テニスの王子様 / 幸村精市
「なんで君の瞳は真っ黒なんだろうね」

 そんな疑問を持つのは自由だけど、それを心底不思議そうな顔でこちらへ問うのには少し困った。放課後、一緒に帰っていたら何度かそう、幸村くんに質問を投げかけられたけど、彼の心中には全く察しがつかない。だから思いきって聞いてみた。どうしてそんなことを聞くの? と。すると幸村くんは少し悩む素振りを見せてから言う。

「ななこが空ばかり見上げているからだよ。それも青々と晴れ渡った、そのときばかり」

 わたしは空を見るのが好きだ。大した理由ではないが、綺麗だから。幸村くんが言うように折を見て空を見上げていることは多々あると思う。だからって空の色が瞳に写るわけなんてない。ずいぶんとロマンチックな解釈に、わたしは少し笑ってしまう。

「あ、笑ったね」
「ごめん…だって、なんか可笑しくて」

 いつだったか授業で習ったけれど、人間の瞳の黒い部分は瞳孔と虹彩というふたつの組織から成っているらしい。虹彩の伸縮により瞳孔は大きさを変え、光を取り込む量を調整しているら。そしてそれらの色の濃度を決定しているのは、そこに存在しているメラニン色素の量なのだそうだ。紫外線からわたしたちの目を守るための役目を担っている色素は、紫外線を浴びれば浴びるほど蓄積され、色味をどんどん濃くしていく。
 つまりその理論からいくと、わたしの瞳はもちろん黒に近くなる。夜の空も好きだけど、陽の光が差す空を見ていることが多いからだ。一緒のクラスで同じ授業を受けているんだから、これは当然幸村くんも知っているはず。頭のいい彼のことだから忘れているはずがない。

「あ、でもその理論でいくと、俺の瞳も赤くないと可笑しいね」
「今度はどうしたの?」
「だって、ななこはすぐに赤くなる」

 そう言う幸村くんは大真面目な顔をしていた。わたしはうーん、と唸ったっきり言葉に詰まる。
 彼は時折、こういう本気なのか冗談なのか、わかりかねることを言う。その度にわたしは頬が熱くなるので、きっと彼が言うように自分の顔はすぐ赤くなっているだろう。

 幸村くんとお付き合いを始めて数ヶ月。彼はわたしを大事にしてくれている。こちらを見る表情も、目も、いつだって優しげだ。たまに冗談を言うことはあっても度が過ぎることはないし、同年代にはあまり見られない余裕さを持ち合わせている。そしてこちらが思わず恥ずかしくなるほど、わたしのことを女の子扱いしてくれる。彼のペースに翻弄されて、はたと気が付けば頬に熱を持ってしまうばかりだ。
 最初こそ、その赤みを見られまいと顔を俯かせた。早く熱が冷めればいいのにと願ったが、見せてと言わんばかりに顎を持ち上げられてしまう。わたしの比ではないほど、綺麗で真っ黒な瞳に見つめられる。しばらくしてクス、と笑って「可愛い」という甘い殺し文句と共にキスをされ、というのが最近の専らだ。

 悔しくて少し足掻いてみるけど、最後には付け焼き刃の防御なんて無駄なんだと悟る。

「顔、また赤くなってるよ」
「幸村くんのせいだと思う」
「ごめんね、ななこ可愛いから」
「…もう! そんなことばっかり言わない!」
「あ、怒った」

 ハハ、と声を上げて笑った幸村くんは、こちらの怒った素振りなんか気にも留めず、わたしの手にするりと指を絡めてきた。驚きと、ときめきと、複数の感情が入り交じったせいで思わず口ごもったら、彼は微笑みながら前を向いた。

 やっぱり、綺麗。

 出会い頭からずっと、幸村くんに見惚れてる。きっと一目惚れだったと思う。かっこいいとも思うけど、一番しっくりくるのはやっぱり綺麗、その言葉。顔だけじゃない。動作のひとつひとつも、わたしにくれる言葉の選び方も、全部がそう。



「ーーーあ、わかった」

 ぽつりと、幸村くんが言うのに思わず聞き逃しそうになった。彼を見上げて続きを促すと、嬉しそうな表情を浮かべて教えてくれる。

「俺の瞳が赤く染まらないのはね、顔を真っ赤にしたななこばかり見てるからじゃないと思う」

 まだその話は続いていたのか、と驚きつつ、わたしははてと首を傾げる。幸村くんの意図を探ろうと思考を巡らすも、自分が答えを見つける前に彼は言葉を紡ぐ。

「考えたら俺、ずっと君を見てる」

 初めて見かけたときから目が離せなかった。いつもななこの姿を探してたよ。友達に向けた笑顔も、ひとりで廊下を歩く物憂げな表情も、部活に取り組む真剣な顔も、ずっと見てきた。もちろん、一緒にいられるようになった今も。青空を見上げて小さく笑うのも、俺を見る可愛らしい表情も、顔を赤くしながら下を向く、拗ねた顔も、全部。

「絵具も、いろんな色を混ぜたらどんどん黒に近付くだろう? その理論で、いろんな表情をするななこを見てたら、この瞳の色になっちゃったってとこかな」

 どう? と首を傾げ、いたずらっ子のように笑う幸村くんに、わたしはまた自分の頬が熱くなるのを感じた。俯いて、見られまいとせめてもの抵抗をしてみたが、彼は突如立ち止まる。熱くて堪らないその箇所に手を添えられ、ゆっくりと優しく、顔を上げさせられる。

 変わらず、幸村くんは綺麗に笑っている。ーーーああ、もう。この人には本当に敵わない。

「でも、この顔がいちばん好きかな」
「…どうして?」
「真っ赤になるの、俺の言動で染め上げてるみたいだから」

 だから、俺にだけしか見せないでね。そう付け足された言葉を最後に唇をきゅっと閉じたのを確認して、わたしは静かに目を瞑る。温かい柔らかみが触れて、恐る恐る目を開けたら、幸村くんは未だに近い距離を保ったままだった。

「好きだよ、ななこ」

 うん、と掠れる声で返事して、頷くのが精一杯だった。
20170622
   
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