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 外気は、吐いた息がきっと白くなっているであろうほどの冷たさだった。晋助くんはわたしを待ってくれていたけど、隣に並んだらすぐに歩き始めてしまう。
 舗装されているけれど、ところどころヒビ割れていたりヘコんでいたりと、暗がりでは気を付けないと足を取られそうになった。

 辺りは、マンションの近くからがらりと景色が変わっていた。道の両側に街頭がぽつん、ぽつんと立っているそのすぐ横は、見上げるほどの高さの木々がおおい茂っている。気温が下がったこと、自然が増えたことで、ここがだいぶ山手なんだろうなとイメージがついた。
 路肩には同じように、車が何台も駐車されていた。同じように道を行く人と、こちらへ帰ってくる人。それぞれ楽しそうにはしゃいでいる。と、そこでなんとなく背格好から、彼らが男女のペアであることに気がついた。

「案外、人いるんだな」

 晋助くんは呟くようにそう言っていた。彼は最初からここに来ようと思っていたんだろうか。
 隣に並ぶのを、敢えて右側に立ってみた。そうすると先ほどより晋助くんの表情がわかりやすいのではないかと思ったからだ。



 本当にわたしは聞いてもよかったのだろうか? そう考えてしまうほど、晋助くんの口から紡がれた過去の話は重みがあって、確かに、簡単に表には出したくないであろうものだった。
 見上げた晋助くんの表情はいつもの変わらないものに見える。だからこそなんて声を掛ければいいのかわからなかった。
 例えば晋助くんが泣いていたなら、笑っていたなら、わたしはきっと泣いてしまいながら彼を必死で抱き締めただろう。だけどそうも飄々とされると、こちらが勝手に反応してしまうのも違うような気がして、、

「…なんだよ」
「え?」
「じっと人の顔見てきやがって」
「す、すみません…」
「別に、聞くだけでいいと言っただろう」
「確かにそう言ってくれてたけど、」
「反応に困るだろうことはわかってる。俺だって急に相手からあんな話されりゃあ、なんて声をかけるべきか迷うだろうな」
「………でも、せっかく話してくれたのに、わたしは晋助くんにうん、しか言えなくて」

 そんなとき、すれ違った人たちが「綺麗だったねー!」と話すのが聞こえた。わたしたちはちょうど前に現れた、数段の、傾斜の緩やかな階段を登ろうとしていたが、それを聞いたとき思わず彼らを目で追ってしまった。
 階段を上がるために前を向くと、柵と、その前に立ち並ぶ人の集団が見えた。あのスペースがどうも行き止まりらしい、、、と冷静に考えたところで、ようやく自分の頭が仕事をした。
 ここは、一体どこなんだろう?

 また晋助くんを見上げるも、彼はただ前を見ている。自分の左手に温もりが触れて、視線を落とすと晋助くんの手のひらが差し出されていた。だから迷うことなく自分の指を絡めた。

「この前、色々と調べたら出てきたんだよ」
「…ここがですか?」
「あァ、人気のデートスポットなんだとよ」
「………えっ?」

 思わず足を止めそうになったけど、晋助くんの手がそうさせてくれなかった。わたしたちが近づいたそのタイミングで、前のペアが柵の前から退いた。
 だからそのふたりぶんのスペースに立って、前を見て、わたしは何も言えなくなった。

「思ったより綺麗じゃねえか」

 ククッと喉の奥を鳴らすような笑い声がする。

 ここからは開けた、きらびやかな都心を余すことなく見渡せた。川の流れのように、さあっと滑らかに動く鮮やかな光はきっと車のヘッドライトだろう。夜といえど全く眠っていない街は、薄く撒かれたような光の粒をたくさん灯らせている。
 それは初めて見る、夜景というものだった。

 デートスポット。そんな単語を不意に思い出したなら、晋助くんの”この前”が自然にいつなのかわかった。それはきっと、クリスマス。
 目頭がじんわりと熱くなった。それを堪えるように瞼を下ろしたら、頬に温もりが触れる。そうされると目を開けないわけにもいかず、滲む視界のままわたしは未だ触れたままの温もりのほうを向いた。

