高校二年の秋。 12月に入ってすぐに、突如後輩に宣言された『落とします』なる爆弾発言から二週間。 幼稚舎の頃から知っている直属の後輩のセクシャルについて何ら言うことは無いが、それでも戸惑いは拭えないし、彼がそういう冗談を言うタイプではないと知っているので、アレは紛れも無い本心なんだと思えば余計に頭が痛い。 (はぁ……どうすっかなぁ) あれからの彼の態度たるや堂々たるもので、会えば近づいてきてストレートな告白をかまし、放課後どこかで寝ていようものなら部活後の彼につかまり、家まで送られることも数度あった。日吉の部活第一主義は変わらないので、練習は集中して取り組んでいるし色恋よりもテニスにまい進する真面目さは好ましいと感じる自分もいて、普段あまり悩まない芥川にとっては唯一の悩みの種というか、どう扱ったらいいのか正直困っている。 (好き、と、言われても) 日吉のような真面目な男こそ同性に思慕を抱いたのなら懇々と悩みそうなものなのだが、そのあたりをすっとばしているのか、それとも悩んだ末なのか。そこに葛藤があったかどうかは芥川には計り知れないが、現在の日吉が己の感情に従い、誰に憚ることもなく一直線な想いを向けてきている………点に関しては、是非とも躊躇ってくれと思わずにはいられない。 日ごろ周囲に能天気と言われ、本人も悩みを悩みとも思わないストレスフリーな芥川も、こと後輩(男)から向けられる真摯な慕情にはどうしたもんかと首をかしげずにはいられない。ただ女の子に告白された―ならいざしらず、同性、しかも相手をよく知っているからこそ誰にも言えない。向日や宍戸ら第三者に相談したところで日吉は気にしないのかもしれないが、何となく向日らが日吉の同性愛について嫌悪やマイナスな言葉を表す可能性がゼロではないと思えば、仲の良い彼らからそんな言葉を聞きたくない。そして、真面目な日吉の想いを茶化して欲しくもない。 (あぁ…なんでオレ…アイツかばってんだよ) 告白されたときに、いつもの笑顔で『なぁに言ってんだよ、オレも後輩み〜んな、大好きだC!』なんて笑ってはぐらかせばよかった。けれど、あの時の日吉は今まで見たことのない真剣な眼差しで視線を逸らさなかったし、何よりも唇に触れた熱と、抱きしめてきた行為に、とても茶化せる雰囲気ではなかった。 そしてあの日を境に秘めていた感情を隠さなくなった日吉が、どんどん自分の中で大きくなっていく気がして、そんな自身の感情にさらなる戸惑いを覚える芥川が出した結論といえば ―『蓋をする、気づかないようにする、気のせいだ』 …つまりは逃げるということ。 着信には出ずに『ごめん、気づかなかった』でかわす。 これは普段からめったに携帯に出ないし、カバンに突っ込みっぱなしのため数日放置で充電切れ、なんていうことがしょっちゅうあり、向日や宍戸らに注意されているのは中学時代からだ。無論、そんなやり取りを後輩は散々見てきているので、芥川が着信に出ずとも何らおかしなことは無いだろう。 トークアプリは開かず未読、返さない。 これも着信と同様。『携帯している意味がねぇだろうが!』なんてフレーズは、芥川慈郎に毎度かけられる言葉なので、テニス部ならずとも知れわたっている事実。 携帯電話なら芥川主導でどうとでもなるけれど、教室に直接来られたら逃げようが無い。 必殺『寝たふり』は、クラスメートは騙せても日吉には通じず、教室から連れ出されてしまうこともあった。いくらクラスメートが『芥川くん、寝ちゃってて起きないんだ』と訪ねてきた後輩に告げても、つかつかと机の傍まで近づき『芥川先輩。起きてますよね』と見下ろされれば起きないわけにもいかない。