3限が終わり、次の授業のため理科室へ移動する途中、職員室の前を通り過ぎようとしたところで何故か世界史の先生に手招きされた。 昨年、桑原のクラスの社会を受け持っていた先生とはいえ今のクラスは別の先生が歴史を担当しているので、この教諭との交流は無いのだが、なにゆえ呼ばれたのか。 思いつかないがひとまず職員室に入り、教諭のもとまで行けば一枚のプリントを渡された。 はて、何も覚えがないが、一体………まさか! 『桑原、悪いがコレ渡しといてくれ』 『…またブン太ですか』 いつも悪いなぁとまったく悪びれてない様子で頭をかく先生は、『よろしく頼む』と言い残して次の授業の道具一式かかえ、そそくさと職員室を出て行った。 残された桑原はというと、手元のプリントを眺めながらため息ひとつ。 赤字がオンパレードなプリントは、右上に大きく18点と書かれており、その隣に『課題提出!週明け職員室に持ってくるように』と添えられている。 おそらく先日かその前か、丸井のクラスで行われた世界史の小テストなのだろう。 抜打ちテストとはいえ『赤点者』には必ず課題を出すとタイプの先生だ。 小テストでは生徒同士に採点させその場で答案を返すが、赤点者の答案のみ回収し特別対策のプリントを作成し『課題』としてやらせており、ある意味熱心な先生ではあるものの、なぜか『課題プリント』を授業中に渡さず、後日職員室で渡している。 そのため通常であれば赤点の生徒を呼び出すのだが、こと一部の生徒に関してはこうやって当人以外に渡してくることがあり、今回に関しては先生の受け持ちクラスの赤点保持者、丸井ブン太がその『一部の生徒』にあたるのだろう。 以前も同じような理由でこの先生から丸井宛のプリントを預かったことがあるため、赤字のプリントとまっさらな課題プリントを見比べ、だいたいのことを察した桑原も、できれば直接生徒本人に渡して欲しいものだと思わずにはいられない。 (だいたい、点数が思いっきり書いてあるのだし、生徒によっては見られたくないものだろう?) しかし、丸井は呼んでもすぐに来ないと言われ、『放課後まで行けばいいだろい』が信条の生徒と、『呼ばれたらすぐに来い。放課後じゃ先生、忘れちゃうだろ!』などと先生らしくないことを言う先生。 ―どっちもどっちだろ。 間に挟まれる桑原のようなクッション材、もとい伝言を頼まれる生徒は『なんで俺(私)が…』と文句のひとつも言いたくなるが、先生も生徒をよく見ているので、表だって主張しない生徒に『頼む』と声をかけてくる。 それに、桑原の場合は丸井公認だ。 というか。 『こら丸井、どこへ行く?職員室に取りにこいと言ったばかりだろ』 『悪ぃ、いま忙しいんで』 『先生だって忙しい』 『俺の昼がかかってるんです』 『は?』 『早くしないと、特製カツサンドデラックスとバケツプリン、メロンパンスペシャル、立海ばくだんおにぎりが売り切れる!』 『どれも購買のレアもんだな』 『でしょ!?』 『確かにチャイムと同時ダッシュじゃないと、間に合わないな』 『そーなんスよ。てなワケで、後で行きま〜す!!』 『こら!お前、いつもそう言って……昼休み終わるまで、必ず来いよ!?おい、丸井!』 『ハイハイ、らじゃー!』 『…ったく』 こんなやり取りはしょっちゅうで、結局昼休み中に職員室に来ないので叱ることになるものの、育ち盛り・食い盛り、特に丸井のように人一倍食べるタイプには、ランチタイムは戦場だ(本人、毎日弁当だと言うがそれだけじゃ足りず購買で買い足すというため)。 結局いつも先生側が折れて待つものの、以前職員室を通りがかった生徒が偶然、丸井と親友の間柄だったため気軽に届け物を頼んだら快く受けてくれた。 彼はすぐさま丸井のクラスへ届けてくれて、さらにちゃんと提出したかの後追いまでケアしてくれたらしく、今までとは比べ物にならないくらい早く提出された課題に、先生方は驚いたそうだ。 『やれば出来るじゃないか、丸井!』 ところが次の時に丸井本人に渡したところ、提出期限を大幅に過ぎて出してきて、間違いの多さも酷かった。 さらにその次、これまた偶然通りがかった丸井の親友に頼んだところ、翌朝丸井が職員室へやってきて提出し、回答もほぼほぼ出来ていた。 これはいったい…? 