10月初旬に日本で開催されるジャパンオープン。 今年の男子シングルス決勝は開催国日本の選手同士の対戦かつランキング首位と次点の顔合わせだったため大いに盛り上がった。 全米を制したランキング2位か、はたまたアメリカ大会は欠場したものの俄然首位を譲らないナンバー1か。 予想も真っ二つに割れ、アメリカでの勢いそのままに越前リョーマが優勝を飾るという声が僅かに勝っただろうかというメディア、テニスファン注目の試合は、接戦の末に華麗なテクニックを見せ付けたランキング1位が試合を制し、優勝カップを掲げて幕を閉じた。 「本日はご多忙の中―」 都内の某有名ホテル大広間では優勝者のスポンサーによる記念パーティが開かれており、ただいま壇上でスピーチを始めたのはここ数ヶ月ランキング1位から落ちていない男子シングルスの覇者である。 相変わらずのポーカーフェイスで、いわゆる『仏頂面』とも囁かれる彼の表情は大方の予想通り、優勝の喜びがあまり感じられないものなのだが、彼がとてもシャイで表情に出すのが苦手なタイプと関係者には知れわたっているためそれに対して苦言を呈するものはいない。 いわゆる祝勝会なので敗者には関係のないパーティのはずなのだが、会場の隅のテーブルに陣取り、勝者のスピーチなど一つも聞いていないのか、ジョッキに注いでもらった紫色の炭酸飲料をぐびぐび飲みながら、ローストビーフをむしゃむしゃ平らげているのは今大会の男子シングルス第二位の選手だ。 彼の前にはビュッフェで本人がわざわざ取ってきた料理の数々が所狭しと置かれており、片っ端から平らげる姿に会場の人々の視線がチラチラと向けられているものの、本人はどこ吹く風。そもそも決勝の敗者たる彼がこの会場にいること自体が来賓の驚きを誘っているのだが、ここにいるからには彼も『招待客』なのだろう。ジャパンオープンの勝者と敗者はスポンサーも真っ向勝負を繰り広げている、いわゆる『ライバル』なのだけれど。 「あ、これうまい。ジローさんも食う?」 「なんだろ、海苔巻き??」 「ツナロール」 「ツナ?…マグロっていうより、海鮮の太巻きでしょ。すっげぇ〜具が10種類くらいある、ちょー豪華」 「この前アメリカで食ったヤツといい勝負」 「前って、全米オープンのパーティ?」 「うん。海鮮ロールでた」 「へぇ〜」 「アレが一番豪華だと思ったけど、こっちも中々」 先月の全米オープン大会後のニューヨークでは、跡部グループ主催で男子シングルス勝者を祝う記念会が盛大に行われた。優勝者の越前リョーマの筆頭スポンサーである跡部グループは、スポーツ用品から栄養管理までトータルサポートを掲げており、全米二連覇を飾ったこともあってそりゃもう大規模なパーティを開いてくれたものだ。 続くジャパンオープンでも優勝を狙ったのだが、ランキング首位のオールラウンダーに阻まれ『次も勝てよ』たるスポンサー様の期待に応えることは出来なかった。そしてジャパンオープンを制した男子シングルス優勝者の現在のスポンサーは、跡部グループとはいわゆるライバル関係にあたるため、敗者たる越前リョーマがこの場にいることは珍しいのだが、そこは優勝者の口利きでどうとでもなったようだ。 『アメリカ帰るまでまだ日があるし、暇だからメシ食いに行っていいっスか?』 こんな気軽なメールを承諾してくれた『先輩』の優しさに甘え、ついでに『連れもいるんで、2人で行きます』と追記して今日この日を迎えた越前選手、そしてその『連れ』な芥川選手。一応は『ジャパンオープン男子シングルス優勝、手塚国光選手です』との司会のアナウンスに、ともに全米大会を盛り上げた『手塚選手のライバル会社が支援しているアスリート二人』は拍手でお祝いし、同時にビュッフェコーナーで大量にプレートに盛り、テーブルでひたすら食すという華やかなパーティの中では異色な光景を繰り広げている。 「食ったらどうします?どっか遊びにいく?」 「パーティでしょ。一応、主役に挨拶を」 「ヤダ。今日はメシ食いにきただけだし」 「こーら越前。ジャパンオープン準優勝が何いってんの。