「どれだけの種類があるんだ?このドリンクは」 夏休みの合同合宿の練習休憩中。 別荘の壁にもたれ、青学の上級生に渡されたドリンクを揺らし中身を混ぜる日吉の視線の先には、同い年の青学プレイヤーが心底ゲッソリした顔で肩を落としている。 どうやら先に同じドリンクを飲み干したようだが、ひたすら眉を寄せ苦々しい険しい顔をしているので、余程練習がハードなのかはたまた先輩からの差し入れ?のドリンクが原因か。 『マネージャーのドリンク』的なものに縁の無い氷帝生から見れば、選手の体調、疲労回復、栄養を計算し作ったらしい『ドリンク』は興味津々なのだろう。飲み干した青学生がことごとく青い顔をしてコートを去る姿を見つめ、遠慮願いたいとラリー前に逃げた氷帝の先輩はいたけれど、それでもラリーで負けた方への罰として差し出されたドリンクは受け取らないわけにはいかない。 「なんだ。そんなに苦いのか?青汁のようなものか」 ―青汁なら可愛いモンだ。 喉まで出かかったが、これから飲もうとしている他校生に予備知識を与えるのは可哀想だろう。 死ぬほど不味いと知りながら飲むよりも、『青汁程度か』と思っておいたほうが拒否感が薄れるだろうし、経験地の高い青学生ができることといえば『一気に飲み干せ』との助言のみ。 「海堂?」 「……早く飲め。途中で止めず、一気に飲み干せ」 「は?」 「忠告はしたぞ」 「なんだ、大げさな。野菜ジュースだろ」 原料は確かに野菜だが、何をどうしてこうなってしまったのか、およそ通常の野菜ジュースの色をしていない。 普通ならば毒々しい紫がかった色合いを疑問に持つところも、育ちのいい氷帝生には『アサイーをブレンドした』などと栄養価の高い果実を例に出されれば疑うこともなく『そういうものか』と受け取ってしまう。 (ちなみに逃げたのは氷帝の庶民代表、向日岳人で、捨て台詞は『黒と紫は食いもンじゃねー』だったそうだ) 「独自の栄養ドリンクか。お前のところの先輩は、熱心だな」 熱意が別の方向へ向かっているのだ。 …とは一部(開発者と汁の効かない天才)をのぞき、青学テニス部全体の意見である。 とにもかくにも、まさか他校との合宿中にもかの先輩がこんなものを用意してくるとは思っていなかった海堂も、ついにその被害が他校まで及ぶことに辟易せずにはいられない。 何だかんだで例の汁に慣れてきた感は否めず、成果といえば胃が丈夫になった気がするくらいか。 ただ、それが何になるのだと言われれば何とも答えようが無いし、開発者に告げれば新たな実験体にされることは間違いない。 海堂のみならず他の青学生たちの間でも、胃腸が強くなったと実感しているものはいるが、恐ろしくて開発者の先輩には言えないのが実情だ。 先輩の作品の中では比較的優しい入門者編・野菜汁ならばともかく、辛味を入れたペナル茶、酢を配合した青酢……はてさて、あと何があっただろうか。 確か全国大会の決勝前に、焼肉屋で氷帝含む他校と大食いバトルを繰り広げた際に、一部の氷帝生が例の汁の犠牲になっていたはずだが、あまりの強烈さに覚えていないのか、はたまた日吉は飲んでいなかった、か? ひとまず本日出されたドリンクは、そのどれとも違う、ドロドロした怪しすぎるものだ。 よく言えばアサイードリンクのような紫色のもの。見たままを正直に述べれば泥…? ただしさすが慣れきった青学の上級生は新作ドリンクへの順応も早く、一口目で悶絶していたものの見事飲み干し、続けて罰メニューのランニングへ向かっていった。 「これを飲んで空のコップを乾さんに渡せばいいんだな?」 「ああ…次に、ランニングだ」 「山道だな。先に行ったのは菊丸さんと大石さん、桃城、宍戸先輩か」 1対1の5ポイントマッチで、勝者は試合形式のゲーム、敗者は罰ゲームとして『栄養』ドリンクを飲み干して山道ランニング。 不二にストレート負けした菊丸、乾にウィークポイントを攻められた大石、鳳と接戦だったものの最後パワー負けした桃城、そして手塚に負けた宍戸。 四者すでに罰ドリンクを飲み干し、現在は山道ランニング中だ。 続く5ポイントマッチで、忍足に競り負けた海堂、越前にやられた日吉が新たに敗者となり、恐らくメガネの奥底で目を輝かせているドリンク開発者に紫色の液体を注いでもらい、コートを出て別荘の壁際まで移動し腰をおろした。 もの珍しそうにドリンクを眺める日吉を目の端に、一気に飲み干してそのまま上書きとばかりに蛇口からごくごく水を摂取。 少しでも威力を薄めさせようと奮闘した海堂は、それでも口に残るイヤァ〜な味を払拭すべく、とっととランニングへ向かおうと立ち上がった。 