困った。 ひたすら困った。 どうしたらいいのか。 断ればいいと言うかもしれないが、もう散々断っていて、それでも相手は聞いてくれない。 端からNOなんて答えは求められていないのだろう、『ハイかYES!』と言わんばかりの勢いでぐいぐい迫ってくる彼に対して、芥川本人は強めのNO!と突きつけているつもりなのだけど、これっぽっちも彼に届いていないのか。 「頼んます!!」 ―いや、その……あのね? 元々は年下の他校生で、テニスというスポーツを通じて知り合った仲間。 鳳や日吉ら直属の後輩とは違うけれど、選抜合宿を経て一応は『後輩』と呼んでいいんじゃないかと思えるほど、仲良くなったのは確か。さすがに同じ学校ではないので『先輩』と呼ばれはしないけれど、それでも一応は『ジローさん』や『芥川サン』とさん付けをしてくれるので、目上との認識はされているのだろう。 大親友たる丸井が思春期をともに過ごした可愛がっている後輩だ。丸井に対してと同じように慕ってくれるので、なるべく彼の希望をかなえてあげたいし、芥川としても自分に出来ることなら頼みをきいてあげたい。 そういう想いはあるのだけど、それでも出来る・無いがあるのであって。 「俺、大人になりたいんス」 「あ…っと、その気持ちはわかるんだけど」 「お願いします!」 「えー、あー、…困ったC〜」 「芥川サンがいいんです」 頼ってくれることは嬉しいが内容が内容。 どう考えても同性に頼むことではない、と普通の人ならキッパリいえるのだろうが、よりによってこういうことを他の誰でもない『芥川』へお願いしてくるということは… (まさか、丸井くんに何か聞いた…?) 誰にも言うなと釘をさしたはずだが。 あの時の衝撃は何と表現すればいいのだろう。一瞬頭が真っ白になり、次に襲ってきたのは途方もない『やってしまった感』。 それは丸井も同様でしばらく無言で見つめあった結果、元来あまり物事を重くとらえずリベラルで大雑把な二人、という共通点も相まってか『ま、いっか』で落ち着いた。 『ありえない出来事』に分類されるだろうけど、おちゃらけて笑い話として終わらせたのは二人の意思で、そっち方面に目覚めるかもなんてからかいあったものだ。けれども周囲には絶対にナイショ、二人だけの秘密ということは共通認識で、互いに誰にも言わないと約束して、引き続き大親友としての関係を続けている。 (切原って、そういう人…?でも、今までそんなの聞いたことないし) ノリの軽い丸井だとしても、いくらなんでも『絶対に秘密』と約束したことを仲が良いとはいえ後輩にポロっと漏らすとは思えないし、その点においては親友として信頼しているのだけれど、今の切原の『お願い』は対女性にならともかく同じ男に頼むのはありえない。 「一生のお願いっス!!」 ついには額をぴたーっと床につけて土下座までしてくる切原に戸惑いながら、それでもきっぱりと拒否できない自分自身に多少の驚きを覚える芥川だけど、丸井とああいうコトがあっても別に拒否感が無かったことを思えば切原よりも、自分の方が『そういう人』なのかもしれない。 周りにそういう友達もいるし、彼ら・彼女らの恋愛事情を何ら思うことはない。ただ、自分の恋愛感とは違うだけで……と思っていたところに丸井との『ありえない出来事』。その先の扉を開きたくないから忘れる、無かったことにする、話題は避ける、とまぁあの時のことはスコーンと記憶の彼方へ追いやってしまえ! きっと丸井もそう思っているはずだ。 そう。 だから、今こうして切原が頭を下げていることと、丸井とは関係がないはず。 いや、ちょっと待て。 それならそれで、やっぱりおかしいのではないか? (丸井くんの影響じゃないとして……何で切原?……というか何でオレ?) 「あの、きりはらくん?」 「……おねがい」 「だから…その、えっと」 「俺、やっぱりアンタがいいんス」 「あー…そういうお願いなら、オレじゃなくて誰か他の―」 「いないっス」 「いや、そんな即答……ほら、周りに可愛いこいっぱいいるでしょ」 「いません」 「え」 「アンタが一番可愛い」 「ちょっ…」 年上の男に向かってその台詞はいかがなものかと思うが、躊躇せず『可愛い』なんて言い放つからには『一生のお願い』も決して血迷っているわけではないかもしれない。 ―いや、でもですね? (あぅぅぅ…どうしよ) 「俺、童貞捨てたいんス」 少しトーンダウンして、今度は泣きの訴えのつもりだろうか? 先ほどの勢いとは打って変わって切々と呟く土下座中の切原を目の前に、思春期の男の悩みとして気持ちはわからないでもないが、そんなのは無理に背伸びするようなものではないし、いつか本当に好きな人ができてお付き合いしたら、自然とそうなるものだと言い聞かせたい。 だがしかし。 まったくもって聞く耳持たぬ土下座の男は、『是』しか耳にいれてくれないのだろう。芥川が『あのね?無理にそういうことを』やら『でもね、いつか切原も―』と切り出そうとするたびに、やれ『お願いします』だの『アンタがいい』だのと最後まで話をさせてくれない。 こいつ、そういう趣味だったのかと思い切れないのは、言葉通り『脱チェリー』のためならば性別などどうでもいいのか、それとも別の意味があるのかを計りかねているからだ。 男性との経験もしてみたいという『興味』ではなく、まったくもってそういうことをしたことのない未経験者が、初めての人になってくださいとお願いする相手が友達や先輩……というのはソウイウ本やドラマでありえるシチュエーションかもしれない。けど、それはあくまで女の子にであって、同じオトコ相手にお願いすることか? 実はゲイでずっと好きだったんです……ならわからなくもないが、今まで切原の色恋沙汰で同じ同性が出てきたことはない。やれ後輩に告白された、気になってるロングヘアの綺麗な先輩がいたけど彼氏がいた、クラスメートで仲の良い女子がいてとても気は合うけど、アイツは付き合うとかそういう風に思えない、などなど。 高校時代も丸井経由やときたま切原本人から何度か聞いたことはあるけれど、何れも『女の子』に限定されており、今だれかとお付き合いしているかは知らないが男性に目覚めたとは初耳だ。 ここに丸井がいれば『赤也。お前、ジロくんが好きなのか?』とストレートに聞くだろうが、芥川としてはどう答えられても少し怖いので聞きたくないのが本心。 それに好きになってしまったのなら、相手が同性であれ切原は真正面から告白するタイプだろうし、何度か男に言い寄られている芥川のことも知っているので、たとえ思いを伝えても芥川から邪険にされないとわかっているだろう。けれど彼からは一言も『好きです』が出てこず、ひたすらお願いされているだけだ。 ―これをどう捉えればいいのだろう? 広げた両手の間にピタっと頭をつけて床に張り付いたまま、低姿勢で一心不乱に『一生のお願い』を芥川へ向けてくる。 『好きです、男同士でも関係ないんです、恋愛の意味で好きなんです』 彼から放たれる言葉はそのどれでもなく(その何れであっても困ってしまうけれど)。 『童貞捨てたいんです、エッチしたいんです、経験したいんです』 頭を下げながらも対応に困る言葉の数々。これだけなら『いい子紹介してあげよっか』で済ませることも出来たかもしれないが、最終的に逃げられない台詞をぶつけられては芥川も困り果てるしかない。 「やらせてください!!」 どストレートな欲望を言い放ち、むくっと顔をあげてまっすぐ正面の芥川を見つめてくる切原赤也。 (やらせてって…) 「おかしーでしょ?何でオレなの…」 「やりたいんス」 「…あ、そーだ、岳人のサークルに女の子多いから、誰か紹介―」 「いらねーし」 「なんでだよ」 「アンタがいいんだっつーの」 「…エッチしたいだけなら、プロのおねーさんが手取り足取り教えてくれる店に」 「違ぇし!アンタじゃなきゃ意味ねーって言ってるっしょ」 「……だから、何でオレなんだよ」 「好きな人で、童貞捨てたいんス」 「は?」 最後の最後が告白か? ―なかなかの衝撃だ。 ・ ・ ・ そして後日。 「ギャーッハッハッハッハ!!」 「…笑い事じゃねぇC〜」 『ヒマだなー』な一文メールで呼び出され、数日に一度は訪れるアパートへやってきたが特に何することもなく、親友お手製のケーキと紅茶を振舞われてのおしゃべりタイムの途中、話の流れで先日の『切原赤也、一生のお願い』を聞かせた途端に大爆笑された。 いくら相手が親友の丸井で、話題の内容が旧知の仲の後輩のこととはいえ、切原本人が伏せてるかもしれないセクシャルなことなんて普段の芥川なら喋りはしない。 けれども何度か丸井を疑った経緯があるので、念には念を入れてというか、いまも少し疑っているというか。 