招待してくれた優しい先輩に、お礼しなきゃだよ」 「えー。俺、パーティには飯食いにいくだけってちゃんと言ったし」 「手塚の周りが落ち着いたら声かけに行くから、一緒に来なさいね」 「ちぇ」 現在はアメリカを拠点に活躍する越前は、中学時代の一時期を東京都の私立・青春学園で過ごしていた。中学入学を機に生まれ育ったアメリカから引っ越してきて、親の意向で青春学園中学・テニス部の門戸を叩き、団体戦で全国制覇を果たしてから早何年が経っただろうか。あの頃部長をつとめた最強の男は、此度のジャパンオープンで決勝を戦ったその人で、壇上でのスピーチを終えたいま、たくさんの人に囲まれている。 「まーた炭酸飲んでる。好きだねぇ」 「別に試合じゃないし、いいでしょ。好きなモン飲んだほうが気分的にもいいんスよ」 「ふふ、そーだね」 「あ、でも跡部サンには黙っててくださいよ。うるさいし」 「跡部んとこが出してるアミノ系のスポーツ飲料飲めって?」 「試合中、散々飲んでる」 越前が当時好んでいた炭酸飲料はアメリカにもあるものだったけれど、あれだけ毎日のように飲んでいたのは日本で中学に入ってからだ。現在も練習中に一気飲みしていたりするとトレーナーにはあまりいい顔をされないけれど、これだけは譲れないので『炭酸飲んでも飲まなくても試合には勝つから、別にいいでしょ』と黙らせている。 スポンサー様に見られたら『てめぇ、まぁだンなもん飲んでんのか』と眉を顰め、その美貌を歪めては睨まれるのだが。 「それ何?」 「海鮮あんかけ焼きそば」 「チャイニーズコーナーにそんなのあったっけ」 「追加で出てた。越前、さっき飲茶系ばっかり取ってったでしょ。あの後、麺類増えたんだよね」 「その隣のは?」 「担々麺」 「タンタンメン?」 「ゴマベースのラーメン。ここのゴマが強くて美味しい〜」 「取ってくる。……げっ、麺コーナー、ちょー混んでる」 「これ食べる?また一口ずつしか食べてないから」 「んじゃ半分もらう。タンタンメンってやつちょーだい」 「はいはい。半分ね」 海鮮あんかけやきそばと担々麺、それぞれ半分を小皿に取り分けようとした芥川の提案は『皿そのままでいい』との越前によって、それぞれが半分食して交換することにした。 その後は、やれ大根餅、小龍包、海老蒸し餃子、春巻き、と一通り飲茶メニューを平らげ、続けてトムヤムクン、エビトースト、ヤムウンセン、パッタイ、ナシゴレン、ラクサ、チリクラブ、サテ……いったいどれだけ食べるのだろうか、ビュッフェの料理は全て味見しますと片っ端から手をつける二人に、周囲はただただ唖然。 この二人が『大食い』だとは周囲も聞いたことが無いけれど、これだけの量を見れば大食いの部類なのかもしれない。 ただ、よく見てみると芥川選手は一口ずつ色々な皿に手を伸ばし、残りを全て越前選手が片付けているので、大食いなのは後者のほうかもしれないが。 「あー食った食った。満腹っス」 「オレもおなかいっぱ〜い。さて、そろそろ手塚のところに―」 「なんか甘いモン食おっかなー」 「こらこら、越前クン?」 「食後はデザート」 「おなかいっぱいじゃないの?いつもあんまり甘いの食べないっしょ」 「今日は食いたい気分なんです〜。『最後のデセールまでが食事だ』ってね」 「どこの跡部だよ、ソレ」 「そーそー、いっつもこれ言うじゃん」 「アイツの食事は基本的にフルコースだから」 「跡部サンと飯行くと、美味いんだけど長いんだよなー」 「今度はワンプレートのところ連れてけって言っときなさい」 ビュッフェの甘味コーナーでは、季節のフルーツから各国のデザート類、チョコファウンテン、チーズ類、ヨーグルト類……とこれまた種類豊富で、きらびやかな装いの女性たちが前を陣取っている。けれど越前も芥川も、その中を掻き分けてお目当ての『甘いモノ』を取りに行くことに抵抗が無いため、彼女たちの視線などお構いなしにぐんぐん進み、料理と同様思い思いに乗せた結果、これまたてんこ盛りなデザートプレートが出来上がった。 「ねぇジローさん、マスカットのタルトちょーだい」 「はいはい。