「Cadaver:0-301、0-277、X地区にて脱落」

 偏倚した事務的な声が室内に流れる。またかと慨嘆しながら赤のボタンを押すとエンドレスに流れていたそれがピタリと止む。前髪は片目を覆い隠す程の長さがある漆黒の髪に、それに合わせるように真っ黒な瞳と服装、そして黒のマフラーを身に纏ったジンダは優雅に座って紅茶を飲んでいる金髪の優男に視線を向けた。

「ノアイ様、如何なさいますか」
「意外に呆気なかったなー。まあいいや、棄てといて」
「承知」
「あ、そうそう。ジャパンから一人、誰でもいいから堕としてよ」
「では、環境性格品性外面全ての面から選り抜かせて貰います」
「あーはいはい」

 自分が嘱託したというのに、どうでもよさげに紅茶を飲む上司に気色ばむ程ジンダは短慮ではない。ジンダはノアイに向けた視線を直ぐに外し、やはり黒の手袋を填めると男の傍を離れる。

「言い忘れてたけど、」

 ノアイは今思い出したとばかりに声を上げる。ジンダはぴくりと肩を小さく揺らし、だが足は止めずに前へと進む。

「紅茶好きじゃないとイヤだから、俺」

 高揚のない声が室内に響く。結局ジンダはそれに応えることも止まることもなく、姿を消した。


 何年昔だったか、或いは何年先のことだったか。あるところに母親のいない家庭があった。とても優しい心を持っている父親は、ガサツで喧嘩っ早い、そんな息子でも愛していた。だからこそ息子は父親が嫌いだった。そんな家族に修復不可能な亀裂が入ったのは、はて、いつだっか。

「……ど、ういうつもりだ」
「どうもこうも見たままであろう」

 嗤いを噛み殺しながら手の物をカチャリと鳴らしたのは優しかった筈の父親だった。息子は青ざめ、初めて恐怖を感じた。父親が自分に向けて無表情で、淡泊に銃を向ける滑稽な空間には、滑稽な二人の姿。優しかった父と乱暴な息子。

「死ね」

 父親は優しく嘲笑(わら)い、そしてゆっくりと引き金を引いた。


 ――寒い。最初に思ったのはそれだった。重たい瞼をゆるゆると開けると一面真っ白な空間が広がっていた。雪が降っているようだが、早くも感覚が麻痺して冷たいとは思わなかった。背中はヒリヒリするが。
 雪の上に何故か寝転がってる俺は目を左右させて場所を確認する。どこだよ、ここ。つか頭痛いえんだけど。手を動かすとギシギシと嫌な音がした。掌を見てぎょっとする。真っ赤だ。寒さで赤くなっているとかそういうんじゃなくて、赤い何かがこびり付いているような――。

「アあ、起きたみたいだよ、雫」
「みたいだネ、滴」

 悴んだ指が赤に濡れている理由を沈思黙考していると、気配もなく"それ"は現れて俺に影を作る。俺は勿論それにも驚いたし、"それ"の形容にも驚いた。 三日月に象った口からは鋭利な歯が覗いていて、頭はボサボサで顔なんか見えやしない。。ただ言えることは、体は一つ、しかし顔は二つだった。首の根元が裂けていて、そこから木が生えるように分かれている。隠れていない顔は継ぎ接ぎだらけでまるで失敗作の人形みたいだ。ケタケタと声を上げている"それ"をさぞかし間抜けな表情で見ている俺は、未だ地面に縫いつけられたままだ。ってか背中が異様に重くて起きあがられねえ。くそ、と舌打ちして気づく。そうか、これは夢だ。だからこの気持ち悪いのも、何もかも夢だ。自分に言い聞かせるように肯くと何が面白かったのか二つ首が笑った。腹が立って噛みつこうとすれば。

「ノアイサマがね、お前をヨンデルンダ」
「だから、イクヨ」

 先程まで重かった背中が軽くなるのを感じた。目を数回瞬いて、夢だから何でもありだななんて思って起き上がると頭が異常に痛かった。痛いなんてもんじゃない。

「……ぐ、っぁ、ああ゛ぁああ!」
 何故先程までこの痛みを感じなかったのかと不思議になる程の激痛。頭を押さえるとぬるりとした生暖かい感触。呆然としたまま手を面前にやると真っ赤な血が手首を伝い、服に染み込んだ。あっという間に赤に染まった服をまた茫然と見ていると頭にガツンと衝撃が走り、揺れた。俺の意識はブラックアウトする。