02

『まもなく京都です。東海道線、山陰線、湖西線、奈良線と近鉄線は乗換です』

 さすがに三時間もずっと座りっぱなしだと、腰が痛くなる――そう思った矢先に、真琴たちの乗った新幹線は無事京都に到着した。
 新幹線の改札を出ると、そこは京都土産の店で溢れていた。
 蜜に誘われるミツバチのごとく、数々の土産物に誘惑されそうになる。ふらふらと、土産物屋に吸い寄せられていく真琴の襟首を、リヴァイが捉えた。

「どこへ行く気だ。お前、つい三時間前の出来事をもう忘れたのか」
 土産物屋を前にして、真琴は猫のように背中を丸める。
「旅行に来たんじゃ、ありません……」
「ほぅ。覚えていたか。鳥頭ではなかったようだ」

 片眉を上げてそう言ったリヴァイが、ふと首を傾けた。反対側の土産物屋の方角へ。
 そちらのほうでは喜々とした表情で、ペトラとオルオが試食用の八つ橋をつまんでいた。つまみながらペトラが何種類もある八つ橋の箱を、手に取って見比べている。どう見ても土産を物色しているとしか思えない。
 リヴァイは失望した様相で、おおっぴらに溜息をついた。

「前途多難だな……」
「心中、お察しします」
 ぼそりと呟いた真琴を見て、リヴァイはまたしても溜息をつき、軽く項垂れたのだった。

 駅を出ると、それはそれは大きなロータリーが広がっていた。周辺はビルで賑わっており、都会を連想させる。ちっとも京都のイメージを感じなかった。
 意表を突かれた真琴はぽかんと口を開けた。
「何だか、東京と変わりませんね……」
「事前調査をしてこなかったのか、お前」
 リヴァイが、呆れてものが言えないというふうな顔をする。

 肩をほぐしながら、オルオが皮肉げな眼をした。
「まかりなりにも編集者だろ。そんなの基本中の基本だぞ」
「ぶー」
 口ずさんだ声と合わせて真琴は唇を尖らせた。
 リヴァイが空虚な眼差しで真琴を見る。
「豚の真似はやめろ」
「なっ! 違います! 豚ではなくて、可愛くぶうたれてみただけで!」
 頭を振って真琴は否定する。赤っ恥で頬が熱い。
「『ぶう』たれてたんだろ。やっぱり豚じゃねぇか」

 ずっと傍観していたペトラが密かに笑い出す。
「何だかんだいって、副編と真琴ちゃんて息の合ったコンビよね」
「へ!? いえ、私と副編は決してそのような間柄では――」
 何を勘違いしたのか、真琴は物凄く動揺した。違うんだ、というふうに両手を振る。
 要らぬ言いわけをしそうになっている様を見て、リヴァイは露骨に迷惑顔をした。黙らせるためなのか、憚ることなく真琴の足を踏む。煙草の火をもみ消すかのように。
「痛ぁい!」
 真琴は涙目で片脚を曲げた。

 終始を見逃したペトラは、瞬きを繰り返しながらもしげしげと真琴を見る。
「何の間柄?」
 口許をうごめかせるだけで、巧く応対できない真琴に代わり、リヴァイが冷静に返す。
「しょっちゅう俺にコキ使われてるからな。いいコンビ呼ばわりされて面白くなかったんだろ」
「そういうことですか」
 ペトラは笑ってあっさりと納得した。一方リヴァイは異論ありそうだ。
「そこで頷くな。俺の立場がない」
「副編ったら。そんなこと全然思ってないですよね」
 くつくつとペトラは笑った。

 古都、京都といえども、駅前はおしゃれな百貨店などで賑わう。本当に京都らしさを味わうのなら、宿を取るのは駅周辺ではなく、河原町や祇園辺りがおすすめだ。そのほうが観光にも便利なのだ。
 