じゃ、オレ、プリンもーらい」 「全部食べないでよ」 「そっちもマスカット1つ残しといて」 皮ごと食べられるシャインマスカットのタルト、レモンクリームパイ、紅茶のミルフィーユ、アレキサンドリアジュレ、ガトーショコラ、バナナクリームパイ、ベイクドチーズケーキ、栗かぼちゃのモンブラン、シュークリーム。ケーキ類だけでもかなりの種類があり、そのケーキを中心に盛り付けた越前のプレートは見事に全種類が乗せられていて、1枚では乗せ切れなかったので2皿にわかれててんこ盛り状態だ。 「苺のショートはいいや。あげる」 「んじゃ、オーギョーチ食う?」 「食う。ココナッツミルクももらうよ」 「どうぞ。亀ゼリーも食べちゃって」 「…それはいらない」 ゼラチン系スイーツとフレッシュフルーツがメインな芥川のプレートも、これまた皿からはみ出すほど溢れんばかりで、あれだけの料理を平らげたこの二人が今度は山盛りのデザート類をテーブルに並べたため、会場の人々のさらなる奇異の目を集めている。 「チョコレートどーします?チョコファウンテン、いっとく?」 「う〜ん、これ全部食べてから考えよっかなぁ」 「それとも別の店行く?確かこの近所……あ、そういやあの人の店近いっスね」 「店?」 「ここ汐留でしょ。丸の内近いっスよね?」 「丸の内?…あぁ、丸井くん?」 「日本くる直前にメールきた。チーフパティシエに昇格したから食いに来いって」 「あー、そんなこと言ってたなぁ。丸井くんには会ったけど、そういや店にはまだ行ってねぇや」 「ジローさん、日本戻ってそろそろ一ヶ月っスよね?まだ行ってないんだ」 「そーだそーだ、全米ベスト4のお祝いしてくれるって言ってた!行かなきゃ。おごってもらおーっと」 「じゃあ俺、全米優勝だからもっとおごってもらおーっと」 芥川選手の学生時代憧れの人かつ当時の友達は、進む道は異なったが今では親友へとステップアップ。 『ジロくん、全米ベスト4おめでとう。惜しかったけど、次また頑張れよ!おごってやっから、帰ったら連絡寄越せよ』 その言葉通り、全米大会後に来日してからはや数週間。毎日をフラフラとゆったり過ごしている芥川の休暇中に、一度オフの丸井と遊んてはカフェでおごってもらってはいるものの、彼が働いているパティスリーにお邪魔してはいなかった。 越前選手が中学時代に対戦した最大のライバル校の人は、年上だけど今はたまに連絡を取り合うほどのトモダチともいえる。 『全米連覇おめでとう!今度帰ったら食いに来いよ。この前チーフになったからさ。天才的なケーキ、作ってやる』 その言葉通り、チャンスがあればジャパンオープン終了後にお店へお邪魔しようと思っていて、いつ行こうか、何なら彼の親友・芥川も誘って……というつもりもあったのだけど、今このパーティを抜け出してが一番のチャンスではないだろうか? 彼が働く丸の内のお店はここからタクシーで数分だろうし、パーティも開始が早かったので、パティスリー閉店までまだ時間がある。 「丸井くんのお店行くのはいいけどさ、その前にちゃ〜んと手塚に挨拶してから、だよ?」 「どうせ後で会うから、いいっスよ別に」 「こ〜ら。せめてご馳走様でしたって言いなさい」 「そこはおめでとうじゃないの?アンタもたいがいだし…」 「う?」 「……ま、いいや。とりあえずこれ片付けてから」 半分近く減った『大量のデザートたち』に再び手をつけ、次は和スイーツに取りかかろうと二人が手を伸ばした抹茶プチシュークリームが、寸前で横から出てきた手にさらわれた。 「「あ」」 「何やってるんだ、お前たちは」 二人が見上げた視線の先は、会場前方でたくさんの人に囲まれていたはずの本日の主役。 一応は彼のおかげでこのパーティに紛れ込むことが出来た二人だが、当の本人はスピーチ後にひっきりなしに声をかけられ挨拶を交わしていたので、越前・芥川ともに『ま、いっか』と主役は放置……というか、誰の何のためのパーティなのかはさておき、美味しい料理に集中しようと隅っこのテーブルで黙々と食事をしていた。 