神様はいない | ナノ

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「すみません、ご馳走になってしまって」

 お会計時。はたけさんは、財布片手に立ち上がるわたしをやんわり制止した。それにも構わず財布からお札を取り出して店員さんへ渡そうもするも、カウンターとわたしの間に割って入る彼の背中に、ぐいぐいと力づくで後方へと押されてしまう。
 はたけさんの背中から首から先だけ出して見た店員さんは、笑顔を浮かべながら彼から受け取ったお金で精算を済ませていた。ご馳走になる理由もないので、なんとかお代を受け取ってもらおうと「払います」「いいから」と攻防したが、負けた。
 いつもそうだ。なんなと理由をつけてご一緒した食事の代金を払わせてもらったことはない。こちらとしては、それはとても気を使うことだった。今度こそわたしが。いつもそう思うのだがイマイチ上手くいかない。

「いいのいいの。こういうときはすみませんじゃなくてさあ」
「…ありがとうございます」
「うん、そっちのほうがいい」

 先を歩くその背中を追う。いつも通り、顔も見ないまま会話する。

 何も聞かれなかった。中忍から上忍へ。この千載一遇のチャンスを蹴るような真似する理由を聞かれると思っていた。今の時間を共にした訳はそれぐらいしか思いつかない。そうではないのなら何故、はたけさんはこうなることを望んだのだろう。
 疑問がひとつも解決していかない。まあ、この人の考えていることなんかキチンとわかったことなどないから、複雑に考えるほうが間違っているのかもしれないが。



 無言のまま、しばらく一緒に歩を進める。住宅街のずいぶん人気の少ないところまで帰ってきたとき、ゆっくりとした調子の声が降ってきた。

「前にも言ったけど、普通に横を歩いてくれない」
「ああ、はい」
「それと、はたけさんって呼ばれるのも慣れないんだけど…」

 ふむ、と何か考察したらしいはたけさんはぴたりと立ち止まる。彼の肩が動き、体が回転するのに合わせて口角を持ち上げる。
 彼はここに立てと言わんばかりに、自身の傍らをちょいちょいと指差している。素直に従ってそこへ寄ると「オレの名前は?」と聞かれた。

「はたけ上忍です」
「お前ね…わざとでしょ」
「まあ、半分ぐらいは」
「冗談なんか得意じゃないくせに」
「それは否定できません」
「別に呼び捨てにしろって言ってるわけじゃないよ」
「頭で理解はしています。納得はしていませんが」
「どうして?」

 今度はわたしが熟考する番だった。この人を納得させつつ、自分の考えを通すには。しばし考えてみたけれど良い案が浮かばない。

「はたけさんは先輩で、上司です」
「それはそうね」
「そして憧れです。自分よりずっと優れており、越えられない壁のようにも感じています。そんな人を気安く呼べません」
「…オレが嫌だなーって言っても?」
「それは…悩みどころですね」

 自分がどれだけ敬意を払って呼んでいても不快にさせているなら本末転倒だ。だけど素直にそうはできない。何か心に引っかかる。でも、確かに。はたけさんを名字で呼ぶ人を他に見たことがない。それで違和感を覚えておられるのは事実のようだ。…ここまでは、前回と同じ。

「なら、慣れてください。以前はこれで終わったはずですが?」
「そういう容赦ないところ、わりと気に入ってるけど今はちょっとやめてくれる」
「はあ…ありがとうございます…?」
「わかってないでしょ…真面目なくせにそういうところ適当だよね」
「すみません」
「ほら、まーた謝る」
「す、…ええと、こういうときは何て返せば、」
「…うん、ちょっと無茶だったかな」

 ううんと悩みながら解決策を模索する。はたけさんが同じことを指摘するのは珍しい。よほどその2点が気に食わないのだろう。ということは部下のわたしが折れる他ないという気もする。ならば、この人をカカシさんとそう呼べるほどの人間になればいいのではないか。そうすればこの胸にある引っ掛かりがぽろりと取れるかもしれない。そうなると問題はまた最初に戻る。
 こんな自分を上忍へと推薦してくれたことは大変に嬉しく、また有り難く、勿体のないほどの表彰でもある。それを甘んじて受け止められるようになれば…、

「…今ははたけさんで許してください。いつかそうお呼びできるように努力します」
「…七瀬はやる時はやる奴だって知ってるよ」
「恐縮です」
「あとその堅苦しい感じもどうにかならない?」
「…検討します」
「ああそう…ま、気長に待ってる」

 待ってるから。重複した言葉の先が続きそうに思ったので、わたしは返事せず次を待った。だけどそうはならなかった。見当違いだったのかと首を傾げて見せると、はたけさんは笑った。

「ひとりになりたいなら止めないけど、見つけられるところでそうすること。あと愛想は必要だけど、オレの前では無理に笑わなくていいよ」
「…どうしてわかるんですか」
「なんとなく、かな」

 さらりとなんでもないふうに言うセリフに、ドキリとした。最初からはたけさんには全てバレていたのだ。出会い頭にはすでに抱いていたこちらの感情も、いつもよりも笑顔を貼り付けるのが苦痛だということも。いつも、いつも、敵わない。

「家まで送ろうか」
「いえ、もうすぐなので結構です」
「そう言うと思ったよ。…じゃあ、また」
「はい、ありがとうございました」

 ザッと上へと跳躍するのを目で追ったけど、すぐに見失ってしまった。気配は消え、空気がしんと静まる。無意識にひとつ、溜め息をついてしまい、それに嫌気が差した。ただ自分の足元を睨む。
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