 まず今日の宿を目指して、真琴たち一行はタクシーを拾った。
 助手席にリヴァイ、後部座席に真琴とペトラとオルオが乗り込んだ。てきぱきと目的地を告げたペトラに、運転手ははんなりと笑む。

「お客はん、どこからいらしたんですか?」
「東京からだ」
 隣に座るリヴァイが相手をする。
「よう遠いところから来はりましたなぁ。お仕事ですか?」
「そんなところだ」
「はばかりさんです」

 京言葉はリヴァイには通じなかったようで、僅かに首をかしげている。運転手は「ご苦労様です」と労ったのだった。
 真琴は後部座席で昂揚感を感じていた。前の二人をじっと見つめて、京言葉に聴き入っている。――これぞビバ京都だ。
 でもリヴァイが寡黙だから、運転手は喋るのをやめてしまったようだ。もっと京言葉を聴きたい。真琴は勇気を出して話しかける。

「わぁ。駅から少し離れると、だんだん京都らしい風景になってきましたね! 運転手さん!」
 街並は、おもむきのある姿に変わりつつあった。ところどころに立派な寺が、通り過ぎたと思ったらまた現れる。とにかく神社仏閣が多い。
 普通の民家であっても、歴史がありそうな古い門構えだけは、そのままに残してある。そして駅前と比べると、見渡すかぎり背の低い建家ばかりで見通しがいい。

「さよですかぁ。なんもあらしまへんけど」
「そんなことないです! 情緒があって、こうして眺めてるだけでも楽しいですよ」
「おおきに」
「毎日素敵なところで暮らせて、運転手さんが羨ましいです」
 運転手は苦笑する。
「住んでるもんからしたら、特別おもろないし、珍しくもあらへん。わたしからしたら、お客はんのほうが羨ましいですわ。東京は憧れます」

 互いに、ない物ねだりなのだろう。真琴には京都がとても素晴らしい街に見える。でも運転手いわく、見慣れてしまった街並を見ても、いまさら感動などはしないのかもしれない。だから逆に東京を羨ましがるのだろう。一長一短なのかもしれない。

「でも京都の玄関口と比べると、あまり背の高い建物ってないんですね」
「河原町へ行かれはると、百貨店さんがあらしゃりますけど」
 京は、と運転手が続ける。
「条例があって、ビルを建てるにしても、何メートルまでって決まってはるんですよ」
「何でですか?」
「街の景観を守るためらしいですな。けど京都市は、ほんまはボンボンでかいビルを建てたいんですわ」

 へぇ。と相槌を打つ真琴の前では、リヴァイがペトラに向かってそっと指示を出していた。メモを取れと言っているのかもしれない。運転手の話はいい取材になる。

「けど京では、市よりお寺はんのほうが強いおすからなぁ。お寺はんが駄目や言うたら、建てたくても建てられへんのですわ」
 真琴の傍らではペトラがノートにペンを走らせていた。
 真琴は純粋な疑問を口にする。
「いくら強いって言っても、決定権は市にあるんですから、強行したらいいじゃないですか。建てたいんですよね? 高層ビル」
「おもろい話がありましてな。数十年前に市が許可したビルが、何の手違いか完成してみれば大幅に基準を超えてしまってましてな。でも建てたもんを壊すわけにもいかへんやんか」
 真琴はうんうんと頷く。

「手前では市も納得いかない様子をしてはりましたけど、本音はラッキーって思ってはったんです。これを機会に建築物の高さ規制を、緩めようと暗躍してましてな」
「ほぅ。だが何かトラブルでもあったのか」
 リヴァイが合いの手を入れた。
「市のお寺はんたちが、ぎょーさん怒りましてなぁ。規制に違反したビルを取り壊せなんだら、門を閉める言い張り出したんです」
「門を閉める?」
 真琴が聞き返すと運転手は頷いた。
「寺を一般公開しない、っちゅうことです。これには市は冷や汗もんですわ」
「わがままなお寺さんたちなんて、相手にしなければいいじゃないですか」
 眉根を寄せて真琴が言うと、運転手は首を横に振った。

