毎朝お母さんが作ってくれるお弁当は子供のことを思い、好物だけでなく苦手なものも克服できるようにと栄養バランスもばっちり考えられた、『主婦の鑑』といっても過言ではないほど、優れた手作り弁当だ。 幼稚舎の妹は給食、大学部の兄は一人暮らし。 現在、母の愛情たっぷり手作り弁当をいただいているのは、三兄弟の真ん中 -次男だけなのだが、それでも母親はお金を渡して『適当に食べなさい』ではなく、基本的には毎朝お弁当を作ってくれる。 だがしかし、よく食べてよく眠る元気いっぱいの次男は、ぼーっとしているときと覚醒しているときの落差が激しく、物心つく前からそういう性格・気質だったので身内にはお馴染みなのだけど、お弁当を玄関に置き忘れてしまうのは、決まって朝ぼーっとしているときだった。 母親、兄、妹、ときたま父親。 家族がかわるがわる『お弁当をリュックにいれてから、背負いなさい』と口をすっぱくして言い聞かせても、その時は頷いて『ごめ〜ん、次からそうする』と両手をあわせて申し訳なさそうに呟く次男は、次の日にはケロっと忘れ、リビングで母親に渡されるお弁当をそのまま引っつかんで玄関へ向かう。 『朝練…ちこく…』 ぶつぶつ呟いて靴棚の上に弁当を置き、スニーカーをはいていると、頭のスイッチが『朝練遅刻?』のみにかわってしまい、置いた弁当を忘れて玄関を出てしまうんだとか。 数十分後に登校しようと玄関へ向かう妹が、ポツンと置かれた弁当を見つけては『おかーさーん、ジロ兄ィ、また弁当忘れてったよー』で発覚し、次男のお弁当はそのまま母親のお昼にまわったりもする。 母親としては弁当を忘れた息子がちゃんと昼ごはん食べているか心配になったものの、こういうことも見越してランチ代をいくらか財布に入れているし、そのあたりはお隣の岳人くんに任せているので『弁当が無い』からとお昼ご飯にありつけないことは無いはずだ。 …そのお財布を自室に忘れてしまうことは、母親としても盲点だったのだけれど。 以前お弁当を玄関に忘れ、お財布も部屋に置き忘れてしまったときには、なにゆえ普段使わずリュックに突っ込んだままの財布を、あえて取り出して部屋の机に置いてしまったのか妹は心底なぞだった。 当人も財布を取り出した理由はサッパリ覚えておらず、いっつもいつも同じオレンジのリュックで他のカバンは持たないのに、なぜ用もない財布を出したのか聞かれ、『なんでだろ…』と問い返したくらいだ。 2〜3回忘れても大丈夫なように、それだけのランチ代はこっそり忍ばせている母親の愛なのだが、それが実際に使われたことは驚くほど少ない。 いわく。 『お弁当忘れちったけど、跡部がおごってくれたー』 『皆がちょっとずつご飯くれたよ〜。うんとねぇ、忍足におにぎり貰ったー!岳人はトンカツで、宍戸はササミフライ!鳳がサンドイッチくれて、日吉は煮物〜』 『跡部がカフェテリアのランチコースで、ミートプレートとフィッシュプレート2種類食いたいけど多いからって、半分くれたー!』 『珍しく跡部がお弁当だったんだ〜。そんで、でっかい重箱だったから、わけてもらったんだ〜。ご飯くいっぱぐれなくて良かったー』 ―あらあらテニス部の皆にお礼しないとね。 慈郎のお友達は、皆仲良しねぇ。 跡部くんにはとっても良くしてもらって。親御さんにもお礼しましょうね、慈郎。ちゃんと跡部くんに『ありがとう』出来てるの? 『えー?あったりまえだC!毎回、ちゃんとありがとーって言ってるもん。 それに、跡部ってすっげぇんだよ。俺が弁当忘れると、すぐ気づくんだ。俺が気づいてないのに跡部のほうが先にわかることもあるんだー。 まじまじ、すっげぇっしょ』 ―こ〜ら、慈郎。忘れたときのためにお昼代あげてるでしょう?あまりお友達に迷惑かけちゃいけません。今度忘れたら、カフェテリアでも食堂でもいいから、買いなさいね? 『はぁ〜い。でもでも、買おうとしても、その前に跡部がオレの昼ごはん、用意しちゃうんだよ』 ―あらあら。跡部くん、すごいのねぇ。 『うん!跡部はまじまじすっげぇんだ。何でもわかっちゃうの』 そして今日もまた、8時過ぎにランドセルを背負い玄関へ向かった幼稚舎の妹が、靴だなの上に置かれた見慣れた兄の弁当BOXを引っつかんで、リビングでテレビを見ながらお茶をすすっている母親のもとへ持ってきた。 ―おかーさーん、はい、これ。 ―あら……お兄ちゃん、また忘れちゃったのね。 ―どうせ景吾くんにおごってもらうんでしょ。ほんっと、ジロ兄ィったら。 ―困ったわねぇ。ちゃんとご飯、食べれるかしら。 ―岳ちゃんも亮ちゃんもいるし、大丈夫でしょ。 ずずっとほうじ茶をすすりながら数時間後に『おべんとー、忘れた〜!』と騒ぐであろう息子を想像し、ため息をつく母親に『行ってきます』と告げて家を出た妹は、取り出した携帯で素早く文字を打ち、年上の友達へとメッセージを送った。 『おはようございます。お兄ちゃん、またお弁当忘れちゃった』 すぐさま「既読」で返ってきたメッセージには『おはよう。今週二回目だな。昼食は心配しなくていい、こちらで用意する』。 ―これでオッケー。まったく、お兄ちゃんには困ったなぁ。景吾くんがいなかったら、どーすんの。まったく。 『跡部はまじまじすっげぇんだ。何でもわかっちゃうの』 そんな『まじまじすげぇ』跡部の最大の情報源が自身の妹だといつ気づくのか。 今日も今日とて昼休みになれば3年C組に『ジロー先輩…跡部さん、が、待って…ます。ウス』でお迎えの樺地が現れ、カフェテリアに連れて行かれ、ランチコースを振舞われるのだろう。 慈郎は目をキラキラ輝かせて、『まじまじすっげぇ、跡部!オレ、お弁当忘れたのさっき気づいたのに!?』なんてはしゃぐに決まっている。 芥川慈郎、お昼はお弁当派。 けれども結構な割合で持ってくるのを忘れてしまい、その度にチームメートにお世話になっている学校でのランチ事情。 入学当初は色々な人に助けてもらっていたものの、今となっては生徒会長が一身に引き受け、面倒を見ているらしい。 (終わり) >>目次 |