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時系列:第十章29

 三月中旬。暖かい日もあれば、寒い日もある。服装に迷う中途半端な時期だ。
 真琴は自室から窓の外を覗いてみた。正午前の空は太陽が出ているが、多少風があるのか樹々が揺さぶられている。

 開いたクローゼットの前で真琴は迷っていた。少しして手にしたのは、薄手の春先用コート。むろん男物である。
 新しいものはすぐに着たくなる。たとえ外が寒々しいとしてもだ。
「おしゃれには我慢、って誰かが言ってたしね! 人間、甘やかしてたらダメなのよ!」
 と鏡の前で言い聞かせ、コートを羽織った。
 街へ出るために、自室を出て廊下を歩く。今日は十四日。バレンタインの日にチョコをくれた女たちへお返しをするため、いまから買い物に行くのだ。

 一階の廊下を正面玄関へ向かって歩いていたときだった。リヴァイとミケが立ち話をしているところに遭遇した。

 リヴァイは黒いコートを着ている。これから出掛けるのか、それとももう用事が済んで帰ってきたのかは分からない。ミケは兵団の軍服を着用していた。

 会釈だけして通りすぎようとしたら、リヴァイに声をかけられた。
「待て、どこへ行く」
 静止した真琴。いちいち行き先を告げねばならないものだろうか。高校生のころ、母親がいちいち交遊関係に干渉してきたときのことを思い出してしまう。
 窮屈な思いに捕らわれながら、
「今日は非番ですから街へ買い物に行ってきます。夕方には帰ってきますので、それでは」
 なんで帰宅予定時間まで伝えているのだろう。と思いつつも、もう一度会釈して去ろうとした。
「それなら、一緒に連れていってもらえばいいんじゃないのか?」
 ミケの声に真琴の足がとまった。調子からして、自分が含まれているものだと思ったからだ。

「連れていってもらう、だと? 言い方が気に食わない。訂正しろ」
 眉を寄せたリヴァイ。親と行動をともにする子供のように、聞こえたからかもしれない。この場合子供はリヴァイだ。
「リヴァイ兵士長も、どこかに出掛ける予定なんですか? でも何でボクと?」
 尋ねるとミケが答えてくれた。普段からあまり表情を変えない彼は、本日も真顔だ。リヴァイと違って内面から滲み出る穏和さがあるので、冷たい人間には見えないのがいいところ。
「女に贈り物をしたいんだそうだ」

 真琴の片眉がピクっと小さく動いた。作った笑顔が嘘っぽいのは、冷ややかになっていく胸の内を、隠しているからである。
「へぇ。リヴァイ兵士長も隅に置けませんね。そういうお相手の方がいたなんて知りませんでした」
「語弊がある。それだと特定の女に聞こえるじゃねぇか」
 間髪入れずの抗弁に、真琴は可笑しくなるのを堪える。言い訳めいた発言は、誰に主張したいものだったのだろう。きっと自分だ――と思ってしまう真琴は、かなりの自信家だ。

 不思議そうにミケは首をかしげる。
「間違ってもない。そんなにムキになることか?」
「誰がっ。ムキになんざなってねぇだろ」
 真琴に向かってミケは肩を竦めてみせた。
「いまにも骨を取られそうな、黒犬のようだ」
 クスッと笑ってミケを促す。
「続きをお願いします」
「二月に貰ったチョコの、お返しをしたいんだそうだ」

 リヴァイは不貞腐れてあさってを向いている。律儀なところがあるもんだ、と真琴は思っていた。バレンタインデーのない世界では、もちろんホワイトデーもないのに。
「たくさん貰ってましたからね。一人一人にお返しするとなると大変そうですが、女の子たちは喜ぶと思いますよ」
「それでな。どんなものを選んだらいいか、俺に聞いてきたんだ」

 律儀な面はあるが、いざお返しをしようとしたとき、リヴァイは何をあげたらいいか分からなかったらしい。
 女として真琴はほっとしていた。花束をやったら喜ぶだろう、香水をやったら喜ぶだろう、そんなふうにポンポン頭に浮かぶ人でなくてよかった。疎いくらいが、女としては安心だ。

「ミケ分隊長は何を勧めたんですか?」
「俺に相談されてもな……気の利いたプレゼントなど分からないし。女にやるんだったら定番の指輪じゃないかと提案してみたが」
 細めの片眉を上げてリヴァイが言う。
「求婚じゃねぇんだぞ。誤解されるうんぬん以前に、何十人もの女にそんなもんくれてやってみろ。俺の人間性が問われる」
 高い物をやればいいというわけではない。チョコのお返しが指輪だったりしたら、きっと逆に怖くなる。それが、本命の相手からだったなら嬉しいのだろうけれど。

「ほかにも色々と提案してやったんだが、どれもお気に召さなかったようだ。で、いま思いついたんだが、物ではなくて特別訓練を付けてやる、とかいいんじゃないか」
「なんだか肩叩き券を思い出しちゃいました。子供のころ、母にあげたなぁ」