その姿は正直かなり目だつもので会場中の人々がチラチラ気にかけており、無論本日の主役の視界にもしっかりと捕らえられていたらしい。 優勝パーティといえど本人にとってみればスポンサーの手前断るわけにもいかず、ひたすら一人ひとり『ありがとうございます』とお祝いの言葉にお礼を返しては次の人、返しては次の人、そうやって気づけば一時間以上が経過。 ある意味『試合より疲れる』と越前などは開けっぴろげに言うのだが、手塚のようなタイプからするとそんなに正直に『面倒くさい』と前面に出せない。感謝している気持ちはもちろんあるので有難いことなれど、見目麗しい者の定めでもあるのだろう、関係者への挨拶はともかく華美な女性陣に取り囲まれあれこれと質問を受けるのは今も苦手で、こういうときこそ同じ選手仲間である越前や芥川に助け舟的に、大げさにいえば救い出して欲しかった。しかし視界に入った二人の様子は、会場奥のテーブルでひたすら食事に集中するもので、思わず眉が盛大に寄ってしまった感は否めない。 「あ、手塚部長、おつかれっス」 「もう部長ではないと言っているだろう」 「卒業して何年も経ってますけどね。部長は部長って感じだもん」 「…越前、芥川も。お前たち、食べすぎだ」 二人しかいないテーブルに並べられた空の皿の数々が、どれだけの量を平らげたのかを物語っている。 乾杯用のシャンパンは手付かずで、越前の前には大ジョッキに注がれた紫色の炭酸飲料。芥川は色々なものを少しずつ欲しがる彼らしく、コリンズグラスが複数。中身は色的に、オレンジ、グレープ、アップル、ピンクグレープフルーツの100%ジュースに、茶色系はウーロン茶、ジャスミン茶、緑茶あたりだろうか? 手塚としては『飲んでから次を頼め』と言いたいが中学の選抜合宿でも似たようなシーンを見たことがあり、成人した今でもたまに食事に同席すると決まって飲み物を複数頼むので、今更注意しても変らないだろう。友人の跡部が言うには『ジローはあまり量は食わないが、少しずつつまみたがる』らしいので。 「えー、オレそんなに食べてないC〜」 「ほんっとジローさん、一口ずつしか食わないよね。もうちょっと食って欲しいんスけど」 「越前がぜーんぶ食べてくれるからさー、色々食べれた。ありがと〜」 「俺、丸井さんじゃないんだからそんなに食えないし」 「十分だよ。かなり大食いな方だと思うけど」 「アンタが食わなすぎなんスよ。どの大会まわっても他の皆よく食うし、女の選手の方がジローさんより食うよ?」 「そりゃないっしょ〜。オレ、人並みだもん」 確かに芥川が普段食べる量は多いとは言いがたく、アスリートはもとより成人男性の一日の摂取量と比較しても少ないのかもしれない。 というよりも、メニューによって食べる量がかなり違うので何とも言えず、これには芥川のトレーナーも困っているようなのだが。 まるで子供のように、好物はかなりたくさん食べるけれど、そうでなければ人並み以下。 摂取量はプレーにほぼ影響ないようで、アンバランスな食事によるパフォーマンスの低下が無いことが、さらにトレーナーを悩ませている事実らしい。 「それで、食事は終わったのか?」 「おなかいっぱい。今日はありがと〜」 「どーも。おかげさまで満腹っス。ありがとぶちょー」 「あ、そうそう。優勝おめでとー手塚。さすがランキング1位!」 「ブチョー、ユウショウオメデトー、サスガデスネーランキング1位。イヤー、マケタマケタ」 「こーら越前。いい勝負だったよ?フルセットの長丁場だったもんね。二人とも、おつかれさま」 「ちぇ。今回は負けたけど、次は俺が勝つから」 「…あぁ、次の対戦も楽しみにしてる」 「あ、そーだ。手塚、全然食べてないっしょ。はい、あげるー」 半分残ったデザートプレートから、大振りのイチゴがドンと主張するショートケーキをフォークで崩し、一口サイズというには少々大きめのカットでついでにイチゴを乗せてみる。そのまま何をするかと思いきや隣に腰掛けた手塚の口元へ持っていき、半開きの彼の口に無理やり突っ込んでは『甘いものは疲れを取るんだC〜』なんてのほほんと呟いて、続けざまに彼が先ほど奪って口に入れていたプチシュークリームと味違いの、チョコレートのかかったプチシューも詰め込んでやった。 