―へへ、来ちゃった。 最後に会った時の気まずさなんて感じさせないくらい、なるべくカジュアルに、何ならペロっと舌でも軽く出して『来ちゃった』なんておどけてみたりして。 いつもの調子で声をかけたら相手もきっと、いつも通りに笑い返してくれる。 ……なんて都合いい展開を想像していたワケではないけれど。 いざ立海大付属高校のテニスコートで見慣れた姿を見つけ、フェンス越しに視線を送れば勘のいい彼はずぐに気づいてくれたものの、いつも見学に来ない曜日だからか少し驚いた様子で立ち止まり、コートの外でじっと見つめる金糸のコイビトを一瞥して、すぐさまチームメートのところへ戻っていった。 「あ…」 ―逸らされた? 普段なら見学中の芥川へ大きく手を振り『待っててなー!』と笑顔を向け、続けて『天才的プレー、じっくり見とけよ』の自画自賛付で、真田に怒鳴られるという流れが出来上がっているのだけど、確実に合ったはずの目はすぐに別の方向を向き、気づいてませんと言わんばかりに背を向けられた。 (やっぱり、怒ってるのかな…) 昨日の練習試合後、菊丸・海堂・乾の青学レギュラーメンバーが全員そろって『大丈夫だ』と太鼓判を押したことに背中を押されて、自身も早く仲直りしたいから、そのままの勢いで立海大付属高校まで来てしまったはいいけれど。 肝心の彼がこちらを見てくれないと、会ってくれないと、話どころではない。 ―どうしよう。 『目を逸らされた』と感じた以上、どこか戸惑う自分がいて、いつもならぐいぐい遠慮なしに行ってしまう性格が、大好きな彼の前では中々出すことができない。 中学時代はそんなこと無かったのに、想いを通わせあい、出会った頃とは違う関係になったら、臆病になってしまったのだろうか。 ダブルスのパートナーとコート中心で何やら話し合っている彼を眺め、さてどうしたものかと頭をかきながら、右手に持った紙袋をぎゅっと握って思案していたら、肩をトントン叩かれた。 (……?) 「素晴らしいお茶だった。ありがとう」 ―振り返れば制服姿の立海の参謀、その人だった。 「練習、しないの?」 「今日は軽めの自主練なのでな。出ているのもレギュラーでは半数くらいだ」 昨日と今日の立海大付属高テニス部の練習は、珍しく自主参加で軽めのトレーニングだけらしい。 いつもは練習の虫な部員たちもこの二日間だけは羽を伸ばして、完全にオフにしている部員もいれば切原や真田のように日々精進とばかりにびっちり参加する熱心な者もいるのだとか。 「まさかAT-GARDENのお茶を賞味できるとは」 「あはは、そりゃ良かった」 「お礼といっては何だが………貞治からだいたいのことは聞いた」 「あ……うん、ええと」 「最近、丸井は調子落としているからな」 「!!」 「原因はわかってはいるが普段なら調子を悪くするほどではない。だが昨夜把握した。ちょうど芥川も来たとなると、あっさり解決だな」 「かいけつって……丸井くん、調子、わるい?」 「ああ。見てわかるだろう?動きは鈍く精彩に欠け、何よりも覇気がない。やる気、とでも言おうか」 ケンカ。 になるのだろうか、『帰れ』と言われて以来の丸井の姿。 来たばかりなので練習をしっかり見たわけではないし、本日が自主練というなら、彼は軽く流すだけで終えるのかもしれない。 けれども毎日一緒に練習しているチームメート、こと僅かな違いも俊敏に感じ取る立海のデータマンが言うから『調子が悪い』のだろう。 (まるいくん…) フェンス越しに視線を送る芥川に気づいているはずなのに。 「終わるまで待つのだろう?」 「あー……一応」 もちろんいつものように練習終わるまで待ち、ゲームセンターへ行くなりご飯を食べるなり、一緒に過ごして最後は駅で解散。翌日が休みなら丸井宅へお邪魔することもあるけれど、あいにく平日なのでそうもいかない。 だがこちらを見てくれない彼は、果たして練習後にベンチで待つ芥川のところまでやってきてくれるのだろうか。裏門から出られたら、まず間違いなく『避けられている』のだろうし、そうなったら昨日青学でもらった勇気がしぼんでしまいそうだ。 「別にアイツが今、無愛想なのは芥川に怒っているからというわけではない」 「えっ」 「アレは定期的にああいう状況になるから、気にするな」 「…どういうこと?」 