「お前っていつもそうだよな」

 銀ちゃんとの会話中、ぼりぼりと煎餅を噛み砕きながら「うん、そうだねえ」と相槌を打っていたら、心底低くて冷たい声でそう言われた。
 そうなって初めて彼の顔を見やると、魚の死んだ目なんて揶揄される瞳がなんの感情も込めないでこちらを捉えていることに気が付いた。

 いつものあの、優しい目はどこ? そう自分自身の中だけで問うてみたけれど当然答えは出ない。本人に聞こうにも、彼はもうこちらを見てはいなかった。



 そこからどうやってあの家を出たのか、あまり覚えていない。銀ちゃんの冷たい目からただ逃げたかった。がむしゃらに走って、靴なんか自分のと神楽ちゃんのとちぐはぐになってたりなんかして。それに気付いたのは、体力の限界を感じて路地の隅で座り込んだ時だった。
 喉がカラカラに乾いており、唾液を飲み込むことに苦労した。切れる息に上下する肩。呼吸を整えようと瞼を閉じると、あの冷たい目がこちらを見ているような錯覚に襲われる。冷たさを帯びた瞳が、瞼の裏にこびりついて離れない。

 昨日まであんなに仲良しだったのに。銀ちゃんとお付き合いし始めてから今まで、ケンカのひとつもしたことなかったのに。どうして、どうして。その言葉が頭の中でぐるぐると回る。
 銀ちゃんの優しさに浸りきっていたわたしには、他人には些細な喧嘩かもしれないであろうこの出来事が耐え切れられないものだった。なんだろう、辛い、苦しい。どうしてなの。銀ちゃん。



「なにやってんだよ、こんなとこで」

 不意に頭上から聞こえた声に、ゆっくりと顔を上げる。その男性をわたしは知っていた。銀ちゃんによく似た雰囲気で、銀ちゃんとはいつも犬猿の仲で、銀ちゃんと同じぐらい優しい彼。ーーー土方さんはトレードマークとも言えそうなほど絶え間無く吸っている煙草を、そのいつものように咥えて立っていた。
 ゆらゆらと上がる紫煙に目をやっていると、座り込んでいたわたしに目線を合わせるように土方さんもしゃがんでくれた。

「どうした。気分でも悪いのか」

 瞳孔の開き具合をよく指摘されている土方さんの目はいつになく優しげで、圧迫されていた心がゆるゆると弛緩していく。

「土方さん」
「あ?」

 じっとその目を見つめていると、大きな手がわたしの頭を撫ぜた。そのまま髪の毛がぐしゃぐしゃになるぐらい掻き回して、ゆっくりと離れていく。
 なんだか名残惜しさを感じてしまい、引っ込んでいく手を思わず捕まえてしまった。目を少し見開いて、また、すっと目を細めてこちらを見やる土方さんは何も言わない。それに乗じてこちらも何も言わず、その大きな手を自分の頬に押し付けた。

 大きくて、骨ばってて。だけどやっぱり銀ちゃんとは違うその手になんだか切なくなる。

「…あの野郎となんかあったか?」

 この人はわたしと銀ちゃんがお付き合いしているのを知っている。

 わたしは何も答えられないでいた。それこそが肯定になっているんじゃないかと思ったあたりで、頬に押し付けていた温もりが動く。
 それは後頭部に添えられたように感じた。

 あれ、なんだろうこれ。そう思ってしまったのは仕方のないことだと思う。
 やはり、わたしの後頭部に回っていた手のひらにぐいっと引かれて、咄嗟のことに踏ん張りが効かなかった自分は相手の胸部にぼすんと顔を押し付けてしまった。鼻を鳴らさずとも香るものはきっといつも咥えている煙草のにおいだろう。
 それ以上は距離を詰められることはなかった。だけど離れることもない。後頭部に添えられたままだった手のひらが、わたしの頭を再度撫でてくれたように思う。だから思ってしまったんだと思う。なんでだろう、って。

 でもこの疑問を口から出すことはできなかった。髪をじんわりと伝ってくる手のひらの温かさと「なんかあったなら俺のとこに来いよ」なんて珍しくクサイ台詞を吐く土方さんに、わたしはぎゅっと閉じた瞼の端からぼろぼろと涙を溢してしまったからだ。

「…あのね、土方さん」

 ぽつり、ぽつりと、先ほど起きたことを話してみた。土方さんの温もりを求めて、彼の大きな背中に腕を回す。



 起こってしまった出来事と自分の心境を吐き出しながら、わたしはあることに気が付く。ーーーあれ、そういえば。わたし、人に自分のことを話すのっていつぶりだろう?
 銀ちゃんの冷たかった瞳の意味を理解できそうになったそのとき、土方さんのずっと後ろで揺れる銀色を見た。

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