それでも最初は無視していたけれど『寝ている芥川を担いで教室を出て行く後輩の樺地』という光景が何度も繰り広げられた中学の二年間を経て氷帝生は慣れてしまい、それが日吉になろうが背負っているのが『芥川』であれば変に思う生徒はいない。 気づかないフリで机に突っ伏していたら、ふわっと浮遊感が襲い、戸惑う間もなく小脇に抱えられ教室から連れだされた時は混乱して、何が起こったのかしばらく理解できなかった。これが樺地であれば体格差から『小脇』もありえるが、相手は芥川より身長が高いとはいえ細身の日吉だ。どこにそんな力が……と驚いているうちに学食に連れて行かれ、何の用事かと思いきや『昼食、一緒に食べましょう』だと。 ―弁当かもしれないのに! 勝手に連れ出されたことにぶーたれても『水曜は学食の日替わりがタレカツ定食だから、いつも弁当持ってこないじゃないですか』と言われれば、その通りすぎて文句の一つも返せない。だからっていつかの樺地のように持ち上げなくてもいいではないか、起こせ!たる不満には、寝たふりしといて何言ってるんだ、それなら起きろと返り討ちにあい、中々この後輩には口で勝てないのだと悟る。 今までならこんなことはなく、芥川の方が振り回していたというのに、自覚した日吉はどこまでもストレートで、強くて、ぶれないオープンな男だった。開き直りなのかもしれないが。 (はぁ……ひよは、一生懸命だし…真面目で、負けず嫌いで) 跡部がいなくなった高等テニス部に入部してきた日吉の、超えるべき存在としての下克上ターゲットがそのとき氷帝No1として活躍していたレギュラーメンバーに定まったことは、本人、そして周りもすぐに気づいた。事あるごとにラケットを突きつけ『芥川先輩、勝負』といわれ、ランニングでは後ろをピタっとマークされ、ダッシュ練習、フットワーク、筋力トレーニング……と何かにつけて数値をチェックしてくる。 そんな後輩が心強かったし、自分と同じく『強くなりたい』という思い一つで向かってくる彼は、好ましく思っていたはずだった。 ―唇が触れるまでは。 一度目は、夢だと思った。 何かが触れたと気づいたけど、薄くぼんやり開けた目が捉えたのは見覚えのある後輩のサラサラの髪。一体これは何なんだろうと思いながら、彼に問いただしてはいけない気がして、それ以上目を開けずに静かに吐息を紡いでいたらやがて気配が遠ざかり、後輩の後姿が校舎に消えた。 ―な、ん、…って、何、あれ!? その場で叫ばなかった自分を褒めたい。 なんなのだアレは? 自問自答しても感触がやけに生々しく残っているし、唇から伝わった彼の熱も強く記憶に残って混乱を極めた。けれどこんなことは誰にも言えないし、どうしよう、どんな顔して会えばいい? そう思っているうちに部活で顔を合わせるし、コートで試合をするし、変わらず勝負を挑まれるして以前と何ら変化はない。 変わりない? あまりに変わらない日吉の態度に、あの時のアレは夢だったのかと思わずにはいられなかった。 自分から聞くのも何だし、後輩が言ってこないならこれ幸いとあの時のことは無かったことにして『アレは夢だったのです、オレは寝ていたのです』と貫き通すことにした。けれど、二人きりになるのは何となくためらってしまい、ついつい宍戸や向日、忍足らと常に一緒にいるようにしだした自分というのも芥川は自覚していて、なるべくおかしく映らないように、日吉の前では『後輩の挑戦を受ける先輩』として対峙するだけ、と行動をしだした。 それが11月末だったか。 そして、二度目。 アレはもう、気づかないフリが出来ないくらいの行為。 それでも寝起きで頭が働いていない、いつもの『芥川先輩』という体で切り抜けようとしたけれど、日吉は解放してくれなかった。 「あーもう、教えて、あとべーっ!!」 はるか彼方、ユーロの風が吹く生まれ故郷へ戻っていった御仁を思い浮かべ、誰もいない中庭で大声を出す(いや、ポンドの風か?) いつでも立ち止まったら、手を引いてくれたのは完璧なカリスマ部長。