習字の練習用に使っている墨汁が切れたので行き着けの文房具店へ買いに行くがてら、母親に頼まれたお茶菓子を見に、最近ご近所で評判の菓子店へ向かった。 和菓子職人の一人息子と、ケーキ屋の一人娘兼パティシエが結婚した結果、珍しい和洋菓子店として数年前にオープンした小さなお店は、今では町内のみならず遠くからもお客さんが来るほどの人気店だ。 お菓子好きな部のチームメートも何度も足を運んでいるようで、新作が出る度に部活の休憩中、ダブルスパートナーや後輩にその話をふっているところを見かけるし、彼からの情報で気になった新作が出たときは部活帰りに店に寄り、家族のために買って帰ることもある。 洋菓子のみのお店ではないので、多少いかつい高校生が入店しても違和感を覚えることは無い。 彼本人も、甘いもの好きなチームメートのように砂糖と生クリームが似合うタイプではないので、可愛らしいケーキ屋は抵抗あるものの和テイストとうまく融合しているお菓子屋には、難なく入れる点がありがたい。 (む…?) 先客は1名のみにて、ショーケースを真剣な表情でのぞいている女性……ではなく、よくよく見れば小学生高学年ほどの女の子だった。 一人でおつかいだろうか? 微笑ましい気持ちになり、自身の小学生時代の『おつかい』といえば文具屋で祖父の書道用の半紙、母の頼みでスーパー、八百屋、とこの子のようにお洒落なお菓子屋では無かったことを思い出す。 注文していた大福を取りに近所の和菓子屋―はあれど、洋菓子屋への『おつかい』を頼まれるようになったのは中学も後半に入ってからだったような気がする。 というよりも、母の好みが変わっただけなのかもしれないが。 「う〜ん、どうしよう…」 色とりどりの甘いものを眺めながら悩む姿は、子供らしく可愛らしいものだ。 イチゴのショートケーキと、チェリータルト、清見オレンジのケーキ、レモンのレアチーズケーキ。 だいたい見ているのはこの4種類あたりか。先ほどから視線がこの4つの間を行ったりきたりしている。 「…あ、すみません。先、どうぞ」 真剣に悩む様子をついついじっと見ていたら、後から来た客に気づいた彼女がさっと横へずれ、先を促してきた。 「いや、どうぞ。先に」 「えっと。わたし、まだ悩んでいるので」 「俺も来たばかりで決めていない。……何なら、決まっているものから頼めばいい」 「あ、そっか」 やりとりをにこにこと笑顔で眺めていたレジのお姉さんは、女の子の『すみませーん』にトレーとトングを持って、待ってましたとばかりにショーケースの前までやってきた。 「イチゴのショートケーキ2つと、メロンのショートケーキ1つ。シュークリーム3つ、きなこプリン2つ、あと水ようかん4つ」 ん…? はて。 イチゴのケーキはともかく、悩んでいたのは清見オレンジ、チェリー、レアチーズあたりではなかったのか。 それにしては結構頼むものだと思えど、見る限りは徒歩で来ているようだ。 果たして小柄な少女に持てるのかつい気になってしまうも、親が迎えにくるのかもしれないし他人の自分が気にすることでも無いだろう。 「……あとちょっと悩むので、お兄さん、どうぞ」 「そうか」 その『あとちょっと』がチェリータルト、清見オレンジ、レアチーズあたりなのか。 ちらっと見てみると、なるほど彼女が悩んでいたケーキはどれも美味しそうで、頼んでいた水羊羹もこの時季よく目にするので、季節ものとして母も喜びそうだ。 「う〜ん、お兄ちゃんはイチゴのショートでいいとして……ちゃん、どうしよう」 悩んでいる少女の口からぶつぶつとした呟きが聞こえてきた。 『お兄ちゃん』というからには、自分と同じく家族に買って帰るものなのだろう。 