「目、閉じろ」

 せっかく開けたのに、とは思ったが、こちらとしては目を瞑っているほうが好都合だった。小さく笑っているように見える晋助くんに従ったら、頬を一筋伝うものを感じた。
 ぐす、と鼻を鳴らしてしまい、そこへ指先を持っていこうとすると自分の唇に触れるものがあった。それに驚いて、つい目を開けてしまう。

「オイ、閉じてろって言っただろうが」

 触れるだけのキスだったけど、また柔らかみが重ねられては今度こそきちんと目を閉じた。
 ーーーしゃらり、と首元に冷たさが当たったような気がする。

「ひゃっ……な、なに? 今の」

 くすぐったさもあったせいで、思わず仰け反ってしまった。首元を押さえるように手のひらを押し当てると、細い紐のようなものがそこにあるのがわかった。困惑しながらそれを指でなぞる。指先でつまみ上げてまた、泣きそうになった。

「これ…ネックレス、だよね…」
「そうだな」
「いいの…? というか、わたし何にも準備してないのに…」
「俺ァもう十分すぎるぐらいもらってる。それより、いいのかよ。引き返すんなら今だぞ」
「引き返す? ……どこに?」

 その頃にはもう、目の前の夜景も周りの人たちも何も視界には入っていなかった。ただ、目の前で微笑んでいる晋助くんに釘付けで。

「お前には俺の過去と、お前に向ける依存にも執着にも近い気持ちを伝えた。だから前に俺が好きだと、一緒にいたいと言った言葉を覆すんなら、今にしてくれ」

 泣きそうに笑う人だなと思った。前までは、鋭い眼光を携えて口角を吊り上げただけの、笑顔とは呼び難いものを向けられていたこともあったのに。優しく見つめられることも、今みたいな笑みを向けられることがぐっと増えた。

 雑誌の中の世界に憧れて、地方からひょっこり上京してきたわたし。田んぼや柿とみかんの畑に囲まれたところから出てきた田舎臭さを自分なりに洗い流して、家事とバイトと、今までとはがらりと変わった大学生活、人間関係に翻弄されながら、泣いて笑って辛い思いもして、積み上げてきた自分を見てそんな表情を見せてくれているなら………案外、無駄じゃなかったのかな。

「わたし、正直、晋助くんのことは自分じゃ全然手に負えないというか、釣り合わない人なんじゃないかなって思ってました」

 だから、精一杯の返事をしよう。そう思って、晋助くんのほうにきちんと体ごと向き直る。

「今、晋助くんの過去の話を聞いて、ちゃんとした返事もできないぐらいだし……自分に自信はやっぱりそんなにないけど、でも、気持ちは変わらないし、晋助くんが好きです」

 人の感性は十人十色だ。だからさっきの話を聞いて、嫌に思う人ももちろんいるだろう。そんな過去を自分じゃ受け止められない、抱えきれないと拒絶することもあるんだろう。
 でも、わたしはどうやらそういうタイプではなかったらしい。むしろわたしに話そうと思ってくれてよかった、わたしを選んでくれてよかったと感じてしまった。

「だから、ごめんなさい。わたしが坂田くんを好きだったことで、今も晋助くんを傷つけてるんじゃないかって心配で」

 高熱を出したからとはいえ、あんなにも精神的に不安定にさせてしまったのはきっとわたしがなかなかはっきりしなかったからだ。
 あの時の晋助くんの言動が忘れられないのはわたしも一緒だった。気持ちが通じ合って嬉しいはずなのに、わたしたちは色んな過去に囚われている。前に進めないでいる。

「ななこが銀時を好きになるのは必要なことだったはずだ」
「……そうなんですかね」
「だから俺達はあの駅のロータリーで出会ったんだろう。なんでお前はあの日、泣いていた? その理由が答えじゃねえのか」

 いつの間にか滲み出ていた水分が、雫となってぼろぼろと溢れ、頬を伝って落ちていく。それを拭ってくれた指先は、最初には想像できないぐらい優しくて。

「ななこが銀時が好きだったことは関係ねェよ。お前が優しすぎて、俺を受け入れすぎるからだ。ななこが俺だけのものになるには、なんて馬鹿みたいなことを考えちまうのはな」

 馬鹿な女だと思っていたが、本当に馬鹿なのは俺のほうだったらしい。そう付け足して、晋助くんは夜景へと視線をやった。

 その横顔に魅入った。スッと通る鼻筋に、形のいい唇、顎先へのラインは思わず溜め息が出そうなほど綺麗だ。瞬きをする度に目を縁取った、長いまつげが下瞼に影を落とす。その音すら聞き取ってしまいそうになるほど引き付けられていた。

