あのチビはまだか

時系列:第六章16直前

 エレンが一〇四期生と顔合わせできたのは、新兵歓迎会の準備でてんやわんやの食堂でだった。ミカサやアルミンたちと久しぶりに会って嬉しそうにしているエレンを見ていると、真琴まで微笑ましい気分になるのだった。
 些か驚いたのは、入団してきたメンバーにジャンがいたことだった。

「なかなか似合ってるじゃない。調査兵団のジャケット」
「紋章以外は変わりないってのに、なんか落ち着かねぇ」
 新兵の彼らへ与えられた新しいジャケットは、多少ごわごわするようだ。ジャンは体に馴染ませるように襟を何度も引っ張っていた。
 食堂の端に即席で用意された舞台。天井には「新兵歓迎」の横断幕が吊るされている。

「それにしてもよく決心したね、ジャン。そんな気もしてたんだけどさ」
「どこかで分かってはいたんだ、闘わなきゃいけないって。でも、奪還したトロスト区で戦死者を弔う炎を見てたら、どうにも虚しくなってきちまってよ」
 寂しげに笑む頬は、戦場を経験して大人びたものになっていた。
「そんな中だった。誰のものともしれねぇ骨の燃えカスに、偉そうに説教されて気づかされたんだ」

「誰のか分からない骨の燃えカス?」
「俺と珍しく気の合う奴がさ、その炎の中でまさに灰になろうとしてたんだ」
「同じ訓練兵団の?」
「ああ。奪還戦で人類が初めて巨人に勝利したってのに、あいつひっそりと死んでてよ。なんで死んでんだよって思ったよ」
 と口許を歪ませてジャンは笑う。そうして笑いを納めて、開いた右手に眼を伏せた。
「まとめて遺体を焼かれた炎の中から、小さい骨が俺のところに弾け飛んできてさ。それがあいつのものだったかも分かんねぇんだけど、どうしてかあいつの顔が浮かんでよ」

 真琴はただ頷いた。
「いま何をすべきか明確に分かるだろ――って言われた気がしたんだ」
「きっと、その小さな骨はジャンの友人のものだったと思うな。どうしたらいいか見失いそうになっていたジャンの、最後の一押しをするために飛び込んできてくれたんだよ」
 少年時代の階段を一気に何段も飛び越えてしまったような顔つきで、ジャンは右手を握った。
「俺もそう思う」

 エレンとジャンは対照的だ。エレンは物怖じしない勇敢さを持っている。けれどジャンの本質は、普通の弱い人間なのだ。だからこそ彼の背中を押してくれる人間が必要だった。それが戦死したジャンの友人だったのだろう。

「サシャ! どうしたんだよ、そのチキン!」
 騒がしい声を上げたのはコニーで、もも肉を持っているサシャをずるいとばかりに指差している。
「厨房で拝借してきました」
「そういうのは盗んだって言うんだ!」
「いいじゃないですか。宴が始まれば、どうせ私の胃に入るんですよ」

「ずるいぞ! 俺にも寄越せ!」
 コニーがもも肉を掠め取ろうとした。長身をいかしてサシャはもも肉を天井に掲げる。
「ダメですっ。このもも肉ちゃんは私のですっ」
 演壇を挟んで取り合いっこが始まった。コニーはつけ回すが、サシャはちょこまかと逃げるので埒があかない。
「チキンをかけて勝負だ!」
 両腕と片膝を上げた酔拳のような構えでコニーが挑発する。もも肉を咥え、サシャも似たような構えを取った。
「受けて立ちますよ!」

 ジャンは呆れた面容で見ていた。
「ったく成長しねぇな、あいつらは」
「そう見えるけど、どこか暗い影がちらついてるようにも見える。やっぱり以前とは違うよ」
 トロスト区の街を巨人から命からがら取り返したとはいえ、その被害を顧みれば勝利したと表現するには憚れる。惨たらしい現実を知った者だけが得た顔つき――と思いたかったのだけれど。

「先制攻撃!」
 と言って、サシャはもも肉に霧のような唾を盛大に吹きかけた。
「あ〜! 卑怯もん!」
「むっふっふ。私の勝利ですね」
 ぐぬぬ、とコニーは両肩を震わせる。
「唾ごとき……唾ごときがなんだー! 俺は屈しないぞ! そいつを腹に収めるまでは!」
 そうして闘いは続く。サシャが持っているもも肉に固執しないで、コニーも盗んでくればいいのに。なにも肉はあの一本だけではないだろう。

 吊り上がり気味のジャンの眼は脱力していた。
「……暗い影? お前、マジで言ってんの? 眼の検査をしたほうがいいぜ」
「ほ、ほのぼのするな〜。明るくなっていいよ。しんみりすることばっかりだったからさ」
 真琴は口の端をひくひくさせて笑う。今夜は大目に見るとして、明日からもこの調子だったらリヴァイに仕置きしてもらおうと思った。

「真琴さん……」
 と肩をつついてきたのはエレンで、いましがたまで嬉しそうにしていたのに、げっそり顔に変わっていた。
「俺、もうどうしたら」
「何が?」
「ミカサが」エレンがこっそり指を差す。
 据わった眼つきでミカサは食堂全体を舐め回していた。念仏のようにぶつぶつ言っている。
「あのチビはまだか……報復をしてやる……」

