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「ま、待って!」

 脇腹付近から侵入してくる指先を必死になって掴んで、さらには晋助くんの顎に至っては鷲掴むようにしながら引き剥がし、その顔を見た。

「なんで止めるんだよ」
「だって、晋助くんしんどいって…体も熱いし熱あるでしょ?」
「そうかもしれねェが俺が触れたいんだからいい」
「よ、良くない! 悪化しますよ絶対!」
「悪化しようがなんだろうがななこがここにいるのは今この瞬間だろうが。先のことは知るか」
「……え?」

 やけにドラマチックなセリフを言われたことで心臓が速く、力強く鼓動し始めるも、その言い回しがなんとなく引っかかった。

「今この瞬間よりあとは、わたしがいなくなると思ってるんですか? ……あ、でも確かに明日もバイトなんでいなくなるといえばそうなんですけど」

 冷静に返事と訂正をしてから、未だにわたしの上に覆いかぶさったままの晋助くんを見上げるも、今度は彼のほうが視線を逸らした。
 まただ。わたしからそうするのは嫌がるくせに、自分はすんなりと逃げていく。それが不満というわけでなかったが、どうして? という疑問が湧き起こり、徐々に膨らんでいく。

「ねえ、晋助くん、その……どういう意味ですか?」

 晋助くんはごろり、とベッドの上に寝転がった。だからわたしは上体を起こして、ただ天井を見上げているように思える彼の顔をじっと見つめた。
 さっきまであんなに饒舌だったのに、薄いくちびるが開くことはない。

「……話して、解決するようなことじゃねェ」

 かと思えば呟くようにそう言った晋助くんは、手の甲を目元に置いた。そのせいで細かな表情は読み取りづらくなってしまったし、その突き放すようなものの言い方に、わたしは返す言葉もなくひとりで困惑するばかりだった。

「まァ、理由をつけるなら、」

 晋助くんは少しだけ手のひらを浮かせて、その陰から視線だけをこちらに寄越す。
 いちばん最初は鋭くて、こちらを射抜くようなもの。次第に優しく、柔らかくなって、今はどうしてか揺らいでいる。そんな瞳に見つめられながら、わたしは、今度は視線を逸らさずにいられた。

「ただ、今は、恐らく熱のせいなんだと思う」

 落ち着いた声色に鼓膜を揺らされて、それに吸い寄せられるようだった。晋助くんの頭元に座り込んで、手を伸ばしかけてから、無遠慮に触れてしまってもいいのかと躊躇した。
 そこでようやく、ここに来てから自分が落ち着かない理由がわかった。相手の顔を見れないこともそうだが、こんなにも余裕がないように感じられる晋助くんが初めてなんだ。

 何をそんなに、ーーーとその原因について考える前に、自分の頬に手のひらが沿わされた。それは図らずも晋助くんの目元を隠していたほうだったから、その表情があらわになる。
 それはきっと控えめな笑みなんだと思う。だけど憂いを帯びていて、ようやく笑顔を作ったというように感じられた。

 刹那、自分の胸中に込み上がるものがあった。だから晋助くんの手を強く、強く、握った。

「そんなの、全然わからないです」

 そして込み上がったものは涙に変換されてしまって、表面張力を持ってしても耐えきれずに、顎先へ伝って落ちていく。
 目を開けていたってぼやけるだけだった。晋助くんの輪郭が幾重にも見えて、その表情をちゃんと捉えられなくなる。だから目を閉じてしまったけど、熱い手を逃すまいと握り締めた。

「だって、わかるほど知らないから。わたしは晋助くんが年下で、高校生で、たまに煙草を吸ってて、たくさんの女の人を経験してきたんだろうなってことと、」

 晋助くんはいつだって余裕たっぷりで、わたしのことを振り回して、あのワンルームの中に置いていく。
 顔を見られるのも、話ができるのも、くちびるや体を合わせることができるのも、晋助くんが来てくれるから。