「うっ…」 「おいしーから、はい、食べてね〜」 「うわっ、ジローさん、すげーことやるね。ていうか手塚ぶちょー、大丈夫?」 「いつも甘いモンも食うから平気っしょ」 「そういや手塚さん、甘いの得意でしたっけ。じゃ、これもどーぞ」 席を立ち、芥川の隣に腰掛けている手塚のさらに隣へと移動した越前は、デザートプレートから白玉ぜんざいを選び、スプーンですくってはイチゴショート、プチシューが入っているであろう手塚の口へ同じように突っ込んでみた。 「……」 「うまいっすか?」 「……」 「手塚?ま、いっか。はい、次これねー、生のフルーツ。マスカットオブアレキサンドリアでーす」 「……」 「反応ないっスね。けど食べてるからいいか。部長、これも。貴陽っていうプラムだって」 「……」 「反応ないね。ま、飲み込んでるからいっか。もう梨でてるんだねーってことで、ええと、これは秋月っていうヤツね」 「……」 「美味いか微妙かだけでも教えてくださいよ。はい、これはイチジクね。ビオレ・ソリエスっていう珍しい種類らしいっスよ」 「……」 手塚を両サイドからはさみ次々と彼の口に放り込む両者も、中央の彼が『否』といわないので調子に乗り、ケーキ類からフルーツ類にシフトしだした。ビュッフェのデザートコーナーの中でも人気の高かった『高級フルーツ』の数々を、品種を確認しながら読み上げては手塚の口に突っ込み、彼が無言なのをいいことにこれまた次々と入れていく。 いつもならば『いい加減にしないか!』と雷が落ちるだろうに、本日の主役はいささか疲れているのか、本当にお腹が空いているのか、はたまたビュッフェのデザートが比類なく美味しいのか。実のところ越前・芥川ともにわかってはいないが、それはそれで別にいいかとさして考えず、ひとまず手塚が無言ながらもむしゃむしゃと食べているので由として、次は中華デザートでも突っ込もうかとそれぞれココナッツミルク、マンゴープリンを手繰り寄せたところで、さらなる第三者の声がかかった。 「お前らいい加減に、手塚で遊ぶんじゃねぇ」 ………。 何故、ここにいるのか。 ―この大会で来日はしないって言ってたのにね。 本日はジャパンオープンの勝者・手塚選手の筆頭スポンサーが主催しているパーティだ。 跡部グループとはライバル関係にあたるが一応は同業なので招待されていてもおかしくはない。しかし、大会2位の越前選手の筆頭スポンサーなので、同グループスポーツ部門のお偉い方が来ているとしても、グループ会長の直系の孫、いわゆる御曹司が直接来るとは思えないのだが。 (へぇ、俺が優勝したとしても、帰国してまでパーティに参加しないって言ってたのに。手塚さんの優勝会に来るとはね。ジローさんがいるから?) 先月の全米オープン優勝祝いの際に、ジャパンオープン出場への激励を受けた越前ではあるが、筆頭スポンサーの御曹司様からは『お前の優勝パーティにはいけないがな』との言葉をもらっている。 ―珍しいな、自分のところが主催でもないだろうに。 今年度のジャパンオープン優勝者は、現在ランキング1位の手塚国光。 決勝の相手は久々の対戦となる越前リョーマで、同ランキングは堂々の2位、直近では四大大会の一つ、全米オープンのシングルスを制した強者だ。選手同士は同じ中学校のテニス部出身、先輩後輩ということもあり今でも付き合いがあるし仲がよい部類に入るのだが、互いの筆頭スポンサーは犬猿……とまではいかないものの、しのぎを削りあう好敵手といえる間柄のようだ。 (昨日の電話ではシンガポールにいるという話だったが……すぐ日本に来たのか。越前がパーティに来たがっていると伝えたからか?…いや、連れが芥川だから、だろうな) 手塚にとって支援してもらっている企業のライバル会社とはいえ、跡部との友情の絆は固い。 何といっても最初にドイツへ渡航する際の口利きに一枚噛んでいたし、彼が今までしてきてくれた全てのことは感謝してもしきれないほど。