答案を見るに誰かにやってもらっているわけではない。 ちゃんと丸井の字だし、試行錯誤したのか消しゴムで何度も訂正した跡も見てとれた。 恐らくプリント渡しをお願いした彼の親友が丸井のお尻を叩いてちゃんとやらせたんだな、と思うことにしてそれからというもの彼の親友―つまりは桑原に頼む機会がグンと増えたと言おうか。 ちなみに丸井の名誉のために言うと、そんなにしょっちゅう赤点を取っているわけではない。今回のように課題プリントの時もあれば、提出物やその他資料渡しのケースもある。ただ、桑原に頼むと丸井の提出率が格段にあがり、早い、という結果が出ているためついつい任せてしまうようだ。 世界史の先生に限らず、数学、科学、国語、体育、技術…… 生徒・丸井を受け持つ先生方の間では『丸井=桑原』の構図が出来上がっており、当の本人が『ジャッカルに渡しといて!』とどの先生に対しても言い放つため、丸井公認の代理人として広く認知されているのだろう。 『自分のことは自分でやれ』『イジメじゃないだろうな?』などの声があがらないのは、丸井と桑原が小学生からの仲で、中学では全国一のペアとして名が知れ渡る程の活躍をあげた立海テニス部不動のナンバー1ペアであるからだろう。 普段もとても仲がよく、人のいい桑原が一方的に我侭放題な丸井の面倒を見ている、などと揶揄されることはあるものの、互いに深く信頼しており、揺ぎ無い絆がそこにあるのは誰から見ても明らかだ。 …とはいえ、桑原としても丸井の『ジャッカルに渡しといて!』は何とかして欲しいと思ってはいるのだが。 (だいたい同じクラスならともかく、別々なわけだし) 4限の科学を終えて自身のクラスに戻る前に、例の丸井のクラスをのぞいたが当人は不在。 昼休みなのでチャイムと同時に購買ダッシュしているのだろう。 教室に入ってくる他クラスの生徒というのは目立つものだけれど、それが桑原の場合は全員一致で『ああ、丸井か』と彼の目的を察するらしい。 丸井がいてもいなくてもやることは一緒で、丸井の机にプリントを置いて『明日提出しろよ』とプリントの右上に鉛筆で書置きを残す。それだけで教室に戻ってくる丸井は全て察し、放課後の部活時に桑原へ『さんきゅー』と一応の礼を述べるのである。 そしてなぜかそれが部長、副部長の耳に入り『わが立海テニス部のレギュラーが、赤点…?』と真剣な表情で丸井を見つめること一秒、二秒、三秒… 『い、いや、その、今回はたまたまで―』 『赤也といい丸井といい、何をやっている!赤点などと!!』 『ちげーって。赤也は定期テストで、こっちは小テスト!抜打ち!!規模が違うだろい』 『何を言っとるか!普段からきちんと授業を聞いていれば、抜打ちテストだろうが赤点を取ることなど無い!』 『人それぞれ苦手教科ってモンがあんだろーが!』 『たわけが!部活後、部室でプリントを終わらせろ』 『げっ…』 『明日の朝一で提出せんか、馬鹿者!』 『ほっとけよ、他クラスのことは……』 『何だ』 『何でもねー!家帰ってやるから』 『結局いつも家でやらんだろうが』 『ンなことねーって』 『いままで何度、弟たちの面倒を言い訳してきたと思っている』 『うっ…』 『わからんことがあれば聞け。終わるまで見てやろう』 『…カンベンしてくれよ』 鬼の副部長とのやり取りを経て、最終的にその様子をのんびり眺めていた部長様に『とりあえず課題は学校で終わらせて、明日一番に職員室へ持って行こうか。ブン太、出来るよね?』などと微笑まれてしまえば『イエッサ…』と答えるしかない。 先生方の預かり知らぬ『脅威の提出率』の理由なのだが、それでも丸井の頭の中では『自分が直接受け取れば他の誰にバレることはない』との結論にならないところが本人の単純すぎる所以か。 どうせ今回も部活時にバレるんだろうなと半ば確信しつつ、それが丸井のためだと割り切ることにして。 丸井の机から取り出したペンケースをプリントの上に重石として乗せて、教室を出ようとしたところで教卓近くの席の女子に声をかけられる。 『ジャッカルー。丸井は?』 『ブン太なら、購買だろ』 『…マジ?』 『俺よりお前の方が知ってるだろ。同じクラスなんだし』 『一番前の席だからいつ教室出たかわかんない。アイツ、後ろの席だし』 『もうじき戻ってくるだろ、パン買ってるだけだろうし』 『あんのヤロウ』 『え…?』 