 言えば、ミケが何度も深く頷いてみせた。
「五枚綴りの特別訓練券か。いいかもしれんな」
 視線を窓に、リヴァイは腕を組んだ。
「訓練なんて付き合ってやれるか、ただでさえ忙しいってのに。まったく、参考どころか時間を無駄にしちまった」
 せっかく親身になってくれているのに、ありがたみをちっとも感じさせない言い方にミケが苦笑する。
「何を言ってもこれだからな」

 大の大人が二人して、「ああでもない、こうでもない」とうんうん唸っていたらしい。さぁ、ミケが真琴を引きとめた理由が何となく分かってきた。

 首を傾けて控えめに笑う。
「それでボクにバトンタッチってわけですか?」
「頼まれてくれるか。もう俺では無理だ」
 そう言って頼んできたのはミケのほう。まるっきりリヴァイの保護者みたいではないか。

 ミケに世話されて面白くないのか、リヴァイはやさぐれているようだ。真琴は向き直る。
「奇遇ですね。ボクもいまからチョコのお返しを買いに行くんです」
「よかったじゃないか。真琴と同じものを買えばいい」
 ミケがリヴァイの肩を軽く叩いた。リヴァイは嫌そうな顔をして払ったが、手つきはそうでもなかった。
「行くぞ」
 それだけ言ってリヴァイは歩き出してしまった。ミケを気にしつつ彼のあと追う真琴に、背後から労いの声。
「気難しい奴だが、頼んだぞ」

 のんびりと徒歩で街へ向かう。天気だけを見れば暖かそうなのに、いかんせん風が冷たい。首筋が寒くて真琴はコートの襟を立てた。

「うー、凍えそうっ。昨日は上着がいらないほどだったのに、今日は寒いですね」
「こうも気温が安定してないと、喉の調子が悪くなってかなわねぇ」
 気づいていたが、声が掠れていて発声しにくそうだ。
「風邪でもひきましたか? 兵団内でも咳をしてる人が多いですよね」
「風邪ってほどのもんじゃないが」

 軽く咳払いをしたリヴァイは、マフラーを口許に寄せた。
 群青色に茶系のストライプが入っているマフラーは、誕生日に真琴がプレゼントしたものだった。着用してくれているようで嬉しくなる。

「そのマフラー、暖かそうですね」
「お前は薄着をし過ぎだ。見ているだけで風邪をひきそうになる」
「おしゃれは我慢なんです。薄着をすることで、寒さに負けない体作りも兼ねてたりして」
 強がったそばから、いっそう冷たい風が真琴を襲う。
「うー、これは真冬並み!」
 両肩を尖らせ、身を縮ませて耐える。
 ふと首許に温もり。群青色のマフラーだった。

「貸してやる。くだらねぇ鍛え方をして風邪でも引いたらどうすんだ。それでも巻いてろ」
 真琴は戸惑う。
「ダメですよ、喉を痛めてる人から借りるなんてできません」
 外そうとするととめられた。リヴァイにしっかり巻きつけられてしまう。
「俺は平気だ」
「ボクも平気です」
「食い下がってくんな、可愛くねぇ奴だな」

 投げやりな感じで吐き捨てられた。頬を膨らませた真琴は、言い返そうと口を開ける。それよりも早く、顎をツンと尖らせたリヴァイが、
「『可愛くなくて結構。ボクは男ですから』、か?」
 と的確に言い当ててきた。妙妙たる読心術の持ち主には、一言も反論できなかった。

 リヴァイの体温によって温められたマフラーからは、彼の移り香が鼻をくすぐってくる。柔らかい毛糸の質感に、真琴は鼻先まで顔を埋めた。
 防寒のためか襟を立てたリヴァイは、両手をコートのポケットに突っ込んでいる。すっきりしてしまった首許は、いかにも寒そうだった。

「マフラー、とてもあったかいです。ありがとうございます」
 悪いな、と思いながらも眉を下げて微笑めば、
「最初から素直にそう言っておけばいいんだ」
 と、リヴァイも微少であるが、微笑み返してくれたのだった。

 目抜き通りに差しかかれば、街並は賑やかなものに変わる。露店にずらりと並ぶ野菜や果物が、春の訪れを知らせてくれているよう。
 ブティックのショーウィンドウに飾られている洋服も、すっかり春めいていた。トルソーが着飾っている菜の花色のワンピースに、真琴は目を奪われる。

「素敵……」
 思わず呟いてしまい、「あ?」とリヴァイに聞き返される。男装中なのに、女物に見とれていたなどと気づかれるわけにはいくまい。とぼけて人のせいにした。
「ボクじゃありません。いま通り過ぎた彼女たちが言ったんですよ」
 丁度真琴の脇を、三人娘が抜きさっていくところだった――クレープを手にして食べながら。ついでに香った甘いクリームの匂いに、今度はそっちに気を取られる。

「美味しそう。どこで売ってるんでしょうか」
 リヴァイは呆れ顔。
「さっきから目移りばかりしてるが、目的忘れてねぇだろうな」
「ちゃんと覚えてますよ。洋菓子でしたよね」
「菓子?」
 首をかしげてきた。ホワイトデーの定番をリヴァイは知らないのだ。

