「…なぁ、アレ、何?」 「何って、跡部やん」 「じゃなくて、その隣の」 「あぁ…子ガモやろ」 「…ったく、親交換したのかよ」 いつもの長テーブルではなく、やや小規模なダイニングルームで、ふんわりバターの香るクロワッサンとカフェオレ、グリーンサラダといったシンプルなブレックファーストを選んだ向日。 …の向いに腰掛けるのは、炊きたてのコシヒカリと白味噌ベースの京風味噌汁、秋茄子の煮びたしに脂ののった秋鮭の焼き魚、お新香、味海苔(やっぱ関西は味つけ海苔やん?)な和食の忍足。 (跡部邸での朝食は選択制だったりする) 二人の視線の先には、これまた朝食中の同級生の姿。 一人はこの豪邸の一人息子かつ昨日の主役で、もう一人はパーティに大遅刻をかましたチームメート兼向日にとっては一応大事な幼馴染。 「何なんだ、あの二人」 「いつもの光景といえば、いつも通りやんなぁ」 「にしてもやりすぎじゃね?」 「…まぁ、放っとき」 「ったく、ジローのやつ。子供じゃねーんだから」 あんまりお腹すいてないからご飯いらない ちゃんと食え、調子悪いならオートミールかミルク粥でも― やだーまずいもん。いらないC ならミルクプリンか、ゼリーか。とりあえず何でもいいから腹にいれろ 紅茶だけでいいって。 食えって言ってんだろうが。フルーツなら食べれるか? ……じゃあ、ぶどう食べる。 よし。ミカエル― そんなやり取りを最初から聞いていたからか ―といってもダイニングルームで食事を始めたのは向日をはじめとした他の氷帝メンバーの方が先だったのだけど。 しばらくして運ばれたフルーツプレートには巨峰とともに、小さいココット皿にギリシャタイプの水切りヨーグルトと蜂蜜が添えられ、向日が手にしているものの1/3くらいの、ミニサイズのクロワッサンが2つばかり。 こんなに食べられないC ちょっとずつ摘めばいいだろ むぅ…… ミニクロワッサン好きだろうが。ヨーグルトも固いほうがいいだろ。 ハチミツ? ああ。ちゃんとお前の好きな蜜柑の蜂蜜だ。 え、ほんと?みかんのやつ?まじまじ? ヨーグルトにかけるぞ うん!あ、葡萄もいれちゃおっかな〜 皮ごといれんじゃねぇよ。ほら、よこせ。むいてやるから。 えぇ〜?オレ、皮へーきへーき。食べちゃう。 食うんじゃねぇ。ヨーグルトにいくついれる? えっとねぇ、あ、でも種はいってる? 種無し巨峰だ。 じゃ、2ついれるー!あとはフツーにブドウ食べる。 わかった。先に葡萄食うか? うん。 …よし、ほら、食え。 ありがとー 「…葡萄の皮むいて、ジローに食べさせる跡部なんて、見たくねぇんだけど」 「似たようなこと学校でもやっとるやん」 「アレは単なる着替えだろ?」 「単なる……いや、普通、同級生のオトコの制服、いそいそと直さへんやろ」 「そうか?滝も俺のネクタイ、直してくれたりするし。俺だってジローのを―」 「お前らカワイイ系がきゃっきゃやってんのはええねん」 「可愛いとか言ってんじゃねぇよ、ヘンタイ」 「くっ…」 要は甘えん坊全開で跡部の隣にぴったりくっつき片時も離れようとせず、やれ葡萄だヨーグルトだと世話されているあの状態は何なんだ、と幼馴染としては言いたいらしい。 もう一人の幼馴染はこの光景を見てはため息をつき、何言うこともなくそのまま遠くのテーブルについて、ワッフルとアイスティの甘め朝食をオーダーし、無言で食事中。 その隣では一つ年下の後輩が、マフィンにチーズソースのかかったエッグベネディクトと温野菜ソテー、アイスコーヒーをオーダー。にこにこと笑顔で先輩に話しかけながらのご飯タイムだ。 ちなみに青春学園のお二人はというと、向日らと同じテーブルで豪華な朝食を楽しみながら、時折跡部らの様子を眺めて面白そうに笑っていた。 