「告白より先にヤラせろって?本っっっ当アホだな〜アイツ」 「何か吹き込んだんじゃないでしょうね、丸井くん」 「吹き込むって何だよ」 口か軽い……までは言わないが、割かしスルっと言ってしまうところのある丸井でも、秘密は守れるタイプなのでいくら何でも芥川と丸井の間に起きた『予想外なあんなこと』を誰かにポロっと言うわけはない………と思いたい。 何って? そりゃあ。 ―僕たち、酔った勢いでヤっちゃいました♪ (黒歴史。しかも何でオレが突っ込まれる方なの。あんま覚えてねぇけど、寝起きにどこもかしこも激痛…) (新境地。意外と楽しかったな〜気持ちよかったし。あんま覚えてねぇけど、寝起きもすっきり!) 何がどうしてそうなったのかはウロ覚えな二人だが、おぼろげな記憶の底を掘り起こせば、シチュエーション的にはフラれたての丸井に付き合って、この部屋で酒盛りをやっていた、ような気がする。 (あんまお酒で酔わないのに……しくじった。丸井くんのバカ。甘いモンばーっか飲んで……あぁぁぁぁもう) (しっかしジロくん、日本酒、焼酎、ワイン、何でもすっげぇ強いのにリキュールだけは弱いよなぁ〜) 酒の好みは特になく、何でも来い!でワインボトル2本あけてもへっちゃらな芥川なのだけど、唯一甘いリキュールだけは拒否反応が出る。というか、一杯飲んだだけて酩酊状態になってしまうので、芥川の中で特定のリキュールのみアルコール分解酵素が働かないのか、はたまた何かしらのアレルギーなのか本人も理由は不明。かといって正式に検査しようとも思っていないので、ただ単に『リキュール系飲まなきゃいいや』くらいの感覚だったのだけど、大の親友は甘い甘いカクテルが大好きだった。 いつもなら決して丸井の好むカクテル類を一口もらうなんてことはせず、ひたすら自分の日本酒や焼酎を飲んでいるだけだけど、あの日は何かが違っていた。 学校とバイトが忙しくてあまり彼女を構っていなかったらアッサリ浮気された、との丸井をなぐさめる会として酒を持ち寄りこのアパートでドンチャン騒ぎ……まではいかないにしろ、ひたすら飲み続けた日。フラれたはずの丸井がケロリとしておりさほどショックも受けておらず『ま、別にいいけど』と平気そうだったので、集まって飲む大義名分があれば何でもいいのだろうと芥川もそれほど気にしていなかった。案の定、話題はすぐに元彼女からドラマ、ニュース、学校、バイト先、と次々とかわっていって、ずっと焼酎の水割りをかたむける芥川と、甘いリキュールでジュースのようなカクテルをひたすら飲み続ける丸井。 と、ここまではいつものこの二人の飲みの席でのシーンなのだが、何となく一旦お酒を休んでジュースでも飲もうかと取りに行こうとした芥川へ『つまみ作るついでに持ってきてやるから座ってろ』と台所へ向かった丸井がほんの少しのイタズラ心を発揮してしまったのがそもそもの始まりだったのか。 『ブラッドオレンジジュース』などといってカシスリキュールの入った真っ赤な、いわゆるカシスオレンジをあえて出したのは、リキュールに弱い芥川へのお約束行為だとしても、それを一気飲みさせたことが彼の酔いが早くまわる原因だったのだろう。はたまた、へっちゃらな顔をしていたとはいえ、焼酎を1ボトル空ける勢いで飲みすすめていたため、いつもなら『これ、ジュースじゃなくてアルコールでしょ』と看破できるカンが働かなかったのかもしれない。 そして、苦手な甘いリキュールを飲まされた芥川が表情を歪めて『まじまじ、まっずいコレ』と甘い甘いカシスオレンジの空グラスを嫌そうに眺め、腹いせに焼酎ロックを丸井に強要しこれまた一気飲みさせた。 甘いリキュールの苦手な芥川と、強い酒がてんでダメな丸井。 つまりは双方かなりの勢いで酔いがまわり、さらに『別れた』から派生して様々なテーマを経て、ちょうど話していた内容が『溜まってる』だったためか、酔っ払った丸井が酔っ払った芥川を押し倒し、後は………割愛。 上か下かでひと悶着あったようだが、公正なジャンケンを行い勝者が敗者に乗っかってコトをイタした模様。 (…ったく、性への興味が積極的すぎるんだか、見境ないんだか。いくら溜まってて酔ってたとはいえ、男に突っ込む?) (ジロくんだし、いっかーって気分になっちゃったなー。