あいにく今、手塚の周りを固める仕事関連の人々は跡部グループとは係わりの無いものばかりだが、それでも『親友』と呼んでいいほどの仲といえるだろう。今大会で跡部グループがサポートする越前リョーマを打ち破ったとしても、スポンサー同士の仲は関係無いときっぱり言って一番に『おめでとう』の電話をかけてきた男だ。 出張でシンガポールにいるがすぐにアメリカに戻る、と昨日跡部本人から聞いたばかりなのだが、何故かいま彼は手塚の目の前にいる。 ―日本にいるなんて聞いてない。ていうかこの前、アメリカ戻ったばかりなのにまた来たの?…何考えてるかわっかんねぇ。 芥川が跡部と最後に会ったのは向日、忍足、宍戸ら元氷帝メンバーを集めた食事会だっただろうか。 普段はアメリカ西海岸で同居しているとはいえ互いに忙しい身だ。特に芥川はツアーが始まると世界中を転々とするのでマンションを不在にするし、同居人の彼は彼で出張も多く、抱えている業務によっては数ヶ月部屋に戻らないこともあり、直接会って同じ時を過ごす機会は、実のところあまり無い。 それに全米大会の怪我で現在休養中の芥川にとっては、ゆっくりとマンションで過ごす時間が出来たのだけどどうせ同居人は忙しくて傍にいないからと日本に来てしまった。その忙しい同居人も何とか仕事を調整し、しばらくマンションから職場に通えるよう算段をつけるも残念ながらのすれ違い。すでに芥川は『日本で休養する』と西海岸を飛び立った後で、連れ戻そうと来日した跡部は戻りたくない芥川と口論になり、一時的に仲直りしたけれど最終的には芥川を説得するには至らず、跡部もあまり時間が無く仕事の都合でアメリカに戻り数週間、といったところか。 (ほんと、なーにしにきたんだろ、跡部。このパーティのために日本来た?わけないよねぇ) どうやら出張でシンガポールにいたようで、手塚によると昨日夕方に電話したばかりだそうだ。となれば時間的に、昨夜のナイトランで今朝東京着か、はたまた今朝のフライト?いや、しかし夕方成田に着いてここまで移動だと時間的に無理があるから、やはり深夜便で帰ってきたに違いない。越前の『シンガポールにいたんじゃないの?』なる突っ込みに『明日ステイツに戻る』と返しているからには日本に来たとてゆっくりしている時間など無いのだろう。 そして、仕事上で日本に用事があったわけでもないはずだ。 となれば。 出張先のシンガポールから無理をしてまで来日し、わざわざこのパーティ会場までくる理由、とは。 (手塚さんの優勝パーティに顔を出しに、ってなワケないよね。やっぱジローさんか) (怪我はもう平気だと言うし、跡部が来たということはそろそろ芥川もアメリカへ戻るということか。一緒に住んでいるんだったな) そう。 こんな強行軍で、無理をしてまでこの場に顔を出すなんて、目的はただ一つしかない。 「手塚、今回はおめでとう」 「ああ。ありがとう」 「次はウチのが勝たせてもらうがな」 「楽しみにしておこう」 『ウチの』と肩を叩かれた越前は、ココナッツミルクをぐるぐる混ぜていたレンゲを持ち上げ、くるくるまわしながら『とーぜんでしょ』と宣言し、手塚の双眸をじっと見つめて火花……とは程遠く、睨みあう、ともまた異なるけれど、とりあえずは次もいい試合をしようとがっちり握手をかわした。 さて、跡部グループが支援しているもう一人のプロテニスプレイヤーはというと、ただいま怪我のリハビリで『休養中』とのことなのですが。 「芥川。もう足は大丈夫だと言っていたな」 「あーまぁねぇ、ちょいちょい」 「跡部と一緒に、アメリカへ戻るのか?」 「は?」 「あー、そうなの?ジローさん。だから跡部サン、急にここに来たんスか?」 「えー…跡部が来てたのは、知らなかったし」 二人から畳み掛けられても、本当に跡部の来日は寝耳に水……そして、そろそろアメリカへ戻ろうかと思う反面、年内はずっと実家でごろごろしていようかな、と思っていたのも事実。けれど、いくらリハビリに励んで練習も再開したとしても、本気でやっていくにはやはりコーチ陣のいる今の拠点、西海岸に戻らなければならないこともわかっている。 