中等部時代はあまり悩むことも無かったが、それでもちょっとしたことで考えこんでいると『どうしたジロー』と気にかけ、最適な助言をくれたのはいつも跡部だった。 (久しぶりに、跡部に電話しようかなぁ。相談を―) といっても、一体跡部に何と言えばいいものか。 ―男の後輩に迫られています。 『アーン?そんなの今に始まったことじゃねぇだろ。断って終わり。それで散々、男も女も蹴散らしてただろうが、お前は』 跡部が返すであろう一言一句が容易に想像できて、笑えてしまった。 けれど、特定の名前を出せばどうだろうか? ―日吉に迫られています。 『次は何だ……って、日吉だと?!』 さて、どう言ってくれるだろう? ああ見えて、誰よりも優しい男なので、芥川の戸惑いと日吉の想いをじっくり聞いて、からかうことはなく真剣にアドバイスの一つや二つ、くれるに違いない。 (あ……やっぱダメだ、跡部はだめ) 誰よりも優しいけれど、誰よりも厳しく、そしてそのインサイトたるや電話越しでも声色でこちらの調子を当ててくるずば抜けた鑑識眼の持ち主だ。きっと気づかぬうちにあれこれ聞かれて、自分は余計なことまで喋ってしまい、戸惑っているけれど嫌悪感は無く、心底嫌だとは感じておらず、さらにはドキっとしてしまったことまでバレるに違いない。 そんな気持ちが僅かでもあることを気づきたくなくて、ひたすら日吉から逃げまわっている……と言いながらも毎回つかまり、一緒に昼を食べて、ついには休みの日までストリートテニス場で打ち合ったり、『自宅が衛星入ってないから』たる言い訳で来年の全豪を一緒に見ようと誘われて、ホイホイ頷いてしまった自分。 (うぅぅ…オレ、どうしたいの…もう) こんなこといつも一緒にいる向日や宍戸らには言えないけど、誰かに聞いて欲しい、このもやもやを吐き出したい。けれど、その『誰か』になりえる唯一の跡部に言ったら最後な気もする。 このまま誰にも言わず、日吉の態度も変わらなければどうなるのか。 春休みには日本に遊びに行くと言っていた跡部の来日は恐らく3月だろうが、その時に会うのは氷帝テニス部馴染みの面々での決定事項で、もちろん芥川も跡部に会いたい気持ちは誰よりも強い。しかし、会ったらそのインサイトで何があったのか、どういう状況なのかを丸裸にされるだろうし、それならば早いうちに相談しといたほうがいいのか?いやいや、言ったら最後… そんなループにはまりそうで、結果ぐるぐるしたまま今日も中庭のベンチに腰掛けて一休憩。自販機で買ったばかりのホットココアを両手でぎゅっと握り、まもなく訪れる冬休みをどう過ごそうか考えてみることにする。 初詣はまたテニス部の面々で近所の神社か、それとも遠出して参拝でも行こうか。そういえば向日は神田明神を推していて、宍戸は近所の神社、忍足は浅草寺行ってそのままスカイツリーを拝んで初売りや!なんてやけにプランを練っていた気がする。去年は同学年の面子だけで集まったけれど、今年の暮れは後輩も来るだろう。なんせ鳳は今でも宍戸さん宍戸さんで、聞けば昨年も氷帝高等部の初詣とは別に、宍戸は当時中等部の鳳と二人で近所の神社でお参りしたという。今年は鳳も高等部の初詣に来るだろうし、となれば日吉もセットなのは間違いないだろう。 (今年の二年参り、パスしようかなぁ) そうは向日が許さないし、自室に篭っていてもきっとあがりこんできて、首根っこ掴まれ『おらジロー、お参り行くぞ!』と連れ出されるに違いない。なんせ氷帝テニス部でのお参りは面子は違えど毎年恒例だし、全員の願いはたった一つ『全国大会優勝』だ。まずは春の選抜で優勝、そして夏は芥川たちにとって最後の大会。