「この前、精市と試合して負けたのでな」 「幸村くんと?…でも、それだけじゃ丸井くん、そんなに―」 「試合に負けた事実が今の丸井に影響を及ぼしているわけではない」 「なら、やっぱり俺が―」 「精市との勝負がまったく関係ないわけではないが、負けたことで結果的に一定期間の制約が」 「せいやく?」 「…いや、何でもない。とにかく、芥川が原因ではない」 頭に疑問符を浮かべたまま柳を見つめる氷帝生に、コートでふてくされている立海生の現状は『コイビトを好きすぎる』ゆえのうっとおしさが生み出したもので、その相手たる芥川には悪いが何も柳を含め立海テニス部一同は丸井が憎くてやっているわけではない。 ただ、幸せいっぱいでプレーに身が入るのは歓迎するが、度を越すノロケに辟易していることも事実。 休み時間だけでなく部活中までコイビトとのアレコレをノロケだす困った当人・丸井ブン太。 当初聞き流していたチームメートたちは徐々にうっとおしくなりだし、彼のダブルスパートナーへ無言の視線を向けるものの、充実した恋愛事情が丸井の調子を引き上げていることは事実なのでジャッカルは何も言えない。そして全国一のダブルスペアの出来は、そんな丸井の調子次第であり、ひいては立海大付属校の団体戦の勝敗にも大いに関わるものなのでチームメートらはどうしたもんかと悩む……まではいかないが、放置すべきか釘を刺すべきか。 そうこうしているうちに部長様がやってきて、事態を察し賭けを持ち込んでは数日〜数週間の『禁欲』に成功させる。 するとその間のパフォーマンスは正直落ちるものの、他の部員には平穏な日々が訪れるらしい。 さらには禁欲を解禁した途端、丸井のテンションが段違いに向上し今まで以上のプレーを見せるため、ある意味面白がった部長様がたびたび行う『賭け』。 本来は芥川に直接関係はないものなのだが、今回はたまたま『禁欲中』かつそろそろ丸井の我慢も限界に近づいたところで、部長様による『はい、終了。ブン太、もういいよ』の合図が入る前に、肌が触れるほど近くで芥川と接してしまったことから誤解を生む結果になったのか。 丸井は自制が効かなくなりそうな自身を戒めるために芥川からしばらく、少なくとも『禁欲期間終了』までは押し倒せる距離からは離れようと思い、遊びに来ていた芥川へ『今日はもう、帰って』と告げた。 そんな経緯をサッパリ知らない芥川としては、自分が何か粗相をしてしまい丸井の期限を損ねてしまったのだと思い込んだ。 そこから昨日の青学・氷帝の練習試合、さらに菊丸、乾、海堂とのやり取りを経ての本日。 (参謀にとっては乾宅にて幼馴染との情報交換により事態を把握) ノロける丸井がうっとおしいのは事実だが、彼が律儀に賭けで定めた『禁欲期間』をきっちり守っている真面目さに感心しつつも、それにより恋人とケンカしたり、芥川が落ち込むのは立海テニス部一同の本意ではない。 そろそろ『うっとおしいから賭けを持ちかける』のではなく、そのうっとおしさを部内で出さないよう丸井に教え込まないといけないな、と思うことにして。 ………といっても、当初の部長様の目的は丸井自身で気づいてくれることを願っての『賭けに負けたら禁欲ね』だったのだが。 「どうすれば……丸井くん」 「芥川。後で丸井へ伝えておいてくれ」 「え…?」 中央コートでラリーを始めた丸井を見つめ、ため息をつく芥川へ、ずずっと歩み寄った参謀は『丸井へ伝えてくれ』とともに怒涛の文言をふらせてきた。 「『幸村との約束期間は終了』と言えばわかる」 「…?」 「それと、今日は丸井の家に泊まってやれ」 「…明日、平日だし」 「無理にとは言わないが。平日に泊まり翌朝そのまま氷帝へ行くこともある、と聞いていたのでな」 「あ…うん。けど、丸井くん、怒ってるし……泊めてくれないよ」 「先ほどのことを伝えればいつもの丸井に戻る」 「え、幸村くんがどうとかってヤツ?」 「ああ。そうすればきっと―」 「丸井くんの機嫌、なおる!?」 「間違いない」 「丸井くんち泊まれば、もっと喜んでくれる?!」 「いつも以上に上機嫌になる」 「じゃあ俺、泊まる!!えーっと、でも、丸井くんが許してくれたら、だけど」 ―ジロくんの笑顔は太陽 ノロケのひとつで、耳にタコができるほど聞かされた丸井の得意げな笑みが柳の脳裏に蘇ってきた。 (まぁ、そうだな) 先ほどまでの様子はどこへやら。 満面の笑みで元気いっぱいに丸井へ声援を送り出した芥川を『究極に単純』ととるか、はたまた立海の参謀を信用してくれているのだととるか。 そのどちらも合っているのだろう、柳の断言に安心しきっている芥川へ、どうせなら丸井が喜ぶに違いないこと(アドバイスもとい、辟易している事実)を伝えることにした立海に参謀は、数日前の部室で耳に挟んだ文言を一句一言違えることなく思い出しながら、すーっと息を吸って一気につむぎだした。 「『正常○もいいけどたまには違う体○でやってみたいモンだよなー、なんつーの?コスプレとかもそりゃ色々着せてみたいけど、最終的には脱いじゃうわけだし。後ろからだと顔が見えないから嫌がるんだよ、アイツ。可愛いだろ?俺的には負担が少ないからバックの方がいいかと思ったんだけどそうじゃねーんだと。騎乗○はジロくんすんげー乱れて、ちょー色っぺーの。他の体○より深く繋がれるからか軽くパニックになるみたいで、終わったあとあんま覚えてねーこと多くてさ。なんでも言うこと聞いてくれるし、ちょー可愛いんだよなぁ。最初はすんごく嫌がって拒否されまくるけど、強く押せば顔真っ赤にしながら力抜いてくれるから、俺って愛されてるよなー。やっぱジロくんの色んな姿みたいからあらゆる体○を試すとして、そのためには体力つけとかないと。走りこみすっかなー、それとも筋トレか。なー柳、どっちがいい?力つけてーんだけど。あーどうしようかなー次は…そうだな、駅○にトライしてみるか。持ち上げられるかな、俺。まぁジロくん軽いから楽勝か。アイツ、50キロちょいしか無いしなー。筋肉もキレイについてはいるけど、バリッバリじゃねぇから細身だし。あ、そうだ。今度なんか着てもらおう。コスプレ、コスプレ……女装ば別に興味ねぇから、とりあえず立海のジャージか制服着せてみるか。ジロくんが立海ならなー。氷帝の制服もアイツに似合っててかわいーけど、やっぱ同じ高校に通う感じでやってみてぇだろい。なー、何がいいと思う?やっぱ制服だよなぁ。おい、仁王。聞いてんのかよ』」 ―息継ぎする間も無く、全て言い切った。 「……は?」 「ということで、丸井の制服を着てやるといい」 「えっと、その、やなぎ…?」 「誤解の無いよう言っておくが、これは丸井から出た言葉だ」 「丸井くん…が?そ、そんなこと、皆の前で」 「いつものことだが」 「え…」 「ノロケる丸井には正直、最近どうしたものかと考えものでな」 「し、し、し―」 ―これを毎度聞かされる立海テニス部員の身になれ、禁欲を言い渡したくもなるだろう? (ちなみに『禁欲期間』は部内で色恋沙汰の話題を出すのもタブー、という制約も盛り込まれている) 「信っっっじらんねぇ!!!バカ!丸井くんのばかぁぁぁぁー!!!」 ―みるみるうちに頬を染め、湯でダコのように真っ赤な顔になった氷帝生の叫びが、立海テニスコートに響き渡った。 途端にコート中央でラケットをふる赤い髪の立海生が振り返り、ぎょっとした双眸で声の出処たるフェンス外の他校生と、その隣にいるチームメートに視線を送る。 「ん?な、なんだ?」 「…おいブン太、行かなくていいのか?」 あと一歩で押し倒す寸前だった自身を戒めるために、芥川へ『帰って』などと本意ではない台詞で東京に戻らせた数日前。 戸惑った恋人の表情を思い出しては多少の気まずさを感じていたため、見慣れたふわふわな金髪が来ていることをわかってはいたものの視線を向けないように邪念を振り払おうと練習に集中しようとした。 といってもチラチラ見える金髪と、何故かその隣に寄ってきたのは自主練をパスするといっていたチームメートの参謀。 一体何の話しをしているのか気にはなったが、オフではなく練習することを選んだため、ここでコートを出ようとすれば同じく自主練を選んだ真田の鉄拳か怒号が飛んでくるに違いない。 そう思い、練習終了までいてくれたら、終わり次第すぐに着替えていつも待っていてくれるベンチに駆け寄り一言謝って、気まずさを解消したい。けれども部長様と約束した禁欲期間を終えていないので狭い密室で二人きりになればまた同じことを繰り返してしまうだろうから、どこかコーヒーショップでお茶でもして健全なデートをして。 …なんて思っていたら、大切な大切なコイビトは大声で叫んだ次の瞬間、何やら紙袋を柳に押し付けて去ろうとしているではないか。 「え、ちょっ、ジロくん!?…悪ィ、ジャッカル。俺、練習パス!」 「あ、おい!真田に殴られんぞ」 「ンなこと構ってらんねー!柳っっ!!つかまえといて!!」 ―3分押さえてくれ! 芥川以上の大声でフェンス越しの参謀に声をかけ、一目散に部室に駆け込んでいった丸井をぽかんと見つめる自主練中の部員たち。 しかし、彼のダブルスパートナーたる桑原の視線の先が、柳に両腕でホールドされ、ジタバタしている氷帝生を思えば『あー、いつものことか。そうか、禁欲期間はこれで終了なんだな』などと全員頷いたそうな。 これで明日からの丸井はまたうっとおしさが復活するだろうが、翌週に大会が控えていることを思えばこれ以上ないタイミングなのかもしれない。立海ダブルス1の勝利は決まったようなものか。 さて、丸井と芥川。 互いの誤解は解けるのか。 それとも、お付き合いは皆が知っているとはいえ、まさか丸井があんなコトやこんなコトまで部内でオープンにしているなんて思いもよらなかった芥川の羞恥心がピークに達し、恋人への怒りが炸裂するのか。 これで翌日の丸井が意気消沈していたら参謀の目論見は失敗に終わるだろうが、結果的に丸井に甘い芥川のことなので怒りきれないことは予想の範疇らしい。そのためには丸井が芥川をうまく丸め込んで、我がまま放題かついつもの自己中心的な俺様っぷりを炸裂させなければならないものの、普段の二人はそんな感じなのでうまいことおさまるだろう。 ただ一つの狙いは、丸井の『部内でのノロケ』に芥川がうまく釘をさし、止めさせること。 丸井に甘いが譲らないところは絶対に折れないらしいのでそこは大丈夫と思いつつ、立海の参謀は腕の中の芥川へ『開けっぴろげな性生活の暴露を自制させてくれると助かる』などと囁き、彼をますます真っ赤にさせたらしい。 (終わり) ・ ・ ・ ・ ちなみに。 「もう、バカ!バカ!バカ!!」 「わっ、こら、叩くな」 「殴るC!!」 「なんでだよ」 「まじまじ、丸井くん、ありえないから」 「はぁ!?」 「正常○だの騎乗○だの、何喋ってんのさ」 「あーそれ。なに、柳に聞いたん?」 「もう、信じらんねーし!バカ!」 「バカバカ言うな」 「なんでそんな、セック○のことなんて話してんの!」 「ふつーだろ、それ」 「どこが!?」 「俺らコーコーセーよ?興味津々な年頃だろい」 「普通は話さないでしょ!」 「いや、話すだろ。クラスのヤツらも彼女の話するし」 「『彼女』は別にいーじゃん」 「一緒だろい。ジロくんは俺のコイビト」 「付き合いはともかく、エッ○の話しなんてしねーよ!」 「してっけど」 「はいぃぃぃ!?」 「クラスメートの童貞喪失の相談に乗ったりだなぁ」 「っ…相談に乗るのはともかく!」 「あー、いくら何でも、クラスメートにジロくんの話はしねぇよ。部活ン時だけ」 「おかしいでしょ、それ!ちゃんと部活しろってーの!」 「してるって。痛ッ、頭叩くなってば。練習中はそんな話しねーよ。休憩ん時とか、部室で着替えてるときとか」 「まじまじヤメテよ!ありえないC!!」 「なんで?ジロくんは向日や宍戸とそういう話、しねぇ?」 「丸井くんとのセッ○スの話なんて、するわけねーし!!!!!」 「ふーん。そんなモンかねぇ」 「ねぇ本当、何考えてんだよ…やめてよっ、頼むから」 「なーんでそんな嫌がるかねぇ。ふつーだろ?ジロくん、下ネタも平気じゃん」 「下ネタと全然違うっしょ!」 「なんだよ、延長だろうが」 「ちーがーうーっ!!もう立海の練習、見にいけない」 「なんで?」 「恥ずかしくて皆の顔、見れないよ〜、丸井くんのバカバカバカ!!」 「イテテテテッ、すとっぷ、ストップ!ジロくん、痛ぇーってば」 まるっきりわかっていない彼氏をポカスカ殴りながら、涙目で訴える芥川の願いは届くのか。 ついうっかり、柳の『幸村との約束期間は終了』を告げてしまった直後、獲物を狙うハンターのように目をギラつかせた丸井により一糸まとわぬ姿にひん剥かれ、覆いかぶされて違う意味で泣くハメになったのだとか。 (今度こそ終わり) >>目次 |