 思わず、首に手を触れる。そこにある確かな感触にわたしはまた目尻に雫を溜めた。

 わたしは晋助くんだけのものですよ。だからわたしだけを見てください。夜景なんか見てないで。
 恥ずかしさから言うことはできなかったが、ただ湧き上がる感情に、晋助くんの言っていたことが少し理解できそうな気がした。





 どれくらいそこに立っていただろう。両隣の人たちが何回か入れ替わり、立ち代わりしたあとわたしは急に思い出す。

「……っあ、晋助くん! 風邪!」
「今ごろか」
「だって、なんかもう胸も頭の中もいっぱいで」
「そうかよ」
「でも、連れてきてくれて嬉しかったです。わたし、こんなの初めて」
「そりゃあよかったな」

 不意に、自分の頭の上に重みが乗った。ぐしゃりと頭を撫でられたんだとわかったのは、晋助くんを見上げたときに下りてくる手のひらに気づいたからだった。

「俺もこんなこと考えたのも、なんかしてやりてェなと思ったのも初めてだ」

 そしてそんなことを言われてしまえば、顔が熱くなるのは当然で。思わずうつ向いてしまいながら、手を引かれるのに着いていく。隣に並ぶには顔の熱が引いてからじゃないと。そう思いながら、晋助くんの少し後ろを歩いた。

 あんな夜景を見下ろせるぐらい高い場所にいるからだろうか。見上げた空は遮られるものがなく、いつもより星が近くにあるように思えた。
 だからすぐに反応できなかった。いつの間にか歩調を緩めていた晋助くんは、わたしに触れるだけのキスを落とす。それにただ、ぱちくりと瞬きをするだけになってしまったわたしを見て、晋助くんは小さく笑った。

 す、と下げられた目線はわたしの首元に注がれているような気がした。

「…どうせなら、身につけられるもんがいいかと思って調べてたらな、」
「はい」
「アクセサリーを贈る行為には相手を独占、束縛したいという深層心理がある、だとか出てきやがって」
「…はい」
「当たり前だろ、そんなもんとか思って、派遣でイベントブースの設営のバイトに行ってたら、風邪ひいたような気ィする」

 晋助くんはさらりとそう言って、わたしの隣を歩く。ふたりで歩き出す。さっきより早く鳴る自分の鼓動に、そしてそうさせてくる相手への返事に困る。

「晋助くんって恥ずかしいなとか思うことあります?」
「さァ、あんまりねェな」
「そんな感じしますね…」

 見慣れない車まで戻ってきて、その助手席に乗り込んでからはたと思い出した。

「晋助くん」
「あ?」
「ありがとうございます」
「……別に、いい」

 静かにエンジンがかかる。どんな道を通ってここまで来たのか全く思い出せなかったが、今度こそ流れゆく景色に意識を向けられそうだ。

「ななこ」
「は、い…!?」

 晋助くんがこちらを向いたなと思ったら、急に覆い被さってきた。その次の瞬間には座席がガコンと勢いよく後ろに倒れ込む。目を白黒させながら戸惑っていると噛み付くようなキスをされた。

「口開けろよ」
「だ、ダメですよ、人が通る…!」
「舌入れるだけ」
「え、えー…?」
「外では触れるだけにしただろ」
「いや、でも、見えますって」
「だから座席倒したじゃねえか」
「い、家! 家に帰ってからは?」
「今がいいんだよ」

 そんな攻防のあと、結局は負けて晋助くんと深いキスをした。それはなんだか久しぶりのように感じられた。
 晋助くんはずっと体調を崩していて、わたしが離れると呼ぶくせに、咳が出るから寄るなとか言われたこともあったような気がする。だから晋助くんがのしかかってくる重みや、酸素を奪われるような苦しさ、その中にくすぐったさにも似た気持ちよさがあることを思い出して、結局は自分から舌を伸ばして欲しがった。

 晋助くん、晋助くん、

「晋助くん、だいすき」

 弾む息の中、すんなりと言葉にできたものを聞くなり、晋助くんは額と額が合わさるような距離で「俺も」と言った。

 
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