焼け落つ蝶の羽ばたき
戦地で傷つく彼らを水晶球を通じて見ていて、
ボロボロになって帰ってくる彼らを出迎えて、
目に見えて疲労が溜まっているのにまた戦地へ送り出して、
ときには限界を超えて折れてしまう刀さえあって。
その苦悩も咆哮も無念も慟哭も聞き届けてきた。
恨まれていないはずがない、と思う。
私には彼らを傷つけることしかできない。
私では救いになれないのだ、とは、すぐに悟った。
どうか私と一緒に戦ってほしいのだと願い乞い、それに応じてもらったところで、
彼らの真の主は過去にいるのだと、言葉の端々からわかる。
死者には勝てない。心を許してはもらえない。
歴史を変えないと誓ったからこそ、その傷跡や火傷をなかったことにはしてあげられないのだ。
時間にも予算にも限りがある中で、御役目は果たさなくてはいけないから、無理なことだって言い渡す。
それは私の事情だけれど、彼らは、心を目覚めさせ戦う力を与えた私<審神者>に従うしかない。
与えた意思と力を奪い取ることもできる。
他の刀剣の力の糧となってもらうこともある。
だからきっと畏れて、顔色を伺うようなことをさせてしまう。
もう戦わなくていいのだと言えたらどんなにいいだろう。
幸せになってほしいと願えたらどんなにいいだろう?
戦いのために生まれた彼らは戦いに真摯であってくれるけれど、
戦のない時代に生まれた私にはひたすら痛々しく感じる。
暖かな家屋で無事を待つことしかできないのを歯がゆく感じる。
己の”主”の死を知っているのなら、過去の悲劇を無念にも見届けてきたのなら、
それを防ぎたいと思うのは、どうしようもなく当然のことだ。
現代に生まれながら己のエゴだけで歴史改変を目論む輩なんぞより、よっぽど理解できる。
理解できるからこそ、遠い。
歴史改変主義者の主張を聞いたとき「なんて傲慢なんだろう」と思った。
大いなる歴史の流れを歪めるだなんて、人の所業ではない。
けれど今になってみれば、「歴史を変えない」と決めることだって、どうしようもない現代人のエゴなのだろう。
勝つはずの軍が負ける歴史、負けるはずの軍が勝つ歴史。
死ぬはずの誰かが死なない歴史、生きるはずの誰かが死ぬ歴史。
結ばれるはずの誰かと誰かが結ばれない歴史。
結ばれないはずの誰かと誰かが結ばれる歴史。
歴史が改変されれば、波及的に現代にも影響が及ぶ。
《蝶の羽ばたきが地球の裏側で台風を巻き起こす》なんて言葉があるように。
少しでも歴史の改変を許せば、今いる現代人の多くは生まれていないことになる。
別の歴史では誰もが別の人生を歩み、別の人間になっている。
自分と言う人間が存在しなくなる恐怖。
自分が別物になってしまう恐怖――。
それを許しがたい物として、お偉方は「歴史改変はあってならぬ」と声高に叫ぶ。
私だって自分が消えるのは怖くて、
家族や友達を守るためというお題目もあって、
審神者という任を受けるのが誇らしかったのに。
どうして歴史を変えてはいけないのか。
歴史の分岐点上では改変の影響はそれほどない。
彼らが己の主の命を救ったところで、改変の悪影響は元の彼らには襲いかかったりしない。
現代人の進退なんて、彼らにも彼らの主にも関係のない事情だ。
過去に生まれ、過去の主と共に生きた彼らを、私が勝手に呼び起こしたのに、
その願いを叶えてあげられない。
ただ、私の願いを叶えるように命じ、戦いへ投じる。
誰もいない部屋で「ごめんなさい」と涙を流す。
役目から解放してあげることができないのだから、謝罪さえ甘えだと思う。
彼らの前では傲慢な主として命じるのだ。
決して許されないなくても、かまわないから。