『アイツ、これから委員会なのに……逃げやがった』 おいおい。 女子なんだから、そんな言葉使いすんじゃねぇよ、とは到底女生徒本人にはいえない。 般若の形相で両拳を強く握り、憎憎しげに丸井の名前を呟く女子………怖すぎる。 いくら女生徒が中学時代の元クラスメートで、丸井も含め友達な間柄であるとはいえ。 もっとも、女生徒と丸井の罵り合いは中学時代何度か見たことがあるので、ケンカするほど仲が良いを地でいく二人だとは思っているが。 『何?私一人で委員会行けっての?』 『お前ら、同じ委員だったのか…』 『あんのバカが勝手に推薦したの。知らない女子と組みたくねーって』 『そ、そうか』 『他にも知ってる女子いるだろーっての!ま〜じで、全部自分がやるからって頼み込まれたから仕方なく受けてやったのに』 『何の委員だよ』 『美化・緑化委員』 『あ〜…』 『ね、極力遠慮したいでしょ?しかも今日、来月の校内緑化月間の細かいこと決める一回目の委員会なのに』 『…忘れてるかもしれないな、ブン太だし』 『覚えてるに決まってる!朝から委員会出たくね〜ってうるさかったし』 『……すまねぇ』 『ジャッカルに言ってもしょーがないけどさ。…ほんっと、直前で逃げるなんて、男としてどーなの。コロス!』 『殺人はカンベンしてやってくれ。けどよ、サボりはしねぇだろ』 『なんで?』 『美化緑化だろ?隣のクラスの―』 『ああ、幸村?まぁ、同じ委員だね。けど、あいつ今日、公休でしょ』 『公休?』 『そ。緑化月間で色々植樹するから、先生と園芸関連のイベント参加中。今日の委員会は副委員長と委員だけ』 『…そんなイベントで休みになんのか』 『だから丸井がサボるんでしょ。鬼の幸村がいない間に―って』 『ありえるな』 あともう少しで委員会が始まるからそれまでに早く弁当を食べて特別教室に行かなければ。 壁の時計を見ながら嘆く女生徒に、恐らくサボるつもりで逃げたであろう丸井の親友として『すまねぇ』としか言えない。 『アイツが本当に委員会サボったら、明日幸村にチクる』 高々と宣言する彼女に、その後の部活で悲惨な運命が待ち構えているに違いない親友を想えば『それは止めてやってくれ』とお願いしてしまうところが心優しきジャッカル桑原という人なのか。 女生徒は怒りでいっぱいになっているからか、元クラスメートとはいえ桑原のお願いをそう簡単に聞いてくれるようではなく、後々冷静に考えれば理不尽に違いないのだけど、丸井並に自分勝手な台詞を桑原に叩きつけた。 『連れてきて。丸井を。いますぐここに』 『いや、あのさ』 『ジャッカルの義務でしょ!』 『おい…』 『丸井の責任、ちゃんと取ってよね』 『あのなぁ。めちゃくちゃだぞ』 『ジャッカルの物は俺のモノ、俺の物も俺のモノ〜♪なんてアホな歌うたってんだよ?あのバカ』 『……ったく』 『どこのジャイ○ンなんだっての』 『…まぁ、ああいうヤツだから』 『甘い!甘い甘い甘い。ちょっとは突き放すとかしなさい!いくら過保護なバカ親だとはいえ』 『おい、誰が過保護なバカ親だ』 『ジャッカルが言えないなら、私がぶったたいてやるから』 『…中学ん時から散々ぶったたいてねーか?』 『なに!?』 『……何でもねぇ』 『ふっふっふ、そうか。サボるならソレ相応の罰を……どこまでも追いかけて天誅食らわせてやらないと』 『は?』 『丸井、どこにいるの?』 『いや、だから、購買―』 『確実?100%?入れ違いで教室にきたとか言ったら、アンタ張っ倒すけど?』 『おい、落ち着け』 『ほらほら、とっとと言いなさい。丸井はどこにいるの?』 『…だから俺に聞くなって』 プッツンしたのか、はたまた常日頃から丸井の行動に迷惑こうむっているからか。 ホホホと微笑みながら物騒な台詞を吐く元クラスメートは、はっきり言って怖いし極力絡みたくはない。 しかし絡まれてしまうのも、その理由が丸井なのも、これまた桑原にはどうしようもない事。 そして、『ジャッカル桑原』たる所以とでも言おうか、ある意味運命と言い切ってしまっていいだろう。 ―俺はブン太の保護者じゃねー! 盛大に叫びたいところだが、それを周りが許してくれないのはわかりきっていることだった。 (終わり) >>目次 |