俺は今、目の前の敵をどう回避するか、必死に考えている。

「おい、早く入れろよ」
「帰れ」

 俺の敵――相楽は、イライラとした顔を隠そうともせず、もう一度入れろと言った。終いには俺を押し退けて勝手に入りそうな相楽に内心冷や汗が流れる。
 ここは生徒会と風紀専用フロア。そして……。

「大体何で俺の部屋に入る必要があるんだよ!」

 俺の部屋の玄関で、今戦いが繰り広げられていた。


 事の始まりは数分前。俺はホワイトデーでお返しないんですかアピールをしてくる親衛隊を睨んで退けた後、不機嫌なまま部屋に帰った。何で俺がお返しとかしなきゃいけねえんだよ。面倒臭い。帰ってポテチをバリバリ食っていた時、ピンポンとチャイムが鳴った。俺は瞬時に固まって指に付いた油や塩とポテチの袋を交互に見る。……や、やべぇ。さっと顔が青くなる。取り敢えず指を拭いてポテチの袋を輪ゴムで留めると、様子を窺った。このまま去ってくれればいいんだけど。チラリとポテチの袋を見て、そのままじっとする。チャイムは一度鳴ったきりだ。俺はホッとしてポテチの袋に手を伸ばす。
 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン――。

「う、うっせー!」

 何だよ誰だようっせえな! 俺は怒りで体を震わせてドタドタと音を鳴らしながら玄関に向かう。そして勢い良くドアを開けると、真っ赤な髪が。それを見た瞬間直ぐさまドアを閉めようとした。しかし、ガッとドアを掴まれ、俺が閉めるよりも早く引かれ、ドアは呆気なく開いてしまった。

「……よォ、生徒会長サマ?」
「……何しに来やがった、相楽」

 つーかさっきのお前かよ! …いや、よく考えたらあんな嫌がらせ、相良以外にしないだろ。馬鹿か俺は…。

「お前さ、俺に渡すもんがあるだろ?」
「は?」

 ねえよ、んなもん。ぐっと眉根を寄せて睨むと、相楽が呆れたと言わんばかりに深く長い溜息を吐く。意味が分からないが、どうやら馬鹿にされているようだ。

「…手、放せ」

 俺はポテチが食いたいんだよ。どうせこいつのことだから、ただ嫌がらせをしに来ただけだろう。早く帰れと心の中で念じていると、相楽は少し考える素振りを見せた後、口角を上げた。げ、嫌な予感。

「よし、部屋に入れろ」

 そして冒頭へと戻るわけだ。



「俺は今忙しいんだよ」
「何やってんだ?」
「何でお前に教えなきゃなんねえんだ。帰れっつってんだろ」
「強情だなお前も――ん?」

 睨み合っていると、片眉を上げた相楽は、いきなりぐっと顔を近づきてきた。驚いて顔を引くが逃がさないとばかりに更に近づけてくる。何だか口周りをじっと見つめている。予想外の行動に硬直していると、べろりと唇を舐められ――は!?

「な、な…」
「…やっぱり塩か」
「は?」

 何言って…と思った瞬間、唇に柔らかい何かが当たった。そして腰に回る腕。ビクッと震えると、相楽が唇を離してくくっと笑う。自分が何をされたのかその時漸く分かり、怒りと屈辱にカッと顔が赤くなった。

「テメェふざけんのも大概にっ、んむっ!」

 こ、こいつ――! 怒りがゲージを越した時、バレンタインデーのあの忌まわしい出来事を思い出した。そしてある仮説が浮かんだ。もしかして渡すものってあんときのお返し…? いやいやいやねえよ! マジねえよ! あれ貰ったって言わねえし、何より俺がこいつにお返し…? ゲエエエェェ、キモッ! 吐きそうなくらいキモいわ!
 有り得ないくらいキモい想像を揉み消す。あれは仮説だ。あれは仮説…。
 ガチャン。

「…あ?」
「ほら、奥行けよ」

 あ、あああああああ!? こいつ、どさくさに紛れて中に入りやがった! 何考え込んでんだ俺!?
 ニヤニヤしている相楽を力一杯睨んだが、ふと今この状況が途轍もなくヤバイということに気がつき、真っ青になる。
 や、ヤベー! 部屋ん中は菓子がっ…。