 だけど、

「わたしに向けてくれる感情が少しわかるぐらいで、」

 顔を合わせて話をすること、キスをすることや触れられること全部が、晋助くんの優しさ、甘さを感じられるものになっている。

「晋助くんがわたしといるとき以外、どんな感じなのか検討もつきません。でもわたしといるときはいつも優しくて、傷つけられた気持ちとか寂しさ、つらさに寄り添ってくれる人だって知っています」

 そんな温かさがずっとそばにいること、それが絶対でないことが絶対。そんな絶望感を身を持って体験したのを、ひとりになれば事あるごとに思い出していた。

「だからわたしは晋助くんのことは全然知らないけど、ちゃんと好きです。だから今日だって、晋助くんから電話きたときに彼氏? って聞かれたから、晋助くんは素敵な人で彼氏だって言ってきたんですよ」

 だから、晋助くんと過ごすはずのクリスマスを考えただけで楽しくって幸せで、心が踊るようだった。

「わたしのせいですか? 晋助くんがそんな悲しそうな顔してるの」
「……ななこ、」
「それは嫌です。悪いところがあったなら直します、今、わたしに触れてもいいから、だから、ひとりで解決しないでくださ、」

 ハッとして目を開ける。それは自分が掴んでいたものに握り返されたからだった。

「ななこ」

 気がつけば晋助くんは上体を起こしていた。ベッドの上でぺたんと座り込むわたしと目線の高さを合わせてくれている。

「お前は受け身で、自分の気持ちより相手を優先しているようで、案外、真正面からぶつかってくるんだな」
「え、」

 触れるだけのキスをされたこと、その直前に放られた言葉の意味、それぞれの理解が追いつかなくて、わたしはぽかんと口を開けたまま晋助くんを見ることしかできなかった。

「彼氏、か」
「……好き同士だからそうなのかなって思ったんですけど、違いましたか?」
「いや、自分がそういう枠組みに収まるのを想像も考えもしなかっただけだ。……お前にそう言われるんなら悪くねェなと思ってる」

 晋助くんはそう言いながら、わたしのことを抱き締めてくれた。背中に回る腕も、首筋にかかる吐息も、全てが熱かったけどそれが晋助くんの存在をより感じさせてくれるようでまた目尻に滲むものを感じる。

「お前の隣に俺がいないとき、そうやって男は誰も近付けんなよ」
「そんな男の人いません」
「今はそうかもしれねェが先のことはわからねェだろうが」
「でもわたしは晋助くんが好きなんですよ」
「それはわかってた」

 同じように晋助くんの背中に腕を回しながら、余計な肉がなく骨ばった肩に頬を押し付ける。

「理解していたつもりだった。……どうして俺は、お前の目が他に向いてしまいそうに思うんだろうな」

 それで点と点が線で繋がるように、わたしはストンと理解できた。晋助くんの言動がなんとなく腑に落ちたのだ。



 晋助くんはずっとそばにいてくれていた。坂田くんに2度も振られようと気持ちの切り替えが上手くいかず、わたしがあの銀髪を見つめてしまっているのを、彼のほうも見ていたはずだ。思わず距離を置いてしまうぐらい、ずっと。
 晋助くんがどうしてそうなるのか、余裕がないのか、苦しそうな笑みを浮かべるのか、その原因をはっきりと突きつけられてしまう。

 坂田くんを好きだったこと、それはきっと間違いではない。だけどそれが正解だったのかもわからなくなってしまった。

 温もりを必死になって抱き締めながら瞬きを繰り返すとまた、熱く伝い落ちるものがあった。ぼんやりと、鞄の中にりんごとスポーツドリンクと薬とを入れていることを思い出したけど、それを手渡すにはこの手を離さなければならない。
 今日はクリスマスイブ。そのうち目を瞑って、起きたならクリスマス当日になっているんだろう。明日は朝から夜までシフトが入っているからまた、それらしいことはできずに終わるんだろう。それに晋助くんも体調を崩している。別に、このイベントは毎年やってくるんだし、日付にこだわらず後日でも問題ないはずだ。

 だから、この手を離すのは今ではない。こんなにも温もりを感じられているのに、絶対にそうだと思ってしまえた。
 わたしは晋助くんが好きで、彼もわたしのことが好き。その大きさと比例するほど、心が痛かった。

 
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