ノリって怖いよなー…って、抵抗なかった自分が怖ぇ) 酔っ払ってるし男相手に勃たないでしょ、たる反論を一応はした気がするが、そこらへんはまったく問題なかったようであれよあれよとなし崩しに始まり、気づけば突っ込まれていた―というとしょっぱい思い出。翌朝顔を見合わせ、互いに『しまった…』と一瞬気まずさを覚えつつ、ここでぎくしゃくして親友な仲を崩すわけにはいかないので『不運な事故にあったということで』で済ませた。丸井にいたっては『ま、セックスというスポーツをしたっつーことで』などとほざいたため、彼の頭を軽く叩いた芥川だったけれど。 「で、何?赤也に押し倒されちゃった?」 「なわけないでしょ。アホなこと言ってんなよ?」 「ふーん。ジロくん、そういや1年くらい彼氏いねぇよなー」 「前の彼女?そういやもう1年くらい…ってオイ。カレシって何?一度もいたことないし!」 「あっはっは、そうだっけー?」 「あのねぇ。俺は別にゲイってわけじゃー」 「けどセックスできるってか」 「丸井くん!」 互いの恋愛遍歴はバレきっているし、芥川が以前付き合っていた子がどんなタイプか、何故別れたのか、いつ頃か、などの詳細も親友は把握しており、逆も然り。芥川が昨年別れた彼女と丸井の元カノは友達同士だったので知っているはずなのに、『彼氏』などと言うからには『黒歴史』のことを揶揄しているに違いない。 「そっちこそ、よく突っ込めたモンだね」 「俺、後ろでヤったことあるし、そうかわりねぇよ?」 「男相手だし、全然違うっしょ!」 「あははー、何だろうな〜、酔っ払ってたからかなー」 「ったくも〜、蒸し返さないでよ…」 あれ以来、このことは二人の間では一応のタブーとして話すことはなく、無論他の誰にも言わず胸の奥にしまった黒歴史に認定しているはずなのだが、どうも丸井はそこまで『ありえない出来事、不運な事故』ととらえていないのかもしれない。 「けど俺よりジロくんの方が」 「オレが何!?」 「俺は突っ込んだ方だから、そんなにいつもと変りねぇけど」 「……突っ込まれた方だって?」 「うん」 「〜っ!しょーがないでしょ、ジャンケンで負けたんだし」 「なー、初めてだろ?次の日すっげぇ痛がってたけど」 「突っ込まれたときもちょー痛かったっての!」 「あ、覚えてる?」 「ちょっとだけ。あんま覚えてねぇけど、急激に痛くて」 「俺も挿れるとき痛かったなー。やっぱ女の子と違って濡れるわけじゃねーから」 「オレの方が痛いに決まってんでしょ!」 「だよなー。ちょっと挿れただけで苦しそうだったから、一気に突っ込むほうがいいかなーって」 「ぐでんぐでんに酔ってたんじゃないの?なんで覚えてんのさ」 「全部じゃねぇけど、要所要所記憶にある」 「あっそ……オレだってぼーっとして頭働かなかったけど、いきなりすっげぇ痛かった…」 「あ、奥まで突っ込んだとき?やっぱ痛かったんだ」 「わかってンならそこでやめてよ!」 「やめらんねーの、男ならわかるだろい。ジロくん、泣いちゃったしなー」 「ていうか何でこの話してんの!?ストップ!もう忘れて!!」 「え〜?」 「えーじゃない!」 ―さっぱり覚えていないってことで。 翌朝すべてを酒のせいにして『ありえない出来事』を封印した二人だが、ピンポイントとはいえ互いに少しずつあの時のことを覚えていた。さすがにあんなことがあれば何もかも覚えてませんとは言えず、特に受身の方は体中の痛みが何よりの証。そして、丸井にいたっては動けない芥川の代わりに何があったから丸わかりの部屋を片付けたのだから。 切原の話をしていたはずなのに、『今まで触れなかったあの時のこと』を持ち出してきた丸井に、いったい何のつもりなのかじっと彼の目を見つめて真意を探ろうとするもニヤニヤするだけでこの会話を止めるつもりは無いらしい。 そして。 「……ちょっと」 「んー?」 「何のつもり?」 「そうだなぁ」 徐々におかしくなっていった話の内容と、何か企んでいるようににやにや笑みを浮かべる丸井。 (なに考えてんの、丸井くん…?) 急に肩を押されて後ろに倒れ、ひんやりしたフローリングが肌に触れた。 そのうえにそのまま覆いかぶさってきて、真正面には面白そうに口角をあげる丸井のどアップの顔。 