俺は、人ではない。
それを認識したのは一体いつだっただろうか。
冷たい空気が周囲の木々を震わせる。今は冬だ。
今にも雪を降らせそうな分厚い雲が天を覆い、太陽の光を一筋たりとも地上へ通さない。
まるで色の失われた世界のように、白と、灰と、黒が世界を構成していた。
“寒い”
震える体を抱きしめて、蹲りながら唇を動かした。
冷たく強張ってしまったせいか、少しの動きで激痛が走る。
“寒い”
声らしきものはまるで発せられず、ただ喉から口にかけて通る息の音だけがした。
今は冬だ。何十、何百と繰り返してきた冬だ。寒さに震えるのは何回目?
おぼろげな記憶の中、暖かい冬もあった。あれはまだ鴉がいたころ。
俺は憎悪を受け持つ犬で、そいつは太陽の化身と呼ばれる、俺と正反対の位置にいる存在だった。
鴉の元へは幸せを願うヒトがたくさん通っていた。羨ましかった。そこにいたかった。
だから俺は自らの社から出て、何度も何度も鴉に会いに行った。
幸せだった。俺の身に植え付けられた憎悪を忘れてしまえるぐらい、鴉と共にある時間は暖かかった。けして仲良しこよしとは言えない関係だったけど、本当に俺は幸せだった。
それなのに、鴉はいなくなってしまった。
俺は犬神だ。それも、祟神として古びた社に祭られた神だ。その社がある限り、信仰がある限り、消えることが許されない、ある意味では不老不死の存在だ。
鴉はヒトだった。その身に神をおろされただけのただのヒトだった。
ヒトは老いる。老いて死ぬ。鴉もそうだった。俺を置いて時に流され、死んでいった。
“会いたい”
“さみしい”
鴉は俺と共にあるといってくれた。それなのに死んでしまった。俺を遺して死んでしまった。
しょうがない事だとは分かっている。何百と年を重ね、たくさんのモノと別れてきたんだ。そのぐらい、俺でも理解している。でも、さみしいんだ。何度会いに行っても、もうそこに鴉はいない。何度名を呼んでも、もう俺の元へ現れることが無い。
さみしいんだ。なんでこんな思いをしなければならないんだ。死にたい。でも、自害することすらかなわない。寿命もこない。
ただ時だけが淡々と過ぎていく。
“憎い”
俺を置いていった鴉が、俺と鴉が会話をしていたあのころが、出会ってしまったあのころが、光を見付けてしまった自分が、平然と流れていく時が、こんな思いをさせてくる感情が、希望と絶望を繰り返し映す記憶が。
“憎い”
なぜだ、鴉。なぜ、置いていったんだ。なぜ、俺を殺してくれなかった。
“憎い”
できることならば、お前と共に散りたかった。
「俺はお前にとってなんだったんだ」
地を這うような低い声。すべての感情が憎しみへと変わるのは俺の運命とでも言うのだろうか。
体が震える。これは寒さのせいか?
体中の力が入る。爪が食い込む。牙が唇を裂く。
これはいったい何のせいだ?
「いっそ喰らってやればよかった」
はじめからそうしていればこんな感情持たずにすんだ。
血肉となったお前と共にいられた。
「次こそ」
来世(つぎ)こそ。
お前を殺して、永遠に共にありたい。
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