「市にあるすべてのお寺はんが門を閉めるいうことは、観光客を呼べなくなりまっしゃろ。京の財政は、世界中から訪れる観光客から成り立っている言うても、過言ではありまへんからなぁ」
 なるほど。それならば市は困るかもしれない。
「でもやはり建ててしもうたもんは、どうしようもあらへん。せやから今回だけは見逃してくれぇて、お偉いはんを揃えて、お寺はんに謝りにいったんです」
「それで?」
 リヴァイが訊くと運転手はにこりと笑った。
「今回だけいうことで、お寺はんも納得しはりましたそうな」
「良かった、良かった」
 晴れ晴れとした気分で真琴が言うと、運転手も笑った。

 運転手の言った通りだ。河原町に入ると、急に繁華街になった。もちろん土産物屋も並ぶのだが、どちらかというと、若者向けに整備された感が見て取れた。
 前方に向かってペトラが身を乗り出す。
「運転手さん、三条河原町でふたり降りますのでお願いします」
「バス停のところでよろしおすか?」
 えっと、とペトラはバッグからカラーのマップを取り出した。河原町周辺が拡大されているものだ。
「ええ。そこでお願いします」
 しばらくして、目的のバス停に到着した。後部座席のドアが自動で開く。
 リヴァイが助手席から振り返った。

「とりあえずは、ここから別行動だな」
「はい。あっ、副編が泊まる宿のパンフレット、渡しておきますね」
 そう言ってペトラは再びバッグに手を入れて、白い封筒を差し出した。予約したあとで、旅館から送られてきたものだろう。
 リヴァイは受け取って、
「じゃあ、頼んだぞ」
 きりっとした顔で「はい」と返事をしたペトラは真琴に向き直る。少し声を抑え気味に言う。
「ちゃんと二部屋取ってあるからね、心配しないで」
「ありがとうございます」
 複雑だった。別に一緒でもいいのに、と真琴は思う。そうしてそうなった場合を想像し、赤面した。――なんてハレンチな。

 隣でぐうぐう寝ているオルオを、ペトラはぞんざいに揺さぶる。
「ほら! 起きなさいよ! 着いたわよ!」
 んぁ? と半目で目覚めたオルオの口端からは、涎が垂れていた。
 オルオを追い出すように外へ向かってのして、降りようとしたところでペトラが振り返る。
「運転手さん。ここまでどう行けばいいですか?」
 ペトラは運転手に見えるように、旅館までの地図を翳す。運転手は目を通したあとで、身振り手振りする。
「あがらはって、東に入ったとこですわ」
「あがら?」
 疑問符を浮かべるペトラに運転手は苦笑した。
「北へ行って、東に行ったところです」
「ああ、なるほど。ありがとうございます!」
 礼を言って、去り際にペトラが真琴に困ったような顔をみせた。
「京都って、住所が特殊なんだもん。真琴ちゃんも迷わないようにね」
 一言置いてペトラはオルオとともに、河原町の雑踏に消えていった。

 運転手がリヴァイに伺う。
「後ろ座はりますか?」
「ああ、そうしよう」
 リヴァイが助手席から真琴の隣にやってきた。再びタクシーは走る。
「お客はんは、どこまで行かはれますか?」
 リヴァイが運転手に、旅館の住所が載っている紙を差し出した。
「ここまで頼む」
「石堀小路(いしべいこうじ)ですか。祇園のとこですな。いいとこ泊まられますなぁ」
 真琴が口を挟む。
「いいとこ?」
「京の風情を味わいたかったら、ここをおすすめしてるとこです。夕方になると芸妓はんが見られますかもなぁ」
「楽しみ――!」
 おい。とリヴァイが眦を吊り上げた。注意される前に真琴は口を開く。
「遊びに来たんじゃありません、はい」
「その通りだ」
 腕を組んで、リヴァイはゆったりと座席に凭れた。