「なーんかこの構図、懐かしいよな」 「アレは若気の至りでしょ」 「そんな昔でもねーじゃん」 「うるさいC〜」 あの時の再現、とからかっているだけなのか、それとも馬鹿なことを考えているのか。 「また、ヤル?」 「やんねーよ」 「つれねーなぁ、ジロくん」 芥川の両手首を床にぬいつけ、上から見下ろしありえないことを言ってくる丸井を軽く睨み、早くどくよう促したが首を傾けるだけで力もゆるめなければ放してもくれない。 そのニヤけた顔がむかついてひざ蹴りをお見舞いしようとしたらうまいこと足で押さえつけられて、自分の力では抜けられないことが少し悔しくなる。丸井のほうが力が強いし、体格がいいのだ。面白くないから本人には言わず『丸井くんの方が重いから』と体重のせいにするけれど。 「お前さぁ、赤也のこと嫌いじゃねぇだろ」 「…?」 何を考えているのかわからないが、話を一番最初に戻そうとしているのか、ここへきて切原? 「赤也はさぁ、そりゃもう純情なヤツで」 「……はぁ」 なんせ芥川へ初めての相手になってくださいと土下座するくらいだ。中学、高校と輝かしい成績を残したテニス部に在籍し、部長も務めあげエースの称号も得て、学生時代の彼はモテる部類だったと聞いているし彼女の存在も知ってはいた。まぁ、まさか未経験だとは思わなかったが。 「初めてはすっごく好きな相手とじゃなきゃ嫌なんだと」 「…彼女いたじゃん」 「『すっごく好きな相手』じゃなかったんだろ」 「あ、そう…」 いったいいつの時代に生きている乙女なのか。 いまどき『結婚相手じゃなきゃ、そんなこと出来ません!』を地で行く女………ではなく男がいたとは。それなら付き合っていた彼女は何だったのかと返せば、好きになれるかもしれないという期待で付き合っていたとの丸井談で、結局身も心も捧げていいほど好きにはなれずに別れることになったのだとか。 「アイツ、恋愛に夢見るオトコなんだよ」 「あーそう。なら、早く可愛い可愛い『オンナノコ』が現れてくれるといいねぇ」 「おい、話逸らすな」 「そらしてねぇし〜」 なにやら嫌な予感がする。 今まで話してこなかった『黒歴史』を持ち出してきて、さらに切原の恋愛感? 「男相手のセックスも。実はそんなに抵抗無かっただろ」 「…なに、言ってんの?」 「赤也の童貞、貰ってやれよ」 親友とはいえ丸井が何を考えているのか計りかねるが、続いたありえない台詞に目がテンになり、即座に頭をぶんぶんふって丸井を凝視する。 「ちょ、何勝手なこと言って―」 「お前が受け入れてやんねぇと、アイツ一生童貞のままだぞ」 「それとオレに、何の関係が」 「酷い先輩だなー。赤也が可哀相だろい」 「ちょっと、何アホなこと言ってんの」 (信っっじらんない。切原のこと可愛がってるのはわかるけど、だからって何で―) おそらく、丸井も他の友達にならこんなことは言わないだろう。 丸井と芥川。 親友同士の二人は、お互いの好みや趣向がとてもよく似ていて、会話のテンポや生活リズムも合うため相性がいい。恋愛感は多少異なるが彼女がいたとしても自分が一番、友達二番、彼女はその次なところも良く似ている。育った環境、出身校の雰囲気、そして性格も全然違うけれど『面倒を見る丸井、見られる芥川』とまるでコンビのようにうまくはまることから、ケンカも殆どしたことが無い。 そう、貞操観念もよく似ている。 それは切原のものとは間逆で、決して誰とでも寝るという意味ではないが『本当に好きな人と結ばれたい』という純情さには欠けていて、双方否定しつつも『ありえない出来事』を経て、実は意外と平気だったというのが二人の率直な感想だった。 そこそこ可愛い子に好意を向けられたら、たとえ好みでなくとも気分が乗ればその日のうちにベッドインしてしまうだろうし、それが友達でもこれといった抵抗は無い。無論それは異性に限ったことだけど、酔った勢いとはいえイタしてしまった日から、もしかして同性に迫られても『別にいっか〜』となれば頷いてしまうのかもしれないと心のどこかで思っていることは二人とも否定しない。 ただし、受身経験をするはめになった芥川はともかく、丸井に限っては貞操を奪われそうなシチュエーションだと拒否反応が出るかもしれないが。 「じゃ、ジロくんが素直になれるように、と」 「はい?オレはいつでも素直ですけど」 「よーく言うよ」 「あのねぇ………なにする気?」 