「立海の柳さんも特製ドリンク開発に余念が無いと聞く」 「……」 「確か切原が、以前立海の練習で炭酸の…ジンジャエールのような名前のドリンクを―」 「『シンジャエール』だろ」 「あぁ、そうだったな。ジンジャエールのような味、ということか」 「結末聞いてねぇのかよ」 「結末?」 「それに、アレは柳さんというか、うちの先輩が…」 立海の達人と共同開発したという、その名も『シンジャエール』。 なかなか好評だったとの前置きで青学練習中に出された新ドリンクは、その『シンジャエール』を乾なりにさらにバージョンアップさせたものだという。 乾に組まれた練習トラップによりレギュラー全員が罰ドリンクを受け取るはめになったものの、飲んだもの全てが地に伏せた立海テニス部とは違い、誰一人倒れることもなく乗り切ったため『さすが青学』と見学にきていた柳は驚嘆し、さらなる開発を誓ったんだとか。 さて、今回は『シンジャエール』ではないが、それでもあの先輩のことだから同等か、それ以上のインパクトを狙っているだろう。 立海は耐え切れなかったようだが、果たして氷帝はどうだろう。 育ちのいい坊ちゃん学校のためこんな強烈なドリンクは耐え切れないだろうと一部の青学生は高を括っていたが、意外にも氷帝の一番手・宍戸は乗り切った。 そして氷帝二番手・日吉は先輩に続けるだろうか。 青学四番手は前の三人と同じく、苦しみながらも罰ドリンクを飲み干して『さすが(汁慣れしている)青学(特にレギュラー)』と周囲にその強さを見せ付けた。 (胃腸の強さ、である) このドリンクを飲み干さないとランニングにいけないわけだし、ランニングをすませないと練習再開ができないので、とっとと飲み干してしまおう。 さほどドリンクへ脅威を抱いていないからか、平然とした顔で毒々しい紫色の液体に口をつけようとした日吉の耳に、見慣れた先輩の姿が飛び込んできた。 「あれぇ?ひよ、まだランニング行ってねぇし〜」 どうやら次の組の5ポイントマッチが終わったらしい。 左手に日吉と同じグラスを持っているところからして、負けたのか。 「負けたんですか」 「あと1ポイントだったんだけどな〜」 「相手、誰です?」 「跡部」 「!!」 最近は氷帝の練習中でもあまり対戦しない氷帝ナンバー1と2なので、その打ち合いは是非見たかったところだが、あの跡部相手にストレート負けではなく『あと1ポイント』ほどの接戦とは。 いくら試合ではなく特殊ルールの5ポイントマッチとはいえ、芥川には一切手加減しない跡部のことなので、さぞ見ごたえあるラリーになっていたことだろう。 「珍しいですね。跡部部長が相手するなんて」 「『相手する』って何だよ〜」 「いつも芥川先輩がうるさいから、最近は対戦してくれないでしょ」 「オレ、うるさくない」 「ギャアギャア言い過ぎですよ、毎日毎日…」 寝ているか、ボケーっとしているか、元気いっぱいにラケットぶん回しているか。 芥川慈郎の普段の行動といえば、このどれかに集約されるだろう。 中でも本人は強いプレーヤーとの対戦が大好きなので、こと氷帝学園内においてはその興味はただ一人『跡部景吾』に向けられている。 自由に組んでのラリーや試合形式ゲームなど、1対1のコートで対峙する練習になると決まって跡部のもとに駆け寄っては『跡部、しょーぶ!!』とラケット突きつけるものの、部長様にはすげなく却下されている。 特に今回のような合同合宿では、積極的に他校生と打ち合えと互いの部の長、顧問より推奨されているので、日吉は越前、海堂は忍足と5ポイントマッチを行っている。 中には人数やタイミング、コートの空き具合によって同校対決となった選手もいたが、殆どの対戦が青学生VS氷帝生になっているはずだ。 「コート入るの遅れちって、不二も手塚も終わった後でさ。越前はひよとやってたし」 「…で、跡部部長ですか?」 「タローちゃんは『青学生とやりなさい』って言ってたけど、青学レギュラーいなかったから」 「レギュラーじゃなくても、青学生、まだいましたよね?」 「うちの準レギュにやらせてやるほうがいーっしょ?氷帝のほうがちょっと人数多いC」 「はぁ、まぁ」 ―ウチの後輩たちのために、譲ってやったんだC! 『ウチ(氷帝)の後輩』はともかく青学の選手にとっては同じ氷帝でも準レギュラーよりもレギュラー、特にナンバー2とも称される芥川とやるほうがいい経験になると思うのだが。 黙って聞いている海堂、呆れた表情で成り行きを聞いていた日吉の2年コンビは、ともに脱力してため息がこぼれたものの、当の芥川本人は『オレっていいことした!』などと満足げな表情を浮かべている。 