学パロ
 ジーワジーワとうるさいセミも気温が上がり過ぎると鳴かなくなるらしい。じっとりと汗ばむ梅雨時期に、ひと足早い、夏のそんな噂を聞いたがそれは本当だった。



 今朝、自室でハッと目が覚めたとき、着ている服が重く冷たいと感じるほど汗だくだった。ブーンと音を立てて扇風機が首を振っているが、せっせと送ってくれる風は如何せん生ぬるい。湿気の多いシーツに背中を預けながら顔にかかる髪を払いのける。
 僅かな風で揺れるカーテンの、その隙間から見える太陽はもう高く上がっているように思う。

 何時だろう。そう疑問に思うもスマホの電源は落ちていた。
 何時か知らないが、8月の上旬にもなるとだらだらと惰眠を貪ることもさせてもらえない。せっかくの夏休みだというのに、だ。
 体を起こしたら、一筋の汗が額を伝った。それを手の甲で拭いながら、体の中の熱を排出するように深く息をつく。
 この家で、エアコンが設備されているのはリビングだけだ。

「娘の部屋にクーラーなんかつけたら電気料金の数字がおかしいことになる」

 そう母はよく言っていて、何度懇願してもちゃっちい冷房機器(扇風機)しか設置させてもらえない。寝入ってしまえばこっちのものだが、就寝前と起床時は本当に苦労する。
 ならばせめて日中ぐらいは冷房器具の恩恵を受けようと、共働きである両親の出勤後には迷うことなくクーラーの電源をオンにする。冷風の吹き抜けるソファーの上でテレビを見ながら、お菓子をつまむのが専らの毎日を過ごしていた。

 それは今日も今日とて変わらず、リビングに入るやいなや目当てのリモコンを手にとる。涼しい風を直下で浴びようとエアコンの近くまで寄りながら、壁にかかった時計を見上げる。午前10時だった。微妙な時間に顔をしかめつつ、電源ボタンを強く押し込む。
 ヴーン、と音を立てて起動した機械の、吹き出し口がゆっくりと開く。勢いよく風が出てきて髪を揺らした。

 ピンポーン、

 そんなときタイミングよくインターホンが鳴った。それも構わず無視して、リモコンの設定温度を確認する。28℃だったそれをどんどん下げていく。

 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、

「…もう! どちら様ですか!?」

 無視しているのに鳴りまくるチャイムの音。少々イラつきながら、来客を確認できるモニターを見る。こちらの声が向こうに届かないことをいいことに半分怒鳴ったら、そこには招かれざる客が立っていた。思わず「うげっ」と声が出る。
 なんで沖田総悟がお宅訪問してくるんだよ。しかもこのクッソ暑いなかわざわざ来たの? コイツ、アホなの? 無視、無視…とモニターから数歩離れたところでザザ、とノイズが響く。

「室外機が動いてるのは確認済みでさァ。いるんだろななこ。サッサと開けなきゃ玄関ぶち抜くぜィ」

 光の速さで玄関の鍵を開けた。





「こんのクッソ暑ィ日にエアコン潰れちまいやがったお陰で、見たくもねー顔見ながら菓子食わなきゃならねェとはとんだ拷問でィ」
「それならそのポテチ返してサッサと帰ってもらえます? こちとら今日のおやつぶん取られて気分だだ下がりなんですけど」

 シャコシャコ音を立てて歯を磨きながら、特等席のソファーの上で寝そべってポテチを貪る奴を眺める。返事はなし。ぽちりとテレビのリモコンを操作する手はポテチの油を拭き取っていないはずだ。
 もう! こんのアホは! ボトル入りのウェットティッシュを、はちみつ色の頭めがけて投げたらクリティカルヒットした。その瞬間、命のかかった鬼ごっこが開始された。

 目指すは鍵のかかる自分の部屋だ。「運動部に入らなきゃお小遣い減額!」と体育会系な母のせいで高校生活の2年半をバレーボールに費やしたが、今だけはそれに感謝する。慣れた階段の段を飛ばしまくって駆け上がり、目当てのノブを掴んで引っ張る。
 よっしゃあ、自分の勝ち! ともうすでに歓喜しながら閉める間際、その隙間にガコンと差し込まれる丸太みたいなボトル。先ほど自分が投げたウェットティッシュ。

「剣道部ナメんな。サボるためとはいえ伊達に土方から逃げてねェ」

 それ剣道関係なくね? 詰め寄る奴はニヤリと笑う。狭い自室の間取りを懸命に把握しながら、その射程圏内に入らぬよう一定の距離を保つ。それでも出入り口は沖田の背後だから、こちらが圧倒的不利なのは変わらず…ジリジリと詰め寄られる。