手の力を緩めようやく開放してくれたので、そのまま体を起こして隣の丸井を訝しげに見つめると、テーブルに置きっぱなしになっていた空の紅茶カップとお皿をまとめ、台所のシンクに置いて、棚からグラスを取り出しては牛乳を注いぎだした。先ほどまで紅茶とケーキのティータイム中だったので、ひとまず片付けることにしたのだろう。それならば洗おうと立ち上がりかけた芥川を『座ってろ』の一言でとどめ、しばらくして戻ってきた。 手には小さめのグラスが一つ、先ほど注いでいたので牛乳かと思いきや少し色が違い、カフェオレのような色をしている。 (…なんだ、喉渇いたのかな) 「飲む?」 「ん?だいじょーぶ」 「お前にはちーっと甘いかもしんないけどな」 ―だから、喉渇いてないからいらない そう告げようとしたがカフェオレらしきものを一気に口にいれた丸井に、結局自分で飲むんだなと納得……しかけたところで、急に後頭部を力強くつかまれた。ぐっと引き寄せられて口元にぶつかってきた衝撃に痛みが走り、文句を言う前に大量の液体が入ってくる。 「んんっ」 気管支に入りそうになったが、むせるとかなり痛いし苦しいのでひとまず全て飲み込んで、がっちり押さえ込んでいる親友を両腕で突き飛ばして口元をぬぐい、息を整える。 「はぁ、はぁっ…」 「痛ぇ〜」 「っ…な、何考えてんの?」 「いや、ただ飲ませたかっただけ」 「はい!?きゅ、急に…はぁ…っ…苦しいし!!」 「よーし、全部飲んだなー」 「もうっ…。何なんだよ、丸井くん…ばか!」 「俺のお気に入りなんだから、味わって飲めよー」 「味わうヒマなんて無かったC!!ってか甘いっ!なにこれ、ちょー甘いんだけど。シロップどんだけいれたの!?」 「ほんのちょっと」 「ちょっとの甘さじゃねぇし!」 「ベイリーズ」 ―クリームとアイリッシュウィスキー、カカオの入った甘い甘いリキュールです♪ (いや、そんな、なにウィンクしながら言ってんだよ……って、リキュール?) 「ちょっ……なんで?」 「この前のカシスと全然違うけど、ジロくんリキュール系はすべからくダメだもんなぁ」 「何のつもりでリキュールが全然飲めないオレに、飲ませたのかって聞いてるんだけど!」 「ジロくんが受け入れやすいように」 「は?ちょ、丸井くん…?」 まさか、また『セックスという名のスポーツ』などというつもりか? アレは不運な事故として片付けたはずではなかったのか? 嫌な予感が的中? 丸井の一挙一動をもらすまいと、近づかせないように彼から視線を外さず注意を払う芥川だが、甘い甘いリキュールが体中をまわり、口の中も甘ったるくて気持ち悪く、それがさらに頭をめぐって思考が徐々にぼやけてくる。激甘コーヒー牛乳といわれればもう少しもったのかもしれないが、リキュールが苦手だと自覚しているからか『君の唯一飲めない酒です』と聞かされればまわりも余計に早い。 親友が何を思ってこんなことをしたのか不明だが、万が一にも『嫌な予感』が的中したらどうしたものか。同じ轍を踏むなんてことになったらさすがに前と違い『無かったことにしましょう』とはならないだろうし、変に目覚めたくはない。 それにもし本当にのしかかられたら、さしたる抵抗もせず『別にいいか』と受け入れてしまいそうな自分を芥川も半ばわかっているのでできればそっと封印したままにしたいし、それは親友も同じ気持ちなはずなのに。 しかし、先ほどまで切原云々言っていたのに今この状況とは、いったい何のつもりなのか。 そんな芥川の疑問は、急な来訪者によってクリアになった。 「なにやってんすか、丸井先輩!!」 (え…誰か、来た……えぇぇ?) いつ来たというのか。 大声の出所に目を向ければ、玄関で棒立ちのまま丸井を睨む、年下の友達の姿。 「おー、勝手にひとんち入ってくんなよ」 「あいてたし!来いっつったの、そっちでしょ」 「あーそうだったなーそういえば」 ―悟った。 親友の真意、なにゆえ黒歴史を持ち出してきたのか。 切原があーだこーだと言い出し、最終的に芥川が苦手なリキュールを無理やり飲ませたのか。 (はぁ…まじまじ、丸井くんありえねーし) いくら丸井と貞操観念が似ており、迫られて嫌でなければ『まいっか』と頷いてしまうだろうからって、無理やりそんなシチュエーションを作るか?普通。 「ていうかジローさんに何やってんスか!」 「なんだよ、見てた? 