 一般的な家の、ドアほどの幅しかない木製でできた枠の向こう側は、狭い石畳の道だった。どうやらここが石堀小路の入り口らしい。頭上にはレトロな外灯に「石塀小路」と書かれていた。
 なるほど一歩路地を入ると、とても観光地とは思えないくらい閑静な場所だった。路地の両側は板張りの高堀や和風の前庭、そしてその名の通り石塀の建家が続く。
 旅館へ向かって歩きながら、真琴は辺りを見回す。

「なんでしょうか、あれ。民家じゃないですよね、表札がありますけど」
 それぞれの家の引き戸には頭上や端に表札が出ていて、普通の名前が書いてあった。例を挙げると「山田」「川口」などがそうだ。灯籠のような、長方形の外灯が付いている家もある。作りが和風で、どこか品があるから普通の家にも見えないし、かといって店にも見えない。
 物珍しそうに目を動かしながらリヴァイが答えてくれた。

「多くが料亭や旅館だろう。一見それっぽくはないが」
「料亭ですか……。なんか、怖くて入れませんね」
「何が怖い?」
「お値段が怖そうです……」
 くっ、とリヴァイが微かに砕けた表情をみせた。
「驚くほど高くはないと聞いたが。――まぁ、そうだな。知らない街だし、そう思ってしまうのも仕方ないのかもしれん」

 近くには有名どころの寺があって、観光客で賑わっているだろうに、ここは本当に静かで歩いているのは真琴とリヴァイだけ。
 真琴は遠慮がちに、そろそろとリヴァイの手に自分のそれを伸ばした。指先が掠ると、さも当たり前のことのように、リヴァイの指が絡んできた。ああ、胸がきゅんとする。――こんなちっぽけなことでいちいち動悸を起こしていたら、早死にするかもしれない。
 激しい動悸で胸が苦しい真琴とは違って、リヴァイは平然としていた。

「中にはお茶屋もあるだろうな」
「カフェですか?」
 ばか。とリヴァイが遠い眼をする。
「本当に何も下調べしてこなかったとはな……。お茶屋といったら芸妓遊びができる、言わば銀座の高級クラブのようなものだ」
「へぇ。――興味あるんですか?」
 真琴は探るような眼を光らせた。リヴァイは相手にせず答える。

「興味があろうがなかろうが、俺たちのような者は入れない」
「な、なんでです?」
「一見さんお断り、といってな。なじみの客から、紹介でもしてもらわない限りは入れない」
 会員制クラブと似たようなものだろう。内容も芸妓を呼んでお座敷遊びをしたり、酒を飲んだりして夜を楽しむのだ。
「よかったぁ」
 微笑を浮かべて真琴はほっと息をついた。リヴァイが首をかしげる。
「だって、男の人のってそういうところ、行きたがるんじゃないかなぁって思ったので。でも一見さんお断りなら安心です」

 リヴァイが深い瞳で真琴をじっと見つめてくる。耐えられなくて、一歩下がったときだった。
 片腕を掴まれて引き寄せられる。気づけば、吐息を感じるほどに距離が近かった。
 小さな低い声が真琴の耳許で聴こえた。それは少し掠れていて。

「興味がないわけじゃない。だが俺を満足させるほどに、お前が相手をしてくれるのなら行かないが。そうでないなら、どうするか」
 大人な男のセクシーさが、滲み出ている。相手をしないなら、店に行くと仄めかすリヴァイに、真琴はたじろぐ。
「だ、だって一見さんは、お断り――」
「お茶屋じゃなくても、愉しめる場所はいくらでもあるだろ」
 そういうところに絶対行ってほしくない。真琴の眼には自然と涙が浮かんできていた。
 リヴァイが涼しい顔に、やや見下したような意地悪な眼をする。
「キスぐらいできるだろ」