 そして、時は動いた。

 パッと右手を伸ばされたのを寸でのところでかわし、体勢を低く保ったまま部屋から飛び出そうとする。

「甘ェ」

 サッと差し出された足。それももちろん見越していた。小さくジャンプし、華麗に避けて、足を着地させたところには、ーーー丸太みたいなボトルが落ちていた。

 それをしっかり踏んで、滑って、後頭部から着地する。ガン! と衝撃をモロに食らってから、辛い歯磨き粉が喉に張り付いた。

 そこからはまあ…年頃の女子とは思えないほどの地獄絵図を繰り広げてしまったことは、容易く想像していただけるだろう。



「…で、なんで俺がお前の歯磨き介助したうえに、明日の登校日の送り迎えしなきゃならねえんでさァ」
「ちょっと待って、アンタ何もしてなくね? 転んで捻挫したわたしをすっごい楽しそうに見守ってただけじゃね? 結局ひとりで階段おりたし、アンタがあんなとこにウェットティッシュ置いとくから悪いんだし、どうせ自転車なんだからちょっと後ろ乗せてくれたら嬉しいなーって言っただけだっつの」

 リビングにて。ソファーで隣り合いながら、自分の足首に湿布を貼る。気付いたら、沖田はジュースを飲んでいた。それは昨日の夜にわたしが今日のために冷蔵庫に入れておいたフルーツオレである。
 …コイツ、人んちとかそういうの関係ないタイプなのね。

「湿布臭ェ」
「我慢しなさい」
「鈍臭ェのも大概にしろってんだ」
「アンタのせいだよ」

 ハァ、と溜め息つきながらソファーの背もたれに体重を預ける。ズキズキとした痛みに眉を潜めながら、空いて堪らないお腹をさする。お母さんは今日のお昼ご飯、何か準備してくれているんだろうか。冷蔵庫を覗きに行きたいが動く気になれない。
 そこでふと気がつく。ヴーンと何かが作動するような音が聞こえる。しばらくしてチン! と聞き慣れた、終了のサインが響いた。
 沖田がスッと立ち上がる。アチチ、と呟きながら持ってきたのは丸いお皿に盛られた焼き飯。食器の配置も知らないくせにどうやって見つけたんだか、スプーンをひとつ握っている。…あれ?

「お前んちの母ちゃん、料理うめェ」
「うん、栄養士の資格持ってるらしい…じゃなくて! それ! わたしのお昼ご飯でしょ!」

 卵でコーティングされたパラパラのそれを頬張りながら、彼はこちらをチラリと見やる。それをジトジトした目つきで見返すも、大して気に留められなかったようでスルーされた。

「つーか覚えてねェの」
「え? なにが?」

 こちらを見ないまま急に小さい声で言われては聞き逃しそうになる。なんとか拾った言葉の意味はいまいち理解できずに首を傾げると、今度は向こうからジト目で見られてしまった。
 空腹のせいで妙に冴えている頭で考える。茶化されることもなく聞かれたと言うことは、恐らく本当に冗談抜きで何か約束を取り付けていたはずだ。うーん、と悩むものの、結局はまた首を捻るばかり。

「だからお前はアホなんでィ」
「沖田だけには言われたくない」
「…終業式。プール」

 単語ばかりを適当に放り投げられた。…そう聞けばなんとなーく思い当たる節はある。でもそれはクラスメイトを交えた中での冗談だったと思う。行けたらいいねーっていう願望を口から出しただけで、キチンと約束を取り付けたわけじゃない、と思っていたんだけど。

「…もしかして、わたしとプール行きたかった?」
「んなこと言ってねーし」
「だって連絡もなかったし…」
「昨日の夜、電話かけてやったのに留守番電話サービスがご用聞きしてくるもんでムカつきやした」
「あれ? わたしそういえばスマホ…あ! 充電してねーわ」
「ふざけんのは顔だけにしろィ。連絡繋がらねーから暑ィなか来てやったのに寝起きばりばりのパンパンの瞼こさえて出てきやがって」
「え? エアコン潰れたからじゃなかったっけ?」
「…あ〜焼き飯うめェな〜」

 しまった、とでも言いそうな顔で真正面を向くものだから思わず笑ってしまう。だからその肩にトン、と頭を預けて、自分も前を向いたまま言う。

「たぶん明日にはマシになってるからさ〜ダルい登校日終わったらそのまま行こーよ。だからチャリで迎えに来て」
「ふざけんじゃねーや」
「ちなみに今年は水着なんか買ってないしスクールタイプだよ」
「もっとふざけんじゃねーよ。俺ァ離れたところで泳ぐ」

 とかなんとか言いつつも一緒に行くことは決定事項のようで、なんだかくすぐったい気持ちになる。

 ということはあれか。終業式の日、帰り道が一緒だからって暑い中を並んで歩いていたとき、少し頬を赤らめて「喜べ、愚民から彼女に昇格してやる」とかふざけたこと言うのを思わず笑い飛ばしてしまったけど、マジの話だったのか。
 ハハハ、と笑っていたら、開け放していた口に冷めた焼き飯を突っ込まれ噎せさせられたのには苛立ったが、次の日、本当にチャリで迎えに来られては無性に照れくさくなった。
 だから忘れ物をしたふうを装って、ふと思い出した、去年着もしないのに部活のチームメイトとふざけて買ったビキニを引っ張り出して潜ませた。いざプールサイドに立ったときの奴の顔は傑作だったので、スッキリ爽快な気分のまま水の中に飛び込む。そして、照り返しのきついそこに立ったままの沖田を見上げて、ああ、本当だと思った。
 人の賑やかさに、やかましい蝉の鳴き声がちっとも紛れていないなあ、と。
20180701

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