アルカナの娘 | ナノ




幸いにしてというか、何というか、相澤先生も同じ病院にいた。
ますます早く言ってよ!
慌てて病室まで来たものの、私の足はドアの前でピタリと止まる。



「先輩?」



追いかけてきたトシが、後ろから小さく声を掛けてくる。
静まりかえった廊下。低い声は、沈むように吸い込まれていった。



「停止はアルカナの個性……反転した状態で掛けたんだ。私に掛けられた反転は解けた……なのに、なんで停止が解けてない?」

「そう言われてみると……」

真咲の個性は振動。停止じゃない」



静かに呟く私の声を、トシは受け止めるように聞いてくれた。



「……どうやって、解除するの……?」



無意識とはいえ、停止の個性は発動を続けている。発動させているつもりがないのだから、止める方法も分からない。
何か発動を止めるきっかけでもあれば、それを機に止まるかもしれないが……でも、そんなきっかけなんて、何があるというのだ。

見上げる私の目に浮かぶ絶望を感じ取れないはずがない。
なのに──トシは瞬いた後、ニッと笑って見せた。



「大丈夫ですよ、先輩」

「トシ」

「大丈夫。何とかなります。さぁ」

「トシ!」



「──行っておいで、雨宮少女」



PLUS ULTRAだよ!との声を背に、私の体は病室へと押し入れられた。トシは入ってこない。
……なん、だよ。どうプルスウルトラしろっていうんだ、どうしろって!?

ピンチの時ほど笑うんだ。
要救助者を不安にさせないために、自分に自信を持つために。
あー、くそ。嘘は苦手だったくせに!

ぺたり。
裸足で飛び出してきてしまったため、素足の足音が響く。
歩み寄ったベッドで、相澤先生はたくさんの管に繋がれて眠っていた。負傷した目の保護のためだろうか、目元にはタオルが掛けられている。

ピッ、ピッ。心音を測る機械の音が、やたらと耳についた。



「……しょーた、くん」



一際目に付いたのは、治癒できなかった肘だった。
もちろん、最低限の処置はされている。それでも、治癒の個性が使えないのは大きい。巻かれた包帯から血が滲んできていた。
見ていられなくて、視線が下がる。

俺が、個性なんて掛けなければ。
リカバリーガールに預ける時に、解除をしていれば。
個性が残っている可能性に気付いて、早く対策を考え始めていれば。
たらればを考えたらキリがない。
どうしようもないことだと分かっているが、それでも、考えずにはいられなかった。

だって、そうすれば少なくとも、しょーたくんに痛みを長時間強いることはなかったんだから。
完全に俺の落ち度だ。



「────夢を、見た」



聞こえた声に、弾かれたように顔を上げる。



「敵に襲われた……絶体絶命の場面で、アルカナが……」

「せん、せい?」

あの・・アルカナが助けにくるなんて」

「先生」

「都合のいい、夢だ」



いつの間に意識を戻したのか。
虚ろな声で呟く相澤先生に、背筋がぞわりと粟立った。
慌てて呼び掛ける私の前で、先生は緩慢な動きで起きあがろうとしている。



「っ、先生! まだ起きちゃ」

「夢だと」



はらり。
落ちたタオルの奥から、泣き出しそうな赤い眼が、わたしを見ていた。

──抹消。



「夢だと、思わせてくださいよ……っ、アルカナ……!」



相澤先生の個性〈抹消〉によって、一時的に俺の個性〈停止〉が抹消された。
それをきっかけに、思い出したかのように、個性の発動が止まる。発動していたつもりもないのに、止まったのを感じ取ったのはどういう理屈か。

息を呑んだ私を映したまま、見つめ合うこと数秒。
瞬いた先生の目は、既に色を戻していた。

一瞬にして訪れる、互いの息遣いさえ感じられるほどの静寂。
破ったのは、相澤先生だった。



「雨宮」



視線は逸らされない。
縫い止められるように見つめ返したまま、私は「はい」と声を返した。




「お前は──あの人の……」



言葉を探すように言いよどんだ唇は、しかしすぐに続きを見つけたらしい。
いつかの夜はそのまま消えていった彼の言葉が、今夜、紡がれた。



「お前が──あの人、なんだな」



真っ直ぐに私を見る目は、その呼び掛けに確信を持っていた。



「……アルカナ」



──まあ、そうだな。
相澤先生に停止を掛けたのはアルカナ
停止を止める抹消を受けたのは雨宮真咲
アルカナは真咲。簡単な証明問題だ。

そもそもこんな時間に病室に忍び込んでるしね。
入ってきたとき思わず「しょーたくん」って呼んじゃったしね。
いつから起きてたのかは分からないけど、これ、もう逃がしてくれる気ないよねぇ……。



「……うーん……うん。はい」



その返答にグッと眉間に皺を寄せ、彼はのろのろと顔を背けた。
たっぷりと時間を置いて、震える声が言葉を落とす。



「勘弁してくださいよ……っ」



えっなにが、との私の言葉は、ガラリと開いた扉の音にかき消された。


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