何よりも年明けの全豪に出るつもりなので、そのためにはやはり元のペースに戻し、試合にも出ていかないとだめなのだ。 「ジロー、行くぞ」 「……あとべ」 腕を引っ張られ立たされて、会場からの退出を促されるがどうしたらいいものか。 咄嗟に越前へ振り返ると、手塚の隣で手をヒラヒラさせて『ばいばい』と言われてしまい、丸井の店はどうするんだと呟けば『手塚さんと行ってくるんで、大丈夫っス』だそうで。 何が大丈夫だと言い返したかったけれど、跡部に掴まれている腕は外せそうにないし、さらに強い力でぎゅっと握られると何だか振りほどけない。 「時間が無いんだ。来い」 「…どこ行くの」 「ホテル変更」 「は?」 「俺のところのホテルに移動」 「あっそ…」 連れて行かれた先は、跡部グループ系列のホテルブランド最高峰。 都内の一等地に建つ、いわゆるラグジュアリーホテルの一つで、そのまま奥のVIP専用エレベーターで最上階へ。こういうトコロは昔からなので驚きはしないが、それにしても急過ぎるというか、説明が何一つ無いというか……いや、それもいつものことか。 「忙しいのにしょっちゅう日本に戻ってきていーの?」 「これも仕事の内……いや、仕事はどうとでもなる。俺の用事だ」 「ふーん」 跡部グループがスポンサーをしているとはいえ、実際に跡部本人が現在携わっている会社の事業とスポーツ選手のスポンサー部門とはさほど関連は無い。ざっくりいえば系列企業に所属しているけれど、芥川を支援している企業は本社側なので関連会社の社員・跡部景吾とは、こと『スポンサー』や『プロ選手の支援』的な、会社的見解からすれば表向けは無関係といえるだろう(その割には度々口を挟んでくるけれど)。 しかし、跡部家の直系で世間やグループ会社の社員からは『御曹司』と見られていて、いくらグループ会長が内々で『世襲制ではない』と言ったところで、周りの見る目は跡継ぎのソレだ。そのため跡部グループがスポンサーを行っている選手たちの中でも活躍している芥川選手と、会長の孫たる跡部景吾がともにいても『スポンサーつながり』との見方が大半。 彼らに近しい人たちは、跡部景吾と芥川慈郎の関係は『スポンサー企業』と『選手』というだけではなく、さらに近い人々は『中学時代のチームメート』を通り越した仲ということも知っている。本日の跡部景吾の登場は『準優勝の越前選手の健闘を称え、怪我療養中の芥川選手の様子も伺いにきたスポンサー会社の立場』的に見ていた人が大半だろう。 けれど、そういうことではない。 無理をしてまで出張先のスケジュールを調整し忙しなく来日したのは、ただただ心配で一目だけでも顔を見たかった、という理由ただ一つ。前もって連絡を入れれば先手を打って姿を消すかもしれないので、それならば絶対に逃げられない場面で捕まえるしかない。そんなときにジャパンオープンで優勝した手塚から『祝賀パーティに越前と芥川が来る』と聞けば、もうそこへ突然登場するしか無いだろう。 「…待ってるから。満足したら、戻って来い」 「…!」 アメリカに連れ戻したいが無理に言うことを聞かせても意味がない。 芥川が自分から決心してくれるまで、ひたすら待つしかないのだから。 (何年もかかってようやく一緒になれたんだ。散々待ったし、今更どうってことねぇ) 中学時代の出会いから紆余曲折を経て今の関係になれたことを思えば跡部様的には問題ないらしい。本心は連れて帰りたいけれど、芥川が久しぶりに日本でのんびりしたいという気持ちも汲んでやりたい。『芥川慈郎』がプロテニスプレイヤーであり、彼をサポートするメンバーたちが西海岸で待っている以上は、あまりずっと日本にいさせるわけにはいかないのでタイミングを見計らって、それでも『帰らない!』なんて言おうもんなら実力行使で『ばかー!跡部のアホ!』となじられてでも連れて帰る気ではあるが。 ―もうしばらくはこのままでもいいだろう。 先にシャワーを浴びた芥川に続いて、さっと汗を流し部屋に戻れば彼の姿はリビングになく、すでにベッドルームでグースカ就寝中。少し話したかったのだが、寝てしまったのなら仕方ない。