「き、き、キス、してたっしょ!?」 ―今来たばかりと思いきや、意外と前に来ていたんですね。 すでに周りきった甘いリキュールでぼーっとしてきている頭にやけに冷静な声が響いて、まぶたがどんどん重くなってきていることを感じ、いっそこのまま寝てしまおうかと、芥川は目を閉じて息を潜めることにした。 そして丸井はというと、靴をぬいであがってきた切原をからかいながらも、何故か財布と携帯をジーンズのポケットに突っ込み玄関へ向かっていく。 「あっはっは、ほら、交代」 「え?」 「今だったらヤレんぞー。ジロくん、怒らねぇし拒まねぇよ?」 ―なんだって? (寝ちゃおうかな……もう、よくわかんな……あぁぁ…なんか、も、だめ…………ん?丸井く…いま、何て―) 「な、なに言ってんスか、丸井先輩」 「ほれ、ジロくん準備バッチリだから」 「は、はい。…じゃなくて!」 「お前ちゃんと持ってる?」 「は?」 「男のエチケットってな」 「はぁ」 「もし無ければ、サイドテーブルの下に白い箱あんだろ、あそこに一式入ってっから、好きに使え」 「え、ちょっと、丸井先輩?どこ行くんスか」 「部屋貸してやるよ。2時間だけなー」 怖い台詞が玄関からどんどん聞こえてきて、フラフラになりながらもほふく前進でサイドテーブルの白い箱を手繰り寄せ、恐る恐るあけてみると、最近はご無沙汰ながらもお世話になった記憶のあるメーカーのモノと、数種類のチューブ。 (丸井くん……後で、コロス) 確かに男のエチケットだろうけど、バナナチョコクリーム味って何だ。 そんなものにまで甘さを求めているのか、あのオトコは。 中身のゴムを全て引きちぎってやりたいけど、変にバナナチョコクリームなニオイをかいだらさらに悪酔いしそうで、中身をあけたくはない。そして、このチューブの数々……なぜ無味無臭が一つも無いのだろう。というかこんな潤滑剤を使っているのか、あの親友は。 確かに気が合うし何でも話せるけど、こういうグッズ系をどこのメーカーの何を使っているかまでは知らなかった。知っても別にどうということはないし、こんなものにまで甘いのがいいんだなと思うくらいだが、何も今知りたくはなかった。 しかも、この丸井の私物が今これから、どういう使われ方をされようとしているか、誰に使われようとしているかなんて、考えたくもない。 「あの…芥川さん」 「……」 (こっち、来ちゃった……どうすれっての) 「丸井先輩、出かけて―」 「……ん」 ―ええ、そりゃ会話バッチリ聞こえてましたし、あのアホな親友の意図も君以上に丸わかりですよ。 ぶん殴りたいけど相手はすでにいないし、部屋を出る間際に『ジロくん、若気の至りってな〜』などと笑いながら出て行った声がまだ耳に残っている。それに切原は何も悪くない。 すべてはあの赤い髪のどーしようもない親友が仕組んだことなのであって。 「俺……やっぱり、アンタのこと」 「……」 「丸井先輩が、その…」 「……うん、アホな先輩を持ったね」 ―自分は好きな人としかそういうことをしたくなくて。今まで彼女はいたけど、どうしても先に進めなくて別れるはめになるし、遊びや単なる興味でソウイウことは出来ない。ずっとアンタのこと気になってて、そういう意味じゃないと思ってたけど、やっぱり最近になってどんどん気持ちが大きくなっていって、好きなんス!芥川サンとしたい。アンタとしかやりたくない。俺、どうしてもアンタじゃなきゃ嫌だ。この前はいきなりでびっくりしたかもしんねーけど、本気だから。今日は、急に丸井先輩に呼ばれて来たんですけど、先輩とアンタがキスしてて嫌だった。やっぱり俺、アンタのことが好きだ。丸井先輩はあんなこと言ってたけど、やっぱ俺……ちゃんと俺のこと好きになって欲しいっス。こういうのは付き合ってからですよね?そりゃやりたいけど、酔っているところにつけこむなんてしたくねぇ。あ〜、でもやりたい。ねぇ、俺どうしたらいいっスか?芥川サンのこと抱きたい。いい?アンタがいいなら……でも、酔ってんスよね?今。どうすりゃいいんだ……けど、これってチャンス?いや、ダメだろ……でももったいねぇ。あ、いや、つまりですね……そりゃしたいけど、うん。やりたい。あぁぁあああ……俺、どうすれば正解っスか? 