「女の子たちへのお返しですけど、ちょっと高級感のある洋菓子がいいと思いますよ」
「食いもんじゃねぇか」
「貰ったチョコだって、食べ物だったじゃないですか」
 リヴァイは思案に落ちずという面容だ。
「そんなもんでいいのか」
「なら、ほかにあげたいものでもありますか?」
 沈黙が落ちる。何も思いつかなかったらしいリヴァイが、
「……ねぇな。それでいい」
 と承諾してくれた。

 目の保養とばかりに、店先を見物しながらゆっくりと歩いていた。
 だというのに眼で見ているものが、頭にすんなり入ってこない。思考の大半を占めているものが邪魔をしているからだ。とうに通り過ぎてしまったが、さっきブティックで見かけたワンピースが気になっていたのである。

 明日、開店と同時に買いにいこうか。しかしそれまで売り切れずに残っているだろうか。今日を逃したらもう縁がない気がする。
 購入するならいまだ。そして着用するのもいまだ。新作の洋服を、好きな男に見てもらいたいと思う乙女心は、誰にもとめられない。

 そうと決まれば真琴の行動は早かった。まずマフラーをリヴァイに返す。
「我慢できないっ。急ですがトイレに行ってきますっ」
 差し出されたマフラーを、リヴァイは反射的に受け取る。反応が虚ろなのは、咄嗟のことだったからだろうか。
「どこで用を足すってんだ。近くに公園はねぇぞ」
「大丈夫ですっ、そこらへんのお店で借りますからっ」

 たかがトイレへ行くだけなのに、どうしてマフラーを返してくるのか。そんな怪訝な顔つきをしている。
 マフラーは一旦返しておかねばならないのだ。なぜなら、真琴とマコでチェンジするからだ。入れ替わったあとでマコがマフラーを持っていたら、奇態だろう。

「俺も」と言いかけた言葉を遮って、
「リヴァイ兵士長はここで待っていてくださいね! 三十分、いや二十分で戻ってきますから!」
 反転した真琴は、立ち去りぎわにそう言い残した。駆け出した背中に風とともにかかってきたのは、
「なぜトイレに二十分もかかる」
 という置き去りにされたリヴァイの、純粋な疑問だった。

 走ってきた真琴は、ブティックの前で息を切らしていた。些か汗をかいてしまい、上気した顔はほんのり紅い。深呼吸をし、息を整えてからドアノブを押した。
「いらっしゃいませ」
 鈴の音に続いた出迎えの声は、この店の店員だった。

 ショーウィンドウの、背中を見せているトルソーに真琴は指を差す。
「あのワンピースが欲しいんですけど」
「お客様はお目が高いですわ。春の新作で、ラスト一点になります」
 直感を信じてよかった。残り一着ということは、明日にはトルソーが違う洋服を着用していたかもしれない。
 店員の女は、トルソーからワンピースを脱がし始める。
「サイズはMですけれど大丈夫かしら?」
「試着させてもらっていいですか?」
 訊くと、女は店内を見渡す。
「お連れ様はどちらに?」

 そう尋ねられるのは、ごく自然のことだった。なんせ真琴はいま男装中なのだから。きっと女は、恋人へのプレゼントだと思ったに違いない。
 苦笑しつつ、真琴はカツラを取ってみせた。
「私が着るんです」
「まぁ。女の方だったの」と女は口許を押さえ、小さく驚きの声を上げた。

 試着室で試したワンピースは、サイズとしては申し分なかった。鏡の前に立つ真琴。店員の女が、大げさに誉め称えてくる。
「良く似合っておいでですわ。お客様はお細くいらっしゃるから、綺麗に着こなしてらして。上品なお顔立ちに、また菜の花色が映えてます」

 百貨店などで試着すると、高確率で言われるセールストークだった。どの店員も同じことを言うから、マニュアルにそう言えと記してあるのだろうか、と思うことがある。
 たとえば、本当に似合わないと思った場合でも、彼女たちは決まり文句のように言うのだろうか。

 真琴は知っている。試着した服がちょっと小さくてパツパツだったときの、彼女らの顔を。引き攣りながらも笑顔で、「よくお似合いです」と言われたときの、こちらの居たたまれなさったらない。
「ちょっと小さいですよね……」と言えば、「そうですか? コンパクトに着ていただくものなので、みなさんそんな感じですよ」と返されたものだ。ワンサイズ上があれば持ってきたのだろうが、おそらくフリーサイズだったのだろうと思われた。

 つい苦い記憶を引っ張りだしていた真琴。半身を捻って後ろ身頃を確認する。キツイ箇所もなく、丈も丁度よく、体型には合っているようだった。
「このまま着ていってもいいですか?」
「もちろんです。ではタグをお取りしましょう」
 後ろ襟に女が手を伸ばしながら、
「上着はどうされますか? お客様が着用してらしたのは、男物でしょう?」
「ワンピースに合わないですよね……」

 見降ろせば、靴も男物だから調和がとれていなかった。財布の中身を気にして真琴は唸る。傍らでは、女がにんまりと両手を揉み合わせていた。

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