「それで、跡部部長になったんですか?」 「一人残っちゃったよ〜って言ったら、オレサマが相手してやるって」 「…良かったですね」 「うん!久々に跡部と打てて、ちょー楽しかった」 「で、負けたんですね」 「負けたぁ。やっぱ跡部、強いC」 「けど、接戦だったんでしょ?」 「おう!強いショットばっかり打ってくるからさー、腕が痛いっての」 「…そういう練習でしょ。特に先輩はパワープレーに弱いんだし」 「だぁれが弱いってぇ?」 「間違えました。樺地にも勝ちますもんね。パワープレーに弱いんじゃなくて、先輩は『パワーが無い』でしたね」 「くぉら、ひよ!オレ、力ある!!岳人より腕相撲強いし」 「五十歩百歩でしょ。あぁ、そういえば体力、スタミナもありませんね」 「あーるー。日吉だって体力ねーじゃん」 「あなたよりあります」 「昨日の30キロ走、日吉よりオレのほうが早かった」 「くっ…」 「一番は宍戸と海堂だったけどさー」 先日行われた山道30キロ耐久レースでは海堂、宍戸がトップ争いを繰り広げ、手塚、跡部らは部員の様子を見ながらマイペースに進み、スタミナはあるはずの乾は何を思ったのか、メモを片手に後方をランニングしていた。 他の部員はそれぞれのペースで進んでいたものの、どちらかといえば氷帝で体力無い組として扱われる日吉、向日、芥川の三人。 その中で一番先に抜け出し力走したのは芥川で、トップ10に入る活躍を見せたため周囲……特に彼を良く知る氷帝の面々は驚いたものだった。 ちなみに部員の様子を見ながらといっても、何だかんだで10位以内にゴールした跡部が一番驚いていたらしい。 よほど悔しかったのかその後は山道耐久レースの話題に触れなかった日吉だが、いざ先輩に『日吉よりオレのほうが早かった』などと言われてしまえば、カチーンときてしまうのは言うまでもなく。 「じゃあ、勝負します?この後のランニング」 「いいよ〜また勝つもん」 「…昨日のは、たまたまです」 「何回やっても日吉には負けねぇC〜」 「くっ…いいましたね?」 山道ランニングで勝負はいいが、その前にやらなければならない大事なことを、二人ともまだしていない。 氷帝生のやり取りを眺めながら、ただ一人冷静かつ『大事なこと』を済ませている海堂はどうしたものかと頭をかきつつ、ひとまず二人のドリンクを指差して早くしろと促した。 「あ、そっか。これ飲まないとだった」 「健康ドリンクらしいですからね」 「でも、紫ってすっげぇ色。ビーツかなぁ。あ、果物?ぶどう?」 「アサイーだそうです」 「うぇ。アサイーかぁ。あんま好きじゃない」 「アサイーなら苦くは無いから先輩でも飲めるでしょ」 「甘くしてくれてるかなぁ」 「さぁ」 「ハチミツ入ってるといいな〜」 目の前で交わされる氷帝生のほのぼのした会話に、汁の恐怖を知る前の自分はこんな感じだっただろうかと一昔前を思い出そうとするも、耐え切った最近の光景しか思い浮かばない。 部員の偏食を改善させるには大いに役にたった乾特製汁の数々が、果たして他校生にはどのような効果をもたらすだろうか。 (注:胃腸が強くなり、さらに『これ以上不味い物は無い』と殆どの青学生が実感しているため、苦手なものや嫌いな食材・料理が出ても『食べれるだけマシ』と克服していっているらしい) 合宿が終わる頃には氷帝生の胃腸も強くなるのだろうか? それはそれで開発者が図に乗って更なる改良なのか、はたまた改悪なのか、おかしな汁が出来上がっていくかもしれず、その被害は青学生に向けられるのだろうから、あまり『汁関係』での成果は出て欲しくは無い。 けれどもドリンクのグラスを返しに行く氷帝生一人一人に、その感想をこと細かく聞いている先輩を思えば、合宿を終えてからの青学テニスコートで何が待ち構えているかは予想に難くない。 (ちなみに青学は感想を求めても答えない部員が増えているため、開発者の現在のターゲットは、合宿参加の他校生に向けられているようだ) 「じゃ、かんぱ〜い」 「とっとと飲んで、ランニング行きますよ」 ―カチャン (のん気にグラスぶつけあって、何がカンパイだ) 数秒後には死んだような顔になるか、もしくは地に倒れこむだろう姿が簡単に想像できるものの、ひとまず氷帝生の行く末を見守ってからランニングへ向かおうか。 グラスを口元へ持っていく二人をじっと眺める海堂の手には、さりげなくスポーツドリンクのペットボトルが握られている。 どうやら倒れる前に差し出すつもりらしい。 青学のデータマンに汁教育を施された青学生は、アフターケアの用意もばっちりだった。 (終わり) >>目次 |