横になっている芥川のそばで切々と訴えかける切原をぼーっと眺めながら、働かない思考をフル動員してどうしようかと思案してみるも、次から次へと熱心に想いを告げる彼がちょいちょいと挟んでくる『やりたい、抱きたい、したい』たるストレートな欲望の数々。 ぼんやりした頭で聞き流していたら思わず笑ってしまい、可愛いなぁとついついその特徴的な黒髪を撫でたくなってしまった。 ―うん?可愛い? (あ……まずい、かも) 丸井は正直殴りたいけど彼の後輩はストレートかつ純情で、こんなにつらつらと己の欲望と自制の間で悶々としている姿を見ると、愛しさや母性とでもいうのか、何だか『好きにしなさい』と言ってしまいそうで、彼の想いをかなえてあげたくなってしまう。 「俺、アンタが好き。慈郎さんとしかセックスできねぇ。抱きたいっス」 (……………………ま、いっか) どうしようかと葛藤したものつかの間。 数秒考えたものの元来の貞操概念の薄さのせいか、または切原だからなのかは置いといて、酔っているとはいえYesかNoを応えるくらいの判断は出来る。丸井の予想通りにことが運ぶのは面白くないが後で殴るのでそれはそれでいいとして。何よりも目の前の切原を『可愛い』と感じてしまったのは誰でもない芥川本人だし、二度目の『受身』に多少思うことはあるけれど、そう抵抗なくすんなり受け入れられるであろう自分も何となく想像しているので、もういいやと割り切ることにした。 「…しょーがないし……いいよ、切原」 「え…ほんと?」 不安げな表情を一変し、パァっと明るい笑顔を浮かべてさらに寄ってくる切原に苦笑し、両手を広げて『おいで?』と微笑みかければ、元気よい返事とともに勢いよくひとまわり大きな体が飛び込んでくる。 「俺、初めてだし、うまくできねぇかもしんないけど……頑張るっス!」 「あはは……ハハ……頼むね」 「ハイ!」 芥川が握り締めているチューブと転がっている白い箱をチラっと見て、丸井の言っていた『男のエチケット』なるものかと目を輝かせ、散らばったチューブや箱を手にとるが、バナナチョコクリーム味のものはともかく、このチューブはいったい何なのだと『?』マークを浮かべる切原。 よくわからないが、これがあればいいだろうと切原のつたない知識でも知っているバナナチョコクリーム味の箱を手にとり、チューブを箱に戻している。 「切原…ちょっと待って、それも使って」 「?このチューブっすか?」 「うん……それが無いと」 ―痛くて死んじゃいますから。 初体験だとしても男相手に迫ってきているからには、多少なりとも事前学習していて欲しいところだが、今の行動をみるにまるっきりそういう知識が無さそうで怖い。芥川も詳しいわけではないけれど、不本意な同性との『初体験』によりいきなり突っ込まれでもしたら翌朝立てないどころではなく、スプラッタな大惨事になってしまうだろうことがわかる。酔いもまわって正直眠いけれど、挿入までは何としてでも意識を飛ばさず、一つずつリードしていかないと明日のわが身が可哀相すぎる結果になってしまうし、戻ってくる丸井を思いっきり殴れない。 「やさしく……ゆっくり、ね?」 「ハイ!」 ―大きくブンブンふられた尻尾が見える気がする。 興奮している彼を好きにさせると勢いそのままに行為をすすめるので、適度に制止し、さりげなく指示しながら、やれ急に指を入れるんじゃない、そんなに強くしたら痛いでしょ、それを塗ってね、ほらつけて、などなど……こんなところを丸井が見たら大爆笑して『高校生の初体験を奪う女教師ものに、こういう話があったなー』などとほざくに違いない。 「い、いいっスか…いきますよ?」 「うん……ゆっくり…ね?」 「痛かったら、すぐとめるから……言ってください」 「……ありがと」 そんなことを言われたら、好きにしなさいと言ってやりたくなる。 ―君の先輩は、痛がっていてもおかまいなしに腰をガンガンすすめて突っ込んできましたよ。 なんてことは口が裂けても言えないけれど。 親友とは全然違い、つたないながらもこちらを気にかけてくれる切原に、たとえ痛くても平気な顔をしそうな自分がいる。 こうなれば好きなだけやらせてあげようとも思ってしまい、とりあえずは今この瞬間彼が満足できるようにと、覆いかぶさってきながらも緊張気味な切原にぎゅっと抱きついた。 ―後のことは考えないようにして。 丸井を殴るのは決定事項だけれども。 (終わり) >>目次 |