 そう囁き、唇まで数ミリのところでリヴァイがとまった。ここから先は真琴からしてこいと、言いたいのだろうか。
 真琴は唇を引き結ぶ。いくら人がいないからって、外ではちょっと。だから――。
「し、仕事中ですよね!? いまっ」
 リヴァイが白けた眼に変える。
「……お前に言われるとはな」
 真琴の腕を掴む、リヴァイの手が緩む。諦めて離れていくのかと思ったのだけれど、それはフェイクだった。すっかり油断している真琴の腕を、もう一度強く引き寄せたリヴァイに、あっさりと唇を許してしまった。

「んッ――」
 唇を重ねあわせた瞬間から、性急にリヴァイの舌が口内へ入っていった。後頭部に手を差し入れられて、より口づけを深くされる。
 つらいわけではないのだけれど、真琴はつい眉根を寄せた。リヴァイが角度を変えてくるときを見計らって、短く息を吸う。
「はッ」
 真琴の口内をすべてさらう勢いで、唇から零れそうな唾液さえも、ぬめる舌に奪われていく。あまりに好き放題に動く舌に、真琴はついていけない。
 いっそう深くなっていき、息を吸うタイミングが分からなくなってきた。苦しくて、真琴は瞑る眼をさらにぎゅっと閉める。
「んんッ――!」

 真琴は降参というふうに、リヴァイの堅い胸許を両手で叩いた。もう無理です! という思いを込めて。
 リップ音とともに、柔らかい唇が離れていく。真琴は涙の滲む眼を薄く開けた。
 間近に、情欲を帯びたリヴァイの瞳があった。その瞳だけで、身体の奥が熱くなっていくのを感じていた。
 がくんと、真琴の脚が崩れる。リヴァイの欲にあてられて、すっかり腰砕けになってしまったから。
 すぐさま腰にリヴァイの腕が絡まる。そのまま柔く抱きしめられた。まるで割れやすい卵を扱うように。
 まだ余韻が残っているのか、リヴァイは真琴のこめかみや、耳許にキスを落としてくる。

「もう、行かないと。取材が――」
「分かってる」
 そう言いながらも、リヴァイはやめてくれなかった。真琴も嫌ではないけれど――そんなことを思って、眼をとろんとさせていたころ。

 近くで聞こえるヒソヒソ声に、ピンクな脳内がクリアになっていった。真琴は何回かしばたたいて視界をはっきりさせる。
 リヴァイの向こう側に視線を移せば、通り過ぎようとしている親子がいた。ひどく蔑むような、冷めた眼つきが刺さった。
 親子が角を曲がっていって視野から消えた。真琴は力いっぱいリヴァイを突き放す。頬を膨らませて。
「もぉっ。リヴァイ副編集長のせいで、変な目で見られちゃったじゃないですかっ」
「どうせ二度と会うこともねぇだろ」
 しらっとした口調で発し、リヴァイが真琴の手を引いて歩き出した。

 旅館は見るからに歴史を感じさせる佇まいだった。個人で予約を取るには躊躇してしまうくらいの高級さだ。まだチェックイン前だったので、荷物だけを預かってもらい、真琴たちは早速取材に出た。
 リヴァイはデジタル一眼レフカメラを、首からぶら下げている。街並を撮影しながら祇園のほうへ向かう。真琴も一応、デジタルカメラのシャッターを押しながら。――断じて己のためではない、取材に必要な写真なのだと言い聞かせて。

「まずはどこから行きますか?」
「虎穴に入らずんば。――先に簪屋だ」
 そこまで言うほど危険なところなのだろうか。

 祇園の大通りまで繰り出してきた。四車線の道路を挟んだ両脇には、老舗の京小物や京漬け屋が立ち並ぶ。鴨川から八坂神社まで、ずらっとアーケードが伸びていた。
 リヴァイが看板を確認して入っていった店は、長年経営していそうな雰囲気のある、一軒の簪屋だった。ここが今回の取材の目玉なのだろう。

