『今度アメリカ行くんだ〜』 ―なんだ冬休みの旅行か? 『ちっがうC〜。移住ー!』 ―は?移住? 『そーだよー、コーチがロサンゼルスにいるから、そこにホームステイすることにした』 ―コーチ?お前、何いってんだ。ホームステイ…短期留学でもすんのか? 『留学みたいなモンなのかなー』 ―…詳しく話せ。 『あのねー、この前オレ、インターハイだったっしょ。そんときに声かけられてさー』 英国でハイスクール生活を送っていた矢先にかかってきた電話をとり、早何年経っただろうか。 氷帝を離れ生まれ育ったイングランドに戻っても、元クラスメートやチームメートら友人たちとはたまに電話・メールのやり取りをしていたが筆不精な彼から直接連絡がくることは稀で、いつも跡部から電話をかけないと声がきけず、メールをしても中々返ってこない。そんな彼から珍しく国際電話がかかってきたら、思いも寄らない事を告げられ目が点になったものだ。 てっきり旅行か短期留学かと聞いてみれば、話が予想外の方向へとんでいった。 高校生になり部活を真面目に取り組むようになった彼の実力はめきめきと上達していき、ついには二年の夏に高校生の頂点に上り詰めたときは遠い英国から、元チームメートの快挙を我が事のように喜び、お祝いの電話をかけてからほんの数ヶ月後の、突然の『今度アメリカ行くんだ〜』。 当初は彼に声をかけたという『コーチ』を怪しみ、跡部家の総力をあげて調査を行ったところ、グランドスラムの優勝経験がありシングルス選手を育てることに定評のある、いわゆるレジェンドで『本物』だった。さらにヨーロッパに来ていたレジェントとアポイントを取り直接話を伺ったところ『ジロー・アクタガワ。彼のような選手が学校のクラブでやっているだけだなんて信じられない。是非アメリカに連れて行きたい』と熱弁を振るわれ、レジェンドコーチの本気度を悟った。 それならば出来る限りのことはしてやりたいと生活面でのバックアップを約束して― …とまぁ、あれこれしているうちに気づけば跡部自身もアメリカ西海岸に居をうつし、一緒に住んでいた。 あの時の行動力と決断力の速さは跡部本人も驚きではあったが、飛び級で大学に入ろうかハイスクールをゆっくり卒業しようか迷ってもいたので、いい切欠だったともいえる。 結果的にスキップでユニバーシティに入り猛スピードで単位を取得していき、後半は課題のメール提出、パソコン授業、と実際の講堂に行かなくても済むプログラムを選択することで、英国の大学在学中に遠くアメリカの地にお引越しをしたが卒業までにさほどの支障は無かった。 『え、なんで?』 ―ホテル暮らしなんて馬鹿かお前は。それでもプロ選手か。 『けどもうホームステイ卒業だもん。寮のヤツもいるけどさー』 ―じゃあ寮に入れ。 『えー、あそこの寮あんま好きじゃない。ベッドかたい』 ―ベッドぐらい変えればいいだろうが。 『近くのホテルのベッド、寝心地よかったから。月契約してくれるっていうし、それでいーもん』 ―馬鹿なこと言ってんなよ? 『ホテルでごはんも食べれるしさー』 ―毎朝ホテルビュッフェで済ませるスポーツ選手がどこにいる……いいから、ホテル契約はやめろ。 『えー、じゃあどうすりゃいいのさ。来月にはコーチの家、出なきゃ』 ―………俺が用意する。 『へ?』 こうして西海岸の地に降り立った跡部様は、あれこれと手を回しきょとんとしている芥川を言いくるめ―もとい説得して同居に持ち込み、紆余曲折を経て今に至る。 今? ―そう。 友人を超えた関係になって数年。ただいまケンカ中……? いや、突然日本に帰ってしまい、迎えに行ってみれば『今年いっぱいは帰らないC〜』と背中を向けられ、仕事の都合上あまり長く日本に滞在できず、説得する間もなくステイツに戻ってまもなく一ヶ月が経とうとしている、といったところか。 初めて試合中に棄権し、本人が動揺していたのはわかる。 大会後は日本で数日の休暇をとり次の大会へ移動する予定だった彼のスケジュールも、同居人たる跡部は重々承知している。 しかし、全米オープンの途中棄権によりしばらくスケジュールが白紙になり、治療とリハビリに入るため綿密な日程を組んでいたはずなのに、それら全てがひっくり返ったのは突然の彼の帰国によるもの。 コーチやトレーナー、彼を取り巻く『チーム芥川』のスタッフには一応は告げていたというので数日の帰国は仕方ないにしろ、それでも元もとの予定日数を目安に滞在するくらいだと思っていたら、その期間が過ぎてちょうどいいタイミングで迎えに行ってみれば『帰らない』とキッパリ言われてしまった。 そのまま1週間が経ち、2週間が過ぎて彼の体調管理やトレーナーを勤めるスタッフに『ジローにそろそろ戻ってきてもらいたいんだ……どうかな、ケイゴ』と相談されて、もうじき一ヶ月が経とうとしているのだとあらためて気づいた。 