このお店も常連なのか、定員のお姉さんは『いつもありがとうございます』の言葉とともに、彼女の呟きにうんうんと笑顔で頷いている。 「季節の果物をふんだんに使ったケーキは当然だろいって言うしなぁ。でも、メロンのショートとシュークリームは絶対食べるし」 (む…?) 「水ようかん2つは取られちゃうだろうし、チビちゃんたちはプリン……オレンジのケーキでいいかなぁ。あー、でもオレンジのケーキ、お兄ちゃんが食べそう……いや、オレンジだけ食べるか。オレンジがおいC−って、メインなんだから当たり前だってーの」 『お兄ちゃん』がイチゴのショートで、よく聞こえなかったが『……ちゃん』がフルーツのケーキを所望していて『当然だろい』、と。 当然だろい? 「新作と季節モノは必須だけど、定番も無いとうるさいしな〜。やっぱレアチーズも買いかぁ。となればお兄ちゃんがイチゴショート、チビちゃん2人はプリン。私は清見オレンジで、お兄ちゃんにオレンジ食べられると仮定して、水ようかん1つは保険。問題はブンちゃん、か」 最後に出てきた名前に、ピンときて少女をじっと見てみる。 明るいひよこ色のふわふわした髪に、ぱっちり二重で、零れ落ちそうな大きな瞳。 くるくる変わる表情は見たことがあるような気がして、想像した人物にどこか面影が重なっている。 「…芥川」 「え?」 パっと顔をあげてこちらへ振り返った小学生と目が合う。 びっくりした表情のまま固まっているため、これでは不審者だと思い直して『芥川の妹、か?』と声をかければ緊張が解けたように柔らかな笑顔で礼儀正しい挨拶をされた。 「お兄ちゃんのお友達ですか?」 「氷帝の芥川とは、何度か試合したことがある」 「よくわかりましたね、私が妹だって」 「よく似ている。それに、知り合いの名が出て―」 「おにーさんも、テニス部?」 「ああ。近所の立海大付属だ」 「!!じゃあ、ブンちゃんと一緒?」 「丸井なら、チームメートだ」 「わぁ、すごい偶然。わたし、いまブンちゃんのおつかい中なんです」 「おつかい?」 「お兄ちゃんと一緒に、ブン太くんのお家で遊んでたんですけど、じゃんけんで負けちゃって」 「それでケーキを買いにきたのか」 「はい!」 元気でよろしい。 聞けば丸井宅の両親は不在で、丸井三兄弟と芥川兄妹の合計5人で遊んでいたらしい。 丸井ブン太と芥川慈郎の仲のよさは立海テニス部に知れ渡った仲だけど、その弟妹たちも交えてのある意味家族ぐるみな付き合いだとは思わなかったので少し意外だ。 けれども5人用にしては、頼んでいる量が多すぎるのではないだろうか? いくらチームメートが底なしの胃袋を持つ男だとはいえ。 「私とお兄ちゃんはケーキ1つでいいんですけど、ブン太くんのところ3人とも、1つじゃ足りないんです」 「丸井のところは弟2人だったな」 「まだおチビちゃんたちなのに、すんごくよく食べるし!」 「しかし、この時点で12個。水羊羹は小ぶりだとはいえ、持てるのか?丸井のご両親が不在ということは、車で迎えが来るわけではなさそうだが」 「自転車だとカゴに入らないから、歩いてきました」 「ここから丸井の家だと、結構距離があるだろう?」 「じゃんけんで負けちゃったから、しょーがないんです。……けど、さすがにちょっと多いですねぇ、これ。この時点で入りきらなくて箱二つになってるし」 「大丈夫か?」 「う?」 「この量を一人で持つのは大変だろう」 「う〜ん、何とか抱えていくので。いざとなったらお兄ちゃん呼んでみます」 「そうか」 悩んでいた残りのケーキはひとまず買ってしまうことに決めたようで、清見オレンジケーキ、レモンのレアチーズ、チェリータルトを1つずつ追加し、結果的に15個を詰めてもらったら大きな箱2つになった。 