それなら自分も寝てしまおうと生乾きの髪をそのままにベッドに入り、ライトを消した。明日のフライトは夕方なので昼過ぎには都内を発たなければならないので、できれば早めに起きて朝食を摂るがてら話をして、ぎりぎりまで一緒に過ごし空港へ向かうとするか。 「…しないの?」 キングサイズベッドの中央を陣取る芥川の隣に入り、布団をかけたところで隣からボソっと呟く小さな声。寝ていたと思いきや起きていたのか、はたまた隣に入ってこられて目覚めたか。寝ぼけているだけかとふわふわ金髪を撫でて、そのまま目を閉じ寝ようとする跡部の耳に再度同じセリフが入ってきたため、お隣がしっかり起きていることと誘い文句のような言葉の意外さに少し驚いた。 隣の御仁は両目をばっちりあけて、じっと跡部を見つめている。 「ばーか、けが人なんだろ?」 「…へーき。もう足、なんともないもん」 「じゃあ明日アメリカに戻れるな?」 「……」 「なんてな。無理やり連れて行きたく無い」 「あとべ…」 「お前の意思で、戻って来い」 金糸に指をからめ撫でてみれば抵抗が無いのでそのまま引き寄せると、おずおずと伸びてきた手が背中に回され、ぎゅっと抱きつかれる。 「ジロー?」 「……明日、帰るんでしょ」 「…ああ」 「あとべ…」 「……」 「……」 「…いいのか?」 「………ん」 「けが人にあまり無理をさせたくねぇんだがな」 「もう、平気だもん」 ただ顔を見れればいい。 抱き合って眠れれば、それだけで十分だと思って出張先のシンガポールから日本に来たのだけど、彼が『いい』と言うのであれば断る理由などない。特に今年の芥川は年明けから数々の試合で好成績を残し活躍したため、練習と試合以外に取材や撮影、そのルックスも相まってかファッション誌や女性誌の仕事も増えて、テニス以外にも時間をとられ中々二人きりで落ち着いた時間が取れていない。 『テニス以外の仕事』には跡部グループのオファーも複数あるので跡部としては『そういう仕事は断れ』ともいえないのが現状。芥川本人が『いやだ』といえば本社に何と言われようが拒否させるつもりはあるけれど、芥川は何をとってもテニス以外では『跡部関係の仕事』を優先させるので、せっかくの跡部の仕事休みを一緒に過ごそうとしても『芥川選手の休日』なるファッション誌の取材で潰されたことは一度や二度ではない。 三度目はさすがに手を打とうとしても、跡部グループ関連のオファーと聞けば、跡部がいくら断れと促しても、彼は『跡部んとこの依頼だから、受けちゃった』ときょとんとした顔で言い放ち、お休みの跡部をマンションに残してテニスがまったく関係のない仕事へと一人で行ってしまう。 「んっ…」 「力抜け」 「へへ…っ…ひさし、ぶり…」 「そうだな。お前は忙しいからな」 「っ…あと、べのほうが……っ、はぁ、んんっ」 「我慢するな。足、痛かったら言えよ」 もう平気というが、完治はしていないだろう。芥川がリハビリに行っているメディカルセンターから日々届けられるレポートの隅々まで目を通しているが、治りかけが一番危ないともいう。明日にはアメリカに戻らなければならないとはいえ、久々の逢瀬で相手も『しようよ』と言ってきているのだから、無理はさせたくないけれど自分自身がおさえられるのかはいささか自信が無い。 こうなれば朝まで抱き合ってヘトヘトに疲れさせて、意識を失った彼をそのまま飛行機に乗せて連れて行ってしまおうか。 (…着いたら猛烈に怒るだろうな) それこそ人攫いだ極悪人だと怒鳴られ、ヘソを曲げられしばらく無視されるに違いない。 数分前の『無理やり連れて行きたく無い』との想いはどこへいったと自嘲しながら、結局は自分ひとりで帰ることになるであろうことはわかっている。 ひとまずは今この瞬間を楽しみ、慈しみ、愛し合おう。 この次はまたいつ会えることになるのかわからないけれど、芥川がなるべく早く、自分から戻ってきてくれることを願って。 ―それでも年内に来なければ、強制的に迎えにいくことは跡部の中での決定事項となっているけれど。 (終わり) >>目次 |