アメリカを発つ前に『年内は日本でゆっくりする』などとスタッフ連中に言っていたらしいが、誰もが数日の帰国で『年内』は単なる冗談だと思っていたようだ。まさか、本当に10月に入っても戻ってこないとは。 幸いリハビリとトレーニングは順調に行っているようで、彼が通っているスポーツリハビリセンターは跡部グループ系列のところのため西海岸にいる『チーム芥川』の面々は、現在の芥川の足の状態、詳細を知ることができたし、日本側のセンターのスタッフと蜜に連絡を取り合い進捗状況を確認しあっている。 けれど、いつも練習やツアーで世界をまわるときに必ず帯同する芥川の専任トレーナーからすれば、できれば自分が面倒を見たいのでアメリカで、復帰目指して一緒に取り組んでいきたいのだろう。 『…アイツは気まぐれだからな』 跡部としてもこの状態は何とかしたいが、日本に行ってしまった彼は無理に言いきかせて従うタイプではない。 一度決めたことは譲らない面があり、かといって小さな切欠でその『決めたこと』をひっくり返してしまう。普通の人なら嫌がり困ることを笑顔で頷き、ささいなことを頑なに拒否するところもある。 中学時代の恩師に『気分屋』と称された性格は今も変らず、普段は大らかでのんびり屋、のほほんとした柔らかい雰囲気で周囲をほっこりと穏やかな気分にさせて、元気いっぱいの時は周りの気分を高揚させパワーを与える、そんな太陽のような存在………とは同居人談。 意外と頑固なところがあるので『年内は日本』と宣言したからにはそう決めているのだろうが、何せ気分屋なので次の日には意見が変っている可能性がある。けれどそれも一ヶ月にもなると、何かしらの切欠が無いと彼を連れ戻すことはできなさそうだし、あいにくそれはどんなに彼に近しい人でも明確な回答は出せないだろう。 そこが『気分屋』たる所以で、芥川の行動や心情を予測するのは中々に難しのだ。 ただ、他を圧倒するインサイトの持ち主は実にピタリと芥川の居場所を当て、彼の感情を汲み取り先々で完璧なレールを敷き、フォローしてきたからか、チーム芥川の面々から『ジローのことはケイゴに聞け』と密やかに囁かれているほどなので、こうやって頼られるのも無理はない。 ―結局決めるのはアイツだ。納得か、満足しないと戻ってこないだろ。 空港へ向かう跡部へ期待をこめた眼差しを送るトレーナーへそう告げて、アジア出張といっても東南アジアで日本に寄る予定は無いと続ければ『それでもケイゴなら何とかしてくれる』と言うのでどうしたものかと思っていた矢先に、跡部グループがスポンサーをしている越前リョーマのジャパンオープン決勝進出のニュースが入ってきた。 出張先のシンガポールのホテルでテレビをつけてみれば、国際映像に流れるのはかつてのライバルたちの姿。 どちらが勝ってもおかしくない実力伯仲の両者、フルセットに及ぶ激闘を見守り、所属する会社の母体・跡部グループが筆頭スポンサーをしている越前リョーマが敗北してしまったのは残念だけれど、優勝者が中学時代から知る旧友というのは嬉しいものだった。 さすがのランキング1位の底力を褒め称え、お祝いの一言を告げようと翌日電話をかけたら運よく本人に繋がった。てっきり取材だテレビだと忙しいだろうから留守電にメッセージのみ残すことになるだろうと思っていたら、ちょうど遅めの朝食中だったようで昼前に話すことができた。その際に優勝者から祝勝会の話が出て、盛大にやるであろうライバルスポンサーを思い浮かべ『せいぜい派手に祝ってもらえ』と笑えば、僅差で敗れた第二位がパーティに参加したがっているという。 あまり無い話だろうが、決勝で合間見えた両者は中学時代のチームメートで信頼しあっている先輩後輩の間柄なので、たとえその目的が越前いわく『優勝を飾った先輩を祝う』ではなく『豪華なパーティで美味しい食事』だとしても、手塚に断る理由は無い。 どうやって主催のスポンサーに説明し敗者たる越前リョーマを招待客に入れたのかは謎なものの、とにかく越前は手塚の優勝パーティに参加するようで、ついでに連れも一緒に来るのだという。 『なんだと?』 『明日のパーティに二人一緒に来るというので、ひとまず話はつけておいたのだが』 『うちのが二人して面倒かけて、悪いな』 『…芥川の怪我は深刻なのか?日本でリハビリはしているようだが、本格的なトレーニング再開はまだだろう?』 『復帰に問題がある程じゃねぇ。確かに怪我は怪我だが、アイツの心持ち次第だな』 『精神的なこと、か。そういえば途中棄権をしたのは―』 『初めてだ。それも要因の一つかもしれねぇが、アイツのことだからどうだかな。長らく帰っていない久々の日本でのんびりしたくなったのもあるだろうよ』 『そうか』 高校途中で単身渡米してからひたすら走り続け、最近ようやく頭角を現し今までの努力が結果として出るようになってきた。 