「さ、相楽。お前の話は外で聞いてやる。だから…」
「フン。誰がテメェの意見なんて聞くか。俺はもうここで話をするって決めた」

 こいつぶん殴りたい。

「つーか…」
「あ?」

 相楽はチッと舌打ちをする。舌打ちしたいのはこっちだ。すっかり相楽のペースだというのに、当の本人は酷く不満そうだ。

「お前、何とも思わねえわけ」
「何がだよ」
「っ……、ッチ。話になんねえな」

 一瞬傷ついたような顔をして、目を見開くと、もう元の顔に戻っていた。見間違いかと胸を撫で下ろす。何故かさっきの表情は…心臓を掴まれたような感覚になった。

「――ってちょっと待て! 部屋に入るな!」
「ハイハイ」
「聞けよ!」

 その返事もハイハイと適当なもので、俺は焦りやらなんやらで深く考えもせず、相楽の背中に飛びつく。

「……っ!?」

 相楽は振り向いて驚いたように俺を見る。長身のイケメン(俺)が長身のまあまあイケメン(相楽)に抱き着いている異様な光景だが、今そんなことを気にしている場合ではない。幸い、誰も見ていないことだ。ぎゅっと力を込め、引きとめようとした。

「お、おま、…何して」

 珍しく動揺している相楽の顔は、何だか赤くなっている。先程の俺と同じように怒りと屈辱で赤くなっているんだろう。俺の気持ちが分かったかよこのヤロー。
 悔しいがちょっとばかり相楽の方が高い為に上目遣いになってしまう。ギッと睨むとゴクリと喉が鳴った。ん? と思っているうちに力が緩んでいたのか、俺の腕はべりっと剥がされた。そして向かい合う形になると、何故か、何故か! 再び抱き合った。

「相沢…」

 耳元で熱に浮かされたように色っぽく囁き、意図せず顔が赤くなり、心臓がばくばくと鳴り出す。な、え、なんだこれ!?

「お、お、おい、相楽」
「…っ」

 ハッと息を呑む音がして、体が解放された。静まり返ったリビングへと続く廊下で二人…。物凄く気まずい。つか、苦虫を潰したような顔をしている相楽が意味わからないっつか…。

「…悪かったな」
「え…」

 そう言うと、視線も合わせずに俺の横を通り過ぎていく。…何で玄関の方に行くんだよ? 話、するんじゃなかったのかよ。何でお前がそんなに思い詰めた表情してんだよ。……何なんだよ! チクショー!
 俺は走ってリビングへ行き、比較的甘さ控えめの菓子を手に取ると、それを持って再び玄関の方に走った。家の中を走るなんて品がないなとふと思ったが、まあ誰にも見られてないしな!
 閉まりかけている玄関のドアをぐっと押して開くと、相楽の背中を睨んだ。

「――おい、相楽!」

 しかし、振り向かない。くそ、と思って手の中の物を思いっきり投げつける。

「いっ!?」

 箱の角が背中に当たったのか、そこを手で押さえて振り向く。先程の思い詰めた表情ではなく、普段の――相楽だ。それにホッとして、俺はニヤリと笑う。

「それ、あん時の礼だ! 有り難く受け取りやがれ!」

 ぽかんとする相楽に気を良くし、じゃ、と言ってドアを閉める。ククッ、あの間抜けな顔。状況が分かってないみたいだった。笑いを噛み殺しながら、唇に手を遣る。……さっき、あいつに――。キス、という単語を脳裏に浮かべた途端、顔に熱が集まる。あ゛ー! キモい! 俺超絶キモい! もう考えるのはヤメだ!
 そうだ、ポテチ食べようと怒りに任せてバリバリ口に放り込んだが、一向に熱は引かない。それどころか唇の感触が消えないので相楽クタバレと何度も口にしたのだった。


おまけ

(side:響)

「あいつ…」

 俺は相沢の部屋を呆然としたまま見る。そして、足元に転がった一つの箱。どう見てもそこらへんに売ってる安物の菓子。しかし、それは紛れもなく、あいつから貰った初めてのプレゼント。しかもあの時の礼だと言っていた。自惚れでなければ、バレンタインの時のアレだろう。
 遣ったことに恐らく何の意味も持たないそれを手に取る。甘さ控えめ! とデカく書かれたパッケージにくすりと笑みが漏れる。期待しても仕方ない。あいつは俺のことを嫌っている。…でも。キスしても殴りかかる程怒らなかった。俺が傷つくと、あいつも何故か傷ついたような顔をする。抱き着いて来た。抱き締めて囁くと、顔を赤くしていた。……可能性は、ゼロじゃない。

「絶対手に入れてやる」

 俺を本気にさせたこと、後悔すんなよ?



な、長い!
ほのぼのを目指した結果がこれだよ!
書いててすごく楽しかったです。