深淵に触れる 1/5 

 朝、設定したアラームで起きると、いつもすぐ隣に晋助くんがいる。彼はわたしと同じタイミングで薄目を開けているときもあるし、全く反応していないときもあった。

「晋助くん、朝だよ」

 出席日数が危ういと聞いていたので、そう声を掛けながらそっと肩を揺り起こす。すると晋助くんはぱちりと瞬きし、眠そうな顔のままうつ伏せになってしまうことが多い。わたしはそれを見、つい小さく笑ってしまっていた。

 自分はというとすぐに布団から這い出て、歯磨きに洗顔、着替えをしてからお弁当を詰めるなど、毎朝のルーティーンとなった準備を進めていく。そのあいだ晋助くんはむくりと起き上がってぼうっとしているか、布団の中で動かないままかのどちらかだった。
 朝はあまりお腹が空かないので食べないことのほうが多い。それは晋助くんも同じらしく、何度か朝ご飯を勧めてみるも「いい」と簡潔な言葉がよく返ってきた。

 そうして準備を済ませ、さて、家を出ようか。そんな頃合いに晋助くんに声をかけると、彼はいつもわたしを呼び止めた。
「こっち来い」
 と、言われるがままにその前へ腰を下ろすと、するりと頬を撫でられて触れるだけのキスをひとつ、くちびるに落とされる。何度繰り返そうとも顔に熱が集まるのを感じる最中、晋助くんはわたしの襟ぐりを少し引っ張って首元を露出させ、鎖骨の下辺りに吸い付いてくるのだ。
 ぴりっと弾かれるような痛みに肩を震わせながら耐え、離れていくくちびるをつい目で追ってしまう。自分の肌にパッと咲いたような、赤い痕を見つめる瞳がどんな思いを宿らせているのか汲み取ろうとしてしまう。
 その真意がはっきりとわかることはなかったけど、服で隠れるような位置に付けられることと、晋助くんがそれで満足するならいいかと考えが行き着いたことで、わたしはその行為を拒むことはしなかった。だからある1ヶ所の色素はなかなか薄くならなかった。


 大学に着いて講義を受け、お弁当を食べようかと思ったあたりで自分の携帯は震える。確認するとそれは晋助くんからの連絡で、何時ぐらいにわたしの家に来るか教えてくれていた。

 晋助くんから来るメッセージはいつも短文だ。それを不満に思うことはなかったが、なんて返そうか悩むことは多かった。
 相手は別に気にしてないのかもしれない。でも”はい”や”わかりました”とだけ送るのも素っ気ない気がして、晩ご飯のリクエストを聞いてみたり、バイトや買い物で遅くなると伝えてみたり、なんとなく気にかけてみた。するとその後は大体、通話がかかってきて、焦りながら携帯を耳に押し付けていた。

 他愛もない話をした。今日は眠たいだの、お弁当のおかずにたまご焼きを入れてみただの、後から思い返せば晋助くんにわざわざ言わなくてもいいようなことばかりを話題に取り上げてしまっていたが、彼は簡素ながら返事をくれていた。
「どうせそれでも真面目に起きてるんだろ」
「朝からなんか焼いてたな」
 なんて言葉が帰ってくる度に、わたしは言葉に詰まった。以前までなら”そうか”なんて相槌で終わっていただろうに、彼なりにきちんと反応してくれていることが不思議で、嬉しいのに、入り混じった感情を上手く消化できない。そして「そうなんです」と会話が途切れるような返事ばかりしていた。

 そんなときにふと思い付いて、メッセージアプリ内で使えるスタンプをプレゼントしてみた。
 自分もそこまでスタンプを送るほうではないが、嫌いではない。前に晋助くんにオススメした、表情筋がすごく動いているクマのスタンプはわたしがちょこちょこ使っているものだった。そのシリーズのひとつを選んで通話中に送ると「すげェ顔だなコイツ」という感想をもらった。
 正直、プレゼントしたのはただの自己満足だったし、使ってくれる、くれないはどちらでもよかった。だから予想外だった。通話終了後に、ヴヴ、と震えた携帯の液晶画面に、晋助くんから送られてきたスタンプが表示された瞬間、今度は言葉を失う。
 胸にあったのは心臓のスペースが狭くなるような締め付けと、彼に対して抱いた可愛らしさだった。