今シーズンは複数の大会でファイナリストとなり、得意のクレーコートではトロフィを掲げてランキングでも上位に食い込み、本人も絶好調だと手ごたえを感じていた中での全米大会快進撃、そして準決勝での途中棄権という予想外の結末。 緊張の糸が切れてしまったのか、それとも今まで疲労蓄積はあっても試合を途中棄権したことがなかったため、傍目には感じられなかったが本人は実は相当ショックを受けていたのだろうか。 数日間の休養でアメリカに戻るつもりだったのかもしれないが、久しぶりの実家でのんびり過ごすうちに居心地の良さと家族、幼馴染の温かさに触れ、もう少しいたいと思い続けた結果がこの一ヶ月なのか。 跡部グループ系列のトレーニングセンターに毎日通っていると報告が入っているのでひとまず安心してはいるが、日本側の担当トレーナーからそろそろコートでの練習を始めて良いとのGOサインが出ているので、まもなくアメリカに戻ってくると信じたい。 手塚との通話を終えて携帯電話をテーブルに置き、パソコンを立ち上げメールチェックを行う。 仕事関連のものを一通り処理し、プライベート用のアカウントへログインするとたくさんのメッセージが届いており、そのどれもが今日という日をお祝いするもので、そういえば自身の誕生日だと気づいた。 (10月4日、か…) 過去に盛大なパーティを開いたことも多々あるが、社会人になった今はそうもいかない。 身内の企業とはいえ縁故採用ではなく入社試験を通じて一新入社員として入社、それも本社ではなく関連会社だ。 元もとの出来が良すぎるせいか同期は言うに及ばず、先輩社員たちとは比べ物にならないほどの成果をあげ、瞬く間に出世していったけれど、それでも役員への昇格は固辞しもうしばらく一般社員として現場経験を積みたいと仕事に忙殺される日常を選んでいる。 二人きりで祝った10月4日もあったけれど、彼もツアーで転戦し世界中を飛び回っているため互いの誕生日を一緒に過ごせることは奇跡に近い。現に、たとえ彼が日本に戻らずアメリカでリハビリに励んでいたとしても、怪我をせず次のツアーに行っていたとしても、跡部のアジア出張は変らなかっただろう。10月3日にここシンガポールで商談が入っていたことを思えば翌日の土曜日を一人で迎えるのは決まっていたことだ。 ―"No title" AKUTAGAWA.JIRO -20xx.10.4-00:01 @ 目に留まった添付ファイル付のメールを開けば、今ちょうど思い浮かべていた人物からのもの。 今日という日を覚えていたことに多少の驚きと、少しの嬉しさを感じつつ開いた文章は誕生日を祝う文面に、もうしばらく日本にいるという喜ばしくはないもの。 跡部の思いは色々とあるものの、こればかりは芥川自身で決めることなのであまり無理を言っても彼には効果ないだろう。 添付されていた画像は日本で撮った写真の数々。それぞれ一言ずつ、説明が添えられている。 ―岳人と高尾山行ってきた ―久しぶりに鳳と日吉とテニス!けちょんけちょんにやっつけたしー ―宍戸せんせーの教え子と対戦したよ ―跡部んとこのホテルでケーキバイキング!丸井くん、相変わらずすげぇし ―ジャパンオープン決勝。岳人と宍戸と一緒に観てきた! ―トレーニングセンターで越前と遭遇。悔しがってた。 「山登って、テニスだと?……アイツ、もう何ともねぇんじゃねーか」 医師とトレーナーの診立ては正しく、コートでのハードな練習ともかくトレーニングを再開できるタイミングには入っているらしい。 それにしてもトレーニングセンターではひたすら足のケアを行っているというが、外ではラケットぶん回している、だと? 本日は10月4日、土曜日。 仕事は粗方終えているが、週明けに取引会社の重役と会わなければならない。 予定では10月6日の商談後にそのまま空港へ直行、機内で資料をまとめてアメリカに着いたらすぐに会社でミーティング、そして新規プロジェクトの―……と跡部の中では今手がけている仕事の綿密なるプランがある。 けれどそれ以上に気になりだし、たとえ0泊の強行軍になろうともスケジュールの中に日本を入れて、彼に会いたい気持ちがどんどん増えていったら後の行動は早かった。 (資料だけまとめて先に送っとくか。ミーティングは金曜にずらして……それでも1泊が限度だな) 7日の朝、日本に到着する足でそのまま港区のホテルへ。手塚のパーティにやってくるであろう彼をとっ捕まえて一緒に過ごす……といってもその翌日にはステイツに戻らないといけないだろうが、それでもセンターからのデイリーレポートでは見えてこない部分も、実際に会えばそのインサイトで看破できる、かもしれない。 やはり、何だかんだいいながらも心配で心配で仕方が無いのだ。 本国で手ぐすね引いて待ち構えている芥川の専任トレーナーへ、いい報告が出来れば良いが。 ―ちなみに無事、手塚の祝賀パーティで芥川を捕獲し、一晩過ごすことは成功したらしい。 (終わり) >>目次 |