 店内はさほど広くない。一畳ほどの土間にガラスケースがひとつ。一段上に畳が敷いてあって、そこも見た感じ奥行きはないが、色とりどりの簪や櫛が飾られていた。独特なお香の匂いがより和を引き立たせている。
 古びたレジスターの裏から、丸眼鏡をかけた白髪の老人が顔を出した。かなりお年に見えるので、八十代はいっているだろうか。皺だらけの顔がちょっと怖い。

「なんや、客か」
 老人は眼鏡を少し下げる。リヴァイの持つカメラを見て、明らかに眉を顰めた。
「店にあるもんは、撮影禁止じゃ」
 無愛想な口調だった。リヴァイが名刺を取り出す。
「進撃出版のリヴァイと申します。今回――」
 老人は、目の前に差し出された名刺を手で払った。ひらひらと土間に落ちる。
「取材は受けん! 店のもんを買う気がねぇなら、いね!」
 敵意の眼差しで啖呵を切り、老人は背中をみせた。これは一筋縄ではいかなそうだ。

 完全に無視を決め込む老人に、リヴァイは食い下がって交渉を続けている。その片隅で、土壁に飾られた、額に納められている写真たちに真琴は気を取られていた。
 白黒やカラーの色あせた写真。どれも着物姿で、芸妓や七五三の記念写真だった。女たちが身につけている素敵な簪は、ここの老人が作ったものなのかもしれない。
 写真に食い入る真琴は、殺伐とした空気に似合わない明るい声を上げた。

「この写真の人たちが髪につけてる簪って、おじいさんの手作りですかぁ? 素敵ですね!」
 ふん、と老人はあからさまに嫌な顔をして鼻を鳴らす。
「簪のなんたるか、わかりゃせんやろ。おべんちゃらはいらんっ」
 一蹴されてしまって、真琴は身を竦めた。おべっかいを言ったわけではないのだけれど。
 でも真琴のせいで老人はさらに機嫌を崩したらしい。交渉していたリヴァイに向かって、膝元にあるチラシを投げつけた。

「いね!!」
 やむなく二、三歩下がったリヴァイが、密かに溜息をついた。諦めの色が見て取れる。
「また明日、出直してまいります」
「何度来はったって変わらへん!」
 リヴァイはもう一度溜息をついてから、真琴に向き直った。一枚の写真に、心を奪われている真琴の手首を取る。
「出直すぞ」
 はっとして眼を瞬かせ、真琴は老人を振り返った。
「あの、この写真なんですけど――」
「いね!!」
 罵声とともに、目の前にチラシが飛んできた。真琴は思わず眼を瞑って腕を上げた。だけど何も降りかかってこなかったのは、リヴァイが庇ってくれたからだったのだけれど。
 二の足を踏む真琴をリヴァイが強めに引っ張って、ふたりは店をあとにした。
 その足で少しアーケード内を歩き、リヴァイがふと立ち止まった。

「まいった。あそこまで頑固一徹とはな」
 リヴァイは思わず、口を突いたという感じだった。
 数歩後ろからのろのろ追っていた真琴は、俯いていたために、リヴァイの背中に甚だしくぶつかった。
「わっ!」
 よろけて転びそうになる真琴を、リヴァイが素早く腕を掴む。
「何やってんだ、ぼけっとしてるな」
「すみません」
 心ここにあらずで答えて、真琴は再び手許に顔を伏せる。スマホの操作を続けた。

「こんなときに何してんだ」
「ちょっと、母にメールをと思いまして」
「京都なう。――などの内容だったら鴨川に沈めるぞ」
 冷たいものが脳天に刺さる感じがした。おそらく睨まれている、という真琴の予想は外れていない。
「ち、違いますよ。や、やだなぁ……」
 真琴はバレバレなほどに狼狽えた。実は「京都なう」と件名を入れてしまったなんて、絶対に悟られてはならない事実だ。
 リヴァイの周囲が妙に寒い気がする。どう考えてもまだ早い木枯らしが、真琴の髪をたなびかせた。
「お前……」
 言ったあとで、リヴァイは大きく溜息をついた。疲れた様子が滲み出ていた。

つづく。

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