「銀ちゃん、銀ちゃん」
 アイツはよく、そのぱっちりとした目が糸になるぐらい細めて俺の名前を呼んだ。

 二十歳超えた女のくせに度々、未成年に間違われるほど幼い顔つきだが、それを増長させているのは柔らかそうでいつもりんごみたいに朱に染まっている頬と、眉あたりで切り揃えられた前髪のせいだと思う。
 頬はどうにかならなくても前髪を上げて見せればいいだろと提案したが、どうやら額が広くコンプレックスがあるらしい。一度だけ見せてもらったことがあるが、赤ん坊みたいにつるりとした綺麗なデコだった。

 アイツは馴染みの甘味屋のひとり娘で、よく店を手伝っていた。彼女目当てで通い始める客も多いと聞く。
 俺? 俺ァもちろん店主のおっさんの作る団子目当てだったっつーの。当たり前じゃねえか。

「あの、あなた万事屋なんですよね?」
 最初に声をかけてきたのは向こうだった。ちょうど桜の蕾が芽吹く季節だったと思う。
 飼っている猫が行方不明になったとかでその捜索を依頼され、無事に愛嬌ゼロの"あずき"だか"あんこ"だか甘そうな名前の猫を見つけたときから話すようになった。

 甘いものを食うのは医者にドクターストップをかけられていたから、店に出向くのは週に一度ほどだった。それでも会話をするようになれば自然と仲良くもなる。そのうち、うちのチビたち交えて出かけるようになった。
 花見に海水浴、祭り、紅葉狩り、雪まつり…エトセトラ。シーズン毎の行事に参加することもあれば夜に飯食いにいくこともしばしば。
 互いに成人しているのでふたりで酒を酌み交わすこともあった。その辺でベソかいてるガキと変わらねえぐらい幼い顔つきのせいでよく年齢確認されていたが、そのあと不貞腐れて煽るように飲む酒にはめっぽう強かった。


 俺たちの距離感は甘味屋の看板娘とただの客から顔見知りへ、そして酒飲み友達に縮まった。心地いいその曖昧な関係になんの疑問も持たずただただ季節は巡る。


「銀ちゃん、銀ちゃん」
 アイツは今も変わらず、あの優しく細めた目で俺を見やりながら笑う。俺はアイツの名前を呼んだことはない。ーーー呼ばないままアイツと会うのは今日で最後にしようと思う。

 俺が彼女と出会って何度目かの春、アイツは黒い隊服を着たニコチン野郎に見初められたらしい。それからトントン拍子に付き合い、事が運び、この秋に結婚までするらしい。
 らしい、らしいと曖昧なのはアイツの父親がどことなく寂しそうに教えてくれたからだった。

 付き合いが悪くなるほどになんとなく男だろうかと予感はしていたが、まさか相手があの土方でゴールインまで果たすとは。予想の斜め上とはまさにこういう事を言うだろう。


 最後、今日で最後だ。ふたりで何度も通ってすっかり馴染みになった店で19時に待ち合わせ。アイツはお気に入りの日本酒を慣れた手つきでぐいっと飲み干すに違いない。
 いつになく真剣な顔で、なおかつ幸せそうに切り出す話題とすればきっと奴と結婚するという話に違いない。

 店へと向かう途中、びゅう、と強く風が吹いた。カサカサと枯葉が音を立てて飛んでいく。


 酒飲み友達、なんて一生続けられそうな生温い関係の上にあぐらをかいて、のうのうと毎日を過ごしていた自分が悪いことは俺自身が一番よくわかっているつもりだ。
 何度目だったか。酒を飲み、りんごほっぺをより赤く染め、目を潤ませるアイツに、あ、こいつも女なんだなと思ったあの日、どうして自分の気持ちに気づかないフリをしたのか。何故、アイツの名前を呼べないままだったのか。

 情けないことに、三十路を前に気付いた初恋にどこぞのガキみてえに一歩を踏み出せなかったのだ。
 今になってああすれば、こうすればと思うのに、もう顔を合わせて酒を酌み交わすことも出来ない。肩が触れる距離で一緒に笑って花を見上げることも出来ない。
 いつか見た、あのつるりとした額を、それを見られて恥ずかしそうにする顔も、もう、あの前髪を掻き上げて触れることすらも、、、


「…キッツイなー、これ」
 思わず苦笑する。未練タラタラじゃねえか俺。

 着流しの袖から包装されたソレを取り出す。りんごほっぺのアイツによく似合いそうな、赤い簪。
 気に入ってもらえるかなんて、醜い足掻き。結婚祝いだと大義名分のもと自分の煮え切らない気持ちを押し付ける。アイツの目に映る野郎に最後の嫌がらせ。

 今になって、押さえつけていた気持ちが良くも悪くもぶくぶくと膨らんでいくのを感じる。
 苦い気持ちを噛み締めながら意図せず蹴飛ばして、粉々に散った枯葉を見て、この気持ちがこの葉っぱみてえに枯れて落ちて消えていく方法を心底模索した。
20170409

迷宮うさぎ さまへ 提出 ( テーマ / 秋の初恋 )

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