フレンチトーストにイングリッシュブレックファーストティ、生フルーツとヨーグルトな不二に、おにぎり2つと信州田舎味噌のお味噌汁、出汁まき玉子焼き、焼き魚は銀だらの醤油漬け、蓮根のきんぴらと青菜のおひたし、な和朝食チョイスの菊丸英二。 さすが跡部家は凄いと感心しながら、昨晩に続き食事を純粋に楽しむことにしているらしい。 「ねぇ、芥川」 「もぐもぐ……う?」 食後の紅茶をいただきながらドライフルーツを摘んでいた不二だが、おもむろに立ち上がると後ろのテーブルへつかつか歩み寄った。 むいてもらった巨峰を次々口に放りこんで、リスのように両頬をぱんぱんに、ムシャムシャさせている芥川と、爪の先まで整っている優美な指先を葡萄の汁で紫に染めているがおかまいなしに作業を続ける跡部のもとへ。 昨日は曇っていた彼の表情を注意深く観察してみると、普段の彼と変わらない……というよりも、なんだかとてもリラックスしているようにも思える。 向日や忍足らの口ぶりからすると、こうやって周りに甘えるのはいつものことで、跡部が世話をやくのも特段珍しいことではないらしい。 確かに中等部の頃からそのような感じだったし、合同合宿で芥川を呼びに行かせる跡部を何度も見ている。 ただ、その『世話焼き』は、こんなにもかいがいしく、そして甘い雰囲気が漂うものだったのだろうか? 一見、子供の面倒を見る母親のような光景にも見えるけれど。 「気分、どう?」 「ん…」 「大丈夫?」 「…もう、へーき。元気」 「そっか」 「えへへ、いろいろありがと。寝たらエネルギー満タンになったし、もう大丈夫!」 「みたいだね」 一晩一緒にいた隣の御仁は、いったいどういう夜を過ごしたのかチラっと一瞥してみるも、黙々と葡萄をむいている。 こちらの視線を感じているだろうに、あえてそれには反応せず、対応は芥川に任せているのか、例の件を指しての『大丈夫?』なため口を挟まないようにしているのか。 「今度また、ゆっくり遊びにきなよ」 「いいの?まじまじ?」 「うん、まじ。姉さんも、是非また来てって言ってたしね」 「やったぁ!ココアもケーキも、すんごい美味しかったC」 「そう?良かった。あれ、姉さんの手作りなんだよね」 付け加えれば、ミルクパンで淹れたココアも、カカオパウダーとチョコパウダー、ミルクと少しの砂糖、細かい配合と温度、バランス、その全ては姉のオリジナルで、中々あの味は出せないのだと微笑む不二に、びっくりした顔で目をまんまるくさせ、『まじまじ、すっげぇ!』が炸裂。 「今まで飲んだココアで、いっちばん美味しかったC!!」 「姉さんに伝えとくよ」 「ぜってぇまた、遊びにいくー!!んで、お姉さんにココア淹れてもらう」 「じゃあ、今度はラズベリーパイでも頼んでおくかな」 「!!オレ、ベリーのケーキ、大好き」 隣で交わされる、跡部の知らない『姉さん』たる人物は、察するの不二の姉なのだろうが、聞き捨てなら無いフレーズが耳に入ってきて葡萄を剥く手が止まった。 『今まで飲んだココアの中で、一番美味しい』だと? 口を挟まないよう黙っていた跡部も、思わず芥川の正面に立つ不二を見上げ、目が合ってしまい………フッと笑われた、気がした。 「……俺も行く」 「う?」 「ふふ」 跡部の思わぬ一言に、お新香を選ぶ忍足の箸、クロワッサンをちぎる向日の指、ワッフルに通した宍戸のナイフ、そしてほうじ茶をすする日吉の手が止まった。 (滝は我関せずで梨をつついており、そもそも鳳は不二らのやりとりに気づいておらず、隣の先輩にひたすら話しかけている) 「ウチは安全なんだけどね。まぁ、跡部がそんなに芥川一人で行かせたくないというなら、君もきていいよ」 「えぇ〜?なにそれ」 「…不二、てめぇ」 昆布のおにぎりが喉に詰まりそうになり、急いで味噌汁で流し込んではゴホホゴしつつ、氷帝の顔をからかう不二を恐々と眺める菊丸はというと。 (不二…遊んでるし。はぁ〜) 怖いにゃ。 こちらまで飛び火しないようにと大人しく縮こまり、不二の視界に入らないようひっそり朝食を終えた。 無言の向日がデザートの生フルーツをそっとわけてくれたので、ありがたくいただいて、こちらは自分でちゃんと皮をむいて巨峰を味わう。 「やったぁ。じゃあさじゃあさ、試験終わったら、いっていい?」 「試験?ああ、週明けからあるんだっけ」 「テストでヘトヘトのあとで、おねえさんのケーキとココアで癒されたいんだC」 「ふふ。いいよ」 「…ちょっと待て」 「う?」 「なにかな?跡部」 「試験後は即部活だ。秋期大会前だ。よって寄り道する時間はねぇ」 「えぇ〜ひどい〜」 「じゃあ部活終わって、泊りにくる?金曜か土曜日ならいいでしょ」 「え、まじまじ?」 「うん、まじ」 「……不二、おい」 過保護なお母さんだね、とからかい半分に告げると『ずっとそばにいてくれるんだもん』なんて可愛らしい答えが返ってきて、珍しく慌てた跡部が葡萄まみれの手で芥川の口をふさいだ。 「なぁ、侑士。あいつら」 「なんも言いな。俺は何も聞いてへん」 「つーかアイツ、丸井じゃなかったのか」 「…岳人。それ、跡部に言うたらアカン」 だってあいつらついにペアルック― つい声を荒げた向日に、すかさず忍足の手がストップをかける。 決して、芥川の最近お気に入りのブルーニットカットソーが、丸井にすすめられたもので、さらに丸井も色違いのカットソーを持っているなんて、跡部に言うたらあかーん! 「侑士…声、出てる出てる」 (ちょいダ…いや、激ダサだな) 少し離れた位置で、無言を貫きつつも全て耳に入れていた宍戸は幼馴染の周りと行く末を案じるも、本人が幸せならそれでいいかと見守ることにしたらしい。 日吉の隣で緑茶をすする樺地は、ふて腐れた表情ながらも少し照れくさげに、それでも嬉しそうな跡部を見つめ、こちらも何だか機嫌がよさそうだ。 朝食後、しばらく休憩したのちに送迎の車が用意されて、皆跡部邸を去っていった。 もう少し遊んでいくからとひとり跡部のもとへ残り、一気に静かになったリビングルーム。 「ねぇ、あとべ」 「…どうした?」 ソファで肩を並べながらの珈琲タイム。 柔らかな声と優しい目で見つめられ、体中がぽかぽか温かくなって、とてつもなく大きな安心感で満たされる。 ―誰かが常に君の傍にいる 昨日の不二のその言葉。 あの時は否定したけれど、あながち間違いでも無いのかもしれない。 ずっと、一緒にいてくれると誓ってくれた。 そばにいろと言ってくれた。 「『大丈夫』って言って」 「……」 跡部の大丈夫は、何よりも誰よりも安心できる不思議な言葉。 どんなに怖くても、不安でも、寂しくても。 そばには自分にとって大きな大きな存在、中学の頃からのヒーローがいてくれるのだ。 「ジロー。大丈夫だ」 「やっぱ跡部の『大丈夫』がいっちばんだね」 「ここにいれば、お前はずっと大丈夫だ」 「あとべ…」 「だから、ずっとそばにいろ」 俺様の隣にいろ。 いつものよく通る声で、力強く言い放つ。 …が、チラっと隣のヒーローを見上げると、自分で言っておきながら照れているのか、ほんのり頬が上気しているような気がしないでもない。 (かっこいいけどね) そう。 珍しく照れた跡部様も、整った表情に温かみが加わって、かっこいいけど少し可愛い。 きっと、自分はもう大丈夫。 この先ひとりで寂しくなっても、今日の跡部の『大丈夫』が胸の奥に残っているから、何があっても平気だ。 エネルギーが切れたら、また元気になれる薬をチャージしてもらおう。 ぎゅっと抱きしめて、耳元で『大丈夫』と囁いてくれるはずだから。 (終わり) >>目次 |