ただ、重ねると下の段がへこむかもしれないため、二つの袋に分けてくれたものの、小さなバッグを持っているためさらに二つの袋はどう見ても持ちづらそうだ。 彼女も早々に『無理』と判断したようで、携帯を取り出しなにやら誰かにかけているようだが、空しいコール音のみが響き、やがて携帯をポケットに突っ込んではぶつぶつ呟きだした。 「ジロ兄ィめ…無視するとは、いい度胸」 「お兄さんは来れないのか?」 「たぶん…寝てるか、ゲームに熱中しすぎて電話に気づかないか」 「丸井もいるだろう」 「ブン太くん、お菓子作りの最中だから気づいてないです、きっと」 「……菓子を作っているのに、菓子を買いに来させるのか?」 「あ、いえ、うちの家族へのお返しゼリーを作ってくれていて」 「お返しゼリー?」 「お家でたくさんオレンジもらったのでおすそ分けにブン太くん家に持ってきたんですけど、お礼にオレンジでゼリー作ってくれるって」 「そうか。そういえば丸井は菓子作りが趣味だったな」 丸井が台所で奮闘中となれば頼みは実兄になるのだろうが、電話に出ないとなるとそれは難しく、さらに残るチビっこ二人は年齢的にケーキ屋へ助っ人として来させるわけにもいかない。 やはり彼女一人で運ぶしかないらしい。 がっくり肩を落としながらも仕方ないと顔をあげて、両手でケーキの袋とバッグを持ちヨタヨタ歩きだす後ろ姿が危なっかしくてならない。 「少し待ってもらえないか?」 「え?」 母の用事を済ませるべく、きなこプリンと清見オレンジケーキを購入して彼女のもとへ行き、手を差し出してケーキの袋を渡すよう促す。 「えっと」 「丸井の家なら通り道だ。途中まで持とう」 「でも!」 「遠慮は無用。第一、小学生の女の子にこの量を買いに行かせるなど、丸井も芥川も何を考えているのか」 「私、中学生です」 「む?」 「……」 「……」 「…あ、えっと」 「………すまない」 「……いえ。その、私がじゃんけんで負けたから―」 「例えそうだとしても、実際持てないだろう?芥川か丸井と一緒に来るべきだ」 「…ハイ」 「寄越しなさい」 「……本当に、いいんですか?」 「構わん」 何なら丸井宅にあがりこんで、たとえ台所で作業中だとしても『女の子一人で行かせるなんぞ何事か!近所のケーキ屋ならなおのこと。丸井、お前が行かんか!』なんて苦言を述べてもいい。 『い、いや、違うって!別に俺が行かせたワケじゃ―って、おい真田。その拳は何だ。殴んじゃねー!』 数分後の丸井の台詞と慌てた顔が目に浮かぶようだが。 尚、到着した先では丸井家のチビっこ二人が出迎えたものの、芥川家のお姉ちゃんの隣に見たことのあるゴツイお兄さんがいたためびっくりして、台所の実兄の元へすっとんでいった。 慌ててリビングから飛び出してきた丸井家長男は、弟らと同じく玄関の真田に驚いたものの、開口一番の『たるんどる!』と、彼の両手のケーキショップの袋に全てを察し、青くなったのだとか。 『この量をこのこ一人に持たせるなど!』 『ち、違ぇーって!!これは不可抗力で』 『何を言うかこのたわけが!』 『どったの丸井くん……あれぇ、真田??』 『芥川!お前もそこへなおれ!二人そろってたるんどる!!』 兄たち二人を並べ説教を始めるお兄さんを眺めながら、その言葉のチョイスが新鮮だと目を輝かせ『たるんどる』『たわけ』『なおれ』などとぶつぶつ反復して呟く見た目小学生女子の姿があった。 ちなみに芥川家次兄は帰りの道中、妹に『真田さん』についての質問攻めにあったらしい。 (終わり) >>目次 |