気なかった土方さんは、恋人になった途端優しさ全開で、身震いするほど甘やかしてくれる。
 通勤時間を把握されてからは、それを見計らって通りすがってくれるようになった。短い時間だけど顔を合わせられて安心した。雨で立ち往生することになった日にはパトカーで拾ってくれることもしばしば。
 すぐに連絡取れない立場だからと朝と夜に一通ずつメールをくれた。空いた時間があれば電話がきた。そんなふうにしてもらえると思っていなかったので不満は全くなかった。
 元より余裕のある人だからか喧嘩にはならないし、口数は少なくとも本心をはっきり言ってくれたのでわかりにくいこともなかった。
 だからどっぷりハマってしまった。なんて素晴らしい人とお付き合いできてるんだろう。わたしは本当に幸せだ、と心から思ってしまうほど満たされている。


「ーーーそういえば、わたしのどこが良かったんですか?」
「はあ? なんだよ急に」

 あんなにあったマヨネーズを吸い込むように食べきって、湯呑に口をつける土方さんはしばらく考え込んでいた。そんなに悩まないと出てこないのかとショックを受けたところで、小さく口の端を上げたのが見えた。

「吊り橋効果、ってやつだろうな」
「…え?」
「あと意図せずの押してダメなら引いてみろ」

 見た目も中身も全く評価を受けず、再びショックを受けたところで腕を引かれた。隣に座っていて最初から近かった距離がさらに詰められる。
 唇に温もりを感じたらすぐに離れていったけど、その微かなものは自分の顔に多大なる熱をもたらした。

「顔も性格も好きだぜ」
「え、ほんと!?」
「って言ってほしいんだろ?」
「…もう見通されすぎて呆れてきました」

 そこで珍しく声を上げて笑ったのを見て、思わず自分も口角を上げてしまう。ーーーああもう、敵わないなあ。大好きだなあ。
 出会い頭に勝手にたてた誓いは、未だにそう思ってやまない。

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