もちろん実力が物を言うのだが、年末年始の恒例行事は神頼みというよりも神様に誓う決意のようなものだ。全員並んで拍手を打つ瞬間、気が引き締まるし『今年こそ』と気分が高揚するので、やはり皆と一緒にお参りには行きたい。 (あ〜もう、いいや。考えてもわっかんねーもん。跡部に会ったら考えることにしよ〜っと) 全ては来年の3月に。 それまでは深く考えないことにして。 (日吉は後輩、アイツはただの後輩。オレを打ち負かそうとしてる後輩。負けねぇけど) よし、あと数日で終業式だ。 冬休みは短いので部活オフにしている氷帝学園では、テニスをやりたければおのおのジムやどこかのコートへ行くか、または学園に申請してコート利用できるようしなければならない。氷帝学園高等部テニス部のエースであるものの、冬休みは多少の自主トレーニングはともかく基本的にはしっかり休もうと思っているので、コートで打つのは今年もあと数日だろう。 期末考査も終わったので、終業式までは部活一色でテニスに打ち込もう。 空になったココア缶を自販機横のゴミ箱に捨てて、部室へ向かうことにする。開始時間はまだだけれど、すでに数人は着替えてコートでウォームアップしているだろうし、同じクラスの宍戸は委員会に出ているがそろそろ終わる頃だ。部活が始まるまで時間があったので、中庭で『寒い寒い』言いながらもぼーっとココア休憩していた芥川だが、そろそろ部活モードをオンにして、宍戸でも迎えに行くことにするか。 「…いた」 「ん?」 二年の校舎へ入ろうとしたら、後ろから聞きなれた声。 思わず反応してしまったけれど、振り返らなくてもわかる。今頃コートでウォームアップしているはずの後輩だ。 「どした?」 「部活、始まります」 「あぁ〜、そだね。もうちょっとしたら行く」 「?荷物も持ってますよね。ほら、行きますよ」 「あ、ちょ、待っ……お、オレ、宍戸が―」 「宍戸先輩なら委員会終わってそのまま部活に来ます。いつものことでしょ」 「あー…」 ―よく、ご存知で。 日吉に手を引かれずるずるとテニスコートまで一直線。 部室に放り込まれ、とっとと着替えろと促されてユニフォームに袖を通し、シューズを履いていると向日、忍足ら他のメンバーも入ってきた。他の皆がすぐ来てくれてよかったと安堵している間もなく、外で日吉が待っているぞと言われ、嫌な予感。 面倒くさいC〜と返しながらラケットを小脇に抱えて外に出れば、仁王立ちしている後輩に顎をクイっとやられコートに入れと指示された。 「ウォームアップ、まだなんだけど」 「軽く打ち合うだけですよ。それに、寝起きですぐコートで打てる人が、何言ってるんです」 「……ま、いいけど」 相変わらず先輩扱いをしてくれない生意気な後輩だ。 それならば― 「オレのウォームアップになるくらいは、粘れよ?」 「くっ…そんなセリフ、いつまで言ってられますかね」 「んー、ま、先輩の壁は高いってとこ、今日も見せてやるかな」 苦虫踏み潰したような顔の後輩に軽く睨まれるが、芥川の言葉が事実であることには変わらない。まだまだ、日吉は勝てないのだから。 日吉の爆弾発言からは押されっぱなしだけど、テニスはまだまだ負けるわけにはいかない。メンタルで大きく左右されるスポーツとはいえ、自身のテニスにまで影響が無いことが今のところ救いなのかもしれない。 よく勝負を挑んでくる後輩に、最近は益々負けるわけにはいかないと思い始めている。なるべく力を見せ付けて勝利し、日吉にとっての芥川は『テニスで越えるべき存在』としてだけ映ればいい。 恋愛対象よりも、テニスの下克上相手としての想いのほうが、日吉の中ではまだ強いだろう。 となれば。 ―負けるワケにはいかねぇし。 サーブ&ダッシュでつめて、速攻型スタイルで『ウォームアップ』をこなすことにした芥川だった。 (終わり) >>目次 |