「さっきからああしてリヴァイ兵長を探してるんだよ。審議所で俺が殴る蹴るされたことを恨んでて」
 まさかリヴァイに報復したくてミカサは調査兵団に入団したのかと、一瞬思いそうになった。そうではなく、エレンを守るために入団してきたのだろうけれど。
「報復って何をするつもりなんだろう」
「殴る蹴る……か?」
「どっちが勝つかな。ミカサにチキン一本」
 楽観的に答えた真琴は瞬く間に笑顔が凍った。厨房を背にしているミカサの後ろで、カウンターからこちらを凝視していたのは渦中の人物リヴァイだった。

「そんな暢気な。鉢合わせしたらまずいって。チビとか、口が裂けても絶対まずい」
 肩を落として項垂れているエレンはリヴァイに気づいていない。真琴は密やかに指で示す。
「もう遅いと思う。リヴァイ兵士長ってわりと地獄耳だから」
「ひっ」短い悲鳴を呑んだのはエレンである。

 厨房のほうを軽視しているミカサの眼つきはますます据わっていく。
「まずはチビから……。そのあとで、あの女も居場所を突き止めて痛い目に合わせてやる……」
「……あの女?」
 思いついて、真琴の背筋をおぞましい虫が這っていく。(まさか)

「たぶん、審議の場で俺と言い合った貴族の人のことだ」
「……ミカサって、根に持つタイプ?」
「普段はそうじゃないけど、俺のことになると異常っていうか、仕返しするまでは地の果てまで追いかける奴だからな」
「ごちそうさま」
 近い将来に降りかかるかもしれない危機を案じていて、その言葉に皮肉さなど含まれていなかったけれど、エレンは大仰に否定した。
「のろけとかそんなんじゃないからっ。あいつホントに病的で困ってるんだよっ」

 リヴァイがのっそりと近づいてきた。完全に気配を消しており、背後を取られたことにミカサは気づいていない。
「チビ……さっさと現れろ、チビ……」
「お前が言うチビとは誰のことだ、新兵」
 ミカサはがばっと振り向いた。敵意の眼差しで歯を剥く。
「ここで会ったが百年目っ。チビとはお前の――」
「わわっ」
 真琴とエレンの片手がミカサの口を塞いだ。エレンの笑みが引き攣る。
「こ、こいつ、ちょっと病気で」

「俺が探してきてやろう。そのチビの名は何と言う」
 ミカサは歯向かいたくてもがもがしている。真琴とエレンは彼女の口を塞ぐのに必死だ。
「まるで獣だな。ここは動物園じゃない。下等生物にエサをくれてやれるほど、調査兵団は潤ってないんでな。ほかを当たれ」
「リヴァイ兵士長、挑発しないでください」
「痛!」
 空気を切るような悲鳴を上げたのはエレンだった。ミカサに指を噛み付かれたのだ。彼女は赤いマフラーを怒りでたなびかせる。

「獣はどっち! あんな惨いリンチをしておいて!」
「獣は噛み付くことしか能がないお前のほうだろう。その頭は飾りか」
「なん――」
 ミカサの口をエレンが再び塞ぐ。「すみませんでした、兵長! こいつには目上の者に対する礼儀ってもんを、しっかり教えておきますんで!」
 ふん、と顎を上げてから、リヴァイは食堂の入り口のほうへ歩いていく。
「ほんといい加減にしろよな、ミカサっ。あの人を怒らせると怖いんだぜ」
 まだ悔しそうにしているミカサにエレンは言い募る。

 真琴はリヴァイに駆け寄っていき、あれはパフォーマンスで、とエレンが説明している声が遠ざかっていく。
「あのっ」
 骨太な手首に手をかけると、リヴァイは無言で見返った。
「許してあげてください。ミカサの気持ちはボクにも分かるんです」
「殴りかかってこなかっただけ、いつかのクソ女よかマシだった」
 真琴は言葉に窮する。リヴァイはエレンに怒られてしゅんとしているミカサに視線を流す。
「ガキ相手に本気もない」
 涼しく言って真琴が触れている手首に目線を落とした。だから慌てて手を離す。
「すみませんっ」

「お前もせいぜい気をつけたほうがいい。あのガキは相当執念深そうだ」
「はい……。素性を知られたら屋敷に乗り込んできそうですよね。困ったな。思わぬ敵を作っちゃいました」
 何とはなしに前髪を摘んで滑らせる。
 すっかりしおらしくなったミカサはエレンのジャケットの裾をつんつんと引っ張っていた。それを見てリヴァイが憎らしげに舌打ちをした。
「それにしてもあのアマ、無作法に俺を上から見降ろしやがって」
「それは喧嘩越しだったから。あっ、でもどうだろう」
「でもとはなんだ」
「い、いえっ」
 真琴は顔の前で両手を振る。身長差があるのでわざとではないかも、という考えが浮かんでしまったのを見抜かれただろうか。

 リヴァイは面白くなさそうだ。薮から棒に、真琴と自分の頭の上すれすれで手のひらを横振りする。爪先立ちをしながら、
「あの女はこれくらいだった」
 クソっ、僅かに十センチ。と悔しげに言い、
「背に腹は代えられねぇ。いよいよ手をつける時がきたらしい、『ぐんぐんのびール』に」
「え!? いくらなんでもハンジさんの薬はやめたほうがっ」
 ミカサの態度というよりは、チビという単語におかんむりだったようである。

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