3Z設定
「お前、俺の隣でいて幸せかよ」

 ヴェールをかぶったわたしに、彼は問うた。それが自分の、いつかの呟きの答えだとすぐに気付いた。ーーーそれでは誓いのキスを。そんなセリフを遠くで聞きながら、わたしはただ頷く。
 ふたりを遮るレースをめくりあげたトシははにかんで、人前だということを忘れそうなほど、甘いくちづけをくれた。



 あれは高校3年生のとき。小説に例えるならラスト2ページ目ぐらいでのことだ。
 残すは自由登校一日と卒業式のみ。不意にそんなことを寂しく思って、クラスメイトのグループラインにメッセージを送ってみたら、捕まったのが彼だけだった。土方十四郎。クラスメイトの中でいちばん話したことのない人だった。

 土方はどちらかというと無口で、不必要なことをベラベラと話すタイプではない。わたしはヘラヘラしてて人見知りもしなくて、いつも当たり障りなくクラスをふらふらするようなヤツだ。水と油ほどではないけど、あまり融和するようには思えなかった。
 そりゃあ話の流れで二言三言、言葉を交わしたことはあるが、どちらともない「へえ」という締めで会話を終えていた。土方がいつも、見えない壁を一枚作っているように感じてたからグイグイ行くことはなかったし、向こうは当たり前に踏み込んでこない。だから親密からは程遠い関係性を保っていた。
 少しだけ補足するなら、実は、こちらは勝手に土方を良く思っている。ラブではなくライク、むしろリスペクトに近い。一度だけ助けてもらったことがあるのだ。でもそれっきり。彼がその出来事を覚えているかもわからない。もし記憶から消されているなら、彼にとってのわたしは、ありふれたクラスメイトのひとりである。

 だから不思議で堪らなかった。相手にとってそこまで関わりのない自分が発信した、"卒業式イブに校舎見て回らない?"との若干すべった言い回しに、日付けが変わるギリギリになって、メッセージアプリのグループの方ではなく個人的に"行く"と返事してきたことが、今世紀最大の謎と表現しても差し支えなかった。


 朝9時に3年Z組の教室で待ち合わせ。わたしがそこへついた頃には、もうすでに土方の姿があった。

「ごめん、お待たせ」
「いや、今来たとこだ」

 最後尾のど真ん中、もう誰の席だったか不明瞭な机に腰を預け、長い足を放り出していた土方はわたしを見るなり立ち上がった。

「何を見てえんだよ」
「え、えーっと…ちゃんと決めてないんだけど」

 既読が付いていき、"どうせ卒業式に会うだろ"と沖田からの素っ気ないメッセージを受信したあたりから期待していなかった。ぶっちゃけ、朝起きて土方からのラインを見てびっくりしたし、時間ギリギリだったせいでベッドから飛び出したぐらいだった。
 当の本人はひとりなら止めとこうと思えるほど軽い気持ちだったのだから、行き先なんか決めているはずもなくとりあえず廊下をひた歩く。

 校舎をぐるっと一周しつつ、途中の景色をみながら話題を振ってみるもそれはいつも土方とじゃない思い出の話だった。「ごめんね」と謝って申し訳さを覚えて、"あれ、わたしなにしてんだろ"と思いはじめたところで、土方がぴたりと足を止めた。だからわたしもそうした。

 土方はじっとわたしを見てきた。だからへらっと笑ってみたけど、彼の浮かべている表情は柔らかくならない。自分の口元が引きつりそうになったとき、土方はなんの脈絡もない言葉を放り投げてきた。

「お前、今は彼氏いんの」
「え?」

 必死で貼り付けてた笑顔なんか、宇宙の彼方にポーンと飛んでっちゃうぐらいのインパクトがあった。でも土方の顔は真剣そのもので、急いで返事する。

「いないよ」
「あれ以来かよ」
「まあ…そうなるね」

 ちょっとおセンチな年頃で、卒業式前というそんなシーズンでもあったから「ありがとう」と付け足して、土方の意図に気づいて切なくなった。

 わたしはいつもヘラヘラしてた。そして告白されたからとなあなあで付き合って、"やっぱ違った"とか"ホントに俺のこと好きなのかよ"と言われ振られ、彼氏を取っ替え引っ替えしてた。だからあの時、土方に助けてもらったんだっけ。

「あの時は本当にありがとう。実はすっごく感謝してる」
「…その様子じゃなんのトラウマにもなってねえみたいだな」
「はい、お陰さまでってか、覚えてくれてたんだね」

 変な顔でもされたらどうしようと思っていたけど、すんなりと返事してもらえるあたり土方は最初からこの話題を取り上げようとしてくれていたみたいだ。

「ヘラヘラしてっから妙なのに目ェつけられんだよ」

 告白する、すぐにオッケーがもらえる、イコールすぐにヤれる。男子高校生の短絡的な思考回路に引っかかったわたしは、サッカー部の部室でエライ目に遭いかけた。
 付き合ってんだろ、俺たち。その言葉が魔法の呪文だと勘違いしていそうな彼氏に、太ももを撫でられる。そのまま指先が這い上がっていき、わたしのプライベートゾーンに侵入しかけたとき、鍵のかかっていたはずのドアが弾け飛んだ。逆光でよく見えないまま、わたしにのしかかっていた男子が吹っ飛んだ。そしてわたしに学ランを被せてくれて、呻く男子を引っ掴んだ彼こそが土方だった。

 運のいいことにこの出来事は公になっていない。彼が、半泣きの、今や黒歴史となった元カレを引きずっていってくれたお陰だ。どうやら奴は転校していったらしい。つまり、ふたりだけの秘密。墓場まで持っていく話。
 ちゃんとお礼を言いたいなとは思っていた。でもあの時は気まずくて、奴と土方がいなくなった瞬間に走って逃げたし、被せてもらった学ランは靴箱に押し込むという最悪な返却方法を選んだ。それに被害者がわたしだと気付いてくれているかわからなかったから、なんとなく機会を作れなかった。
 でもよかった。土方が"行く"と言ってくれて。キッカケを作ってくれて、本当に。

「よかった、助けてくれたのが土方で」
「そりゃどうも」
「あれから少し男の人が怖かったような気がしたんだけど、触れられたのが太ももだけで、暗闇にふたりきりじゃなかったら大丈夫な程度で済んでるんだ」
「…」

 返事はなかったけど、土方は真っ直ぐにこちらを見ていた。少し唇を開いて、次に発する言葉を探しているように見えた。

 しん、とした廊下にふたりきり。怖さはない。だから急ぐこともなかったし、彼の応答をひたすら待った。

「…なら、明日だな」
「えっ?」

 けれど自分に向けられた言葉は予想の斜め上を行くものだった。どういうこと? と聞くも、土方はそれ以上言うつもりもないらしい。

「他は? 何か見てえのかよ」
「んー…もう別に何もない、かな」
「じゃあ帰ろうぜ」
「うん…」

 大した用にもならなかったな、と思いながら土方の後ろをついて歩く。彼はゆったりとした調子で歩を進めていた。
 大きな背中を見つめながら与えられる静寂に、いつもみたいにへらへらしなくとも穏やかでいられることに気が付く。

「ねえ、土方」
「あ?」
「土方と一緒にいれる人って幸せだね」

 背中は振り返らない。よかった、と思ってしまったのは自分の頬がどんどん熱くなっていくからだ。

 こうしてわたしたちは無言の多いまま校舎を後にし、別々の帰路につき、卒業式を迎え…、なんと今日、結婚式を迎えたのである。
20181128

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