 わたしのバイトがある日、晋助くんはいつも迎えに来てくれた。道路向かいにあるコンビニで時間を潰しているらしく、勤務が終わったことを連絡すると、その出入り口から現れた影はこちらに近付いてくる。

 冬の夜というのは気温が低く、冷気が肌を刺すようで、露出している部分が冷たさを通り越して痛みを覚えるようなこともあった。
 それをハッと忘れてしまうほど、晋助くんの姿を見つけた瞬間に胸の奥底がくすぐったいような、どこか気恥ずかしいような表現の難しい感情がやってくる。その傍らには大体、心がほわんと温かくなるような喜びがあった。
 だけどそれと並行して、外気を遮った室内からわざわざ出てきて、この寒空の下を歩いてくるようなことをしてもらうのは申し訳ない、とも思っていた。それにシフト上での上がり時間は夜の9時だが、残業があることがほとんどでいつも待たせてしまっている。
 去年も同じようにバイトしていたけど危ない目に合うことはなかったし、アパートから歩いて通えるような近さの距離だった。だから別にひとりで帰るのに問題はない。

 また迎えに来てもらって一緒に帰宅し、アウターをハンガーにかけて鞄を置いたとき、わたしの隣に立つ晋助くんを何気に見ると鼻の頭が赤くなっているのに気がついた。その途端、なんとなく感じていた申し訳なさが前面に押し出されてきた。
 思わず晋助くんの顔をじっと見つめてしまったら、不思議そうな表情を浮かべた彼は「なんだよ」と言った。話をするなら今なんだろうなと感じた。
 ふたりで立ち並んだまま、言葉を選んで、寒い中来てもらうこと、待たせてしまうことを申し訳なく思っていると伝えてみる。

「嫌か? 俺が迎えに行くのは」
「ううん、嬉しいけど……なんか申し訳ないなって」

 すると伸びてきた指先が、わたしの頬をつまんだ。優しい力だったけど、外側にむにっと引っ張られては変な顔をしてしまっている気がして恥ずかしい。

「別に俺が勝手にやってるだけだ。嫌なら行かねェが、違うんなら好きにさせろよ」

 ふ、と小さく息を吐くように、恐らく笑った晋助くんはわたしの頬をつまんでいた指を外してくれたものの、こちらが思わずドキドキと胸を鳴らしてしまうような優しい視線は外してくれない。
 鋭い眼光に射抜かれるのは苦手だったけど、このタイプもあまり得意ではなかった。目を逸らしてしまうのは簡単だが、そうしたら最後「なに逃げてんだ」と頬に手を添えられ、顔を晋助くんのほうに向かせられ、じいっと見つめられるのを何度か経験したことがある。
 それをわかっているからこそ、顔が熱くなっていくのに気付いていてもどうすることもできず、消え入りそうな声で「ありがとうございます……」と呟くのが精一杯だった。そんなことを知ってか知らずか、晋助くんは容易に目を伏せて笑っている。わたしからは逸らさせないくせに、ずるい人だ。

 そうやって、いつだって甘く振り回されながら晋助くんとの日々を繰り返した。顔を合わせていない間にも互いの時間が重なる回数がどんどん増えてきていたある日、いつも12時ごろにくる連絡がなかった。
 習慣となっていたせいで、昼休憩になった瞬間に携帯を見る癖がついていたが何度、液晶画面を光らせようと焦がれる人物からのメッセージを受信しない。改行もされないほど短い文章がポン、と表示されないだけで胸中がざわついた。

 自分から送ってみようか。そうはすぐに思ったけど、ふと思い返せば自分からメッセージを送ったことも、電話をかけたこともなかった。
 晋助くんだって学校に行っているし、忙しい日もあるだろう。また、夕方になっても連絡がなかったらラインしてみようかな。そう自分の中で完結させたけど、妙にそわそわして落ち着かなった。

 そして落ち着かないのには、もうひとつ原因があった。あっという間に時間が過ぎ、晋助くんと再会したのは12月上旬であったが、今日はもうクリスマスだったからだ。

 
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